涙の他にも鼻水までたらし、ハンカチで鼻を拭くピーターに、ゼルダは不思議そうに彼の顔を覗き込んだ。
「ピーターが謝る必要はないわ?」
「いい、え、俺は、とん、でも、ねえ事、しました」
 そう言うと、ゼルダの手にした剣を鷲掴みに、ピーターは握りこんだ。
「ピーター!」
 声を上げたのはキャルだ。ゼルダは、不思議そうに首をかしげた。
「何やってるのよ!」
 キャルが、ピーターの手を、剣から引き剥がす。
 痛みで、握りこんだ形から動かせない手の平は、想像以上に硬い。
 先ほどセインの怪我に使った救急箱から消毒薬とガーゼ、包帯を取り出して、手当てするが、巻いているそばから包帯が赤く染まってしまう。
「軽く切るだけでいいのよ!握りこんだら、剣によっちゃ指が落ちてるわ!」
 たまたま、セインを貫いた後で刃が鈍っていたから良かったのかもしれない。これがセインロズドだったら、スッパリ指が無くなっていたところだ。
「ゼルダ!手伝って!」
 血止めの為にピーターの上腕部を包帯で締め付けながら呼んだが、ゼルダからの返答はない。
「・・・ゼルダ!」
 見れば、ただ呆然と突っ立って、しゃがみ込んだピーターを見詰めている。
 きつく包帯を結び終えると、キャルは勢いよく立ち上がった。
 ぱん!
 弾けるような甲高い音が響く。
「ピーターの指が動かなくなったら、どうするの!?」
 キャルが、ゼルダの頬をひっぱたいたのだ。
「ピーターの、ゆ、び?」
 叩かれた頬を押さえて、ゼルダがポツリと呟く。
「そうよ!動かなくなったら、あんたの世話も出来なるなるわ。そうなったら、一体どうするの?」
「だ、って、張り替えて、繋ぎ合わせ、て・・・」
「ピーターにはそれが出来ないのよ!」
 ゼルダの瞳が大きく揺らぎ、口が耳まで避ける。それは、裏庭で見せた、あの形相だ。
 身構えたキャルだったが、ゼルダは襲い掛かろうとしたまま動きを止めてしまった。
「お、嬢、さま」
「ぴー、たー?」
 語りかけるピーターに、壊れた表情のまま、ゼルダは応答する。
「ねえ、ピーター?どうして?」
「すみ、ま、せ、ん。お嬢、さま」
 どうしてピーターが謝るの?どうして、ピーターから赤い液体が出てくるの?どうしてそんなに辛そうな顔をしているの?どうしてそんなに困ったような、悲しいような目をしているの?ピーターから赤い液体が、血が出てくるのなら、私は?
 どうして私の身体の中には赤い液体が無いの?
 どうして私は怪我をしてもそんな風に辛くないの?
 痛いって何?
 どうして?
 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして?

 ワタシハ、ナニ?

「ワ、タ、シ?」
 キャルに切られた頬の傷跡を触れば、奥から歯車の回る感触があった。
 きりきりきり
 そんな音が聞こえたような気がした。
「お、嬢、様?」
 ピーターが、ゼルダの頬に手を添える。
 大きく見開いた眼も、裂けてしまった口元も、ぴたりと動かない。
「ゼルダ?」
 キャルもピーターと一緒になって、ゼルダの顔を覗き見た。
 かしゃん、と、微かな音をたてて、ゼルダがくず折れる。
「お嬢様!」
 ピーターが必死に支えるが、ゼルダの体は、動こうとはしなかった。
「ゼルダ?ゼルダ!」
 きり
 歯車の回る音が、小さく響いた。
「お、じょ、さまっ」
「ちょっとピーター!一体何がどうしたっていうの?ゼルダは?!」
 ゼルダを抱きしめたまま、大粒の涙をぼろぼろこぼすピーターにキャルは掴みかかった。
「お、おれが、わ、る、いんで、すっ!お、お、おれ、がっ!」
 ただただ、それを繰り返す。
「だから、それじゃ意味が分からないわよ!」
 先ほどまで、動いていたのに。
 普通に会話をしていたのに。
「キャル」
 小さな声が、セインロズドからこぼれた。
「セイン?」
 自分が握り締めた聖剣を見つめる。
「ゼルダは、人形に返ったんだよ」
「どういうこと?」
「一番身近で、一番信頼して、一番の友人であったピーターが、自分とは違うと、気が付いた」
 それはつまり。
「彼女が、自分は人間ではなく人形なのだと、気が付いてしまったんだ」
 人形は、人形でしかない。
 ゼルダは自分が人間ではないと気が付いてしまった。だから、人形に戻った。
「ちょ、ちょっと待ってよ!それじゃ?」
 友達が欲しいと言っていた、あの少女はどこへ行ってしまったのか。
「だって、ゼルダはちゃんと動いて、ちゃんとしゃべって・・・!」
 人形は人形にしかなれないというのなら、あの少女は、ゼルダは何だったのか。
「たしかに、人形は人形だ。それ以上にはなり得ない。けどね?」
 不意に、あたりを光が包み込む。
 気が付けば、セインがキャルの頭を撫でていた。
「物には、魂が宿ると、聞いた事があるよ」
 魂が宿る。それは。
「誰かが大切にしている物、長く使われた物、長く在り続けた物。そんな物には、魂が宿るんだ。ゼルダは、きっと、ピーターが魂を宿らせていたんだね」
 それでは、ピーターが、ゼルダを人形と認めてしまったから、彼女は消えてしまったというのだろうか?
「そんなの!」
 魂があったというのなら、それは生きていたという事だ。魂が抜けてしまったのなら、それは。
「そんなのダメだわ!」
 振り仰げば、セインの顔色は血の気が引いていて、本調子ではないことが分かってしまう。ゼルダに刺し貫かれた脇腹からは、赤いシミが広がっている。
 ゼルダが持たなかった、生きている証。
「ピーターは、謝るべきなんだ。無闇に命を与えてしまったから」
 泣きながら、ゼルダの人形をかき抱くピーターの背中は小さくて、ただ哀れだ。
「でも、だからって、ゼルダが消えてしまうことはないはずだわ!」
「亡くなってしまえば人は生きて戻らないんだ。それなのに、彼は自分の寂しさを紛らわせるためだけに、あの子を作った。それは、とても罪深いことなんだ」
「じゃあ!このままゼルダは消えても良いっていうの?!」
「そうだよ!」
 知らず、セインの両手は握り締められていたのに、キャルは気が付いてハッとした。
「セイン?」



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