「申し訳ない。それは重々承知している。事が治まり次第、王都へ行くつもりだ」
「それは、領主を辞めさせるという事?」
 頭を下げたままのクロムに、キャルは尚も冷やかだ。
 それに、何も言葉を返さず頭を下げ続けるクロムに、キャルはぴょん、とセインの膝から飛び降りる。

 ガツン!

 下げた頭に、一発拳をお見舞いした。
「うお!」
 まさかの痛みと衝撃に、クロムはバランスを崩して倒れ込み、慌てて立ち上がった。
 顔を上げれば、小さな少女は、先ほどと変わらず、眼鏡の青年の膝の上に戻っていた。
「辞めりゃ良いってもんじゃないのよ。それで責任逃れされちゃ、領民だってたまったもんじゃないわよ」
「いや、しかし…」
「しかしもへったくれもないのよ。責任は取ってもらわなくちゃ、パンナの為にだってならないと思うのよね」
 紅茶で濡れて、色の変わった服をまだ拭っている青年の膝の上で、金色の髪を揺らして少女が頬を膨らませる。
 思わず笑ってしまった。
「何よ?文句でも?」
「ああ、いや。失礼した」
 こんな可愛らしい少女に、叱られている自分がおかしくもあり、自分の伴侶にまでこうやって怒ってくれている事が、ありがたくもあり。
「貴女の仰る通りだ。パンナには、良い薬になる」
「大丈夫よ。おじいちゃん達がいるもの。もう、変態カントの言いなりになんかならなくて済むわ」
 にこりと笑うと、年相応の可愛らしいあどけなさが出る。
 しかし、言葉の節々は大人なぞ太刀打ちできない迫力があった。
「カントは、先ほど役人が来てね。今取り調べているよ。私も証言する。貴女が賞金を提供してくれるそうだが、ここは私たちに出させてはもらえまいか?」
 思いもしなかった申し出に、キャルは眼を丸くした。
「あら。どうして?」
「どうしてって、彼は我が家の執事で、アレを野放しにしてしまったのは私たちの責任だ」
「んー。それもそうだけど。代々執事をしてくれていた家柄なんでしょ?」
「まあ、そうだな」
「訴えにくかったのでしょう?」
「訴えにくいというか、訴えても信じてもらえず、結果的に私よりもカントの方が信頼が厚かったのだろうな。情けない話だが」
「それは、貴方の責任というか、見抜く目が役場や領民に無かったってだけの話だわ。まあ、私たちも一回は騙されているから、人の事言えないけどね」
 きっぱりと言いきった。
「政治を見分ける目を持つのも一般人の義務だからね」
 少女に代わり、彼女に膝を提供している青年が右手を差し出す。
「僕はセイン。王都に行くのは、諦めた方が良いと思いますよ」
 差し出された手に握手を返し、セインと名乗った青年の眼を見る。
 色素が薄い、しかし、不思議と深い色をした眼だった。
「現国王は、貴方の息子に政治家としての能力は無いと判断して、領地を没収してしまうでしょう」
「まさか!」
 唐突に言われて、クロムもトルムも、顔をひきつらせた。
「僕もキャルも、国王を知っています。もちろん、そこのギャンガルドもね」
 先ほど彼を襲撃した大男を差されて、思わず見返せば、ギャンガルドと呼ばれた男は、美女の肩を抱きながら、にやりと不敵に笑う。
「ああ。俺もあいつに脅されて旅してるようなもんだ。王様なら、やりかねねえぜ?」
「君の場合は面白がって、王の言葉に乗っかっただけだろう」
「そうとも言うなあ」
 しらっと、そんな会話が交わされて、デュナス家の一同は驚きを隠せない。
「国王とお知り合いなのですか?」
 パムルが呟くように聞くので、ジャムリムが首をすくめた。
「あたしは良く分からないけどね?」
 そのままギャンガルドの顔を覗き込む。
「知り合いっつーか、俺はちょっとしか会った事ねえし。俺よっか、あっちの二人が詳しいだろ」
