「ああ、昼間の管理人はお爺さんなのね?」

 ぽん、と、合点が行って手を打った。

「そうじゃなくて、夜の方の管理人よ。眼鏡をかけた」

 物騒な夜中に管理人を置くくらいなら、扉を取り付けて鍵をかけたらどうかと、キャルは提案するつもりだった。あの、のほほんとしたセインでは、今日のようなことがあった場合、対処するどころか切り捨てられて怪我でもしてしまいそうだ。

 名残惜しくなる前に、そろそろこの町を出ようと思っていたが、セインの事が、なんとなく心配だった。

 扉をつけて鍵をかければ、夜間にセインロズドを見ることは出来なくなるが、セインの安全には代えられないだろう。

 しかし。

「はい?夜の管理人、ですか?」

「ええ、そうよ。背の高くてひょろりとした。セインっていうの」

「セイン?」

「そう、だけど・・・?」

 どうも役人の様子がおかしい。

 担当の役人は腕を組んで口もとに手をあてがい、何がしか考え込んでいる。

「知らない?えっと、聖堂っていうよりは、聖剣の管理をしているって言っていたけれど・・・?」

「ああ、では、オズワルド卿が新しい管理人を雇ったのでしょう。夜は夜で、聖剣に悪戯しに来たりする不届き者が増えましたからね」

 最近雇ったというには、セインは仕事慣れしているような気がする。夜通し眠らずに、聖堂の中に一人、本を読むでもなく起きているのは、結構辛いはずだが。

 それに、出会ったときに彼は、結構長い間ここにいる、と言っていなかったか?

「昼間に管理しているお爺さんがいるの?」

「ええ。ディーナがオズワルド卿からセインロズドを借りてから、あの聖堂だのなんだの建てましてね。観光地にしてしまったおかげで聖剣を引き抜こうとする連中が入れ替わり立ち代りで。聖剣だというのにお構い無しになってしまってね。嘆かれたオズワルド卿が、せめてもと、管理人を置いたんですよ」

 この場合、ディーナ側が管理人を雇うのがスジなのではなかろうか。

 キャルはそう思ったが、そんなことよりも。

「夜に管理人を雇うくらいなら、扉をつけちゃえばいいのに」

「いやあ、そうしたいのはヤマヤマなんでしょうがね。あの通り変に金をかけてますからな。見栄を張ったんでしょう。おかげで、そこまでする金がないんですよ」

 行政というものはどうしてこう、やること成すこと中途半端なのか。

「・・・役人やってるのも大変そうね」

「はは。特に下っ端はね」

 呆れたように言うキャルに、役人は仕方がないと苦笑した。

「えー、セインさんね。後で聞いておきますよ。お宿はどちらで?」

 メモ用紙とペンを取り出す髭の役人に、キャルは手を振った。

「いいわ。本人に聞くから」

「お知り合いで?」

「ええ。あのトリオも、聖堂で捕まえたの。だから、物騒なところに一人でいるのは危ないかなって」

「なんですと?!」

 それを聞いた役人は驚いて、腰をかがめて、キャルの顔に自分の顔を近づけた。

「聖堂で何をしていたんですか?あのトリオ!」

「あ、ああ。なんだっけ?そうそう」

 役人の髭面が急接近したことに、心臓が驚いてばくばくしているのを無理になだめながら、マイワンの台詞を思い出す。

「引き抜けないなら岩ごと削り取って売り飛ばすんだって言っていたわね。確か」

 そうだ、確かそう言っていた。

 キャルはうんうんと一人頷く。

「岩ごと。そう来ましたか・・・」

 深刻そうに腕を組み、顎に手を当てながら呟くと、ぱっと髭だらけの顔を上げた。

「分かりました。扉を付けられないか、上に話を通しておきましょう」

「ほんと?」

「ええ。マイワンが思いつくくらいですから、そのうち同じことをしようとする連中も出てくるでしょう。岩から抜けなくても、持ち運びさえ出来れば、高値で売買されてしまうのは分かりきったことでしょうからね」

 顎に手を当てたまま、まだ小難しく、眉間に皺を寄せている役人に、キャルは微笑んだ。

「ありがと。じゃあ、帰るわね」

 踵を返しながら、髭面の役人に手を振って、これで安心と、宿への帰路にようやく着く。

 オズワルド卿みたいな、お金のありそうな伝統ある旧家なら、聖剣なんかの管理人から外したところで、セイン一人、何か仕事を与えてくれるだろうと、勝手に決め込みながら上機嫌で、まだまだ暗い夜の道を鼻歌交じりで歩いた。


「うー、お腹すいた」

 喫茶店のテーブルの上に、行儀悪く顎を乗せ、死にそうな顔でキャルは呟いた。

 朝、というよりは昼過ぎに起き出したまでは良かったが、宿屋の食堂も、時間が時間なだけに閉まっていて、夕方までは準備で開かないという。

 それで、仕方なく街中に出て、観光客をかき分けながら、この町に着いて最初に入ってから、すっかりお気に入りになった、例の美人さんがいるこの店に、朝食ならぬ、遅めの昼食を食べに来たのだ。

