「薔薇園を避けて屋敷から抜け出すにはどうしたらいいの?!」
 薔薇園に戻れば、ゼルダがいる。それでなくとも、ピーターとキャルを探しているのだから、いつ見つかってもおかしくはない。
「キャルー?私と、遊びましょう?」
 うっとりと語りかけるような口調に、キャルはゾッとした。
 先程の、ベランダの上で見せた、ゼルダのおぞましい顔。
 可愛らしく、美しい彼女の顔を知っている分、あの、目をむき出しにして掴みかかってきた変貌ぶりが、恐ろしく思えた。
 しかも、自分でさえ飛び降りるのをためらう高さから、平気で飛び降りて見せたのだ。
 普通じゃない。
「ピーター!キャルを知らない?ねえ?ピーター!」
 再び聞こえてきた声に、キャルは思わず身を屈めて、噴水の下に隠れた。
 声は先程より、幾分近づいてきている。
「ピーター。私、ゼルダの友達でいたいって思ったのは本当よ。でも、セインは私の連れなの。あなたがゼルダを大事に思うように、私にも大事な人がいるの」
 見上げるキャルに、ようやくピーターが振り返った。
「だ、大事?」
「そうよ。大事な人と、大事な約束があるの。だから、私はこのお屋敷で暮らすわけにはいかないの」
「で、でも」
「ゼルダとは、この屋敷に暮らさなくたって、友達でいられるわ。友達ってそういうものでしょう?」
 あのまま甘い生活をしているなんて、そもそもキャルには無理な話だ。
 自分は深層の令嬢なんかではないし、籠の中の鳥みたいに、狭い世界で生きているなんて、到底我慢ができそうにない。
 それに。
「私には、セインと約束があるの」
「剣と、約束?」
「そうよ。あいつが剣だからこそ、交わした約束よ」
 セインが剣であるために、長い間背負ってきた宿命を断ち切るために。キャルが自分から言い出した、大切な大切な約束。
 絶対に、違えることなどできない。それがたとえ、伝説のシロモノでも。
 必ず見つけ出して、セインをそこへ送ってやるのだ。
「・・・・・」
「いいわ。一人で何とかするから!」
 押し黙ってしまったピーターに、キャルは仕方がないと腰を上げた。
 ゼルダを主人とする彼に、屋敷から抜け出す手伝いをさせては、ピーターの意に反するものになってしまうのだろうから。
「キ、キャル、様」
「?」
 一歩踏み出したところで呼び止められる。
「噴水を、右、薔薇園、の、隣が、ハーブ園、で、す。ロ、ロック、ガーデン、だか、ら、岩、まぎれ、られ、ま、す。その、まま、屋敷、入れ、る」
 ロックガーデンとは、岩山に見立てて作られた庭のことで、人工の岩の丘や崖なんかに、植物を植えてある。
 身を隠しながら進むには、ちょうどいいかもしれなかった。
 たぶん、かなり勇気が必要だったのかもしれないピーターの助言に、キャルはすっくと背を伸ばして立ち上がり、足早にピーターを捕まえて、その頬にキスをした。
「ありがと、ピーター!」
 満面の笑みで礼を言って、びっくりして固まったままのピーターに背を向けて走り出す。
「見つけたアアアアア!!!」
「!」
 黒に近い、赤い薔薇の花びらを散らして、ゼルダがキャルに飛び掛る。
 頬や腕や、服に隠れない露出した白い肌が、薔薇の棘で傷だらけだ。
 ふわふわの、薔薇のように真っ赤なドレスも、あちこちがビリビリに破けてしまって、見る影もない。
 その姿に驚いたが、とにかく今は、逃げ出すことを念頭にする。
ドン!