 皆の視線が元に戻る。
「まったく。面倒臭いだけだろ?」
 タオルを頭からかぶり、セインが溜め息を付いた。
「詳しいっていうか、僕の場合は単に腐れ縁なだけだし、キャルはたまたまだっただけで、僕らは国王って言うより、その家庭教師と親しいっていうだけだよ」
「国王の家庭教師といえば、オズワルド卿か」
「そうです。ご存知ですか?」
 にこりと嬉しそうに笑われても、オズワルド家と言ったら名門中の名門で、こんな領地の領主など、頭も上がらないような名家だ。
「いや、お会いした事は無いが、とても優れた御仁だと聞いている」
 クロムが呆れたように笑えば、セインもキャルも、首をかしげた。
「オズワルドのおじいちゃんも、とてもいい人よ。トルムのおじいちゃんも良い人ね。お年寄りって、良い人が多いのかしら?」
 そのキャルの発言に、セインが
「ああっ、失礼なことを!」
 と慌ててキャルの口を塞ぐのだが、トルムは大口を開けて笑いだした。
「ふっふっふ、こりゃ参ったわい。ほほ、わしらは相当運が良かったな。対して、カントは運が切れてしまった様じゃぞ、婿殿」
「ふふ、そのようですね。兄上」
 老齢の男二人で、愉快そうに肩を揺らす。
「オズワルド卿と親しいのなら、大臣も貴女方に手は出せますまい」
「だいじんって?」
「貴女方、特に、セイン様を狙っていた悪い輩ですわ」
 パムルが眉間に皺を寄せた。
「要するに、うちの執事が王都の大臣と手を組んでいたのですよ」
 クロムが娘の頭を撫でながら説明する。
「アレは、我が家の執事で終わりたくなかったのでしょう。官僚の椅子を用意するからと、中央の大臣に、どうも貴方の拘束を命じられていたようです」
「あー、やっぱりですか」
「…ご見当はついておられましたか。本当に、馬鹿なことです」
 忠実な執事を装い、善人の仮面をかぶって彼が得たかったものは権力だったのか、他の何かだったのか。
「あの馬鹿息子も、しばらくトルム様が預かって下さる事になりましてね」
「へえ!それは意外だわ」
「ええ、まあ、妻がまだ了承していないのですが、構わず連れて行っていただく事にしました」
「それが良いわ。あのバカ息子、本当に貴方の息子?」
「面目ないが、あれでも我が子は可愛いものです」
「そうやって甘やかすから、パムルは苦労するしあのバカはつけ上がるのよ」
「あー、その、申し訳ない」
「本当だわ!」
 領主の一人息子の話題になった途端に、勢いを増したキャルの攻撃に、クロムは大きな肩を、どんどん小さくさせていく。
「ほほ、それくらいにしてやっておくれ。あの甥があんな風になってしまったのは、我が一族全ての責任。家族の言う事はもう聞かないというのだから、第三者に任せるが良かろ。他人の痛みを理解も想像もできないのは、哀れな事だ」
 自分の恵まれた環境も分かろうとせず、モノを知らず、努力もせず、ただ我が儘放題に時間を無駄に生きるのは、確かに哀れだ。
 そして本人がそれを一番理解できていない。
 我が儘に育ったのは彼の周りの環境と、彼自身の責任だ。
「せめて、人並みに人の痛みが分かる人間にしてやりたい」
 父のこの切実な思いが、あのバカ息子に届けば良いが、それも時間がかかるだろう。
「カントは、このまま役場に処遇を任せようと思います」
「あら。それは不味いわね」
 ぴょん、と、眼鏡の青年の膝から飛び降りて、大きな青い瞳を輝かせながら、金色の髪の少女は、それはもう清々しく笑う。
「連れていかれる前に、一発殴らせて?」
 笑顔とは正反対の発言だった。
「さて」
 振り向きざまに、スカートの裾へ手を突っ込んだかと思えば、
 ドドン!
