静かに 静かに  空から恵みのしずくが、音もなく地表に降り注ぐ


 音もなく、細い雨が降り続いている。

  木々は葉を濡らし、重く枝垂れて地表へと雨水を誘導する。

 水たまりがあちらこちらに出来て、その上をパシャパシャと走る音がした。

 雨を避けるため、だれも住んでいない森の中の一軒家に、雨避けのマントを被った旅人らしき影が飛び込んだ。

「ふう、良かった。ここなら濡れずに済むね」

 長身で、ひょろりと細身の男が、掛けていた眼鏡を取って、レンズの雨粒を振り払う。

 その男の羽織っているマントの下から、金色の影が飛び出した。

「もうっ!鞄がびしょびしょじゃない!」

 ふわふわの金髪を背中に流し、くりくりと大きな青い瞳の少女が、男の抱えていた鞄をチェックし始める。

「キャルは?濡れてない?」

「あたしは大丈夫よ。それよりセインよ!フード被っていたんじゃないの?」

  濡れそぼった前髪をつまむ男に、鞄の中から取り出したタオルを投げる。

「風邪でもひかれちゃ、あたしが困るのよね。ちゃんと拭きなさいよ」

 そう言う彼女の足元もずぶ濡れで、靴の中はさぞかし気持ち悪い事になっているだろう。

 少女に微笑みかけると、男は室内を見渡した。

 木組みの家は、テーブルとベッド、対の椅子、ベンチと、小さな台所に暖炉があった。

「木こりの休憩所みたいだね。雨宿りさせてもらうにはちょうどいいかな」

 言いながら、暖炉に歩みよると、側にあった火かき棒で灰の中をかき混ぜる。

「うん。火が残ってる」

 灰の奥の炭から仄かに赤い光を見つけると、器用に火を大きくしてゆく。

「セインって、そういうの得意よね」

「得意って言うのかなあ?キャルだってできるでしょ?」

 覗き込む少女を火の傍に座らせて、セインはマントを脱ぎ、椅子の背にかけて広げ、乾かす作業に入った。

「出来るけど、こんなに早く火を熾せる自信は無いわ」

 きょろきょろと見渡して、すぐに見つけた薪を足す。

 一瞬、高く火が上がり、また元の大きさに戻ると、今度は徐々に勢いを増してゆく。ぱちり、ぱちん、と、小気味のいい音が室内に響いた。

 やはり気持ちが悪かったのだろう。キャルが靴を脱ぎ、靴下も脱いで暖炉の前に並べると、新しいものと履き変えている。

 セインもそれに倣う事にする。脱いだ靴から大量の水が零れたのには驚いた。

 二人で暖炉の前に座り、炎を見つめる。

 室内は、屋根に当たる雨と、炎のはぜる音のみが響く。

 ふと、窓の外を見れば、窓ガラスの雨水が、雨にけぶる森の中を、幻想的に透かし見せていた。

「不思議ね」

 キャルの呟きに、セインは色素の薄い瞳を向ける。

「雨って、嫌なものだとばかり思っていたけど、こうして見ると、とてもきれい」

 見つけ出してきた鍋に、甕の中にあった水を注ぎ、暖炉の火にかけると、セインは改めてキャルの見つめる窓を見やる。

 先ほどと変わらぬ雨脚ながら、窓ガラスは洗い流されて、伝い落ちる雨のしずくが、暖炉の光を反射して、キラキラと光っていた。

 その向こうに、降り注ぐ雨水に、ゆっくりと葉を揺らす緑の森。

「ふふ。蝋燭がいっぱいぶら下がっているみたい」

 光を映す窓に、木の枝が重なって、確かにそう見えなくもない。

 キャルのその発想に、セインは小さく笑う。

 自分は、雨と言えば身を隠す絶好の天候と判断する。

 匂いを消し、足跡も、足音も消し去ってくれる雨は、奇襲を仕掛けるのにも、敵から身を隠すのにも役立つ。

 雨にまぎれて戦場を行きかっていたのは遠い昔だというのに。

 もう、そんな事は気にしなくても良いのに。

 頭の隅で、軍馬が濡れた土を踏み鳴らす独特の音が響く。

