それはもう、たらふく食べた。 夜だというのに、食べるだけ食べて、気がつけば月も中天を過ぎていた。 「さ。お別れの時間だぜ」 名残惜しそうに、ラゾワがキャルとセインに笑いかける。 「え?もうそんな時間?」 キャルが大きな眼を、さらに大きくした。 「お嬢はもう寝なきゃいけねえ時間だろう?眠くねえの?」 意地悪そうに傍にいた海賊の一人がにやりと問いかければ、キャルは胸を反り返す。 「眠いけど眠くないわ!」 堂々とした宣言に、海賊たちが一瞬固まった。 「…なんだそりゃ?どっちだい」 「だって美味しいんですもの!食べなきゃ!」 「いやいや。お嬢。太るぞ?」 聞かれれば真剣な顔で言い返すキャルに、次々と構いだすものだから、結局はわらわらと囲まれて、キャルもセインも身動きが取れなくなってしまった。 「こーらお前ら!これじゃ出港出来ねえだろうが!離れて離れて!」 群がる海賊を掻きわけて、禿げ頭がひょこひょことやって来る。 「あ!てめタカ!お前はいいよ?ずっと旦那とお嬢の傍にいたんだしよ」 「そうはいっても、キャプテンとほぼ二人っきりだぜ?!お前ら耐えられんのかよ?」 タカが不満気に口を尖らせれば、全員が「うえー」だの、「うーん」だのと唸り始める。 「あー。人望があるのか無いのか、相変わらず分からない海賊王だね?」 セインが苦笑した。 「まあ、あんな人だけど、おれたちゃ付いて行くって決めてんだ。勘弁してやってくれ」 ぽりぽりと頬を掻き、照れ笑いをするタカに、キャルが飛びついた。 「きゃあタカったら!お料理美味しかったわ!」 全身で飛びついたキャルを、ぐらつきもせずにしっかりと受け止めているあたり、タカもやはり海賊の一員である。 「こらキャル!」 セインが慌てて嗜めるものの、タカの顔が既に孫に対する好々爺と化しているので、あまり効果はないらしい。 「ごめんね、タカ。それから、ありがとう。ほんとに美味しかった。君の手料理が食べられなくなるのは寂しいな」 「へへ。旦那とお嬢にそう言って貰えれば、おれっちは大満足さ。何せここの奴ら、何作ったって食べるばかりで美味いなんて言いやがらねえ」 キャルを腹のあたりに張り付かせたまま、タカがちらりと周囲のお仲間を見渡せば、 「お前の料理が美味すぎるのがいけねえ!」 「そうだそうだ!美味すぎて夢中になって食っちまうんだからよ!」 褒め言葉なのかなんなのか分からない声が飛ぶ。 「うーるせえ!美味いんだったら黙って食いやがれ!やれ豚が食いてえ、鳥が食いてえと、お前ら肉ばっかり要求しやがって!」 「魚は飽きるんだもんよー」 「食いたいもんは食いたいんだもんよー」 「だったら船を降りて陸で生活しやがれ!」 「それはヤダー」 「我が儘言うんじゃねえ!」 沸き起こったブーイングに、タカが拳を振り上げて怒鳴るが、海賊たちはそんなコック長にもめげずにさらに食べたい物のリクエストを口々に叫び合っている。 一度海に出てしまえば、何カ月も海の上に居る彼らの胃袋を、一手に引き受けているタカの苦労を垣間見た気がした。 「はー。君って凄いんだねえ」 しみじみと呟くセインに、タカが目をむいて振り返る。 「はあ?!」 「いやあ、だって、これだけの大食漢を満足させる料理の質と量を、君が賄っているわけでしょう?凄いと思うよ」 素直にそう言えば、タカの目に涙がにじんだ。 「だ、旦那!」 泣きだしたタカの頭を撫でながら、セインが視線を甲板上の海賊たち全員に向けて、 「ね?凄いよね?」 にこりと微笑めば、 「おー!タカの料理は世界一だ!」 「旦那―!タカ泣かしてんじゃねえよオ」 「よ!旦那!人タラシ!」 「うちのコック長は凄いんだぜー!今更気付いたのかよー?」 などなど。タカには賞賛を。セインには褒めてんのか何なのか分からない言葉が送られた。 「お!お前ら!」 感極まって、おいおいとタカが泣き出すので、セインの方がどうしたものかとオロオロしてしまう。 「おれやっぱり旦那について行こうかなあ!」 「ええー?!」 いきなりのタカの爆弾発言に、セインはそれこそ飛び上がった。 ささ!と周囲を見渡せば、先ほどまでの楽しげな雰囲気は一気に消え失せている。 「ははー、タカ、君ってば、愛されてるね?」 一変して殺気だった空気に、セインの頬が引きつった。 しかし、空気を読まない、可愛らしい声が響く。 「ほんと?タカこっちに来る?」 「うっ!」 