部屋に居るのもつまらないと、庭に飛び出したキャルとは別に、セインは自室のテーブルに着いて、外へと続くテラスを、ぼうっと眺めていた。 思えば、ずいぶん時間が経ってしまったのに、ここから見える景色はあまり変わらない。オズワルド家の人々が、いかにこの部屋を大事にしてきたかが分かる。 セインは知らぬ間に、薄く笑みを口の端に乗せていた。 辛かった日々もすべて、今ならありのままに受け止められる気がする。 この部屋はそもそも、オズワルド家初代当主が、友人であるセインの為に用意してくれた部屋だ。そのくせ、自分が死んだら、あとは好きに生きろと言ってくれた。この家に縛られる事は無いと。 なのに、自分のしたことは、結果的に彼の子孫を、逆にセインロズドに縛らせてしまった。 自分を人間として扱ってくれた、最高の友人だったローランドは、もう五百年も昔にこの世からいなくなった。 オズワルド家初代当主。 誇り高き軍神ローランド。 いくら彼の子供たちが、セインロズド封印の原因になったとはいえ、自分はローランドに何か返す事が出来ただろうか。彼の子孫に不益ばかりを与えていなかっただろうか。 絶望したあの日。 あの日から世界は大きく変わったというのに、ひとの根幹は変わっていない。 なら、自分は? 自分だって、あの時から何も変わっていない。 自分の行く先には、自分が望まずとも、人の欲望が待っているのみだ。 ローランドの子供たちを狂わせたのは自分ではなかったか? 欲望に走らせたのは、セインロズドという存在そのものではなかったのか?それを棚に上げて嘆き悲しみ、勝手に絶望したのは自分ではなかっただろうか。 「セイン!」 闊達な少女の声に、セインはハッと意識を浮上させた。 「ご飯届いたわよ」 「あ、ああ。ごめん。今、お茶を淹れるから」 あわてて席を立つと、扉を開けたまま、召使いの少年が食事を乗せたワゴンを持って待機していた。 「ありがとう、トール」 「いいえ。俺の仕事ですから。仕事をするのは当たり前でしょう?」 扉を目いっぱい開けてやると、ぺこりとお辞儀をして少年はにこやかに入室して来る。良い香りが、部屋中に広がった。 「料理長が腕によりをかけて作っていましたから、期待して下さって良いですよ?」 にこりとウィンクまでしてくれる。 「へえ!それは楽しみだな」 テーブルの上に次々と並べられる料理は、どれも美味しそうだ。 焼きたてのパンとキッシュに、南瓜のスープ。季節野菜のサラダに、さっぱりとした香草と塩のドレッシングが添えてある。厚切りのベーコンとマッシュポテトはふかふかと湯気を立て、出来たてを主張してはばからない。 「うわあ!これ、全部食べちゃってもいいのよね?」 嬉しそうにはしゃぐキャルに、召使いの少年トールは、にこやかに返す。 「お一人で全部食べちゃったら、太っちゃいますよ?」 「それもそうね?」 二人でくすくす笑い合う。 「いつの間に仲良くなったの?」 「今の間によ!」 そんな言葉遊びをしながら、キャルは目の前のご馳走に既に夢中だ。 戸棚からティーセットを取り出し、茶葉を入れ、暖炉に掛けた薬缶を取ってお湯を注ぐ。 火をくべる時期ではないけれど、直ぐに熱いお茶が飲めるようにと、炭を入れてもらっている。 トール少年にもお茶を勧めた。もちろん、彼は断ったけれど、感想が聞きたいと言って無理やりカップを持たせた。 「・・・おいしい」 「そ?えへへ。良かった」 眼を見開いてぽつりと褒め言葉を呟く召使いの少年に、セインは照れ臭そうに笑った。 「本当に美味しいです!これ、うちの茶葉ですよね?」 「うん。ラオがいつも置いといてくれるやつ」 「アルフォード様が淹れて下さるのと、同じお茶なのに、味が全く違うんですね」 「彼のお茶も美味しいよね」 「ええ。でも、どちらかと言ったら大人の味と言うか・・・。僕はセイン様のお茶の方が甘みがあって好きです」 「ホント?嬉しいなあ」 セインは少し温度の低いお湯を使う。それで、じっくりと茶葉のホッピングを待ち、たっぷりと空気を含ませるために高い場所からカップに注ぐので、甘みが増すのだ。 返してアルフォードは熱めのお湯で茶葉をホッピングさせ、注ぐ時はさっと注ぐ。これはこれで、芳醇な香りと濃厚な色合いのお茶が出来るが、味はあまり子供向けではない。 「淹れ方で味は変わるんだ。お茶の面白いところだね」 「へえ・・・。僕にも教えてもらえますか?」 「良いよ」 「ありがとうございます!」 ニコニコと笑うトールの頭を撫でて、セインはあっさり空になってしまったキャルとトールのカップに新しいお茶を注ぐ。 「僕の事はお構いなく!セイン様、ご飯食べて下さい」 「早く食べないと、全部食べちゃうわよ?美味しいんだから!」 慌てるトールに、キャルも身を乗り出す。 「あ。うん。頂きます」 二人に押される形で、セインもようやくナイフとフォークを掴んだ。 「うん、美味しい!」 「でしょ?」 口の中に入れるもの全部が上品な味付けで、いくらでも入る。 「料理長に言っておきます。きっと喜ぶと思うので」 「時間外のお仕事だったんじゃないの?なんだか申し訳ないな」 眉尻を下げるセインに、トールは胸を張る。 「いいえ!これでも屋敷一同、国王様にセイン様たちを攫われて、皆で怒っていたところなんですよ?