かたり…
 物音に、キャルはうっすらと眼を開ける。
 セインが人の形を取ったのだろうかと思ったが、彼の化身である細身の剣は目の前にある。
 彼が剣へ姿を変えてから、キャルは二つあるベッドをくっ付けていた。
 放置しておくのも心配だし、バカみたいに切れ味の良いセインロズドを枕元に置いておく訳にもいかず、かといって自分のベッドの隅に立て掛けて、夜中にセインに戻ってしまったら、病み上がりに床の上に放置する事になる。
 考えた末に、セインロズドを転がしたベッドに、自分のベッドをくっ付けたのだった。
 辺りは真っ暗だったが、キャルは夜目が利く。そろりと部屋を見渡してみるが、何もない。
 しかし、違和感がある。
 キャルは眉間を揉みほぐしてからもう一度、さほど広くもない宿部屋を舐めるように見渡した。
 隣にはセインロズド。
 嵌め込まれたアメジストが、暗闇の中でもぼんやりと異彩を放つ。
 自分以外に人の気配は無い。
 きゅっ、と、胸元の緋色の歯車を、知らないうちに掴んだ。
 ゼルダの心臓だった歯車は、肌身離さずペンダントにして首から下げている。
 自動人形でありながら、心を持ち、自身を人と信じて疑わなかった少女の心臓は、仄かに暖かい気がして、キャルは逸る気持ちを宥めさせる事が出来た。
 そうっと、セインロズドへ手を伸ばす。
 室内に気配が無いなら、室外。
 天井、床下、窓の外、隣部屋、廊下。
 気配を探りながら、セインロズドの柄を握り、枕の下に隠していた銃を取る。
 グリップを握り、枕の下で安全装置を外して撃鉄を上げ。
 不意にヨタヨタした足音が聞こえたかと思えば、ドアの前を、酔っ払いが横切ってゆく。
 呂律が回らない口調が、キャルの神経を逆撫でた。
 何事か騒ぎながら、酔っ払いが通り過ぎた後も、室内の違和感は消えない。
 雨戸の向こうは、未だに衰えを知らない豪雨に晒されている。雨音と言うには激しすぎるそれは、吹き付ける風も手伝って、ガタガタと窓を鳴らしていた。
 しかし、キャルの耳はそれらの音を聞いてはいない。唯ひたすらに、全神経を傾けて、違和感の正体に集中した。
 呼吸を止め、ベッドの中で体制を整え。
 ひゅっ
 小さく息を飲み込んで、ベッドに掛けてあったブランケットをバサリと空間に投げ捨てた。
 ダン!!
 一息に扉へと飛び出し様、横合いへ一線。セインロズドで投げたブランケットを切り裂いた。
 ついで、扉をも切り裂く。上部から斜めに降り下ろせば、木製の扉は役目を為さなくなる。
 出来た隙間から廊下へ飛び出して、小さな身体に出来うる限りの酸素を吸い込んだ。
「こんの、大馬鹿者があ!!!!」 
 それはそれは、宿屋全体がビリビリと振動したかと思うような大音声。
 部屋の中には袈裟懸けにバッサリ切り裂かれたブランケットに、大の男が埋もれて倒れていた。
「おいおい、どうしたんだ一体!?」
「なんだ?」
 ばたばたと、宿泊客達が驚きに顔を出す。
 逃げる準備までしているのがいるくらいで、薄暗い宿屋の廊下は、客達が手にしたランプで、一気に明るくなった。
「大丈夫?」
 聞き慣れた声に見下ろせば、自分の行動と声に驚いたのか、セインがいつの間にか人の姿に戻っていた。キャルは彼の腕を握っている。
 抜き身の剣なぞを手にしているのを、自分達以外の宿泊客に見られずに済んだのは僥倖か。
「どうかしたのかい!?お嬢!」
 タカが見物人を押し退けながらやって来た。
「タカ」
 その顔に、キャルはホッとする。
