バルバロッサと呼ばれたあの赤い女の、赤い剣。その剣に嵌め込まれたガーネット。

 そして、彼女は後から来た男を、『マスター』と呼んだ。

 彼女がどのようにして剣を取り出すのかは見ていないが、セインを、「セインロズドの化身ではなく、そのもの」なのだと言っていたところを見れば、セインロズドに詳しいだけではないだろう。

 剣をその身に収める存在を、的確に理解しているのは、きっとその存在そのもののみ。

 ガンダルフが、口をへの字に曲げて頷いた。

「あああ、まったく。そなたを驚かせようと思っておったのに。彼奴らめ。計画がパアだ」

 がしがしと、せっかくセットしただろう自身の髪をかき混ぜて、この国の王はにやりと笑った。

「で?どうだった?」

「言うに事欠いてそれですか」

 セインが口の端を引きつらせる。

「バレちまったもんはしょうが無いだろうが。まあ、面白い話もあるからな。ちょっと待っていろ。す
ぐ終わらせて来るから」

 たちの悪い笑みを顔に張り付かせながら、ぽん、と気楽にセインの肩を叩いて、ガンダルフはダンスホールの脇にある階段を登って行った。

 しばらくすると、音楽が鳴り止み、代わりに国王の到来を盛大に告げるファンファーレと、人々の拍手と歓声が響いた。

 ダンスホールを見下ろす主賓席から、ガンダルフが何かしら話しているのが聞こえる。

 この宴の主催者であり、国の責任者としての仕事をこなしているのだろう。

「…王様、段々ギャンギャンに似て来たのじゃない?」

「あははー」

 恐ろしい事を呟くキャルに、セインは乾いた笑いを洩らすしかなかった。

「似て来た、と言うより、元々ああですよ、ぼっちゃんは。ギャンガルド殿とは、単に気が合うのでしょうな」

 溜め息交じりに、王の教育係がもっと恐ろしい事を口にした。

「ギャンガルドが二人居るようなものってこと?」

「私からすれば、陛下が二人居るようなものですかね」

 セインとキャルは顔を青ざめさせ、ラオセナルは眉間の皺を揉み解す。

 面白おかしい事を常に追い求める、傍迷惑で厄介な人間が二人揃ったら、面倒なことしか起こらないではないか。

 これは、早々にギャンガルドが海に帰ってくれるというのは、実は結構有りがたい事なのだと気付いたキャルとセインだった。

「いや、これもう、今晩中に発つとか言っていないで、今すぐ出て行って貰った方が良いわよね?」

「それは流石にかわいそうだよ。特にクイーン・フウェイルの皆が」

 本当に、彼らはあの男の船に乗った時から、自分で苦労を背負いこむと分かっているのだろうに。何故かあの船に好んで乗っている。

 要するに不思議なことではあるが、ギャンガルドには人を引き付ける魅力があるのだ。

 これは国王ガンダルフ二世にも言える事だろう。

 カリスマ性と言っても良いのかもしれないが、カリスマだけでは人は集まっても着いては来ない。それだけの何かが、あの二人にはあるのだ。

 認めたくもないが。

 その船長のお楽しみの為だけに、クイーン・フウェイルの海賊たちは、ここしばらく陸で過ごしていたはずで、常にギャンガルドの気紛れの犠牲になっている彼らまで、無理に追い出すのは気が引ける。