「うん。とても綺麗だ」

 ふるりと頭を振って、相槌を打ちながら眼を伏せる。

「ね、今日はここで泊まっちゃっても良いわよね」

「え?」

「だって、雨、止まないのだもの」

 むう、と、唇を尖らすキャルに、セインはくすくすと笑った。

「そうだね。幸いにも雨漏りもしないようだし。次の町は遠いの?」

 湧き始めた湯の頃合いを見計らって、鞄の中からティーセットを取り出し、かぽん、と紅茶の葉の缶を開ければ、ふわりと良い香りが弾ける。

「んー、明日、朝出かけられれば、昼には着くと思うわ。鉄道が通っているみたいだから、そこから汽車に乗りましょ」

 さらさらと、ポットに茶葉を移す。

「鉄道?と、汽車?」

 聞きなれない言葉に、首をかしげれば、キャルが嬉しそうに青い瞳を大きくして、にこにこと笑う。

「そう!汽車!セインったら知らないの?」

「うん。見た事も聞いた事も無いけど」

 鍋を火からおろして、ポットの中に湯を注いで蓋をする。

 窓を見やれば、外はまだ雨が降り続いていた。

「じゃあ、やっぱり汽車に乗っちゃえば良いわ!すっごく早いんだから!」

 自慢げに胸を反らすキャルの前に、以前宿泊した町で買っておいたクッキーを差し出す。

「黒くて大きくて、雨の中でも平気で走るのよ!凄いんだから!」

「へえー。僕の時代には、そんなの無かったもんなあ」

「いつの時代の話よ?!」

「えーっと、五百年くらい前?」

 ごいん!

 良い音が響いた。

「いたい・・・」

「真面目に答えなくたって、セインが物っ凄い年寄りなのは知ってるのよ」

「だからって、殴らなくても良いじゃないか・・・」

 涙目になりながら、紅茶をカップに注ぎ、ミルクが無かったのでミルク味のキャンディを砕いて砂糖の代わりに使い、くるくるとスプーンでかき回す。

 それをキャルに渡すと、自分はストレートの紅茶を口に含んだ。

 暖炉の火に当たっているとはいえ、やはり温かい飲み物は身体を芯から温めてくれる。雨に濡れて下がった体温が、徐々に上昇する心地よさに、思わずほっと息を吐く。

 ふくよかな紅茶の香りが室内に充満する。

 キャルも、大人しく渡されたミルクキャンディの紅茶を飲んでいる。

 二人が口を閉じると、再び雨音と火のはぜる音のみの、静寂が訪れた。

 その静けさが、また心地よい。

 封印を解かれ、旅を始めて、どれくらい経っただろうか。五百年の長きを眠り、かつてセインが生きた時代は、今では遥か彼方の時の向こうとなってしまった。

 雨の向こうを、じっと見つめていれば、ことりと音がして視線を落とす。

 キャルが、中身を飲み干したカップを、床に落としてしまっていた。

「キャル?」

 声をかけても反応がない。

 屈んで顔をのぞきこめば、眼を閉じて小さな呼吸を繰り返しながらこくりこくりと船をこいでいた。

「寝ちゃったのか」

 小さく苦笑して、起こさないようにそっと抱きあげると、暖炉の明かりが、キャルの髪をちらちらと照らし、彼女の髪の金色が深くなる。

 ベッドに寝かせて、髪を括っているリボンをほどき、ふくふくとした頬を、指先でそっと撫ぜた。

 つるりと滑らかな頬は、体が温まっているのか、ほんのりと赤い。

「さくらんぼみたいだね」

 ふふ、と笑って、小さな頭を撫でた手を、不意に握りしめた。

「ねえ、君は、僕なんかと一緒で良いの?」

 それは、雨音に混ざって消えてしまいそうな呟きだった。

 セインはその姿を剣に変える事のできる、古くはこの国の猛将たちと共に戦った、賢者と、そして聖剣と讃えられる存在だ。人ならぬ身で、伝説と化した遥か昔の自分の話は常に、英雄譚として語られる人物の傍らにある。

