さて。

 現実から逃げた所で、逃げ切れるわけもなく。

 昼過ぎになって、キャルが国王に確約したものは、服と通行証だけではなかった事を、城からの使者が思い出させてくれた。

「旅の食料とお薬をお分けしますので、城までお越し下さい」

 深々と頭を下げられて、あんぐりと口を開けたのはキャルだ。

「そうだったわ・・・」

 あまり城に近づきたくないのに、自らきっかけを作ってしまった。

 ちょっと小さく舌打ち。

「何か?」

「ああ、いいえ?何でも無いわ。というか、メアリティア様のお話だと、今日の夕方に通交証を持って来て下さるとの事でしたけど?」

 頭を下げたまま目線だけを上げた伝令役に、キャルは引きつった作り笑いで聞き返す。なんとしても城には行きたくない。

 今日はまだお祭りの最中で、町は華やかだ。もちろん、遊びに出かけたい気分は満々だ。だがしかし、あの城に行ったら何かしらに巻き込まれるに決まっている。

 それに何より、今日は神殿で祭事が行われているというので、ラオセナルとセインとアルフォードと四人で見物に行く約束をしていた。

「通交証とは別、ということでして」

 城からの使者は、王の教育係であった名門オズワルド家の当主、ラオセナル卿の客人に失礼は許されないと、さらに頭を下げる。

 が、口振りはなんとなく「王城からの使者」らしい自尊心に満ちた響きが含まれていたので、キャルにとってはそれもなんとなくだが気に入らない。

 しかし、今それを気にしても仕方がないので、くるりと振り返り、セインを見上げた。

「神殿見物は中止ね!」

 少女の不機嫌さを隠さない一言で、全員が渇いた笑いを漏らしたのだった。

「国王が自ら不用意に使者を立てるなと、後ほど叱っておきます」

 ラオセナルはこめかみに青筋を立てた。

「分かりました。では、私が王城へ取りに窺うという事でいかがでしょうか?」

 提案者はアルフォードだ。

「セイン様やキャル様が直接お出向きになられる事必要はないかと思いますが」

 確かにそうなのである。

 それに、アルフォードはまがりなりにもオズワルド伯爵家の執事だ。代行としては申し分ない。

「それで使者様も納得していただけますかな?」

 自身の執事の申し出に、オズワルド侯爵はにっこりと、最上の笑みを浮かべて見せる。

「は、いえ、それは・・・」

 流石に気押されたらしい、使者殿は視線を泳がせた。

「昼食にご招待したいと、国王直々のお申し出でございます」

 そっと、王家の刻印の蝋風がされた巻紙を差し出した。

 ぴくりと、ラオセナルの眉が跳ねる。

 最初から出しておけば良いものを、断られそうになったら最後の手段として差し出す様に言われでもしていたのだろう。

「昼食…」

 国王が、セイン達と朝食を取りたいと屋敷に押し掛けて、ようやっと帰って行ったのがつい先程。

 セインもキャルも、昨夜の疲れがたまっていて、今朝は起きるのが遅かった。もちろん、国王だって疲れているだろう。だというのにこの行動力には脱帽せざるを得ない。

 差し出された巻紙を、ラオセナルが受け取り封を解く。

 目を通して、深く息を吐き出すと、それをくるりと丸めて自分の執事へと差し出した。

「片付けておくように」

「かしこまりました」

 封蝋の解かれた巻紙を、アルフォードが両手で受けて、くるりと紐で結えた。

「なんて?」

 眉間を揉み解すラオセナルにセインが訊ねれば。

「話題の王子様とお付きの侍女が、貴方様にお会いしたがっているようですよ」

 出来れば会わずに済ませたい相手。

 ザラムントのドラテ王子と、その従者バルバロッサ。

「うわー。嫌な感じ」

 キャルが苦虫でも噛み潰したような顔をした。

「断ってくれればいいのに!どうして王様が王子の我が儘きいちゃうのよ!」

「あー、ねー?実は僕ここに来なくっても良かったんじゃないのかと思うんだけどねー?」

 盛大な祭をやって、周辺国から人を集めて腐敗した連中を焙りだせば良いだけなので、今回に関しては実のところセインの存在は無くても良い。

 それなのに呼び寄せた、と言う事は、結局のところ国王の目当てがあのザラムント国なのだと言う事だ。

「何それ!?」

「だって僕、誰にも紹介されていないでしょ?キャルの事だから気付いていると思ってた」

 言われてみれば、最初からガンダルフは「セインと同じ存在がいる」事だけほのめかし、「会わせようと思っていた」と言っていたのは問題のザラムントからの客人だけだ。

「悔しい!!」

 地団駄を踏む勢いでキャルが叫んだ。

「お城に行くわよセイン!」

「え?え?え?」

 先ほどまで嫌がっていたのはどこへやら。

「もうどうせお爺ちゃんちに居たって王様はしつこいんだから、こっちから出向いて一発殴ってやるわ!」

「や、キャル、それは拙いと思うよ?」

 あわあわと慌てるセインの足を思いっきり踵で踏んで飛びあがらせると、びしっと人差し指を伝令役に突き付けた。

「これから直々に出向いて差し上げるから、首根っこ洗って待ってなさい!って、王様に伝えといて!!」

 鬼気迫る若干八歳の少女に気押されて、思わずこくりと頷いた男は、頷いてから頬をひきつらせた。

「いや、いやいやいや、それは無理です!わたくしめの首が胴から離れます!」

 顔は真っ青だ。

 それはそうだろう。いくら言伝とはいえ、国王に向かって「首根っこ洗って待っていろ」などと、言えようはずもない。

「ああ、大丈夫ですよ、キャロット・ガルムがそう言っていたと、ガンダルフ陛下に直接お伝え下されば、陛下も笑って許して下さいますから」

 にっこりとオズワルド卿が世にも恐ろしい事を口にした。

「キャル!人に指さしちゃ駄目だってば!」

 長身の、セインとかいう男は見当違いなことを言っている。

 注意すべきはそこじゃないだろう!

