駆け出すキャルに手を引かれて、クイーン・フウェイル号の袂まで近付けば、景気の良い声がかかる。

「おお?!おい!お嬢!お嬢じゃねえか?」

「元気?来てあげたわよ!」

 ぶんぶんと手を振るキャルに、甲板からわらわらと海賊たちが顔を出す。

「お嬢!お嬢待ってた!」

「ほんとだお嬢だ!」

「旦那もいるぜ!」

「おおうい!」

 嬉しそうに手を振る海賊たちに、セインはちょっとだけ肩を落とす。

「僕はおまけですか。良いけどね」

 辺りを見渡して、振り返れば船から桟橋に、乗船するための梯子が下ろされている所だった。
その梯子を登れば、二人を船上に歓迎してくれる海賊たちにもみくちゃにされる。

「元気だったか二人とも!」

「ちょっと大きくなったんじゃねえのか?」

「起きてて大丈夫かよ?」

「旦那!一杯やろうぜ旦那!」

「お嬢はかわいいなあ!連れてっちまいてぇぜ!」

「それは駄目!」

 最後の、セインの悲鳴に、一瞬場が鎮まったかと思えば、どっと笑い声があふれた。

「あいっかわらずだなあ!」

「もー、そういうとこが好きだぜ旦那!」

 ぐりぐりと頭を撫でられがつがつと冗談とはいえあちらこちらから肘突きをくらい、セインの長身が海賊たちに埋もれた。

「きゃあ!セイン!」

「うみゃあ…」

 眼鏡はずれてあらぬ方に引っかかり、頭も服もくしゃくしゃになったセインを、キャルが救出した。

「みんな、酷いよー」

 とはいえ、うれしそうなセインに、また笑いがあふれた。

「なあんだ、うるっせえと思ったら、お前さんらか」

 ぼりぼりと、腹を掻きながらギャンガルドが船室から現れる。

「うわ。何?そのカッコ」

 セインが眉を顰めるのも無理はない。ギャンガルドは上半身裸でシャツだけ肩に羽織り、ズボンも引っかけているだけで、きちんと腰帯を巻いていない、だらしない出で立ちだった。

