「大丈夫。警備隊に突き出さなくたって、シェリーは二度とこんな真似、出来ないから」

 ほっそりとした綺麗な腕を貫いた弾丸は、彼女に一生消えない傷を残した。今までのような鋭敏な動きは、リハビリをしても取り戻せないだろう。

「君は?」

「え?」

 その声に顔を上げれば、まるで自分が苦しいような顔をして、セインがキャルを見つめていた。

「君は、大丈夫?」

 くしゃり、と、キャルの顔が歪む。

「ば、馬鹿!こんな時にそんな事、言わないでよ!」

 せっかく堪えていたのに、ボロボロと零れ落ち始めた涙は、もはや止めることが出来ない。

 今日はいいかげん泣きすぎだ。

「・・・泣きたい時には、泣けばいいんだよ」

 しゃくり上げるキャルを、セインは大きな腕で包み込む。

 そんなことをされれば歯止めが利かなくなってしまうではないか。

 盛大に声を上げて、キャルはセインにしがみついた。

 年端も行かないまだ小さな少女の背中を、気の遠くなるような永い年月を生きて来た青年は、優しく撫でる。

「僕を呼び覚ましたのが、君で良かった」

 腕の中のにキャルを抱きしめたまま、嬉しそうに、悲しそうに、微笑みながら呟いた。

 キャルが落ち着いてくると、ゆっくりと、ふわふわの金色をした柔らかな彼女の頭を撫で、セインは身体を離してシェリエッタを振り返った。

「じっとしていなさい」

 そう言って、セインは自分の服の裾を、剣の先で少し切り、手で引き裂いて即席の包帯を作ると、うずくまるシェリエッタの腕を掴んで手当てを始めた。

「な、んで・・・?」

 驚きを隠せず、眼を見開いたままのシェリエッタに、セインは笑ってみせた。

「だって君、キャルのこと、良く面倒見てくれたらしいじゃない?」

「何言って・・・。貴方、馬鹿じゃないの?」

 ばっと、シェリエッタは腕をセインから取り戻す。

「私、貴方の大切な人の命を、奪おうとしたのよ?」

 セインは困ったように頬を掻いた。

「でも、キャルのこと、嫌いじゃないんでしょ?」

「!」

 言われて、彼の背中の向こうで、鼻をすすりながら、涙に濡れた大きなサファイヤの瞳を、心配そうにこちらに向けているキャルに気付く。

 屈託なく笑って、シェリエッタの店のオムライスを、美味しいと言って食べてくれた女の子が、鼻と眼を真っ赤にしていた。

「・・・しょうがないわね、私」

 ふ、と、自嘲気味な笑みがこぼれる。

 そうだ。

 キャルが、死に物狂いで探していた、あの黄金の血薔薇だと分かるまでは、ちょっと生意気な、ただの小さな女の子としか思っていなかった。

 じゃじゃ馬で、可愛らしくて、妹みたいな。

 そんな存在だったはずだ。

 気付かなければ良かったのかもしれない。仕入れたゴールデン・ブラッディ・ローズの情報と、キャルの容姿が、丸々共通していることなんか。

 あの、馬鹿なロックガンド・トリオを役所に突き出したのが、金髪の少女だったことなんか、調べなければ良かった。

 トリオを捕まえたのが、真夜中のこの聖堂だったなんて、つきとめてしまわなければ・・・。

「ごめんなさい・・・」

 はらりと、シェリエッタの閉じた瞼から、涙がこぼれた。

 シェリエッタの腕と肩の手当てを済ませ、セインは彼女の頭を優しくぽんぽん、と叩く。

「さて」

 溜め息を混ぜて、立ちざまに、セインは聖堂の入り口を睨む。

「何か御用ですか?」


 見れば、杖をついた、シルクハットに小洒落たタキシードが似合う白髪の紳士と、彼を気遣うように控えて立つ痩身の、やはりタキシードを、こちらはきっちりと
着込んだ男が、ガス灯の明かりに照らされて、宵闇の中に佇んでいた。

