「セイン様」

 ラオセナルに呼ばれて、ふと振り向けば、遥かに年下の老紳士が微笑んでいた。

「我が家にお越しいただけないのでしたなら、セインロズドの現所有者は、キャロット・ガルム嬢なのですから、共に行かれるのが自然でございましょう」

 その言葉に触発されたのか。キャルがセインを押しのけて、すたすたと聖堂の隅にある用具入れの引き出しから、ごそごそと何かを引っ張り出した。

「キャル、それ・・・」

 泣き濡れた瞼を真っ赤にしたキャルが持ち出したのは、穴の開いた、あの青い絵本だった。

「あんたは、あたしとこれを探すの」

「・・・」

 ごしごしと、袖で涙を拭って、ずずっと鼻をすすって。

 挑むようにキャルはセインを見上げる。

「セインはかわいそう過ぎるから、あたしがセインをエルドラドに連れて行ってあげる」

「・・・キャル・・・・・・」

 困ったような顔をしてみせると、少女はへへ、と、笑った。

 涙でくしゃくしゃで、目は腫れて真っ赤だったけれど。

 済んだ青空みたいな笑顔だった。

「僕は、このために、五百年も眠っていたのかな」

 本当に、そんなわけはないのだろうけれど。

「それなら、眠った甲斐もあったというものでしょうな」

 ラオセナルはニコニコと、相変わらず、なんだか嬉しそうだ。

 でも。

「そうだね。きっと、そうなんだろうね」

 随分昔に、神様なんて信じなくなったけれど。


 奇跡なら、信じられる気がした。


 キャルの頭を撫でて、腕の中にすっぽりと納まる小さな身体を包み込む。

「あたしと来るの?来ないの?」

「・・・そうだね・・・」

 まるで噛み付かんばかりの視線に、ふと微笑んだ。

 腕の中のキャルに、答えようとして口を開きかけ。

 瞬間。

 けたたましい車のブレーキ音と、直後に、余程慌てているのか、乱暴にドアを開け閉めする音がたて続けに響いた。

「ラオセナル様!」

 叫び声が老紳士の名を呼んだ。

「アルフォード?」

 常に冷静な彼らしからぬ切羽詰まった声音に、一同に緊張が走った。

「何があった!?」

 聖堂の入り口に走り出れば、アルフォードが階段の上まで走り込んで来ていた。

「早くお車にお乗りを!」

「どうしたというのだ?!」

「訳は後程。それより、早くお屋敷へ!」

 ただ事ならぬ様子に、とにかくアルフォードの指示通り、車に乗り込もうと階段を降り始めれば、夜の落とす闇の中から、わらわらと男どもが、まるで砂糖に群がる蟻の群れのように湧き出した。

「馬鹿な!」

 聖堂から漏れ出でる僅かな明かりと、オズワルド家所有の車のライトに照らし出されたのは、見覚えのある鮮やかな群青色の紋章旗。

「何故、近衛隊が聖堂を武装して取り囲む?!」

 紋章は、星を咥え、王冠を掲げた獅子と交差する剣。

 それを描いたエンブレムを肩と胸に、銀糸で袖を縁取った、おそろいの群青色の服は戦闘服。

 鎧でないだけまだましか。

 王冠を掲げた獅子は国王を示す。

 その獅子が星を咥え、それに交差した剣が加われば、紋章は国王直属の軍隊を示すことになる。

 近衛隊が、それぞれに剣を構え、槍を構えて、聖堂をぐるりと囲んでいる。

 オズワルド家の敷地の中にあるとはいえ、聖堂は屋敷の庭を守る壁を一部取り壊して、その壁と密着するように建てられている。

 逃げ道は塞がれてしまった。

「ああ!間に合わなかったか!」

 アルフォードが蒼白になって呻いた。

「城に使いに出ていた使用人が、知らせに来たのです。国王が聖剣を奪おうとしていると」

「馬鹿な!そんな筈は!」

 ラオセナルが数々の証拠を並べ立てても、大賢者、聖剣セインロズドが本物だと信じなかった国王が、何故このような暴挙に出るのか。

「・・・・おじさん?!」

 キャルが、近衛隊と違う服を着た男を見つけ、きょとりと呟いた。

 それは、シェリエッタの想い人である賞金首と、三馬鹿ならぬロックガンド・トリオを引き渡した、あの髭面の役人だった。

「何故、お役人がここにいるの?」

 髭面の他にも、近衛隊の群青に混じって、ハンター課の、作業服のような役人の制服がちらほらと混じっていた。

「見つかってしまいましたか」

 まるで、照れ笑いを浮かべるかのように頭を掻いて進み出たのは、間違いもなく。

「どうしておじさんたちお役人が、この人たちと一緒にいるの?」

 近衛隊はあくまで国王の私物だ。

 役場の人間、つまりこの町の役場に勤める職員とは随分かけ離れているように思える。

「答えは簡単さ。オズワルド卿と、ゴールデン・ブラッディ・ローズ。貴女だよ」

「どういうことだ?」

 にやにやと、下卑た笑いを顔に貼り付けた、初対面の役人に、セインは鋭い眼光を向ける。

「あ、あんたが、夜に聖堂を管理しているっていう、セインとかって奴かい?」

 オズワルド卿の質問を無視して、役人は気圧されながら、それでもセインへ視線を移す。

 セインは動かずに、静かに口をつぐむ。

 小さくて目線の低いキャルだけが、彼の剣を握る手に、しっかりと力が込められていく事に気が付いた。

「その手にしているのは何だ?!」

 セインに視線を向けたところで、気がついたのだろう。

 髭面は、セインの握る、一振りの剣に、狂気の笑みを形作った。

「へへ、黄金の血薔薇が役所に来た次の日に、役場と王宮に、オズワルド卿が現れた時は驚いたもんさ。夜中に、ずっと前から聖堂を管理してる奴の話なんか、聞いた事がなかったからな」

