昨日と同じ絵本を買って、セインロズドの聖堂へ行こうと思っていた。だから、早めに書店に行っておきたかったのに、ついシェりエッタの店で、長々と過ごしてしまった。 店が閉まる時間までもう少し時間はあるものの、心なしか、歩く足が速くなる。 やっぱり、穴の開いた本よりも、綺麗な本をセインに渡したかった。 しかし、シェリエッタの言葉がどうしても気になって、聖堂に続く通りに出る角を曲がり、あの青い屋根が正面に見えたところで、行く先が変わっていた。 出店の並ぶ街道を通り抜け、聖堂をわき目に左手へ曲がる。すると、大きなレンガ造りの塀が伸びる。 そのレンガ伝いに、てくてくと歩いて行く。 大きな屋敷の屋根が、時々、庭木を挟んでちらほら見え隠れするのを、首を伸ばしながら見て進む。 聖堂の横からまっすぐ伸びる塀の中の屋敷は古臭く、それなのに朽ちている感もない。逆にその古さが威厳を湛え、趣のあるどっしりとした構えに拍車をかけていた。 「・・・この趣味の良いレンガの塀は、いつになったら入り口に着くのかしらね」 屋敷のぐるりを囲む塀は、子供の足には長かった。入り口らしき門は見えているのになかなか進んでいる気がしない。 「こんなに土地があるんだもの。そりゃ、貸し出ししても不便はないわよね」 典型的な旧家。 先祖が聖剣・大賢者セインロズドの最後の持ち主だというのだから、良いお家柄なのだろう。 そう。 キャルはセインに会う前に、オズワルド卿を訪ねに来たのだった。 役人も、シェリエッタも、セインを知らないというのは寂しい気がした。昼の管理人である、ダイラオ爺さん、とかいう人物のことは、みんな知っていたのに。 「初めて会ったとき、セインは随分前から聖堂にいるって言っていたわ」 彼は確かに、そんなことを言った。 オズワルド卿が、最近になって雇ったというのなら、セインからそんな言葉は出てこないはずだ。 なのに、役人もシェリエッタも、ダイラオのことは知っていても、セインのことは知らないという。 夜だけ勤めているのが原因だとしたら、今回の騒動も含め、やっぱり当事者である自分から何でもいいから一言、言っておいてやりたかった。 そのまま腕組みをして考えながら歩いているうちに、あんなに遠かった屋敷の入り口である門まで、いつの間にか辿り着いていた。 「・・・立派だわね」 大きな門は見上げんばかりにそびえ立っている。 鉄製の格子になっているその中心には、オズワルド家の家紋だろう、翼を広げて剣を銜えた鷲のエンブレムが鎮座していた。 「えーっと・・・?」 辿り着いたはいいが、どうやって中に入ったらいいものか。 迂闊にも、一番重要なことを失念していた。 中に入ることが出来なければ、ここでオズワルド卿が出てくるのを待つしかない。が、そのオズワルド卿そのものが、いつ出てくるのかなんて分かりもしない。 下手をすれば、今日も明日も、外出しない可能性だって充分にあるのだ。 「あー、しまった。どうしようかな」 大きな門の前で、腕組みをして唸ってみても、状況は変わるわけでなし。 それでも、諦めて帰るようなキャルではない。 「いいわ。入っちゃえばこっちのモンよね」 ぺろりと舌なめずりをすると、道行く人の視線も何のその。 格子状の隙間から、身体を蟹のように横にして、ぐいぐいと侵入を試みる。 頭は最初に抜けた。 身体が通って頭が挟まるのではみっともない事この上ないので、一番に突っ込んでみたのだ。 「頭が抜けるなら、身体だって抜けるはず!」 猫のようなことをいいながら、隙間にぎゅうぎゅうと身体を詰め込んで、ちょっと痛い。 スポン! 「わ!きゃあ!」 ころころと、柔らかくて、良く手入れされた芝生の上に転がった。 「抜けた!」 少々服が汚れたが、パンパンはたいただけで気にもせず、広大な庭の奥にそびえる屋敷目指して、キャルは走り出す。 「こういう時って、子供で良かったって思うわね」 大人だったら、よじ登るしかなかっただろうが、小さいおかげでそんな苦労をせずとも済んで、ちょっと複雑な気持ちになる。 自分が子供であることは百も承知だが、子供扱いされるのは嫌いだ。とはいえ、身体の大きさに関しては、こればかりは仕方がない。 そんなこともあって、背の高いセインを見上げるたびに、ちょっと悔しい。 それにしても、見れば見るだけ、城でもないのに重厚感のある屋敷だ。 「おやおや、変わった侵入者がいたものだね」 少女の不法侵入を、高い窓から見物していた人物が、ぽつりと呟いた。 