 ちらりと、自分達が借りていた宿泊部屋に目線を流せば、それだけで理解してくれる。
「あぁ、皆さんがた。お騒がせして悪かったね。何でもないんだ」
 何でもないというわりに、小さな少女の目の前の扉はなんだか斜めに切れているし、先程のつんざく様な大声も気になるが、相手が子供だという事と、どうもその保護者らしい男が現れたという事で、宿泊客達はぶつぶつ苦情を漏らしながら、各々の部屋へと戻って行く。
 厄介事には、誰でも首を突っ込みたくなんかないものだ。
 見物人が減るのと同時に、光源であるランプの数も減って、廊下は元の薄暗さを取り戻す。
「お嬢、一体どうしたってんだ?」
 心配して顔を覗き込むタカに、キャルは再び、扉の壊れた室内を示す。
 中を見渡せば、暗い部屋の入り口近くに、廊下から差し込む仄かな明かりに、盛り上がったブランケットが二枚。良く見れば、一枚の大きなブランケットが切れて二枚になっている。キャルが切った物だ。
「あれ?」
 そのブランケットの隙間から、色々はみ出しているのは人の手足ではなかろうか。
 タカはキャルを振り返った。
「うちのキャプテンなら部屋にいるぜ?」
「じゃあ、そこに伸びてるのは誰よ」
 てっきり、不法侵入者はギャンガルドだと思ったのだが。
 だからこそ、容赦なくセインロズドで叩き付け、腹が立ったから怒鳴り付けたのに。
「お嬢、峰打ちにしたんだろ?それなら、うちのキャプテンだったらもうとっくに立ち上がってるぜ?」
「…そういやそうね」
 不本意だが、タカの意見には同意せざるを得ない。
 いくら名の知れたベッドハンターで、銃をぶちかまし、剣を振り回そうがキャルはお子さまだ。仮にも海賊王と呼ばれる男が、あの程度で気絶なぞするはずがない。
 腕力に決定的な差がある。
 それでも、一般の大人くらいなら、キャルは軽く伸してしまえるが。
「じゃあ、あれ誰よ?」
「さぁ…?」
 キャルとセインとタカで、なんとも気持ちの悪い顔をした。
「とにかく、キャプテン呼んで来るわ」
 この場で悩んでいても仕方がない。
 どたどたと、タカはギャンガルドの部屋へと走って行く。
「ねぇ、キャル」
「何?」
 セインはキャルの側で膝を着いたまま、彼女にとられた腕で、彼女をくい、と引っ張った。
「宿屋の主人が顔を出さないのはどうしてかな?何か聞いている?」
 先程のキャルの大声に、周りの客等が様子を見に来るくらいなら、宿の管理人だって気が付いているはずだ。
 大きなホテルならともかく、ここは小さな宿屋なのだから。
「もしかしたら、この嵐の音で聞こえていないのかもしれないけれど」
 ざわざわと、悪寒が首の辺りを這い上る。
「セイン、体調は?」
「さっきよりはだいぶ」
「わかった」
 二人とも、部屋の中で倒れる人物から目線は外していない。
 なにせ、キャルに違和感は感じさせても、進入を許すほど気配を消していたこの人物は、ギャンガルドほどとは言わなくても、それだけの腕を持つという事は解り切っている。いざとなった時、セインの体調を気にしていては戦いにくい。
「へえ?なにやら物騒じゃねえか」
 タカに連れられて、面白そうに廊下を歩いてくるギャンガルドを、二人が見上げた時だった。
「ちっ!」
 セインの舌打ちが聞こえる。
 後頭部を鷲掴みにされて無理に床の上に倒されるのと、それは同時だった。
「へえ?なかなか演技派じゃないか」
 顔を上げれば、いつでも動けるように片膝を着いたままだが、キャルと一緒にセインも伏せている。
 振り向けば、壁は横長にぱっくりと口を開けていた。