料理長は手料理を食べていただくのを、とても楽しみにしていましたし、何よりご主人様なんて、とっても悔しがっていたんですから」 ああ、だから昨夜は遅い時間だと言うのに、城で待ち構えていたのかと、セインはなんだか申し訳なくなってしまう。 「だから、今日も国王様がいらっしゃっていますが、みんなでお二人を隠しちゃってるところなんです!」 「へ?」 なんだか凄い事になっている。 「また連れて行かれたりしたら、僕らがお二人のお世話が出来なくなってしまいますからね!皆本当に、お二人のご宿泊を楽しみにしていたんですから、もうお城になんか行かないで下さいね?」 真剣な顔でそんな事を言うトールに、セインもキャルも顔を見合わせた。 「ふふ。分かったわ。わたし達だって、ここのお屋敷の方が落ち着くもの。お城になんか行かないんだから。ね?セイン?」 「そうだね。もう城には用は無いもの。義理は果たしたし。そもそも、オズワルドの家に泊まるって言うのは、最初からラオとの約束だしね」 二人でそう言えば、トールは嬉しそうに笑った。 「良かった!あ、サラダ、もう少し如何です?ブレッドも?」 「ブレッドを頂こうかな」 「チーズ挟みます?」 「うん。あと、ベーコンとね」 「かしこまりました」 安心した所で本分を思い出したのか、テキパキと食事の世話をするトール少年に、キャルもセインも今度は遠慮なく世話を頼む。 以前屋敷に滞在した時から、この屋敷の人々は二人に親切で、なんというのか気が置ける。 キャルなんかは、暇を見ては洗濯や掃除を手伝ったりして、初めのころは使用人の皆さまの度肝を抜いたものだが、今ではそれも受け入れてもらって、ずいぶん可愛がられているようだ。 セインはセインで、自分がやったら逆に迷惑になるからと手伝いなどはしないものの、世話をすればしただけ、子供みたいに素直に喜んでくれるし褒めてくれるので、使用人冥利に尽きるらしい。 要するに二人とも人気者なのだ。 お腹がふくれた所で、扉をノックする音がした。 「はい?」 セインが返事をすると、かしこまった声が聞こえた。 「失礼いたします。お着替えですが、いかがいたしますか?」 アルフォードだ。 「行くわ!今行く!」 キャルがぴょん、と椅子から飛び降りる。 セインも口元を拭って、席を立つと、トールが部屋の扉を開けてくれた。 「国王はどうしてるの?」 気になったので訊ねてみる。 朝から屋敷に居座っているらしいガンダルフ王は、本日も祭典の最中で暇ではないはずなのだけれど。 「ラオ様がお城へお戻りになられるように説得中でございます」 「ありゃりゃ」 これはラオセナルに任せて、自分たちは隠れていた方が賢明だ。 「こちらです」 どうぞ、と言って開かれた扉の奥は、これまた広い部屋になっていた。セインの私室が二つは悠に入りそうだ。 そんな部屋に、セインとキャルの為に誂えた服が、所狭しと並んでいた。 「僕、サイズ計られたの一昨日だった気がするんだけど・・・」 「計ったサイズに合う出来あいの物を、とりあえずはご用意したようですよ?」 怖い事をアルフォードが言った。 「とりあえずって何?とりあえずって!」 「王室お抱えの工房は、一昨日から夜間も明かりが点いたままだと聞きました」 「・・・」 頭を抱えたセインだった。 「王様も馬鹿ねー。わたしたち、単に旅するのに便利な服が欲しいだけなのに。生地と労力の無駄だわ」 キャルが呆れて溜め息をつく。 これだけの衣装を用意して、今度はオートクチュールで大量に作っているのかと思えば眩暈もするというものだ。 「ラオに言って、止めてもらおう」 「大丈夫です。もうラオ様からお叱りを受けていらっしゃいましたから」 さすがラオセナルである。 「まあ、言い出したのはこっちだし、とりあえずいくらかは見つくろって、ありがたく頂戴しましょうか?」 キャルがずんずんと、衣装の森の中に進んでいった。 「はーい」 セインもそれに続く。 なんにしても、今まで自分たちが来ていた服は、どれも長旅で擦り切れてボロボロだ。ここは何着か頂いたとしても問題ないだろう。 「うう、でもこれ税金から出てるんだよね?」 セインの情けない声音に、アルフォードがにこやかに返す。 「セイン様なら気にされるからと、用意したものはすべて国王のポケットマネーで支払うようにと、ラオ様からきつくお達しがあったようですよ」 「え?王様のポケットマネーって、それだって元は税金なんじゃ・・・?」 「あの方は中々に抜け目がありませんで、国営とは別にご自分で貿易商を営んでおられます」 そこで独自に国内の特産品を輸出して、産業発展の促進を促しているのだそうだ。 「行商人の才覚がおありの様ですね」 だから、これらの衣装を用意したのはそれらの儲けからの出資であるので、税金は使っていないとの事だった。 「はは。それは心強いね」 国王ガンダルフの意外な一面を、変なところで確認させられた。 「あたしこれがいいわ!」 何やら、ロープに掛けられた衣装の向こうから、キャルの嬉しそうな声がする。 「こっちも良いわね。うーん、動きやすいのはどっちかしら」 「ご試着なさいますか?」 アルフォードが首を伸ばす。 「え、いいの?」 「もちろん」 「やったー!」 見れば、試着室まで用意されていた。その前には姿見が置いてある。用意周到な事である。 |
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