「あー、だって、イイトコロだったもんよ」

「…うん。言わなくても見れば分かるから。キャルいるから。それ以上言ったら切るよ?」

 甲板中に吊り下げられたランプでも、彼の逞しい筋肉が艶々と輝いているのが分かる。日の下で見れば、情事の名残も見えた事だろうが、幸い今は宵の中。

 しかし、キャルの好奇心は夜でも昼でも関係が無かった。

「いいところって?」

 小首を傾げる少女に、ニンマリと、とてもイイ笑顔で海賊王がのたまった。

「大人の楽しいコトって意」

 シュリン

「おわ!っぶね!」

 全部言い終わらないうちに、セインロズドを引き抜いたセインが、切っ先をギャンガルドの鼻先に付けてヒクリとひきつった笑みを見せていた。

「さっきの僕の声、聞こえなかったのかな?」

「キコエテマシタ」

「で?」

「ゴメンナサイ」

「よし」

 降参とばかりに両手を上げて、ホールドアップするギャンガルドに、セインは剣を下ろして、キャルの頭を撫でた。

「性教育は大事だぞ?」

 ぼそりと呟くギャンガルドの鼻先に、再びセインロズドが突き付けられる。

 ちょっとめり込んだ。

「君に教えてもらわなくても良いと思うんだけど?」

「うん。ごめんなさい」

 今度こそ冷や汗を垂らしたギャンガルドが、一歩引いたので、セインもそのままセインロズドを収めた。

「気が短けぇなあ」

「誰のせいだよ?」

 睨むのではなく、にっこりと微笑んでやれば、ギャンガルドもにっこりと笑い返してくる。
若干ひきつっている。

「でも、今のはキャプテンが悪いぜー?」

 聞き覚えのある声は、クイーン・フウェイルの風読みだ。

「よ!久しぶり!」

「ラゾワ!君こそ元気だった?」

 嬉しそうに駆け寄るセインに、ギャンガルドが口を尖らせる。

「なんだよー、俺の時と態度が違うじゃねえか」

「自分の胸に手を当てて良く考える事だね」

 ぴしゃりと指摘されて、さらに口を尖らせた。

「いつもの事じゃねえっすかキャプテン。キャプテンが悪いっすよ」

 その声に顔を輝かせたのはキャルだ。

「タカ!」

「よう、お嬢!」

 腰に飛びつくキャルの頭を撫でて、クイーン・フウェイルの料理長が、つるりとした頭を、つるりと撫でた。

「さて、皆の衆!準備は出来てるぜ!運びな!」

 タカの声に、海賊たちが一斉に雄叫びを上げた。

 次々と船の中に消えたかと思うと、どんどんと出て来る。

 帰って来た彼らは、酒樽や料理を手にして、さささささっと宴会のセッティングを完了させていく。

「相変わらず凄いなあ」

「さすがよねえ」

 一度眼にしているとはいえ、何度見ても見事な統一感だ。

 瞬く間に準備が整ったかと思えば、何時の間にやら一番高い場所にギャンガルドが酒を手にして上機嫌で立っていた。

「良いか野郎ども!」

 彼がひと声上げれば、続けて野太い声が呼応する。

「近所迷惑にならないのかしら」

「海に吸い込まれるから良いのかな?」

 ちょっと場違いな心配をする。

「俺たちの救世主が現れた!王様から俺たちを救ってくれた賢者とお嬢に!」

 高々とギャンガルドが酒を空に掲げた。

「グラート!」

 ギャンガルドが叫んだ。

「グラート!」
「グラート!」
「グラートー!」

 景気良く、あちらこちらから懐かしい乾杯の掛け声が上がる。

「さあ!思う存分食え!呑め!無礼講だ!」

 一気に盛り上がる甲板の上で、キャルもセインも次々と手渡された木のカップに注がれる酒やジュースに、グラートの掛け声を返し、タカの料理に舌包みを打つ。

「やっぱりタカのご飯は美味しいわね!」

 上機嫌のキャルに、セインもやっと、食事らしい食事を摂る。

 あの白亜の舞踏会会場でいくらか食べているとはいえ、あれから時間も経っているし、なんにしてもタカの料理は別腹だ。

 南瓜のスープにプティング、手作りの腸詰に、鳥の腹に野菜を詰めて蒸したものやら魚の香草焼きと野菜のムース。

 そしてデザートの特大ケーキはイチゴのクリームと紅茶のムースが程良く甘く、キャルはもう、夢中だ。

 料理の乗ったテーブルの間を行ったり来たりするキャルを眺めながら、セインはギャンガルドにこそりと呟く。

「もう、こうなったら誰も君の事なんか気にしないでしょ。早く行ってあげなよ」

「お?」

「何だよ、その返事」

 きょとりとするギャンガルドを、半眼で睨めば、肩をすくめた。

「なんで知ってんの?」

「豪華なドレスまで準備して、ダンスに連れてった。今この場にキャルが居るのに彼女が出てこない。ってことは、考えられる理由はひとつでしょ?」

 セインとキャルも共に旅をした、逞しく勝気な女性、ジャムリム。

 キャルは彼女のお気に入りで、こうして船までキャルが会いに来ているというのに、肝心の彼女が出てこないのは、きっと、泣いているからだ。

「ふん。お見通しかよ」

「僕だって、男だし。分かるよ」

 危険な海賊の船旅に、彼女は連れて行けない。

 そういう事なのだろう。

「舞踏会は最後の思い出づくり?君らしくもない」

「…女ってのは、あんな風に華やかでキラキラしたもん、好きだろ?」

「だからって、ジャムリムは納得していないんじゃないの?」

「痛いとこ突くね。そんなとこまで分かっちゃうの?」

「そりゃ、歳の功ってね?」

「…ふん」

 ぐい、と、酒を呷るギャンガルドは、酒豪の彼にしては珍しく、少々酔っているようだった。

「じゃ、お言葉に甘えて」

 重い腰をようやく海賊王が持ち上げた。

 ずばん!