「それもそうだけど・・・」

「まだ、みんなの顔も見ていないんだよ?お別れくらい言わないと」

 本来なら、全員の無事をとっとと確かめて、この町からも早々に旅立つつもりだったのに、ガンダルフの思惑にそれもままならず、今に到っているのだ。

「最初から無事だっていうのは分かっているけど、そうね。お別れくらいはしたいわね」

 人質に取られているような事を言っていたが、何かしら拘束されているとしても、彼らの事だから元気で呑気に楽しんでさえいる事だろう。

 だいたい、国王が海賊の子分を船ごと人質にするなど、公にでもなったらスキャンダルどころの話ではない。

 心配には及ばないのかもしれないが、彼らを海に返すために自分たち二人は、この王都に戻ってきたのだから、目的は果たしたい。

「そもそも王様と馬鹿な取引をするギャンガルドが馬鹿なんだわ」

「馬鹿だからねえ」

 自分の財産をまるっとごそっと国王との取引に差し出す必要はなかったはずだが、その豪胆さは海賊王の異名をとるギャンガルドらしい。

「…王の挨拶が終わるまで、ここに居るのもなんですから、場所を移しましょうか」

 ふと、ラオセナルが提案する。

 柱の陰になっているとはいえ、先ほどの赤い女に見つからないとも限らない。

「移動してもガンダルフは困らないかな?」

 待っていろと言ったのは彼だ。戻って来て自分たちがこの場所に居なかったら、ガンダルフが困るだろう。一国の王をそんな事で煩わせるわけにもいかない。

「大丈夫ですよ。近衛の誰かに言伝ますから」

「分かった。ラオの言うとおりにしよう」

 ラオセナルも、二人の出会った女の事が気になっているようで、しきりに辺りに視線を配って警戒している。

 了承するセインに軽く頷いて、馬車の傍に控えていた近衛兵を呼び、伝言を頼むと、ホールへ向かうのとは逆の方向へ二人を案内した。

 裏方なのだろう、細く、質素な廊下を進み、とある一室の前に辿り着く。

「こちらです」

 言うなり自ら扉を開いて、キャルとセインを入室させると、するりとラオセナルも室内に入り、極力音をたてないように、ぱたりとドアを閉めた。

「ここなら、客人は寄り付きませんから」

 案内された先は、誰もいない厨房だった。

「あれ?」

 現在は舞踏会を開いている最中で、厨房に人が居ないのはおかしい。思わず疑問の声を上げたキャルに、ラオセナルは笑って見せた。

「ここは旧使用人用の厨房でしてね。たまに使ってはいるので、食材もありますし、ガスも通っていますから、お茶でも淹れましょうか」

「ああ、なるほど」

 古い貴族は身分を重んじる傾向が強かったため、使用人は主の顔も知らない場合が多かった。使用人は裏の廊下を使い、主人と同じ階段を使う事も禁じられた。もちろん、厨房も。

