帰り道。 飾り気のないオズワルド家の馬車の中は現在、結構ぎゅうぎゅうである。 「来る時は広くてのんびり出来たのに…」 セインが遠慮なく不満をこぼす。 「何でこんなことになってんのよ。ムサイのよ」 キャルの呟きは、乗車している男性一同の心に、例外なく突き刺さる。 「あ。おじいちゃんは別よ。ダンディでカッコいいもの」 「それは嬉しいね。ありがとう、キャル」 ニコリと微笑むラオセナルの隣で、若干頬をひきつらせた男が、ニヤリと笑った。 「ラオがダンディでカッコいいなら、予とて棄てたものではなかろう?」 「そのお髭、剃っちゃえば見れるようになるかもね?」 うっそりとにらんで、キャルは男を一蹴した。 「この人くらいに若いならともかく、王様のせいでムサさ倍増なのよ!!」 自分の隣で肩を小さくして座る近衛の若者を指差して、キャルが怒鳴った。 「聞き捨てならん!予のせいでムサくなったとは何事だ!」 幼い少女相手に、国王が青筋を立てる。 「ムサイからムサイって言ってるのよ!そのもっさりしたお髭がまずムサイわ!そして見た目はセインよりおっさんよね?!おっさん!!」 「ぐぬぬぬぬ!世のオジサンを敵に回すような発言をしよって!」 「あれでしょ?お香をお洋服に焚きしめているくせに、香水まで使ってるでしょ?色々臭いのよ!そういう所が既にムサイのよ!」 「これは身だしなみだぞ!?予の髭だってそうだ!男の身だしなみじゃ!ちいちゃいお嬢ちゃんには分からんのだろうがの?」 「身だしなみですって?くっさいのよ!馬車狭いのに、王様の匂いでくっさいのよ!お香か香水か、どっちかにしなさいよ!」 それはその通りだなあ、などと思いつつ、テンションが高くなって行く二人を誰も止めずに馬車は夜の街並みを滑るように進む。 キャルは普段なら寝ているような時間だ。無駄に感情が高ぶっているのはそのせいだろうし、ガンダルフはガンダルフで、実はこれでも楽しんでいる。 それが分かっているので、セインもラオセナルも止めない。 近衛の若者は、国王と名門ラオセナル家の当主を差し置いてしゃしゃり出るような真似はしない。 馬車の中の配置は、というと、馬車の入り口から向かって左側に、セイン、キャル、近衛の順で三人で座り、右側にはガンダルフ、ラオセナルの二人でゆったりと座っている。 しばらく続いている喧嘩腰の会話に痺れを切らしたのか、セインがふと小首をかしげる。 「もしかして、眠いのと狭いのとでイラついてる?」 ぼそりとした呟きは、もちろん、キャルに聞かれないようにするためだ。 「狭いんだったら、ここにおいでよ」 ふう、とひとつ嘆息して、ぽんぽんと、膝の上をセインが叩く。 全員の視線がセインの膝の上に集中した。 しかし、キャルはセインの申し出を丁寧に辞退する。 「あたしだってもう、八歳なのよ?」 まだ、八歳でしょう?という大人たちの心の突っ込みは、背伸びしたい子供の心情を慮って、全員で黙り込んだ。 なんとなく、恥ずかしそうに頬を染めるキャルに、馬車の中は一気に和む。 なにはともあれ、セインのおかげで、ようやく大人と子供の戦いは幕を下ろしたようである。 「何でも良いけど、舞踏会を国王が抜け出しても大丈夫なの?」 「うむ。予は挨拶さえ終わってしまえば用無しだ」 キャルから興味を反らしたガンダルフは、セインの質問にニカリと笑う。 「せっかく皆で楽しんどるのに、王様なんぞが側にいては、くつろげまい?」 確かに、楽しい宴に国内最高権力者が居ては、楽しむどころではないだろう。色々な意味で。 「なるほど」 妙に納得する。 「でも、だからといって王様までおじいちゃんの馬車に乗ることはないと思うの」 キャルのこの言葉には、近衛の青年も、しきりにウンウンと相槌を打つ。ぎゅうぎゅう詰めで動きにくく、おまけに目立つからなどという理由で国王直属の警備は自分ひとりなのだから、ここで何かあったらどうしてくれる。 そんな彼の心情を知ってか知らずか。 「二台で連なると目立つだろうが。ケチケチするな」 国王らしからぬ台詞を吐いて、ガンダルフが唇を尖らせた。 「城から乗ってきた馬車はとっくに帰らせておるしな。ぬしらが城に戻るならちょうど良いではないか」 にこにことうれしそうだ。 