「え?」

「は?」

 凄い音と風圧が、二人の背後で起きた。

 思わず振り返ってみれば。

 豊満な身体をシーツ一枚で隠し、泣き濡れた目じりを赤く腫らした絶世の黒髪の美女が、それはもう壮絶に瞳をギラつかせて立っていた。

「良い度胸してるじゃないの?」

 カ!と、彼女の背後で雷でも鳴ったような錯覚にとらわれる迫力で、ジャムリムが仁王立ちしていたのだった。

 先ほどの音と風圧は、彼女が船室の扉を開け放ったものだったらしい。

「え?ちょ、お前、そのカッコ…」

 おたつくギャンガルドのベルトをガッと掴むと、ひらりと手を返し、勢いよくその顔を張った。

 良い音が海上に響いた。

「あたし決めたんだ!」

「ええ?な、何を?」

「クイーン・フウェイルのクイーンになるから、覚悟しな!」

「は?え?は?」

 ひっぱたかれた頬を押さえながら、要領を得ないギャンガルドの肩を、セインが溜め息と共に叩いた。

「ジャムリムは残らない。この船に乗って、君たちと行くって言ってるんだよ」

「あらあ!さすがセインさん!このお馬鹿よりもさっさと理解してくれるねぇ?」

 嬉しそうにセインに抱きつくジャムリムを、セインは慌てて離そうと手を突っ張るが、シーツ一枚しか見につけていない彼女の身体の何処に触っていいものか分からない。

「じゃ、ジャムリム!君何か服を着てよ!」

「良いじゃない!セインさんとあたしの仲だろ?」

 頬にキスまでされてしまった。

 その二人を、べりっと音がしそうな勢いで引き剥がしたのはギャンガルドだ。

「ジャムリム!お前なあ!」

「なによ?女は危険だから海賊船に乗せらんないって?だから港で待つか別れるかしろって?随分と勝手じゃないのさ!」

 両手を腰にあて、ジャムリムがふんぞり返る。

 シーツの隙間から、なまめかしい白い足がのぞき、セインが慌てて隠す。

「最初にそういう話をしただろうが!」

「返事なんざしてない!」

「納得してたんじゃねえのかよ?!」

「あたしが?」

 ふん!と、両手を組んで、ジャムリムは自分よりも背の高いギャンガルドを見下した。

「あたしを誰だと思ってんだい?」

 色っぽい微笑みに、宴に沸き立っていた海賊たちは、一様にぽかんと口を開けた。

「かっ!格好良い!!」

 キャルの歓声が上がった。

「ありがと」

 ぱちんとウィンクを一つ。

「あたし以外の誰が、あんたの手綱を取れるっていうんだい?世界中の数多に居るあんたの女たちの中でも、そんな荒業やってのけんのは、あたししか居ないと思うんだけどねえ?」

 するりと、長く細い、綺麗な両腕をギャンガルドの首に絡みつかせ、唇にキスをする。

「愛してる。海の果てまで連れて行きな」

 そう言って、もう一度キス。

 すると、甲板の上が歓声に沸き立った。

「キャプテン!こりゃあ、負けだな!」

「良いぞ姐さん!俺にもキスしてー!」

「キャプテン観念するしかねえよ!諦めな!」

「ジャムリム姐さんサイコー!」

 ギャンガルドは、肩を落としたと思えば、直ぐに両手を高々と上げて、ホールドアップした。

「まいったぜ。俺の負け」

 いいざまに強くジャムリムを抱きしめて、濃厚なキスを交わす。

 手下たちからは、口笛とヤジが飛んだ。

「お前みてえな女、二度目だ。後悔したって離してなんかやらねえから覚悟しな」

「うふん。あんたこそ。あたしを置いてったら、死ぬほど後悔するよ?」

 艶やかに笑うジャムリムに、海賊王は一瞬呆気に取られ、次には大笑した。

「違いない!」

 そう叫んで、人生二度目の伴侶を両腕に抱き上げた。

「おいこら野郎ども!俺たちゃしけ込む!出港も何もかも任せた!」

 それでいいのかと、キャルもセインも思ったが、クイーン・フウェイルの乗組員はそれで良いらしい。

「おっしゃ!任せとけキャプテン!」

「二人の分の飯は俺らが食っておくから安心しな!」

「よ!御両人!」

 そんな掛け声を背に、ジャムリムをしっかりと両腕に抱えたギャンガルドは、そのまま船の中へと消えていった。

「うわー」

 キャルの眼隠しをしながら、セインは二人を見送った。

「いやあ、あの二人らしいよな」

 実は、その顔も耳も真っ赤である。

「年寄りにはきついや」

 そんな事を呟く。

「かっこいい…」

「は?」

 セインの両手を、自分の目の上から退かし、キャルが呟く。

「迂闊だわ。ギャンガルドを格好良いなんて思っちゃったわ。不覚だわ」

 顔を真っ赤にしていた。

 見えていなくとも、状況はなんとなく分かったらしい。

 二人で顔を見合わせた。

「うん、僕も、初めてギャンガルドを格好良いって思っちゃった」

 眉を下げれば、キャルが「ぷ」と噴き出した。

「あはは!じゃあ、仕方ないわ。二人で格好良いって思っちゃったんなら、多分本当に格好良かったのよ」

「えー、認めたく無いなあ」

 そう言えば、さらにキャルが笑った。

「楽しそうだな二人とも!」

「今日はなんか目出てえみてぇだし、旦那もお嬢も飲め!食え!」

 海賊たちに促されて、二人は楽しい気分のまま、出港までタカの美味しい料理を堪能する事にする。

 初めてクイーン・フエイルに乗船した時の様に、月が綺麗に水面に光の影を落としていた。





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