 しかし既に、キャルのお腹は限界だ。

 これは本気でヤバイ。

 あと5分もしたら、空腹で死ねる。

 先ほどからずっと、そんなことばかり頭の中でぶつぶつ呟いている。

 何せ口に出したらそれだけで体力が奪われそうで、声に出せなかったりする。

 あのトリオ、殴るだけじゃ済まないんだから。今度会ったら袋叩きね。

 いつもはお昼前には起きるのに、こんなに時間が狂ったのは、あの三人が邪魔したせいだ。

 三人のまぬけな顔を、頭の中で殴り飛ばしてみる。

「はい、お待ちどうさま」

 コトリと、綺麗な手が、キャルの目の前にコンソメのスープと魚介のパスタを置いた。

「やった!ご飯!」

 がばりとフォークを持って、口に運ぶまでの時間が惜しいくらいに飛びついた。

 ぱくぱくむしゃむしゃと、勢い良くほおばるキャルを、にこやかに美人のウェイトレスが見つめている。

「良く食べるのね?」

「朝ご飯、抜いちゃったから、お腹空いたの、よね」

 食べながらなので、時々詰まりながら答える。

「あら。だめよ?ちゃんと三食たべなきゃ、大きくなれないわよ?」

 キャルはぴたりと、フォークを持つ手を止めて、亜麻色の髪のウェイトレスを見上げた。

「・・・やっぱり、ちゃんと大きくなるには、きちんとご飯食べないとダメ?」

 口の周りを汚したまま、上目で見上げてくる仕草があんまりかわいらしくて、ウェイトレスは口元に手を当てて、思わずくすりと笑ってしまったのを隠した。

「そうね?良く食べて良く寝て良く運動して、これが基本かしらね?」

 ウィンクをしながら言い聞かせるようにそう言ってみると、ふわふわの金髪の、この頃お得意様になった少女は、今度はむう、と下を向いて、ジッとお皿を睨みつける。

「じゃあ、朝の分も食べる!」

「ええ?!」

 子供らしいといえば子供らしいのか。突拍子もない発想に、ウェイトレスはつい追い討ちをかけた。

「食べられないと思うけどなあ?無理しないと良いと思うわ。やってみる?」

 本当は、ちゃんと身体に合った分量を、バランスよく定期的に食べるのが、成長期の子供には必要なのだが。

「食べられるかどうか、やってみなくちゃわからないわ。オムレツ追加ね!」

 どうやら負けず嫌いのこの少女は、ムキになってしまったらしい。

「はいはい、オムレツね?」

 お昼もとっくに過ぎて、夕食にはまだまだ早い、こんな時間に来るお客さんも滅多にいない。店内には自分と金髪の少女だけだ。

 おかげで厨房も、顔馴染みになってしまった少女に、快くオムレツを作ってくれる。

 出来立てのオムレツを持っていけば、また一生懸命食べてくれるのが、見ていて気持ちが良い。

「うう、もー、だめ」

 やっぱりというのか、案の定というのか、全部食べ終わったところで、お腹を抱えて椅子の背もたれに寄りかかってしまった。

「良く食べたわねえ」

 感心してお皿を片付けると、えへへ、と、少女は笑った。

「だって、セインに追いつくんだもん」

 口の周りを拭いてやると、ちょっとむずがった。

「セイン?」

「知らない?聖堂の管理人」

「あら?あそこの管理人はお爺さんよね?」

「それは昼間の人でしょ?夜の方よ」

「夜にも管理人がいるの?」

 そんな話は聞いた事がない。

 でも、この頃はあの辺りはとても物騒になっているから、オズワルド卿が、新しく雇い入れたのかもしれない。

「その人に追いつくの?」

「そう!とても背が高いのよ。嫌味かっていうくらい!だから私、いっつも見上げて首が疲れちゃうのよね」

 こんなに小さいのだから、普段からでも大人のことは見上げているのだろうに。そのセインという人は、余程背が高いのだろうか?

「そういえば、まだ名前を聞いていなかったわね」

 個人名が出たところで、重要なことを思い出した。

 二人とも、結構顔を合わせているのに、お互いの名前を知らないことに気がついたのだ。

「私はシェリエッタっていうの。みんなはシェリーって呼ぶわ」

「私はキャロットよ。キャルでいいわ。よろしくシェリー」

 名乗り合うと、二人とも顔を見合わせて、くすくすと笑いあった。

「ごちそうさま」

 キャルが立ち上がると、テーブルの向かい側の椅子に座っていたシェリエッタも、残念そうに立ち上がった。

「もう行っちゃうの?」

「あら?シェリーったら、私のいくつ年上?」

 キャルが腰に手を当てて、意地が悪そうにそう言うと、シェリエッタは、あら、と呟いて、しまったとばかりに口元を持っていたトレーで隠した。

 それにキャルがにかっと笑えば、シェリエッタはおかしそうに笑い返した。

 そんなことをしながら、ちらりと古ぼけた柱時計を見やったキャルは、小さく悲鳴を上げた。

「いやだ、もうこんな時間なの?」

 針はもうすぐ四時を指す。キャルが店に入った時点でお昼を大幅に超えていたのだから、当たり前といえば当たり前の時間だった。

「私、もう少ししたらこの町を離れるから、その前にまたご飯、食べに来るわ」

「そうなの?・・・残念だわ」

 店の入り口まで見送ってくれるシェリエッタに告げると、とても悲しそうな顔をされてしまう。

「でも、多分また、この町には来るから!」

「本当?その時は必ずこのお店に来てね」

「うん!」

 元気良く手を振って、キャルはシェリエッタの店を後にした。




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