 天井と扉に向かって一発づつ、銃弾を放つ。
 もちろん、その小さな両手には銃が一丁づつ握られている。
 天井からはガタガタと何かが慌てて移動し、扉の向こうからはドサリと思い物が倒れる音がした。
「まだ攻撃しなくても」
 呑気な声を上げたのはセインだ。
「先手必勝!立ち聞きされてたのよ?!情報が漏れちゃうじゃない!」
「いや、洩れてもかまわないんじゃ?」
 なにせカントは捕まったままだし、セインを狙ったとかいう大臣だって、どうにでもなる。
「あたしの気が済まないのよ!」
 八つ当たりだった。
「全員伏せな!」
 ギャンガルドが叫んだ。
 次の瞬間、部屋の中に何かが投げ込まれる。
 白煙を上げて転がるそれのせいで、視界が一気に利かなくなった。
「馬鹿だなあ。自分らだって視界が利かなくなるのに、っと!」
 この辺だろうと目星をつけて、適当に座っていた椅子を投げ付ければ、景気良くガラスの割れる音がした。
 白煙は窓の外へと流れ出す。
「よっと!」
 掴まれた腕を振り払いさま、逆に相手の腕を捕まえて床上に踏みつける。
「うー、眼にしみる」
「ぎゃ!」
「おお?」
「よっこらせ」
 間の抜けたような声は、ギャンガルドとタカのものだ。
 押しつぶされたような声は、聞いた事がないから多分襲ってきた連中のうちの一人だろう。
「ちょっと!前が見えないじゃない!」
「もー、キャルが挑発なんかするからでしょー?」
 さほど広くもない部屋に、すし詰め状態で集まっていたので襲撃しやすいとでも思ったのだろう。様子をうかがっていたところに、キャルが銃撃したものだから、慌てて突入して来たというところか。
「何よあたしのせい?」
「半分?」
「ムカつくわね!」
 言いながら、セインが踏み潰している男の顔を踏みつける。
「うぎゃっ」
「キャル、それ、多分痛いと思う」
 ぐりぐりと踵を回しているので、相手の顔は見えないが。
「痛いようにし、て、ん、の!」
「ご愁傷様です」
 そうは言っても、自分も足を離さないセインだった。
 煙が窓の外と開かれた扉の向こうに拡散されて、部屋の中がうっすらと見えてくれば、見知らぬ男の上に胡坐をかいて座るギャンガルドと、やっぱり見知らぬ男の口の中に、花瓶の中にあった花束をありったけ詰め込んでいるタカがいた。
「す、凄い」
 パムルが半分呆けたまま呟く。
「だから言ったじゃない。たいしたことない奴らだって」
 タカから花を分けてもらったキャルが、セインが踏みつけている男の鼻の穴にその茎を突っ込みながら言った。
 鼻血が出た。
「ちょっとかわいそうじゃない?」
「いーのよ。懲りずにセインを攫おうとかするからこうなるのよ。思い知れば良いんだわ」
 鼻血が出た時点で、男は気を失ったようだった。
 扉の前の廊下で倒れていたのと、襲って来たのと、もちろん全員素っ裸にひんむいてひとまとめに括りつけた。
「あ。なんか良いもん持ってやすぜ、コイツら」
 財布やら何やら持物をばらばらと広げれば、なんだか高価そうなものばかりが出て来た。
「これで窓と扉と天井、修理したらいいわ」
 煙草のパイプと財布の中身の金貨に銀貨、宝石のはめ込まれた装飾品。
「こんなもん身につけてる暗殺者ってあんまいないよな?」
「だから間抜けなんだろ」
「なるほど」
 渡された物品をしげしげと眺めて、クロムはキャルに向かって、にっこりとほほ笑んだ。
「気のすむまでカントを殴って行きなさい」
「え?!良いの?」
「我慢していたのだがね。うちの城にこんな連中はびこらせたのかと思うとこう、なんですか。…怒りが」
 いろいろと、押さえていたものが噴き出したらしい。
「こちらです」
 そう言ってキャルと、面白がったギャンガルドを連れて、クロムは部屋を出ていった。
 しばらくして、城の一番高い塔の上。いわゆる時を知らせる鐘の中から、逆さに吊るされたカントが泣きながら謝る声が、壁に囲まれた町中に響いたのだった。
「気が済んだ?」
「もっちろん!」
 上機嫌で戻ってきたキャルは、物凄くさっぱりした笑顔だった。
 クロム公の笑顔がさらに爽やかだったのが気になりはしたが、あまり詳しくは聞かない事にした。

 翌朝、城から響く鐘の音は、初めて聞いた時とは違い、軽やかに朝の訪れを告げている。
 クレイを引き取り、昨夜案内された宿で宿泊した一同は、旅支度を済ませて町中を歩いていた。
「挨拶に行かなくて良いのかい?」
 ジャムリムが、キャルの顔を覗き込む。
