朝の光に照らされて、町が活気を取り戻し始める時間。

 家々の屋根はつややかさを増し、石畳の道もピカピカと輝く。

「さて。面白い情報も入ったことだし!」

 泊まっていた宿屋を出ると、少女は思い切り身体を伸ばした。

 小さな身体は、朝の心地好い空気を浴びてぴりぴりと伸び上がる。

 そのほほえましい様子に、道を行くご婦人方が、くすくすと笑って彼女に手を振った。

「えへへ」

 照れくさそうに手を降り返し、少女は傍らの大きな鞄から、ごそごそと地図を取り出した。

「えっと、ディーナに行くには・・・」

 ぶつぶつと呟きながら、鞄の底に付いた車輪を、ゴロゴロと鳴らして駅馬車を目指す。

 金の髪は、少女が歩くごとにふわふわとして、柔らかそうだ。白い肌に、幼さのまだまだ残る頬の赤みがよく似合う。晴れ渡った日の紺碧の海を思わせる大きな瞳は印象的だ。

 あと数年もしたら、きっと誰もが驚くような美女になるだろう。

「―様!」

「・・・え?」

「キャロット・ガルム様!」

 後ろから聞こえた声に少女は振り向く。

 見れば宿泊していた宿屋のカウンターボーイが慌てて走って来る。

「お忘れ物です!」

 彼が小さなパスを手にして振っている。

「あ!いけない!」

 そのパスを目にして、慌てて少女も走り出す。

「よ、良かった、まだ間に合って・・・」

 お互い立ち止まると、ゼイゼイ言いながら、ボーイが少女にパスを差し出した。

「ありがとう、ボーイさん。これが無かったら、私、これから途方に暮れるところだったわ」

「はは、でしょうね・・・」

 喜ぶ彼女に、ボーイは苦笑いを返した。

 このパスが無かったら、彼女がカウンターに現れて、宿を取りたいと言ったとき、間違いなく追い返していただろう。

 少女の差し出したパスを見て驚いたものだ。

 賞金稼ぎに与えられる特権を示す、彼らだけのための身分証明書。

 それをこの小さな少女が持っていたのだから。


 ヘッドハンターパス


 そう書かれた小さなカードには、彼女の顔写真が張られ、更に堅苦しい印刷された文字でこう書かれていた。
 

 氏名 キャロット・ガルム
 性別 女
 年齢 8


「・・・くれぐれも、失くさないように気をつけてくださいね」

「えへへ。ありがと」

 差し出されたパスを確かめて、大事そうに彼女は鞄の中にしまった。

 小さな、十歳にも満たない可愛らしい少女と、賞金稼ぎという物騒な響きは、到底相容れるようには思えないのだが。

 少女は人懐こい笑みを浮かべると、世話になった宿屋のボーイに手を振って、再び大きな鞄を引き摺りながら歩き出す。

 その少女の後姿を見送って、ボーイはふうっと、肩の力を抜いた。

「昨晩、黄金の血薔薇が酒場に現れたって聞いたけど、あのおちびさんに話してやればよかったかな?」

 きっと、ゴールデン・ブラッディ・ローズといったら憧れの対象に違いない。

 それにしても賞金首が増えたのなら、この町も物騒になったものだ、と、溜め息をつきながら、彼は仕事に戻るべく、踵を返したのだった。

「だから、人を見た目で判断するなっての」

 ボソリと少女が呟いた声は、遠ざかってゆくボーイまで届くことはなかった。

 ガラゴロガラゴロ、大きな鞄をお供に、少女は石畳の道を急ぐ。

 と、街角から見知ったばかりの顔が二つ、彼女の前に現れた。

「あ」

 その声に、二人の男は同時に振り向き。

「あ」

「あ」

 彼女の顔を見て同じように声をあげ、同じように固まった。

 普通、本人が望まない限りはヘッドハンターパスに呼称や通称は書き加えられない。まして少女は自分の呼称を、パスなんかに掲載して自慢するようなハンターではなかった。

 あまり騒がれずにすむ、というのも、理由の一つになっているのだが。

「ひいいいいいいいい!」

「ゴ、ゴ、ゴゴゴゴゴールデン、ブ、ブブブ」

 男二人はそろって情けない声をあげ、お互いの身体に抱き付き合った。

 実はこの小さな彼女こそが、賞金首から最も恐れられると言われる、ゴールデン・ブラッディ・ローズ。

 その人なのだ。

「バケモノか。あたしは」

 昨夜、酒場で発砲した相手に向けて、キャルはボソリと呟いた。

 上げた賞金額は過去最高。

 優美な微笑みはどんな悪党をも凍りつかせる。

 微笑みで人間を凍りつかせられたら、そりゃ楽だわね。

 自分の噂を耳にした彼女が、その噂を提供してくれた情報屋にぼやいた台詞だ。

「お助けー!!!」

「命だけはー!!!」

 彼女の呟きに、弾けたように叫んで走り去る情報屋二人の後姿を、呆れて見送って、ふう、と、全身から息を吐き出した。

 夜にあの酒場にいて、早朝からこの辺りをうろついていたとなると、もう誰かに自分の情報を売ってしまっているのかもしれないと思う。まあ、もうすぐこの町を出てしまうのだから関係はないのだが。