 しかし、真実は違う。

 戦争とは夢物語に聞かせるような、おとぎ話として語られるような、美しくも儚くもなく、ただ醜悪で残酷なだけのものだ。

 どんなきれいごとを並べようとも、沢山の命を奪って来たのに違いは無い。

 利用されるのが嫌で、戦うのが嫌で、逃げ出したはずだったのに。

  外は雨。

 綺麗な透明なしずくが線を引き、空から地上へと降り注ぐ。

 傍らには幼い少女の寝顔。

 穏やかで静かな時間が過ぎて行く。

  ぼうっと、雨の降り続ける窓の外を眺めていると、ぺちぺちと、頬を小さな手で叩かれた。

「キャル?」

 見れば、半眼で睨みつけられている。

「起きてたの?」

「今さっき起きたのよ」

 言うなり、ぐいと引っ張られた。

 不意を突かれて、小さな少女の力だというのに、そのままベッドの上に上半身を乗り上げてしまう。

「寝なさい」

「・・・は?」

 いきなりの命令に、ぽかんと口を開けば、ますます不機嫌にさせてしまったようで、眉間に皺が入った。

「あたしばっか寝たってつまんないのよね」

「え、あの?」

 寝るのに、つまらないと言われても。

 どうしたものかと考えあぐねていると、ばさりと頭の上から毛布をかぶせられる。

「風邪をひかれても困るのはあたしだって、さっき言ったじゃない。明日になったら、セインに汽車を見せてあげるんだから!」

 そのままがばりと上から押さえつけられては、セインとしても身動きが取れない。

「わ、わかったから!わかったからキャル、どいて?」

 もがもがと、毛布の下でもがけば、満足そうな声が降って来る。

「ふふん。参ったか!」

「降参でーす」

 毛布からはみ出た手をぱたぱたと振れば、やっと上から退いてくれたので、息苦しさから解放された。

「僕、あっちのベンチで寝た方が良いんじゃ・・・」

「ベンチで寝て、体中痛くして動けなくなったらどうするの?」

「でも、ベッドに僕まで入ったら、狭くなるんじゃ・・・」

「あたしが小さいから良いのよ」

 あー言えばこー言う方程式で、キャルは譲りそうにない。

 結局、セインが大きなため息とともに折れる事になる。

「セインだって、汽車を見たらびっくりすると思うのよね。あたしはびっくりしたもの!だから絶対明日は汽車に乗るの!体調崩して乗れなくなるなんて、目もあてられないわ」

 握りこぶしで力強く解説する。

「ほんとだったら、鉄道がエルドラドにでも続いていたら、ずっと乗っていられて楽なのだけど、そう簡単にはいかないわよね。あんたはあたしが責任を持ってエルドラドに連れてってあげるんだから!まずは汽車よね!」

 目的と私欲がごっちゃになっている気がしなくもない。

「だからセインはあたしの傍にいなさいね?」

「・・・は?」

 どきりとして、セインの声が思わず裏返る。

「だって、セインってば汽車の乗り方も分からないのでしょ?」

「あ、そりゃ、見た事もないから」

「でしょ?一緒にいないと、セインったら駅で迷子にでもなりそうなんだもの」

 セインの知らない事を知っている、という事が、キャルには嬉しいらしい。にこにこと上機嫌だ。

「雨に濡れるのは嫌だけど、雨を見るのは好きだわ。景色がいつもと違って見えるもの。明日は汽車に乗って、色々見えると良いわね」

 それは、明日も雨が降っていないといけないという事になるのだけれど、あんまりキャルが嬉しそうなので、セインも楽しくなってくる。

「よし。寝るわよ!明日の為に!」

 結論が出た。

「その前に、キャル、せっかくちゃんとしたベッドで寝むれるんだから、パジャマに着替えようよ」

「あ」

 すっかり忘れていたらしい。

 野宿なら、着の身着のままで寝てしまうけれど、ここは屋根もあればベッドもある。きちんと寝間着に着替えて寝た方が、疲れも取れる。

 キャルが着替えている間に、セインは暖炉の火を小さくし、使ったティーセットを洗い、二人分の靴を、明日までに乾くように暖炉の縁に立てかけて。

「キャル、そう言えば僕の・・・」

 聞こうとして振り返れば、既にキャルは寝息を立てていた。

「えー?そりゃないよ」

 実は、寝るにはまだまだ早い時間。

 それでも、優しく降り続ける雨音と、暖炉の温かさで眠気は直ぐにやって来るらしい。

 一緒にベッドで寝るように言いつかったばかりだが、流石に長身のセインがベッドに入ってしまっては、キャルがベッドから落ちてしまう可能性もあるので、狭い室内の収納棚から毛布を見つけ出し、セインはベンチに横になる。

 眼をつむれば、雨の落ちる音が優しく聞こえた。

 セインの今の主は、我がままで暴力的で、でも優しくて。

 もう、軍馬の蹄の音は聞こえない。



夜中様からのリクエストで「雨の日のキャルとセイン」でしたー。
キャルを喜ばせたかったのと、セインの過去を少し。
このお話を書かせて頂いた時は、本編で二人きりになかなかならなくて、久々の二人きりのシチュエーションに作者の方がおろおろしたというWW
リクエストありがとうございましたーヽ(*´▽`)ノ


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