「昨日のうちにやる事はやったし、私たち、別段役に立ってないわ」
「まあねえ。それはそうかもしれないけど。向こうはそうは思ってないみたいだねえ?」
 振り向いたジャムリムの視線を追いかければ、一生懸命走って来る小さな姿が、朝の人ごみにまぎれてちらちらと見える。
 彼女の叫び声に驚いたのか、それとも、彼女の正体を町の人々が知っているからなのか、さあっ、と人の波が割れて、小さな人影が、こちらへ向かってくる道筋を作った。
「待って下さい!お待ち下さい!」
 相変わらず地味なドレスの裾をたくし上げ、髪が乱れるのもかまわず走る姿は何だか微笑ましい。
「パムル!」
 驚いたキャルが声を上げた。
「待っているから、ゆっくりおいで!」
 ジャムリムが手を振って応えているのに、ぜいぜいと息を切らして走って来る。
「あ、良かった、間に合って」
 一同に追いついた彼女は、今にも倒れそうなくらい肩で息をして、乱れた髪を整えようと慌てる。
「馬で来たら良かった」
「ふふ、そうだね。ほら、一息付きなよ」
 ジャムリムから渡された水筒の水を口に含み、大きく息を吸うと、ようやく落ち着いたようだった。
「宿へ行ったら、皆さん、すでに出られたというじゃありませんか。私、もうずいぶん久しぶりに全速力で走りましたわ」
「ごめんなさい。来るとは思ってなかったから…。何かあったの?」
 キャルの質問に、パムルは眼を瞬かせた。
「ご報告しようと思って」
 こほん、と、小さく咳ばらいをした彼女は、キャル、セイン、ジャムリム、ギャンガルド、タカの顔を、ぐるりと見渡した。
「カントと、捕まえて頂いた侵入者は、そろって役場に引き取られました。カントを犯罪者として登録してくれるそうなので、これで私たちの領地も、ようやく豊かにする事が出来ます。出ていった民も、呼び戻す事が出来ます」
 そう言うと、胸を張って笑顔を見せた。
「ホント?良かった!」
 昨夜の様子では、カントは登録認証されるだろうと確信をしていたものの、心配していたキャルは喜んだ。
「父も、喜んでいます。母は、まだ、もう少し時間が必要だとは思いますが、叔父様や叔母様が居ますから大丈夫です」
「それは良かった」
 セインも笑えば、少し頬を染めてパムルも笑い返す。
「それで、あの、何かお礼が出来ないかと思いまして…」
 しかし語尾が小さくなっていく。
「お礼なんていらないわ。私たち、おじいちゃん達を呼んだだけだもの。郵便配達でも出来る仕事だわ」
 キャルが首をかしげた。
「いいえ!郵便配達にあんな危険な仕事はできません」
「そうだろうなあ」
 ギャンガルドがうなずく。
「旦那も攫われたしねえ」
 海賊は息ぴったりだ。
「むし返さないでよ。はいはい。ぜーんぶ僕が悪いんですー」
 むくれたセインに、ジャムリムが笑う。
「でも、セインさんが足を痛めたのはあいつらのせいだよねえ?そのおかげで歩けなくて攫われちゃったんだし」
「だから仕返ししただけだわ」
 結論。

 仕返ししたかっただけ。

 だから、目的が達成されただけなので、お礼される事は何もない。
「そういうわけにはいきませんわ!お世話になったのですもの!御迷惑もおかけしましたわ!」
 パムルが詰め寄ると、周りがさわさわと騒がしくなる。
「なんだい?パムル様、どうかしたのかい?」
「何だね?パムル様が大声出すなんて珍しい」
 脇から聞こえた声に、辺りを見渡せば、いつの間にやら、ちょっと遠巻きながらも人垣が出来ていた。
「あ!皆さんからも言って下さい!この方たちのおかげですわ!新聞読みましたでしょ?!」
 パムルが叫べば、わらわらと寄ってくる。
 思えば、パムルが走って来ている段階で、人々の足はこちらを向いていたように思う。
「おお!あれか!新聞の!」
「私たちの恩人!」
「あんたたちか!ありがとう!新聞読んだよ!」
 次々と握手を求められ、頭をなでられ、小さな子供には飴玉を差し出され。
「は?あの、新聞?」
 もみくちゃになりながら、セインが尋ねれば、
「なんだい、見ていないのかい」
「朝、一面で出てたんだよ。まだ信じられないけど、あのカント様が諸悪の根源だったなんてねえ」
「あんたたちが捕まえてくれたんだろ?」
 どうも、今回の事柄が大袈裟に新聞に掲載されたようだ。
 慌ててパムルに視線を戻せば、悪戯が成功した子供みたいに笑われた。
「こういうときは、マスコミって便利ですわね」
「えええー?!」