 ここはその、古いならわしの名残なのだろう。

 使用人用の厨房らしく、小さめの食卓まである。

「お茶なら、おじいちゃんが淹れる事ないわ。セインが淹れたらいいのよ」

「えーっと?それどういう事?」

 お茶ならいくらでも淹れるつもりではあるけれど、キャルのそのセインへの扱いはどういう事だろうかと悲しくなりつつ、コンロの火に薬缶を掛ける。

「ラオ、お茶の葉はどこかな?」

「ああ、確か、この辺りに」

 男二人で調味料の棚を漁っていると、キャルは食器棚を漁りだし、何処からともなく、焼き菓子を引っ張り出した。

「おいしそう!」

 フェナンシェとパウンドケーキにマドレーヌ。

 どうしてこんなにお菓子があるのか疑問だが、多分に女中たちが焼いて、おやつにでもしているのだろう。

「食べちゃっても良いのかな?」

「後で、我が家から代わりのお菓子を届けさせますよ」

 ラオセナルの許可が下りたところで、キャルは待ちきれないとばかりにマドレーヌを頬張った。

「あまーい!」

 味には満足したようで、ホクホク顔だ。

「じゃあ、お砂糖はいらないね?」

 ミルクをたっぷり注いだミルクティーを目の前に置いてやると、それも美味しそうに飲み始める。

 ラオセナルと自分用には、キャルよりも少なめにミルクを注ぎ、ようやく三人は、厨房の小さな食卓に腰を落ち着かせた。

「セイン様」

 不意に、名を呼ばれて顔を上げる。

「なに?」

 ラオセナルが眉間に皺を寄せ、小難しい顔をしていた。

「先ほどのお話ですが」

「僕らを襲った奴の事?」

「そうです」

 ラオセナルは自分の顎を触りながら、慎重に言葉を紡ぐ。

「私の記憶に間違いがなければ、その赤い髪の女と、その連れの男」

 一旦言葉を切り、ゆっくりと口を開く。

「多分、隣国の第二王子とその従者なのではないかと思います」

 ラオセナルのその発言に、セインは何とも嫌な、苦虫を噛み潰したような心持ちになる。

「うわ。本気で関わり合いたくないわね」

 セインの心の内を代弁するように、キャルが鼻に皺を寄せて言う。

「さっき、ガンダルフが言っていた、面白い事っていうのに繋がりそうなんだけれど。僕の予想が外れていてくれたらなあって思うのは駄目かなあ」

 へにゃりと机に突っ伏すセインだった。

「まあ、外れるという事は無いでしょうな」

「あー、やっぱり?」

 上品に背筋を伸ばしたままミルクティーを飲むラオセナルに、突っ伏したまま視線だけを上げて、セインは眉をハの字にして笑った。

 そこへ、がちゃりとノックも何も無く、唐突に厨房の扉が開いた。

 三人で一斉に顔を上げて扉を見やった。

 そんな遠慮も礼儀もなくやって来るのは、無法者か、それとも。

「おお。何だ?良い香りがする」

 顔を出したのはガンダルフ二世だ。

 彼の前には、護衛の為の近衛騎士が一人いて、扉を開けたのはどうやら騎士だったようだ。

「ノックくらいして下さいと、いつも言っていると思いますが?」

 表情を変えずにラオセナルがピシャリとした声音で注意するのは、扉を開けた騎士ではなく、騎士に扉を開けさせた国王に対してだ。

「予とラオの間ではないか。堅苦しい事を言うな」

「親しき者にも礼儀あり、という言葉も、お教えしましたな。お忘れか?ぼっちゃ」

「あー、あーあー!分かった!今後注意する!」

 ラオセナルが言い終わる前に、国王は慌ててラオセナルに駆け寄って、彼の口を手で塞ぐ。

 その手をぐい、とラオセナルが引き下ろし。

「分かればよろしいのですが、本当に何度も申し上げておりますよ。私の口もいい加減同じ言葉を繰り返すのにはホトホト飽きたのですがね、ぼっ」

「あー!うん!予が悪かったっ!!」

 どうにも、『ぼっちゃん』と言われるのが嫌であるらしい。

 一旦手を離したラオセナルの口を、また慌てて塞いだ。

 その王の手を叩いて自分の口から離れさせたラオセナルは、軽く溜め息をつく。

「子供扱いされるのがお嫌でしたら、きちんと礼儀ぐらいわきまえて下さい。もう良い大人におなりでございましょう?キャル嬢に笑われます」

 指摘されてガンダルフが顔を上げれば、キャルが肩を震わせて笑いをこらえていたので、何とも情けない表情になってしまった。

「あー、こほん」

 咳払いを一つで、なんとか誤魔化す。

「そんなに笑うものではないぞ?」

「あはは!だって、王様なのにっ!あははは!」

 我慢するために押さえていた口から手を外してしまったので、ついに笑い声を上げながら、キャルがお腹を抱えた。

 彼女の言う事はもっともなので、誰も反論しない。

 王の護衛として着いて来た近衛騎士でさえ、顔をそむけて何かこらえている。

「いいから、ちゃんと入ったら如何?話が進まないよ」

 セインが席を立ち、王と近衛騎士の為に紅茶を淹れる準備を始めた。 

 一瞬、近衛が逡巡したものの、それを見ていたラオセナルに、入室して扉を閉めるように促される。

 下手に部屋の外に護衛を置いた所で、重要人物がここに居ると宣言してしまっているようなものだ。

 それを承知でいるのだろう。近衛は丁寧にお辞儀をすると、ぱたりと扉を閉めて、その隣を自分の場所にしたらしい。

「はい、どうぞ。砂糖とレモンがちょっとずつ入っているから」

 ラオセナルの隣に座るガンダルフと、護衛に立つ近衛騎士にはレモンティーを差し出すセインに、ガンダルフは不思議そうな顔をする。

「そなた、紅茶なぞつくれるのか?」

「見ての通りだけど。それから、紅茶はつくるんじゃなくて淹れるものだよ。つくるとしたら、茶葉職人だね」

 自分の席に戻る前に、キャルとラオセナルと、もちろん自分のカップにも、お代りの紅茶を注ぐ。

「ふむ。良い香りなうえに、美味い!」

 満足そうなガンダルフに小さく溜め息をついて、セインはようやく元の席に着く。

「喜んでいただけて何よりだけれど」

「そうよ。ティータイムの為に集まったわけではないでしょう?先に話を進めてちょうだい」

 セインの言葉尻を拾い、新しく淹れてもらったミルクティーに口をつけながら、キャルがガンダルフを睨んだ。

「おお、そうじゃったな。忘れるところだったわ」

「忘れたら忘れたで、僕らはこのまま退散させてもらうから別にかまわないよ」

 冗談めかせば、辛辣な言葉が返って来るので、ガンダルフも居住まいを正して真剣な面持ちになる。

 それがまた、わざとらしくてキャルとラオセナルの不評を密かに買ってしまうが、二人とも顔には出さないので気にしない。

「先ほどの、二人が会った赤い髪、赤い剣の女だがな。隣国ガラムントの第二王子ドラテの側近だ。妾といううわさもあるが、まあ、いわゆる不老不死のうえに剣をその身に宿す女でな。セインと違うのは、あの女は胸の間から剣を引っ張り出す事か」

 ごたごたともったいぶったわりには、あっさりとガンダルフは女の正体を告げた。

 前半部分の説明は、先ほどのラオセナルの説明と同じだ。決定的と見て良いだろうが、確信を得るために、女の告げた名を挙げる。

「バルバロッサと名乗っていたけれど?」

「うむ。バルバロッサ・ロディオという名だ。これで確認出来たな」

 にやりと、国王が笑った。





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