「い、つの、間に?」

 涙を拭きふき、キャルが驚いて眼を見開く。

 驚いたのはシェリエッタも同じだったらしい。息を飲むようにして入り口を見ていた。

「ほっほ、そう警戒なさいますな。大賢者様」

 柔和に相貌を崩しながら、紳士が聖堂の、大理石の間に嵌め込まれた、幾何学模様のタイルの上に、コツリと杖の音を響かせた。

「あ、貴方は・・・」

「おお、また会ったな。キャル」

 聖堂内に足を踏み入れたことで、先程よりもはっきりと見て取れる、見覚えのある老人の顔に、キャルはぽかんと口を開けた。

「オズワルド卿」

「え?!」

 キャルの呟きに、セインは驚いて、まじまじと紳士を見つめた。

「城と役所への報告が済んだのでな。お嬢さんの宿を聞いていなかったから、こちらへ来てみたのだが・・・」

 ラオセナル・オズワルド卿は、キャルを目線に捕らえて微笑んだ。

「正解だったようじゃな」

 コツリ、コツリと、執事を従えて聖堂に入って来ると、シルクハットを取って、キャルの頭を軽く撫でた。

「話はまとまったの?」

「はは。まとまったと言おうか、まとまらないと言おうか」

 キャルは、聖堂に取り付ける扉の話が決まって、それを知らせに、ラオセナルが来てくれたのかと思ったのだが、卿は困ったような顔をするばかりだ。

「こちらは?」

 ラオセナルは、セインと、床にしゃがみ込んだままのシェリエッタを交互に見やった。

「えっと、こちらはシェリエッタ。私の行きつけの喫茶店で働いているの」

「え?」

 小さく驚愕の声を上げたのはシェリエッタだ。

 オズワルド卿といえばこの国の名門中の名門の家の当主だ。彼の一声で、しがない女一人なぞ、簡単に永久追放に出来てしまえるのだろうに。

「彼女、怪我をしているの。オズワルド卿なら、きちんと手当てできるところ、知ってる?」

 シェリエッタが何かを言うよりも早く、キャルがまくし立てた。

「おお、それはいけないな。どれ、私の主治医がまだ館にいるはずだ。アルフォード」

 ラオセナルは、自分の後ろに控える執事に声をかける。

「はい。お屋敷までお連れするのですね」

 アルフォードはラオセナルが頷くのを見て取ると、座り込んだままのシェリエッタを、軽々と抱きかかえた。

「あ、あの、すみません。自分で歩けます」

 驚いたシェリエッタが、慌ててアルフォードの腕から降りようともがいたが、年に似合わず、初老の執事は力強く、彼女はそのまま運ばれてしまう。

「外に、車を待たせてあるのでな。大丈夫、ちゃんと面倒を見るよ」

 にっこり微笑むラオセナルに、シェリエッタは首を振った。

 本来なら、自分はここで捕らえられてしまってもいい人間なのだ。

「キャル!」

 思わず、少女の名を口にした。

「卿は良い人よ。安心していいわ」

 的外れな返事が返ってきて、シェリエッタはもどかしさに涙が出そうになった。

「そうじゃなくて、一言くらい謝らせて!」

 そう叫んだ彼女に、キャルはふうわりと、子供らしい笑顔で応えた。

「言ったでしょ?私、シェリーのことが大好きだって」

 その一言に、シェリエッタは唇を噛み締め、ただ、小さく謝罪の言葉を繰り返す。

 セインは抱き抱えられて大人しくなったシェリエッタの側へ行くと、うつむいて、顔を隠す彼女の頭を、はまるで子供をあやすように撫でた。

「貴方にも、私、酷いことをしたわ」

「あれくらい、どうってことないよ」

 シェリエッタに傷つけられたセインの腕は、すでに血が止まっていた。

「ね?」

「・・・・・」

 腕を見せながら、セインはシェリエッタを安心させるように、にんまりと笑って見せた。

「君の傷は?」

 キャルが撃ち抜いたシェリーの腕を見つめた。弾丸で焼けて、さほど流血はないものの、感覚はもうほとんどないはずだ。

 しかし、シェリーは首を振って答えた。

「いいの。私にハンターの資格はないもの。本当は、解っていたの。あの人のこと、町の人たちのこと」

 ただ、恋焦がれるあまりに盲目になっていた。幸せになりたいのは、誰しも同じなのに、自分だけ幸せになろうとした。

「これは罰ね。キャルの言うとおりなのよ」

「シェリー・・・」

「ごめんなさい。ありがとう・・・」

「ん。キャルに、きちんと伝えておくよ」

 小さく、セインに言ったつもりだったが、同じ事をキャルに言いたかったのも事実だった。それを、彼は汲んでくれたらしい。

 シェリエッタはどう答えたらいいか迷った挙句、セインにつられて、ふ、と笑った。

 抱えられながら、出口の階段を下りていくのを、キャルもセインも見送った。

「何があったかは存じ上げませんが、キャロット様には、貴女様の気持ちは、既に通じていると思われます」

 硬い口調は、いかにも良家の執事らしかったが、オズワルド家の執事の心遣いに、車に乗せられながら、シェリーは泣き顔で頷いた。

 寂しかったのだ。恋人を奪われて、町の人たちから非難の視線を浴びて。

 誰かのせいにしたかった。

 自分のしたことが分かっていたのに。

 シェリエッタが無事に車で屋敷へ送られるのを見届けると、ラオセナルはもう一度、キャルへ向き直った。

「で、こちらの青年は?」

 キャルの側に、彼女を守るように立つ、背の高い、おっとりとした雰囲気の眼鏡の青年を見上げる。

「あ、僕は、・・・・・!」

 自己紹介をしようとして、キャルに足を踏まれ、セインは突然の痛みに言葉を飲み込んだ。

 何をするのかとキャルを睨めば、逆に睨み返された。

「聞かれているのはあたし」

「は、ハイ」

 気押されて、仕方なく眼鏡をずらして、涙を拭う
 




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