「この服も靴も、君が用意させた借り物だからね。返さないといけないし、港にはオズワルドの家より、城の方が近い」 出来ればさっさとクィーン・フェイルの皆に会って、なるべく早くこの町を出たい。 正確には、あのガラムントの二人に見付かりたくない。 「その服なら、買ったぞ?」 きょとりとしたガンダルフの言葉に、セインもキャルも、眉間にシワを寄せた。 「「は?」」 二人揃って声をあげた。 「いや、だから、予が買い上げた。服が欲しいと言っていたではないか」 二人に睨まれて、流石のガンダルフも後退るが、悲しいかな。馬車の中では、壁に押されて背筋が伸びただけだった。 「わたしは、もっと実用的で動きやすい服が欲しいのよ。ドレスじゃ、町中を歩けないじゃない」 「僕だって、こんな堅苦しいフォーマルなんて、今後必要ないだろうし、邪魔なだけだよ」 だから、いらないと、揃って受け取りを拒否されて、ガンダルフは眉尻を下げる。 「二人とも、似合っておるのになあ」 「似合う似合わないの問題じゃなくて、着るか着ないかの問題でしょう?」 ずばりと、セインに切って捨てられる。 「まあまあ、セイン様もキャルも。それらの服は、私が預かりますから」 ラオセナルが助け船を出す。 「いいわよ。おじいちゃんがそんなことしなくても。だって次に来た時に、仮にこのドレスを着るとして、きっと袖が通らないわ」 キャルは成長期。ぐんぐん背が伸びている。今着ている物が、あと数カ月後に着られるのかどうかは謎だ。そいうより、着られなくなっている可能性の方が高い。 「あー、そうかー」 すっかりその気になっていたガンダルフが、がっくりと肩を落とした。 「だから、僕らの衣装は返して、旅装束を揃えてくれればうれしいかな?」 あんまり沈み込む国王に、慌ててセインが提案すると、ガンダルフがばっと顔をあげ、満面の笑みを作った。 「うんうん!そうしよう!帰ったら、直ぐに手配するから、明日の朝一だ!楽しみにしておれ!」 うきうきと復活した。 「どうしてそんなに僕とキャルに服を着せたいのさ?」 「んなもんきまっとる!予の子供たちは妃たちがほぼ独占じゃ。予の構う隙が無い!しかしぬしらは違う。ラオの許可さえあれば、構い倒せるのだからな!」 そこでそうして自分たち限定なのかが謎だ。 「・・・いいや。なんか、追求したら負けな気がする」 「陛下に許可を出した覚えは無いんですがね・・・」 「約束通り、お洋服貰えるっていうならもう、いいわ」 三者三様に、嬉しそうなこの国の最高権力者を、溜め息交じりに見つめたのだった。 そんな、気の抜けた瞬間。 「ラオ様!」 オズワルド家の御者から切羽詰まった声が上がった。 「どうした?!」 セインが咄嗟に窓から顔を出す。 「何か、黒い馬車が着いて来るんです。気持ち悪くて」 頭だけ窓から出したまま、くるりと振り返ってみれば、多少の距離を置いて、黒光りする馬車が見えた。 「あれも、城に戻る馬車かと思って、最初は気にしなかったんですが、何だか様子がおかしいんですよ。明かりも点けずにずっと、一定の距離を保って着いて来るんです。薄気味悪い」 確かに、この夜道に馬車のランプも点けず、窓は光が漏れないようにカーテンでも締めているのか真っ暗だ。 車体も黒ければ、馬まで全身黒い。 闇に溶け込んでしまいそうなその馬車が確認できるのは、今宵の月明かりと、街頭に照らされるためだ。 「・・・一応、何があるか分からないから注意して。大通りを選んで、このまま城に進んでくれる?」 「はい。分かりました。何かあれば、直ぐにお知らせします」 「頼んだよ」 窓から首を引っ込めて、セインが近衛の腕を掴む。 「君、名前は?」 「は、クルトと言います」 御者とセインの会話を聞いていた彼は、只事ならぬ気配に、しっかりとセインの眼を見返した。 「では、クルト。君、御者の傍に行ける?」 「はい」 しっかりと頷く。 「陛下」 「おう。頼んだ」 「御意」 自分の主であるガンダルフ王に、短く許可を求めた彼は、軽く頭を下げると、自身の背後の壁をガタンと外し、外へ出ると、そのまま御者の隣に腰掛けて、剣の柄を確かめた。 それを確認して、セインがクルトの外した壁を、また元の位置に戻す。 