 向かいの部屋の扉ごと切られていたものだから、扉の上部が切り口から綺麗に内側の室内へと倒れて行った。
「ひい!」
 中に居た宿泊客の悲鳴が聞こえたが、今は構っている場合ではない。
 目の前の人物が自分たちを狙い、それに気付いたセインにキャルは伏せさせられたらしい。
「何すんの、よ!」
 立ち上がりざまに発砲すれば、標的は跳んで弾道から逃れる。体勢が整わずに撃ったのだから、避けられても仕方が無いかもしれないが、この至近距離でそれだけの瞬発力は凄い。
 驚いてもいられず、キャルは続けて発砲する。
 補充用の銃弾は部屋の中だ。あまり無駄には出来ないが、今は海賊共もいる。悔しいが彼らの実力は折り紙つきなので、ここは信頼させてもらう事にする。
 遠慮なく標的をギャンガルド側へと誘い込めば、海賊王はニヤリと笑って、軽く腕を上げた。
 キャルの弾丸に誘い込まれた謎の人物は、人物なりきに勝算でもあったのだろうが、生憎相手が悪かった。
 大きく振り上げた足は難なくギャンガルドに捕らえられ、次に繰り出したナイフは、ひょいと小首を傾げられて空を切る。
 ぽーい、と、音がしそうなくらいに軽く投げ出されれば、後ろに居たタカに、思いっきり踵落しを食らって再び気絶した。
「ったく、人騒がせだぜえ」
 またもや伸びてしまった人物を、四人で眺めおろせば、とりあえずは男だった。
「あ〜あ。女だったらなあ」
「男だって解っていたから容赦しなかったんでしょうが」
 残念そうに自分の顎をさするギャンガルドに、呆れたように呟くのはタカだ。
「まあ、その道のプロってところかな?」
 同業者か暗殺者か。
 とりあえずはキャルとセインを襲って来たところを見れば、暗殺者では無さそうだ。狙いがギャンガルドであれば話は別だったが。
 何にしろ、刺客は刺客だ。
「何か持ってないかしら」
 うつ伏せに倒れた男を、キャルはうんしょ、と転がして仰向けにさせる。
 頭からすっぽりと被った黒い袋には、穴が二つだけ開いていて、そこから目が見える。服装は全身濃い目の灰色で、なんというか、いかにも、な格好だった。
 腰にはナイフが数本。壁を切り裂いたのはこれだろう。大き目のナイフはかなり刃幅が広い。風圧やらを考えれば扱いにくいのではないかと思うが、まあ、横薙ぎに振るう分には空気抵抗は無いのかもしれない。平たい刃は、人を殴るにちょうど良さそうでもあった。
「もらっとく?」
「そんな使い難そうなの、いらねえよ。捨てっちまえ」
 言われて、キャルは素直にポイポイとナイフを放り出す。
 ごそごそと服を脱がして、ポケットやら何やらをまさぐって、出てきた小道具を広げてみるが、針金だの財布だの、ちょっとした盗人道具だの。あまり参考になりそうなものは出てこない。
「まあ、プロなら、証拠品は持ち歩かないか」
 諦めて、キャルはギャンガルドを見上げた。
「後は好きにしていいわよ」
「ほ?」
「だって、暇なんでしょう?」
 それはそうなのだが。
「役場にでも連れて行けば、賞金首だったらお金に変えられるのだけど。ここの役場、小さすぎて、手続きに時間がかかりそうなんだもの。安物ならまだしも。それなりの金額になりそうじゃない?コイツ」
「…要するに。面倒臭いのか」
 少し呆れたような顔をされたが、キャルは眉間に皺を寄せてギャンガルドを睨んだ。
「それなりの金額になったとして、その額をそろえるだけの能力がこの村には無いって言っているのよ。そうなると、町役場に問い合わせするでしょうね。それに加えてこの嵐。賞金の到着を待つのにどれだけかかるかしらね?」