「特ダネだって、喜んでましたわ。嘘偽りなく事実を述べましたの。ちゃんと記事にして下さいましたわ」
 流石だ。
「城が騒がしい事に気が付いたらしくて、問い合わせがあったから素直に応じましたの。私たちが色々と説明するより、新聞に書いて頂いた方が、民衆には伝わりやすいでしょう?」
 これでは、カントはこの町に戻って来る事は不可能だろう。それも計算に入っての事なのか。
「でも、権力がマスコミを利用するのは…」
「利用?いいえ。情報操作なんてしておりませんわ。ペンは剣よりも強し、なんて言いますけど。情報操作をいともたやすくしてしまうのもマスコミですもの。危険性は重々承知しております。今回は、事の顛末を説明してもらっただけ。経費削減ですわ」
 パムルの手腕に呆れつつ、気が付けばキャルは胴上げまでされている。
「この民衆の喜びを、無視なさるおつもり?」
 空高く放りあげられるキャルに、パムルは面白そうに叫んだ。
「分かった!分かったから下ろしてー!きゃああ!」
 軽いものだから、ぽんぽんとボールみたいに放り上げられて、半泣きだった。
 人々が、ようやく気が済んだのか、しばらくしてからやっと下ろされたキャルは、よたよたとセインにすがりつく。
 見れば、ギャンガルドはジャムリムを連れて、うまく建物の陰に隠れていたらしい。離れた場所で、愉快そうに笑っていたので、思わず弾丸を一発お見舞いした。
 クレイは少々びっくりしたようだが、ピタリとセインの横に控えて、首をゆすってセインに頬ずりをしている。
 セインもキャルも、ポケットやら懐やらに、いろんなものが詰め込まれていた。
「ああ、こんなとこまで」
 キャルの髪の毛の中からキャンディが転がり出る。セインのポケットからは包み紙につつまれたチョコレートやコインや、果ては時計まで出て来る。
「あ」
 まさかと思えば、クレイの鬣からも、アメやら装飾品やらが掘り出される。
「持ち合わせでもなんでも、とにかくお礼をしたかったんだと思います」
「言葉だけで充分よ」
「うん、どうしよう、これ」
 指輪やブローチやカフスなどの宝飾品まで、ベルトの隙間やなにかしかから、ボロボロと出て来るので、ふたりで困り果ててしまった。
「ありがとよー!」
「それは取っといてちょうだい!いらなきゃ捨てちゃって良いわー!」
 なんて声が、去って行く人々から聞こえて来る。
「そういうわけにもいかないよ…」
 靴を脱いでひっくり返し、出て来た軟膏の小さなケースやら、高そうな万年筆やらを手に取る。
「それだけ、みんな感謝しているのです。受け取って下さいな」
 言いながら、パムルが差し出したのは、綺麗な刺繍が施されたハンカチが人数分。
「きれい!」
 キャルが嬉しそうに見入っている。
「お金は、多分要らないっておっしゃるだろうと思いましたので、作りためていたもので申し訳ないのですけれど」
「これ、パムルが刺したの?」
「ええ」
 恥ずかしそうにはにかんだ。
「うん。これでいいわ。これで充分すぎるわよ!」
 大喜びのキャルだったが、
「えー。貰えるもんはもらっとこうぜ。報奨金とか出ねえの?」
 そんなギャンガルドに、無言でキャルがまた一発お見舞いする。
「うお!」
「避けんじゃないわ」
「避けなきゃ死ぬだろ」
 いつもの会話が繰り広げられ、くすくすとパムルが笑った。
「カントの賞金ですけれど、お父様が出すって言い張っておりますが、どうされます?」
「私が出すって言っておいて。役所を通して、後であなたに届けさせるわ」
「そうおっしゃると思いました。では、何かお礼になるものをこちらからご用意させていただきたいのですけれど」
「さっきのハンカチで充分よ」
 キャルの言葉に、パムルがにっこりと笑う。
「あれは、私からです。うちの一族を上げて、何かしたいと言っていますわ」
「えー」
 面倒臭そうにキャルが言う。
「ふふ。申し訳ありませんが、お礼っていうのは、半分自己満足ですから。諦めて希望を仰ってくださいまし」
 言われて、しばし首をかしげていたキャルだったが、難しそうな顔をして、パムルにそっと耳打ちをした。
 すると、パムルも、キャルにお返しとばかりに小さく耳打ちする。
「ほんと?」
「ええ。でも、噂ですわ」
 どんな言葉を交わしたかは分からないけれど、なんだか楽しそうだ。
「おおーい!」
 遠くから、声が聞こえて全員で振り向けば、一台の馬車が近づいてくる。
「おおーい!」
 同じセリフをまた叫んで、見れば、この町に来た時に、利用させてもらった馬車の御者だ。