嬉しげなキャルのキラキラな瞳に、全員が押し黙った。 「ああー、お嬢と旦那と三人で旅暮らしかー。それも良いよなあ」 「駄目だ!駄目駄目駄目!」 うっとりと呟くタカの肩を、必死の形相で揺さぶったのはラゾワだ。 「お前が居なくなったら俺らの腹の虫はどうなるんだ!!」 もっともである。 「そ、そうだ!俺たちゃお前が居ない間に、どれだけひもじい思いをしたと思ってんだよ」 「城の飯なんざ、お上品すぎて食った気がしなくってよー。そりゃあ、美味かったけど、タカの飯には遠く及ばねえ」 しかし。 「うるせえ!お前ら、おれが帰って来た時に、何て言ったか忘れたとは言わせねえ!」 タカが涙を振り払いながら怒鳴った。 「な、何かあったの?」 「旦那!良く聞いてくれやした!」 涙ながらに彼が言うには。 「おれっちが帰って来て、いつものように飯を作りましてね。皆に出したんですよ。そうしたら、子豚の香草焼きトリュフ添えは無いのかとか、城で食ったフォアグラが忘れられねえとか!フカヒレのスープ食いたいだとか!なんかこいつら高級食材要求してきやがったんですよ!そりゃあフカヒレくらいは何とでもなりますけどね?フォアグラなんざこの人数相手に経費考えろって話ですよ!!」 フカヒレは何とかなるあたり、さすが海賊と言うべきか。 妙な事で感心しつつ、城が負担した無駄な散財に、この国の将来を若干憂いを残し。 「それは、タカが怒るのも尤もだよ」 「そうね。そもそもタカの料理は、そんな珍味使わなくったって、美味しいじゃない?何が不満なのよあんたたち」 二人があきれ顔で海賊たちを見渡した。 「だってよう、食った事無いようなもん食ったら、タカだったらどうするかなとか、思うだろう?」 「そうだよ!タカだったらもっと美味く料理出来んじゃねえかなとかさあ、思うじゃねえか」 口々に、タカを引き止めようと必死に言い募る。 彼らの胃袋は、タカに掛かっているのだから当然ではあるのだが、それだけタカの料理が愛されているという事だ。 「お、お前ら!嬉しい事言ってくれんじゃねえか!」 今度は感激して泣きだすタカである。 「でもなあ!だったらお前らおれっちの作るもんに文句言うんじゃねえ!」 しかし泣きながら釘を刺すのも忘れないのは、苦労人だからだろうか。 「作ったもんに文句を言っているんじゃねえよ!足りないから品数増やせって言ってんだよ!」 「それが肉か!ってか、お前らおれっちを過労死させる気か!?」 突っ込みに、突っ込みで返すやり取りに、どっと爆笑した。 「ちぇ。思いのほか大事にされてんじゃない」 「お嬢。これで大事にされてるって、おれっちはちょーっと違う気がするぜ?」 不満そうなキャルに、タカが眉毛をハの字にして、禿げ頭を掻いた。 「こんなに大事にされているコック長を、僕らで独占するわけにはいかないかな?タカが僕らに付いて来るって言うなら、話は別だけど」 視線でセインが答えを促せば、さらに眉尻を下げて、タカがぺこりとお辞儀した。 「申し訳ねえ。こいつら、おれっちが居ねえと、舌と胃袋が満足できねえみてぇで」 ぷくりと、キャルのほっぺが膨らむ。 「何よう!毎日タカに癒してもらって、美味しいご飯もいっぱい食べられると思ったのに」 「お嬢!ありがとなあ!」 今度は、タカがキャルに飛びついた。 「詫びみたいになっちまったがよぅ、これ、持ってってくれよ」 差し出されたのは弁当箱だ。 「え?!いいの?」 言いつつ、キャルの手は弁当箱をしっかりと掴んでいる。 「もちろんさ!これから城に戻るんだろ?だから弁当っつっても、明日のおやつに食えるようなもん詰めといたんだ。焼き菓子がほとんどだから、後で二人で食ってくれよ」 にっこりと照れたように笑うタカの頬に、キャルが小さな唇を押しつける。 ちゅ。 「ありがと!タカ大好き!」 「おおおおおお、お嬢おおおおおお!!」 真っ赤になったタカに、キャルがくすくす笑う。 「初めて会った時と一緒ね」 「ほんとだ。タカってば、茹蛸みたいだよ?」 「旦那あ!それは言わんで下さいよう」 初めてクイーン・フウェイルに乗船した時も、別れ際にキャルがタカにキスをして、真っ赤になった事がある。 その時と同じ状況に、セインもキャルも懐かしく過去を振り返った。 「あのときはキャルが攫われて」 「そう。魚臭い網に引っ掛かって」 「大変だったね…」 「大変だったわ…」 「そ、それも言いっこ無しだぜ…」 まあ、当時があるから、今があるので、二人はタカから貰った弁当箱を受け取って、にっこりと笑う。 