こういった、何かあった時の為の隠し扉の一種を、ぬかりなく仕掛けておくのがオズワルド家らしい。 馬車に乗り込む前に、一度ラオセナルから説明されていたものが、まさか早々に役立つとは思ってもみなかった。 「ラオも陛下も、一応用心しておいてもらえる?キャル?」 セインの忠告に、わくわくと嬉しそうな表情で頷くガンダルフに、ラオセナルはぺん、と額を叩いて注意を促す。 呼びかけに応えたキャルは、こくりと頷いて、スカートの下の銃に手を伸ばした。 セインロズドを取り出しながら、セインは外の気配に集中する。 しばらくの間、辺りには馬の蹄の音と、馬車の車輪が石畳の路地を引っ掻く音だけが響いた。 「来た!」 ふいに、クルトの緊張した声が上がる。 途端に、ガラガラと大きな音を立てて、黒い馬車がスピードを上げて迫って来たのだ。 「気を付けて!」 「承知!」 セインの掛け声に短く応えたまま、クルトが鞘から剣を抜く。 見る間に迫る黒塗りの馬車の扉が、勢い良く押し開かれる。 すれ違いざま、赤い髪が宵闇の中に鮮やかに広がった。 キイン! 甲高い金属音が、町の家々の壁に反響して響く。 「はは!なんだ若造か!」 御者を庇う形で相対したクルトは、剣をキシキシと交えながら女の凶悪な笑みに身震いした。 「貴様、何者だ?!」 「名乗るほどのもんじゃないさ。あんた、セインって奴を知らないかい?」 「セイン?」 眉をしかめる。 その名は確か、今この馬車に乗っている、あの男の物ではなかったか。 「そいつを探して、どうするつもりだ?」 「そんな事聞いてどうするのさ?知っているのかい?知らないのかい?」 「何故この馬車を狙う?!」 「・・・あんた、つまんないね」 舌打ちを残して、女はあっさりと剣を引き、後方へ大きく飛びのいた。 視線で追えば、馬車の屋根に降り立った勢いのまま、女はその手に持つ剣を、自分の足元に突き刺した。 「やめろ!」 馬車の中には、ガンダルフ王がいるのだ。 「こん中にいるんだろ?坊や」 赤い唇が弧を描く。 「貴様!」 クルトの怒声と、ドン!という音が聞こえたのはほぼ同時だった。 光の筋が馬車の屋根を貫き、女の額を掠めて赤い髪をひと束焼き切った。 「ちい!」 舌打ちした女は、そのまま高く跳躍し、民家の屋根の上に音もなく着地する。 「待て!」 叫んだ近衛に、女は艶やかに笑み、キスを投げてよこすと、そのまま闇の中に姿を消してしまった。 「・・・くそ!」 悪態をついたのはクルトであったが、ガタンと開けられた馬車の壁の向こうに、ガンダルフが手を振っているのを確認すると、ふう、と息をついて御者の無事を確認する。 「大丈夫ですか?」 「はい、おかげさまで」 若干、その顔色が青ざめているのは、月明かりのせいではないだろう事は見てとれたが、全員が無事であった事に肩の力を抜いた。 「お疲れさん」 「いえ。陛下をお守りするのが、私の役目ですから」 また襲われる可能性も考慮して、壁は開けたまま、馬車の室内へと戻ると、近衛であるクルトは、まず国王の安全を確認し、それから深々とキャルに頭を下げた。 「ありがとうございました」 「え?え?何?あたし何かした?!」 突然の謝礼にびっくりしたキャルが、あわあわと手を振る。 「あの銃撃が無ければ、危うい所でした。あなたは陛下を守って下さった。感謝します」 近衛兵というものは、元来真面目であるらしい。 堅苦しく礼を述べられて、キャルは肩を落とす。 「はーっ」 大きく溜め息を零し、ぽりぽりと頬を掻いた。 「べつに、わたし王様を守ろうとしたわけじゃないし、お礼なんて言われる筋合いなんてないのよ?」 「でも、結果的にはあの赤髪の女を追い払う事になったのは、事実ですから」 どこまでも堅苦しく応えられて、眉尻を下げるキャルに、セインが剣を仕舞いながら、くすくすと笑う。 「いいじゃない。素直に受け取っときなよ。彼の気持ちなんだから」 セインがそう言えば、 「そうだぞ!予からも礼を言う!ありがとうな!」 国王らしからぬ快活な例の言葉に、キャルも仕方ないと諦めが付いたらしい。 「はいはい。分かったわ。どういたしまして!」 少々投げやりに受け取ったのだった。 |
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