第三章

「ゼルダ屋敷には、近寄らないほうがいい。わからず引き返して来たってんなら、兄ちゃん、運が良かったなあ」
 はい、と笑顔で、地図を返される。
「あの、ゼルダ屋敷って?」
 返された地図をカバンにしまいながら、もっと詳しく話を聞こうと身を乗り出させた。
「あ、ああ。旅人に聞かせる話でもねえんだが・・・。おもしろ半分に屋敷に近寄られても困るしな」
 少し考えてから、一度溜め息をついて、親父はセインの顔を、真剣な面持ちで見上げた。
「あのお屋敷は、元々ここの領主の屋敷でね。きこり達に頼んで、体の弱いお嬢さんのために建てた屋敷だったんだ」
 それが、三年ほど前に流行り病があって、森の中のきこり達も大半が死んでしまった。そうして、被害は当然、屋敷にも及び、使用人はもちろん、幼い領主の娘までが病に倒れて、あっけなく亡くなってしまった。
「領主様は腕の良い医者や薬師をかき集めてお嬢さんらの治療にあたったが、こんな辺鄙なところだろう?医者たちが辿り着いた頃にはもう手遅れでね。豪華な屋敷だけを残して、お嬢さんの思い出が詰まった屋敷は辛いからと、領主様たちは引越し、きこり達は場所を移し、生き残った使用人も、一人だけ除いて引き上げちまった。それが、あのゼルダ屋敷ってワケだ」
 それだけを聞けば、悲劇的ではあるが、この村の人々が、きこりの村全体を避けこそすれ、あの屋敷だけを怖れる理由にはならない気がした。
 それに。
「あの。ゼルダ屋敷のゼルダっていうのは・・・?」
「ああ。亡くなったお嬢さんの名前さ。そりゃあ、人形みたいに綺麗で可愛いお嬢さんだったさ。それが、あんなことになるなんてな」
「あの。ゼルダというお嬢さんは亡くなってしまったんですよね?」
 ゼルダという少女が亡くなったというのなら、あの屋敷で見たゼルダは何者なのか。
「そうよ。亡くなったはずなんだよ」
 親父は眉間に皺をつくり、うつむいた。
「オレだって、お嬢さんの葬儀に出た。小さな棺桶が、土に埋まっていくのを、この目で見たんだ」
「それじゃあ・・・?」
 とうの昔に亡くなってしまった幼い少女を、どうしてそこまで恐れているのか。
「それが。最近になって、生き返ったらしいんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・は?」
 ぶるりと、自分自身を抱きしめて、青ざめながら震える親父には悪いが、セインには理解不能だった。
 死んだ人間が、生き返るなんて事が、あるわけがない。
 なにせ、セインは人生経験が豊富すぎるほど豊富である。その分、余計なくらい知識も豊富であるうえに、彼自身の好奇心から、様々なことに無駄に詳しい。
 が。
 生き返った人など、お目にかかったことがない。
 ごく稀に、そんな噂を聞きつけて、調べてみればそれは、まあ、仮死状態だったのを間違えてしまったとか、そっくりな誰かと見間違えたとか、大体がそういった、いわゆる勘違いであった。
 三年も前に亡くなった者が、月日を経て甦るなど、胡散臭いにも程がある。
「お前さん、今オレを馬鹿にした目で見ただろう?」
 半目で睨まれて、セインは慌てて両手を振って否定した。
「あ、いや、馬鹿にしたわけじゃなくてですね。死人が生き返るなんて、ゾンビじゃあるまいし」
「だろう?だから、気味が悪いってんだ」
「・・・ああ。そうりゃあ、そうですね」
 死人が生き返れば、それだけで充分すぎるほど気味が悪い。
「といっても、オレが生き返ったお嬢さんを、しっかり見たわけじゃないんだけどな」
「そうなんですか?」
 見たことがないと言うのなら、生き返ったという話そのものが、噂でしかなくなってしまう。
「当たり前だろう?わざわざ確かめに行くなんざ、そんな気持ちの悪いこと、できるかよ」