 ごそごそと、一度しまいこんだパスを取り出して睨みつける。

「これが無きゃ、宿の一つも取れないなんて・・・」

 忌々しげにパスを見つめ、今度は胸ポケットに突っ込んだ。

 駅馬車に乗り込む際にも、切符を買うときに必要なのだ。

 保護者のいない、たかだか八歳の子供が旅をするということは、本人が思うより、世間というものが許さないように出来ている。

 せっかくの気持ちの良い朝を、しょぼくれた情報屋と一枚のカードによって粉砕されて、ちょっと不機嫌だったが、昨晩仕入れた面白そうな話を思い出し、彼女は気を取り直すことにした。

「伝説の聖剣か。どんなモンなのかしらね?」

 その剣があるという、この国の首都、ディーナへ向かうのだ。

 自然に足取りは軽くなり、年相応の、少女らしい笑みが、彼女の顔に浮かんだ。

 停車場に着くまでには、いつの間にやら最初の上機嫌が戻り、パスのおかげで順調に乗ることが出来た馬車の中で、がたごと揺られながらディーナへ向かう道のりも、伝説の聖剣とは、きっと煌びやかで立派で、うっとりしてしまうくらいきれいなのだろうと、あれこれ想像しているうちに、なんだか楽しくなってきた。

「お嬢ちゃんも、聖剣を拝みに行くのかい?」

 途中で乗ってきた老婆と仲良くなるうちに、首都へ向かうのだと言ったら、そんなことを聞かれて驚いた。

「そうよ?ひと目でも見ることができたら素敵じゃない?」

「やめときな」

 揺れる馬車のなかで、舌も噛まずに旅人達は器用に会話を楽しんでいる。老婆もその口で、しわ皺の顔に笑顔で手を一振りされた。

「あら、どうして?おばあちゃんも見に行くのじゃないの?」

 それを聞いた老婆はかっかと笑う。

「キャロットっていったかい、あんたさん」

「キャルでいいわ」

「なら、キャル。あそこはわしの息子も行って来て、散々な目にあったんだよ」

「散々な目?」

 これは男達から仕入れた情報にはなかったことだ。

 聖剣を見に行って、どうしたら散々な目に合うものなのだろうか。

「どういう噂を聞いたか知らないけれどね、あそこは今や物騒なもんさ」

 話によれば、聖剣を手に入れようと、様々な所から様々な人々が集まっていて、中には人騒がせな輩もいるのだという。

 実は、噂の聖剣を見たいのももちろんだが、ついでに、その人騒がせな連中に混じっているであろう、賞金首が目当てだったりするキャルだった。

 昨晩の情報屋からも、賞金額の手頃な名前を仕入れてある。

 もちろんタダで。

「わしの息子は、話に聞いた聖剣を見に行って、腰に護身用の剣を挿していただけで、身ぐるみ剥がされて帰って来たんだよ」

 なるほど、腰に剣をぶら下げていれば、例え護身用であってもそういう連中に目を付けられてしまうのは当たり前の話だ。この場合、老婆には悪が、素人のく
せに長剣なんかを持ち歩いていた息子が不注意だったといえる。

 恰好の絡む理由にされるからだ。

 物騒なところに行くには、短剣を懐に忍ばせるのが一番いい。

 相手に見えない上に、いざとなったらさっくりと。

「あら、それは大変だったわね」

 口元を手で覆い、そんなことを思っているとはおくびにも出さず、老婆に向かって、キャルは笑ってみせた。

「でも、私なら大丈夫よ、おばあちゃん。こんな子供に手を出すような奴、そんなにいるもんじゃないと思うわ」

 世の中実に物騒で、年端も行かない子供だろうが何だろうが、いちゃもん付ける大馬鹿者は結構いるのだが、それを承知で、キャルはそんなことを言った。

「そうかい?」

「そうよ」

 老婆は安心したように、にっこりと微笑むと、キャルの頭を撫でてくれた。

「お前さん、年のわりにしっかりしていそうだものねえ」

「えへへ。よく言われるわ」

 老婆の手の柔らかさに、少女は嬉しそうに笑った。

「おい、お客さん方。ディーナに着いたんだが、降りる奴はいるのかい?」

 御者が、馬車の客席を振り返る。

「ああ、降りるわ」

 キャルが手を上げると、俺も、私もと、ぽつぽつと手が上がった。

 聞かなくてもディーナは首都。大概のお客がここで降りると思っていたのに、上がった手は少なかった。

「へえ、今日は結構いるね」

 しかし意外に、御者はそう言うと、器用に手綱を引いて、馬を宥めながらゆっくりと馬車を停車させた。

「首都なのに、あんまり降りないのね」

 馬車から降りながら、切符を集める御者に声をかける。

「聖剣だなんだで、変な奴らが増えちまってさ。買い物なんかも、ここらの連中は、みんな隣町まで足を伸ばすのさ。ディーナに来るのは、お嬢ちゃんみたいな遠方からの観光客とかだね。ま、こっちは距離が長い分、儲かっていいがね」

 老婆の言っていた事は本当らしい。

 まあ、あの二人の情報屋からふんだくった情報の中には、確かに悪名高い賞金首の名前がいくつかあがっていたから、聖剣の周りが物騒になっているのも頷けるかもしれなかった。

「気を付けて行くんだよ」

 客車から顔を出した老婆と、切符を渡した御者と、両方に同じことを言われて、キャルはにかっと笑って見せる。

「ありがと。じゃあ、おばあちゃんも元気でね。御者さんも、旅の安全を祈ってるわ」

 それぞれに手を振って別れた。




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