 あくまで、この刺客が賞金首だったらの話だが、その可能性は高いだろう。
「それとも、コイツを一番近い町まで一緒に連れて行く?そっちの方が面倒だわ」
 ふむ、とひとつ唸って、ギャンガルドは人の悪い笑みを浮かべた。
 ちょっとばかし凶悪だった。
「よっしゃ!」
 ウキウキと楽しそうに、ギャンガルドは伸びきって抵抗も無い不法侵入者を縛り上げ、ズリズリと引き摺ってキャル達の宿部屋へと入って行く。
 寝台のランプに灯りを付けて見晴らしを良くすると、鼻歌混じりに窓を開け、雨戸を開け。
 雨風が吹き付けるのもかまわず、ヒョイと縄でぐるぐる巻きにした男を持ち上げて。
 ぽい。
 さて。ここは三階だった気がするけれども。
「ぎゃ」
 風雨の音に混ざって、短い悲鳴が外から聞こえた。
「あら。生きているみたいね」
 キャルの言葉に、ギャンガルドは顎をつまんで少し考え、今後は廊下に戻って男から取り上げたいっさいがっさいを、タカに持たせる。
 そうして二人で窓辺に寄って。
 ガラガラガシャ。
 下も見ずに投棄。
 もちろん財布は抜き取った。そこはぬかりない。
 今度は声も聞こえなかった。
「ナイフも捨てたの?」
「一本だけ手掛かりになるかと思って貰った。後のは下で刺さってんじゃねぇか?」
 セインの質問に答えながら、今度は手元に残っていた縄の端を 、ぐいぐいと引っ張った。
 どうやら落っことした刺客を括りつけた縄に繋がっているらしい。
 ゴン、ガン、ドカ、などと聞こえるのは、壁の突起部にでもぶつかっているのだろう。
「どうするの?」
「ぶら下げんの」
 ある程度引っ張って、窓の外に備え付けてある転落防止の桟に縄を結び付けて、ぱたぱたと雨戸を閉め、窓を閉じ。
 一段落終えて、なんとも爽やかに、額の汗を拭う海賊王は、とても満足そうだった。
 雨のザアザアという音と、風のビュウビュウという音で部屋がいっぱいになる。
 先程までの騒動を、嵐が消し去ってしまったかのようだったが、そうも暢気にしていられないのが現状だ。
「とりあえず今日はこれで心配ないだろ」
「死んじゃわないかな?」
「死んだところで気にするな」
 爽やかに物騒な科白を返された。
「部屋の下で死体がぶら下がってるって、嫌なんだけど」
 夢見が悪そうで、セインはムッとする。そんな事を言うなら、ギャンガルドの部屋の窓にぶら下げてやろうかと思う。
「大丈夫だろう?ナイフが刺さってようが、身包み剥いで裸同然だろうが、嵐の中でだって殺し屋だ。鍛えてるだろうよ」
「運を天にまかすみたいな感じかなぁ」
 肺炎くらいは起こしそうだが、人を襲うような奴に、情けは無用かと、セインも開き直る事にする。というより面倒くさい。
「自分の宿屋の壁に得体の知れないのがぶら下がってたら、ここの評判もガタ落ちだろ。どう考えてもこの状況、雨音がでかいにしたって、従業員の一人も見に来ねぇんじゃ、金でも掴まされてるに決まってる。いい気味だ」
 ふん、と、鼻を鳴らすギャンガルドに、キャルは目を見開いた。
「え?そんな事まで考えていたの?」
「まあなあ。考えてっていうか、面白いだろ。朝、通りを歩いていたら宿屋の壁にパンツ一丁の男がぶら下がってんだぜ。滅多に見れる光景じゃねぇだろ」
 面白い悪戯を成し遂げた子供のように、満足げな海賊王である。



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