「もう、あんなことしちゃ駄目だよ」 「そうね。人攫いは駄目よね」 苦い思い出をいくつか思い出して、二人とも、つい本気を出してしまったようで、殺気を含んだ微笑みに、海賊たちが一斉に冷や汗をかいた。 「まあ、僕らは王都に到着するまでタカの美味しいご飯を食べさせてもらえたし、それについては感謝かな」 「前回も今回もタカのお弁当も貰ったし。そうね、差引ゼロって所かしらね」 美味しい物は時に争いを収めるのだ。 「うう、タカが料理上手で良かった!」 半泣きでラゾワがタカに飛びついた。 「おい!やめろよ気持ち悪い!」 「なんだと!?お嬢と旦那は良くて、俺は気持ち悪いのかよ!」 「当たり前だろが!離れやがれ!」 ベリ!っと音がしそうな勢いでラゾワを引き剥がしたタカに、海賊たちから口笛やらヤジやらが飛んだ。 「おら!テメエらいい加減うるせえんだよ!お嬢も賢者も船から降りれねえだろが!」 ほぼ素っ裸で、大事な所に布だけ巻いたギャンガルドが、勢いよく船室の扉を開けた。 「ギャンガルド!君ねえ!!」 慌ててキャルの前に立ちふさがって、彼女の視界からギャンガルドを排除しようとするセインに、ギャンガルドが面倒臭そうに顎を掻く。 「つーか賢者もお嬢も、いつまでクイーンに乗ってんだよ。連れてくぞ」 「いやよ。明日はラオセナルのお爺ちゃん家に泊まるんだから!」 「お前らが降りねえと、こいつらがサボるだろうが!」 吠えるギャンガルドに、セインが必死にキャルの眼隠しをする。 「分った!分かったからギャンガルドは服を着て!」 「服を着たら降りるのか?」 「服を着なくても降りるけど!キャルの前でその格好はやめて!」 「おっしゃ!おい!梯子を下ろせ!」 ギャンガルドが指示を出したが、船上からはブーイングの嵐だ。 「えー、降りちまうのかよ」 「もっと遊んでけよ」 「キャプテン横暴!」 「うるせえっつってんだろ!名残惜しいのは分かるが、何時まで経っても出港しねえんじゃ話にならねえだろが!早くしやがれ!」 「へーい」 鶴の一声で、ようやくキャルとセインがクイーン・フウェイル号の甲板から、桟橋へと降り立った。 「ごめんね、ギャンギャン」 流石に同じ男として、なんとなく悪い事をしてしまったような気がして、セインが謝れば、船上からギャンガルドがニヤリと笑って見せる。 「なに、名残惜しいのは俺も同じさ。元気でな」 「君もね」 そんな会話を交わせば、セインの腕に抱かれながら、キャルが拳を振り上げる。 「ちょっとギャンギャン!ジャムリム泣かせたら承知しないんだからね!」 「おー、覚悟しとくよ」 「あら。それほんと?」 気だるげなギャンガルドの傍に、簡単なワンピースを着たジャムリムが肩を寄せてキャルとセインに手を振った。 「何だよお前。出て来たのか」 「あたしだってお別れくらい言いたいじゃないのさ」 すっかり夫婦である。 「ジャムリム!元気でね!」 「キャルちゃんも!頑張って旦那をモノにするんだよ!?」 「へ?!」 「応援してるからね!」 「まかしといて!」 「は?え?へ?」 慌てふためく賢者を置いて、ラゾワの良く通る声が響いた。 「碇を上げろ!帆を下ろせ!」 船上が一気に慌ただしくなる。 ガラガラと碇を繋ぐ太い鎖が引き上げられ、巨大なマストに、白い美しい帆が掛かる。 「出港!!」 高々と響いたキャプテンギャンガルドの声に、海賊船クイーン・フウェイル号がゆっくりと海への旅路へと帰ってゆく。 「じゃあな!」 「元気でな!」 そんな風に声をかけてくれる彼らに手を振る。 「あんたたちも元気でね!」 「またいつか!」 「また会おうね!」 小さくなっていく船の上で、ギャンガルドがひらりと手を振り、ジャムリムの肩を抱いて船の中へと消えていく。 タカもラゾワも、他の皆も。 クイーン・フウェイルが港を離れ、セインとキャルと、お互いの姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。 「行っちゃった」 「行っちゃったね」 ほんの少しの寂しさと、タカがくれた弁当箱を大事に抱え、二人は城へと踵を返す。 またいつか、彼らに会う日が来ればいいと、ちょっとだけ願いながら。 |
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