オズワルド家は古くから代々伝わる旧家中の旧家。名門中の名門だ。 これでも設備は万全に整っている。 例えばこの人物がいる古い出窓。 庭木や周りの壁に隠されて分かりにくいが、屋敷の主の私室にあるこの出窓からは、実は正門の周辺が丸見えだ。 その出窓から、老人は品良く目を細めて微笑んだ。 「珍しくかわいらしいお客様だ。丁重にお迎えしなさい」 老人は、自分の背後の、かっちりと燕尾服を着込んだ男を、ゆっくりと振り向いた。 「かしこまりました」 男が、何年も変わらない綺麗なお辞儀をして出て行くと、老人も、コツリと杖を突き、金髪をふわふわと遊ばせて、迷わずにまっすぐ、この屋敷の正面玄関に向けて走ってくる少女を迎えるべく歩き出した。 「門も大きければ扉も大きいわね」 キャルは、広い庭を一気に走ってきたものの、ノックに手が届かないことに気が付いて、立ち往生していた。 遥か上方に見える扉のてっぺんを、腕を組んで睨みつけてみるが、だからと言って木製の、見るからに年月を経て黒光りしている重そうな扉が開くわけでなく。 仕方ないので扉を素手で叩こうと片腕を振り上げたときだった。 キイイイイ・・・ 「あ、あれ?」 急に開いた扉にぶつかりそうになって、慌てて飛び退いた。 「・・・開いちゃった」 予想外に開かれた扉に、一瞬うろたえた。 「あたしが扉を睨んでたから開いた、って、そんなわけないか」 軽く笑いながらそんなことを呟いてみた。 すると、中から白髪の混じった灰色の髪をかっちりと整え、これまた燕尾服をかっちりと着込んだ紳士が顔を出した。 「ようこそいらっしゃいました。旦那様がお待ちです」 「へ?」 綺麗にお辞儀をされてしまった。 「けしてお嬢様が睨んでいたから扉が開いたのではございませんよ?」 びっくりしているところに、にっこりと微笑まれて、キャルはしまったと顔を赤くした。 「アルフォード、お嬢さんが困っているではないか」 更に扉の奥から、低い声が響いた。 「これは、申し訳ございません。旦那様」 アルフォードと呼ばれた紳士が振り向いた先には、杖をついた老齢の、これまた面差しの優しい、翠の瞳の紳士が立っていた。 雪みたいに真っ白な髪を染めもせず、それがまた瞳の色を際立たせている。深いふかい、深緑のようなその瞳は、何かほっと、人の心を落ち着かせるものがあった。 「あ、あの?」 押しかけてきておいて「あの?」もないのだが、どうやら自分が来ることを知っていたらしい屋敷の主人に、どう切り出してよいものか。 「ああ、驚くことはないよ。お嬢さんがうちの門を一生懸命くぐっているところが、私の部屋から見えたものでね」 中に入るように促されながら、そんなことを言われて、またキャルは赤くなった。 見られていたとは。 「必死になってこの家に入ってくるということは、私に何か用かね?」 「勝手に入ってしまってごめんなさい!失礼ですが、貴方が、オズワルド卿ですか?」 勢い良く頭を下げたキャルの頭を撫でて、老紳士はにこやかに頷いた。 「さよう。私がラオセナル・オズワルドだ。これは、我が家の執事。アルフォードという」 主人に紹介され、アルフォードはまた綺麗なお辞儀をした。 「さあ、お入りなさい」 手を差し伸べられ、招かれるままに玄関に入ると、広いホールに出た。 中央に広々とした階段がある。 大きな屋敷だから、キラキラとしたものを想像していたが、この老人はそういった趣味はないらしい。 柱や壁や床、置いてある家具などは頑丈そうで、どれもこれも立派だが、けして華美な装飾などはしておらず、質実剛健といったところか。 それでも、しっくりと屋敷の雰囲気になじんで、とても落ち着くのは、きっと趣味が良いからだ。 「どうかしたかね?」 「あ、いいえ!落ち着いた趣味がいいなあと思って」 「はっはっは。我が家は昔から無駄が嫌いでね。褒めていただけるとはうれしいよ」 キャルの顔から意図を汲んだのか、それとも良く言われることだから分かったのか。 とにかく先祖伝来で、このオズワルド家は他の貴族なんかと違って、金や銀などの煌びやかな装飾は嫌いらしい。 「旦那様、どちらのお部屋を?」 「そうだな、あの部屋が良かろう」 「かしこまりました」 そう言って通された部屋は、一階のテラスから、あの聖堂が見える小さな部屋だった。 |
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