 一発だけ、撃ち放つ。
 もちろん威嚇射撃だが、ゼルダには効果があった。
 見開かれた目をさらに見開いて、一瞬、動きが止まった。彼女の頬の脇を狙っただけで、弾は掠りもしていないのだが、驚かすには充分だったらしい。
 その隙を逃さずに、キャルはすぐさま駆け出した。
「キャルの嘘吐き!!!」
 ゼルダの絶叫が追いかけてきたが、キャルはかまわず走る。
 嘘吐きと言った声は、元のゼルダに戻ったように、今にも泣き出しそうな声だった。
 しかし。
「ごめん、ゼルダ。でも、もうダメよ」
 この屋敷が、おかしくなったのはいつ頃から?
 ゼルダの様子がおかしかったのは、一体いつからなのか。
 薔薇の棘で出来たであろう、無数の彼女の傷には、血が一滴も出ていなかった。

 背後から、店主の上機嫌さが分かる鼻歌が聞こえてきて、セインは焦った。
「うわわわ」
 慌てて鍵を開けて外へ飛び出し、針金状の小道具で、外の鍵穴から鍵をかけ直す。普段とは逆の行動をとって、小道具をカバンの元の位置に戻した。
 きょろきょろと、辺りを見回せば、幸いにも人影もない。
 ホッと胸を撫で下ろしたところで、店内から絶叫が響いた。
「わわ!」
 店の横の隙間に身を隠して中を窺えば、店主が血相を変えて、作業台や床の上やら、あちこちを、セインを探して、熊みたいにウロウロしている。
「まさか!」
 店主が思いついたように走り出して、店のドアノブに手を掛けたが、鍵は掛かっている。
 扉は押しても引いても開かなかった。
 セインが鍵を掛けたのだから、当たり前なのだが、そんなことは露と知らない店主は、盛大に頭を抱えた。
「盗まれたわけじゃねえのか?・・・って、てえことはー・・・?!」
 見る見るうちに、店主の顔が青ざめていく。
「つ、剣が消えた!」
 白目をむいて、店主はその場に倒れこんでしまった。
 道具を取りに行っている間に、鍵のかかった店内から、一本の剣が消えた。
 しかも消えた剣は謎めいたつくりで、おまけにその出所は、気味も悪いあのゼルダ屋敷である。と、なれば、呪いか何かが掛かっていたのか、とにかくお化けみたいな剣だったに違いない、という結論に達したようだ。
「う、うまくいったかな?」
 わざと鍵をかけたのには、後を追われないように、妙な勘違いをしてもらう必要があったからなのだが、かなり効果的だったようだ。
「ごめんなさい!」
 小さく謝ると、セインはカバンを引きずって、とにかく落ち着ける場所を探した。
 全く道が分からない現状で、無闇にあのお屋敷を探しても仕方がない。とにもかくにも、自分がどこにいるのか、位置の確認をしなければならなかった。
 カバンの底の、車輪の鳴らすガラゴロという重苦しい音を聞きながら歩けば、程なく、大きな通りに出た。
 幸いにも、ガス灯の下にベンチが置いてある。
 そこに腰掛けて、キャルのカバンから、事の発端のきっかけになった、あの地図を引っ張り出してみた。
 おもむろに広げ、最初に辿った道を探す。
「あ、あった。ここだ」
 すぐに見つけたそれは、やっぱり、あの森の中に集落があることを示している。
「うーん。地図が間違っているなんて、あんまりないんだけどな」
 とりあえず、あのお屋敷の建っている場所が、この集落の中と見て間違いがなさそうなので、骨董品の剣を売ったのなら、この村にゼルダ屋敷の噂が広がっているところをみても、近場だろうと、アタリをつけてみる。
「となると、ここ、かな?」
 迷い込んだ森のすぐ側に、少し大きめの村があった。
 そこは、森に入る前に、セインが宿を取ろうと提案した場所だ。
「だから言ったのに。近道だからって、森の中を行くからこんなことになるんだよ」
 本人がいたら、間違いなく拳が飛んでくるところだが、今はいないので心おきなく文句が言える。
 実は、今回の旅の目的地は、この森とは全く関係がなかった。単に通り道だっただけなのだ。