「ああ。良かった。間にあった」
 慌てて来たらしい。一同の前を少し通り過ぎてから馬車は止まった。
「あんたら、これから王都に行くんだろ?」
「ええ。貴方にいただいたチケットもあるけど、駅馬車、まだ出発しないのでしょ?」
 町を出て、王都に向かう駅馬車は、今日の昼過ぎまで出発しない。その情報は、タカが調べて来てくれている。
「おう。だけど、あんたら歩いて行くんじゃ大変だろ?」
 言いながら、彼は器用にテキパキと、慣れた手つきで馬から馬車を外して行く。
「その兄ちゃんの馬、馬車あ、牽けるかい?」
 問われて、思わずクレイの顔を見やれば、
 ぶるる
 と、唸って前に進み出た。
「え、でも、経験ないんじゃ?」
 元々乗馬用で、馬車を牽く訓練は受けていないはずだが、クレイはどうもやる気らしい。
「はは!頭が良い、良い馬だ。大丈夫さ。この馬車、ちと小さいが、あんたたちにやるよ」
 御者はとっととクレイと馬車を繋げてしまった。
「え、でも」
「いいっていいって!この町が、やっと普通の町になるんだ。出ていった連中も戻って来る。復興させられる。それにくらべりゃ、馬車の一台くらい、どうってことねえよ。チケットは、料金分ならどこでも使えるから、とっときな」
 ばしばしとセインの背中をたたくと、
「じゃ!」
 と言って、さっさと居なくなってしまった。
「えーっと」
 どうしたものかと考えていると、ギャンガルドはとっとと馬車に乗り込んでしまった。
「せっかくもらったんだ、使わにゃ失礼ってもんだろ?」
「君に言われたくないね」
 タカもジャムリムも乗り込んで、荷物を整理し始めてしまった。
「いいんじゃありません?そのお菓子も装飾品もコインも、みんな受け取って下さいまし。邪魔になるなら、私が責任を持って領民にお返ししますけど」
 それはそれで、手間をかけさせえしまうし後味も悪い。
「いいわ。頂くわ。もう、貰っちゃえばいいのよね!馬車も貰っちゃったし!」
 開き直ったキャルが、仁王立ちで胸を張った。
「でも、太っちゃったら責任とってもらうわ」
「そのときは、ぜひおいで下さいませ」
 二人で顔を突き合わせて笑う。
 セインは大きく諦めの溜め息を付き、御者台に上った。
「じゃあ、行くわ!」
「はい。道中、お気をつけて」
 壁の町の巨大な門をくぐりぬけ、王都へ向けて走り出す。
 パムルが、手を振るのを、こちらも手を振ってこたえていると、小さくなる門の周辺に、どんどん人が増えていく。
 みんなで手を振って、送り出してくれているのが分かる。
「ありがとー!!」
 大きな声で、身体を乗り出させて、キャルが叫ぶと、向こうからも口々に
「ありがとう!」
「また来てね!」
「良い旅を!」
 返事が返って来る。
 大きく手を振るキャルの傍に、ジャムリムとタカが寄って来て、一緒になって手を振った。
「良い町になるよ」
「そうね。きっと、良い領地になるわ」
 カントの本性は見抜けなかったけれど、パムルの努力を、町の人々はちゃんと見ていた。彼女が声を出しただけで、集まってきた人たち。
 ひとえに、パムルの人望の厚さだろう。
「大丈夫。みんなで力を合わせられるよ」
 セインも、嬉しそうだった。
「ところで、さっき、何をパムルと話していたの?」
「さっきって?」
 壁の町が小さくなって、人々の姿が見えなくなってから、キャルが御者台に上がってきた。
「ひそひそ話、していたでしょう?」
 聞けば、キャルが楽しそうに笑った。
「ふふ。ナーイショ」
「えー?!」
「女同士の秘密よ。男には教えなーい!」
「おや。じゃあ、あたしは聞いても良いよねぇ?」
 ジャムリムがホロから顔を出す。
「いいわよ?ジャムリムには教えちゃう!」
「ええー?ずるいよ!」
 セインが眉間に皺を寄せれば、意地悪そうにキャルが歯を見せた。
「セインなんか、引っこ抜くんじゃなかったわ」
「え?なんで?なんで今、僕それを言われなきゃいけないの?」
 泣きそうな顔になったセインをよそに、キャルはジャムリムと笑いあう。
「ねえ!なんでだよ?!」
「さあ?おしえなーい!」
「ええー?」
 今日はとても良い天気になりそうだ。
 小鳥のさえずりが、高くなり始めた空に響いた。 

 


                                        FIN



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