 汚いものでも見るような目つきで、人を見るのはやめていただきたい。
「じゃあ、なんで生き返ったなんて、わかるんです?」
「そりゃ、見たって奴がいるからなあ。ほれ、屋敷に一人だけ使用人を残したって言っただろう?」
「はい」
「その使用人が、ドレスだの二人分の食材だのを、注文するようになってな。それで、届けに行った奴が見たってことになっんだ」
 それでは何の確証もないではないか。
「見間違いってこともあるんじゃないですか?」
「見間違うはずがねえ。村の連中は、なんだかんだで領主様には世話になってる。お嬢さんの事だって、皆で可愛がってたんだ」
 興奮のためか、親父の口調が、どんどん友人にでも話すかのような口調に変わる。
「でも」
「ああ。言いたいことは分かる。だけどな。亡くなったお嬢様のサイズのドレスの注文を、仕立て屋の主人が、あの屋敷から貰った事が始まりよ」
 親父は、今から話す事が、タブーであるかのように、急に声をひそめた。
「ドレスの注文だけじゃ、その領主様が娘さんの死を悼んで、とか、そういう事になるんじゃないですか?」
 つられて、セインまで声が小さくなる。
 男二人がベンチに座り込んで、頭をつき合わせてヒソヒソと喋るというのは、なんだか色々な意味で、怪しい妙な光景だ。
「ばっか、おめえ、始まりだっつっただろうが。聞いて驚け?」
 親父がさらに顔を近付ける。鼻と鼻がくっつきそうだ。
「仕立て屋の主人が、屋敷にドレスを届けに行ったら、その死んだはずのお嬢さんに、玄関で出迎えられたんだよ!それも亡くなったときのままの年恰好でだ」
 それでは、たとえ亡くなったというのが間違いであったとしても、ゼルダという少女は成長していないという事になる。
「実は妹さんがいたーとか、そっくりな親戚の子供だったーとか、そういう事だったり?」
「するわけねえだろ」
 血が繋がっていたところで、瓜二つなんてことは、滅多にあるものではないうえに、親戚の娘を、廃村の真ん中にあるような、使用人が一人しかいない屋敷に置いておく理由がない。
「それから、ちょくちょくドレスの注文が入るようになった。全部ゼルダお嬢さんのサイズさ。あの屋敷にはピーターしかいねえ。そんな大量のドレスをどうするっていうんだ?」
 娘を悼んでのこととしても、何年か経ってからいきなり、というのもおかしな話だ。
「仕立て屋だけじゃねえ。あの屋敷に食料を運んでる奴が言うには、二人分の食材を注文されるようになった。しかも、ドレスを届けに行った仕立て屋が、お嬢さんを見たって言うのと、食料の注文が増えたのとはほぼ同時だってんだ」
「なるほど」
 ピーターの分だけでいいはずの食料が、亡くなったゼルダかどうかは別にしても、その娘の分まで必要になった、ということか。
「・・・おめえ、まだ疑ってやがんな?」
 ジトリと睨まれて、セインは引きつった笑みを作った。
「あははー。すみません」
「まあ、この話は、今じゃ村中で持ちきりの癖に、暗黙の了解ってヤツで、みんなあの屋敷にゃ近寄りたがらねえ」
「じゃあ、余計に真偽の程が分からないじゃないですか」
「ところが、仕立て屋が屋敷でお嬢さんを見たっていうのは一度や二度じゃねえんだよ。それに、食料を屋敷に下ろしてる連中からも、お嬢さんを目撃したって話が出てる」
「そんなに見ている人がいるなら、いっそ確かめてみたら良いじゃないですか」
「領主様に、一度亡くなったお嬢さんは、実は生きてらっしゃるんですか?ってか?」
 それはそれで、かなり聞きづらいものがある。それに、村人達は葬儀に参列しているのだというのだから、余計だろう。
 では、ピーターという使用人に、直接聞いてみたらどうなのか。その、ゼルダという少女本人に、という手もある。