 だから、わざわざ歩きにくい森の中を通るより、ちょっと回り道をしてでも安全な道を選びたかったのだが、連れの少女が、近道のほうが良いと、半ば強引に森の中を選んだのだった。
 小さな森であったので、仕方なく賛同したものの、今となっては後悔するばかりだ。
「今度はキャルがいくら何を言っても、僕の意見を通すぞ!」
 何せ今現在こんな状況に陥っているのだから、次回があったとしたら、うまく言い聞かせることができるかもしれない。
 などど、半分以上不可能に近い決意を固めてみるセインだった。
「それにしても」
 これからどうしたものか。とりあえず、この村の名前を確認したい。
 近くにある看板に、一通り目をやってみるが、住所らしきものは書かれていない。
「あのー」
「うわ!びっくりした。な、なんですか?」
 通りがかりの人に、声を掛けたら飛び上がって驚かれた。
「驚かせてすみません。つかぬ事をお聞きしますが、ここの村は、なんていう村なんでしょうか?」
 長身のセインを、呼び止められた仕事帰りらしい丸鼻の親父は、珍しいものでも見るように見上げてくる。
「あ、あの?」
 視線に気まずくて、もう一度声を掛けてみる。
「ああ、すまんすまん。兄ちゃん、背がでかいねえ」
 笑って返されて、警戒されたのではないらしいことにホッとする。
「あー、よく言われます」
「どのくらいあるんだい?」
「随分昔に測ったきりなんで、忘れました。えっと、それより?」
 困ったようなセインに、男はようやく気がついて、恥ずかしそうに笑った。
「ああ、すまないね。ここはダンゴン村というのさ。旅の人かい?」
 その名前は、やはり自分が立ち寄ろうと提案した、地図に表記されている、あの村の名前だった。
「ええ。実は地図が間違っているようでして、ちょっと困ってるんです」
 本当はゼルダ屋敷に行きたいのだが、それを打ち明ければ、骨董屋で見た客達のように、逃げられてしまいそうだったので、なんとなく伏せてしまった。
「どれ、見せてごらん」
 二人でベンチに座りなおして、男同士頭を付き合わせる。
「この森の中の村に行こうとしたんですけど」
 いくら歩いても村に辿り着かず、引き返してきたと説明する。
「あー、この村はね、潰れちまってもうないんだ」
「え?!」
 と、いうことは、地図は間違ってはいなかったという事か。
「なんだい、村に知り合いでも居たのかい?」
「ああ、いえ、そういうわけじゃないんですけど」
「なら、行かない方が懸命だな」
 溜め息混じりに、地図を畳む男の言葉に、セインは不信を抱いた。
「何故です?だって、地図に書かれた村の辺りまで行ってみましたけど、森しかありませんでしたよ?普通なら、家屋の残骸とか、道の跡とか、そういったものがあるはずでしょう?」
 村があったというわりに、人々の生活の跡が見受けられなかった。だから、地図が間違っていると判断したのだが。
「あそこは、きこりの村でね」
「きこり?」
 木を伐採し、それを売ったり、加工したりして生計を立てている、森と暮らす人々をきこりと呼ぶ。
 彼らは森と共生するために、普通とは違う集落を作る。道は石畳などを使わず、草を刈って土を整え、家々に垣根は作らず、適当に森の中に点在する平地を利用して家を建てる。
 その家も、彼ら独特の技術で、石塀や漆喰なんてものは使わず、丸太や削った木をそのまま使う。
 朽ちてしまえば、点在する家々は探そうと思わなければ見つけにくいだろうし、道は獣道と化してしまう。
「見つからなかったわけですね」
 納得がいったが、それではあの屋敷は一体なんだったのだろうか。
 セインの疑問に気がついたわけではないだろうが、親父は口が重いとでも言いたげに、話を進めた。
「あの村には、ゼルダ屋敷と呼ばれる屋敷がある」
 それは、今セインが一番聞きたい屋敷の名前だった。



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