 普段なら小者なんぞ相手にしない黄金の血薔薇が、聖堂で、聖剣を盗もうとしていたからと、ロックガンド・トリオなどを捕らえて役場に突き出した。しかも聖堂には聞いた事もない管理人がいるという。

 いずれはあの聖剣を、自分が手にするのだと、心密かに目論んでいたのは、この男も例外ではない。

 岩を削り取って聖剣を盗むという手口は、この男も考えていたことだ。トリオが自分と同じことを考えていたと知って、驚いた。

 そして、管理人という男の存在。

 調べてみたが、オズワルド家からそんな管理人の申請は出ていなかった。

 土地と岩、剣はオズワルド家のものだが、建物は町の所有物だ。いくらオズワルド家のものとはいえ、特定の人物、ましてや管理人を室内に置くとなれば申請が要る。

 実際、ダイラオ老の申請は提出されている。真正を確かめようとしたところに、オズワルド卿の登場だ。

「これは怪しいってね。オズワルド家が何かを画策しているに違いないと、王宮に申し出たのさ」

「何だと?!」

 まさか、自分の行為が、このように近衛隊まで引っ張り出すことになるとは思ってもみなかったラオセナルは、驚愕を隠せなかった。

「オズワルド家が、町にも王宮にも隠れて、こっそりと聖堂を監視させている理由は、ひとつしかないだろ?」

 聖剣 大賢者・セインロズド。

「誰も彼もが抜くことができなかった剣が、実はもうとっくの昔に抜けていて、誰かが手にしているんじゃないかってね」

 キャルは心臓が飛び出るんじゃないかと思うくらいにドキッとしたが、幸いにもセインの影に隠れて気が付かれなかったらしい。

 ちらりと、髭面はセインの手にする剣を、再び覗き見た。

「・・・仮に誰かが大賢者を抜いたとしよう。それで、どうして管理人が必要だと思うのだね?」

 ラオセナルの問いに、男は鼻で笑った。

「オズワルド家の威信ってヤツがあるんじゃないのかい?家宝なんだろ?何百年も守り続けて来たってくらいなんだ。それが誰かに引き抜かれて持ち去られたとしたら?」

「我が一族の沽券にでも関わると?ふん、片腹痛いわ」

 ようするに、誰かに持ち去られ、聖剣が既にこの聖堂に存在しなくなっており、今まで突き刺さっていたあのボロの鉄の塊はレプリカで、そのことがばれないように、管理人を置いていたというのだ。

「・・・だろうな。俺も、その線はナシだと思ってるよ」

 髭をさすって、また、男はにやりと笑った。

「では、何故このように大騒ぎをするのかね?」

「答えは簡単。聖剣を岩ごと削り取られる可能性が出た途端に、扉を取り付けろってんだ。聖剣は本物。それを、いよいよ王が認めたってことさ」

 ならば。

「それくらいのことで、国王が聖剣の存在を認めたと?」

「さあ?俺は近衛の皆さんを案内するように言われたのさ。ただ、そこのセインとかいう管理人は一緒に引き取らせてもらうがね?」

 にやにやと笑いながら、髭面はセインを指差した。

「ちょっと!セインは関係ないじゃない!」

 管理人というだけで話が通っているのだ。それが何故王宮に連れて行かれなければならないのか。

「さあ?ただ、お前さんが俺にくっちゃべったこいつの容貌と、城にある肖像画に描かれた何だかって人物と、特徴がそっくりなんだとよ」

「・・・な?!」

 たしかに、何百年も生きているセインだ。肖像画くらい残っていてもおかしくはないのだろう。

「僕の肖像画?そんな覚えはないんだけどな」

 セインが、首をひねる。

 様々な人物と関わったが、肖像画を残したのは、最後の主だったローランドのたっての希望で、記念にと描かせた二、三枚くらいのはずだ。

 オズワルド家から、それらが流出したとでもいうのだろうか。それにしても、何故それが王宮にあるのか。

「知るかよ。それったって何百年も昔の肖像画らしいがな。同一人物なワケねえだろうに。全く王様も物好きだぜ」

 それには笑って返すしかなかった。

 実際、セインは聖剣と共に、何百年も生きているのだから。

「・・・ふん。王様が、僕の存在に気がついたからって、そうそう簡単に従う理由もない」

 にやりと、セインが、再び獰猛な笑みを顔に貼り付けた。

「セイン?」

 いつも穏やかで、と、いうよりは、ボーっとしている感が強いセインの見せる、慣れない表情に、キャルは戸惑った。

 それに気付いてか否か。真偽は分からないが、セインは自分の顔が、キャルから見えない位置に背け、三人を背後へ庇う形で前へ歩き出す。

「なんだ?おとなしく捕まろうってのか?」

 聖堂の階段を降り始めるセインを見止めて、髭をさする。

「思ったより、いい子ちゃんじゃねえか。ちょっと拍子抜けするぐれえだ」

「では、多少の抵抗は認めるということかな」

「何?」

 最後の一段を降りたと同時に、セインは一息に地を蹴った。





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