「ところが、村で噂が広まってから、ピーターの奴、態度がおかしくなりやがった」
「どういうことです?」
 亡くなった少女が生きていたというのなら、喜ばしいことのように思えるのだが。
「ドレスや食料は、届ける時間を指定するようになって、自分で屋敷の外に出て受け取るようになったし、誰とも極力接触しなくなった。いや、ありゃあ、屋敷に人を近付けなくなったんだ」
「急に、ですか?」
「急にだよ。それに、あの野郎、前にもまして屋敷の手入れを丹念にしてやがる。それこそ、お屋敷にお嬢さんが暮らしていた頃みたいにだ」
 それではまるで、何か宝物のようなものを、綺麗な箱に仕舞って大切にしているようではないか。
「領主ご夫妻は、あの屋敷には?」
「辛い思い出が詰まってるって仰られて、お嬢さんが亡くなってからは一度もいらっしゃらねえ。そんなお二人が、嘘をついているわけがねえ」
 それに、自分の娘が亡くなったと、葬儀を出してまで偽る必要もない。
「それでは本当に、亡くなったはずのお嬢さんが蘇ったとしか・・・」
 セインは全身があわ立ち、冷や水を浴びせられたように、心臓部分が縮み上がるのを感じた。
「だから言ってるじゃねえか」
 ようやく、村人達があの屋敷をゼルダ屋敷と呼び、忌み嫌っている理由が分かったものの、謎が増えてしまっただけだった。
 あの、キャルに向かって無邪気に、友達になって欲しいと笑っていた少女が、実は既に亡くなっていたのだというのなら、自分は夢でも見ていたのか?では、あの存在感はなんなのか。
 ここに実際、キャルがいないのは何故なのか。
 あの時、何故自分は気を失った?
 分からない事だらけで、セインは顎をつまんで考え込んだ。
 死んだ娘が生きていたとなれば、両親は娘を傍に置きたがるだろうが、そんなこともない。では、少女の両親は、いまだに少女が死んだと思っているのだ。
 それに、生き返ったという少女は亡くなったときのままだというのだから、成長していないという事になる。では、やはり、生きていた、のではなく、生き返った、と考えるのが、不自然だが自然だ。
 不老不死?
 そんな言葉が脳裏をよぎったが、セインは首を振った。
 不老不死などと、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
 まあ、自分のような存在が、稀にはいるのだろうが、それは論外だ。セイン自身とて、不死か、と問われれば、首を撥ねられて生きていられる自信は無い。
 それよりなにより。
 まずは、キャルの無事だ。
 分からないことは後で考えれば良い。
 今しなければならないことは、キャルを見つけ出すことだ。
 セインは、キャルと合流する算段に見当をつけると、ベンチから勢いをつけて立ち上がった。
「お。分かったか?兄ちゃん。あの屋敷には、近づいちゃいけねえって事が」
「ありがとう。おかげで色々参考になったよ」
 見上げる親父を見下ろして、セインはにっこりと笑って見せた。
「で、ゼルダ屋敷ってどっち?」
「あっちの森の入り口に表札が・・・・って、おい!」
 うっかり口を滑らせた親父が、慌てて腰を浮かせたときには、セインは既に森に向かって走り出していた。
「ありがとう!」
 カバンを持っていない方の手を高く上げて、勢いよく手を振る。
「ありがとうじゃねえ!どこを聞いてやがったんだコラ!戻って来い!!!」
「後でねー!」
 最高に爽やかな笑顔で返事をすると、まだ何か怒鳴っている人の良い親父を置いて、セインはゼルダ屋敷に向かって一直線に走った。




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