 そんな事を涙目で思いながら、伝令役はふるふると首を振った。

「では、このラオセナルとキャロット・ガルムの二人がそう言っていたと伝えて下さればよろしい。それなら、陛下以外の耳に入ったとて、貴方が処罰される事は無いでしょう?」

 それを聞いて、伝令の男はようやくこくりと首を縦に振り、挨拶もそこそこにして、早々に城へと帰って行った。

「昼食を共に、というご要望でしたから、急いで準備しますか」

 伝令役を乗せた馬の背中が見えなくなると、ラオセナルが愛用の杖に凭れながら呟いた。それはもう、良い笑顔で。

「私も一発殴りたくなったかな。キャル。一緒に殴りに行こうか」

 物騒な同意を求めるラオセナルに、キャルは嬉しそうに頷いた。

「もちろん!」

 それに驚いたのはもちろん、セインとアルフォードとトール少年の、残りの三人だった。

「ええー!ラオまで一緒になってどうしたの?!」

「ラオセナル様!」

「凄い!かっこいい!」

 二人は引き止め、一人は何かキラキラさせている。

「さあさ、愚図愚図してはいられない!城へ行く準備を済ませましょう!」

 二人の苦労人の追及などお構いなしに、ラオセナルが取り仕切る。

「ラオ〜…」

 項垂れるセインにラオセナルはにこりと笑って応え、

「何。大丈夫ですよセイン様。不出来な教え子を叱るのもまた、教師の役目ですから」

 などと言う。

そんな事を言われれば、後は困った事にやる気満々のキャルに、ズルズルと引きずられてゆくしかないセインだった。



「王様って案外狭量だと思われてんのね」

 身支度を整えながら、キャルが不意にそんな事を言うので、セインは眉尻を下げる。

 ガンダルフ国王の伝言を伝えに来た伝令役の男の事を言っているらしい。

「あれは、王様に逆らったら何が起こるか分からないっていう強迫観念から来ているものだからね。普段の彼を知っている一般市民の方が少ないでしょ?王様っていう独裁者に対するイメージなんだろうね」

 こちら側からの国王への無茶な伝言を押しつけられて、顔色を悪くして慌てふためいていたのを思い出す。

「お城に勤めていても、王様の事を知らないの?」

 きょとんとしたキャルの頭を撫でて、セインが小さく笑った。

「それはそうだよ。王様に何かがあれば国の一大事でしょ?沢山の人々と決まりごとに守られているのが王様だからね。会える人も限られているんだ」

「あたしたちは会っているわ?」

「そりゃ、彼が会いたがってくれているからだよ。あとは、ラオセナルのおかげかな。僕らはイレギュラーなんだ」

 その他にも、ガンダルフ三世そのものが、王様というには型破りな事もあるが、今は言わないでおく。

「ふうん。独裁者は独裁者でも、あたし、ガンダルフ王は良い独裁者だと思うけどな」

 キャルの意外な一言に、セインは眼を見開いた。

 なるほど。キャルはキャルで、ガンダルフ王の本質は見抜いているのだろう。いい加減に見えて、やっている事は国の為になる事ばかりだ。

 今回の件に関しても然り。

 ただ、そのために自分たちを振りまわすのは止めて頂きたいところだけれど。

「さて、僕も着替え終わったし、行こうか?」

「うん!」

 自分にあてがわれた部屋の扉を開けてくれたセインの横を通り過ぎて、勢いよく飛び出す。オズワルド邸の玄関先には、既に馬車が用意されていた。

「クレイも連れて行けたらいいのに」

 馬車馬をちらりと見やって、キャルが乗り込みながらそんな事を言う。

 セインの愛馬、クレイはオズワルド家に預けっぱなしで、この町に着いてからというもの、あまり顔を見ていない。朝、軽く取った遅めの朝食の後に会いに行っただけだった。

「この町を出たら、毎日一緒に居られるよ」

「そうね」

 思えばこの町に着いて一夜しか明けていない。

 動き出した馬車の中で、なんだか無性にクレイに会いたい二人だった。

「彼は我が家できちんとお預かりしておりますよ。安心して下さい」

 にこりと微笑むラオセナルに、セインも頷く。

「ありがとう」

「いいえ。賢い、良い馬ですな」

 ラオセナルに愛馬を褒められれば悪い気はしない。

 セインもキャルも、えへへと笑って、二人同時に照れた。

 そんな二人を見て、ラオセナルもニコニコと笑う。

「このままどっか行っちゃいたいわね」

 笑った顔のまま、そんな事を言うキャルに、セインもやはり笑ったまま

「殴りに行くんじゃなかったの?」

 と突っ込み。

 ラオセナルと三人で、同時に「はああ…」などと深い深い溜め息を吐いた。

 ガンダルフを殴りたいのは山々ではあるのだけれども。

 これからあの傍若無人なザラムントの王子と従者に会うのかと思えば、愛馬に癒されたいと思うのも無理はないというものだ。

 しかし無情にも馬車は進み、昨夜もくぐった同じ門をまたくぐり、城に到着してしまう。

 降りるのが何となく嫌で、三人とも馬車の中で談笑などしてみるものの、いつまでもそうしているわけにもいかず。

 結局、何時まで経っても出て来ないのを心配した御者が様子を見に来て、三人は渋々と城の土を再び踏んだ。

「待たせてすまなかったね」

「いいえ!とんでもない!」

 ラオセナルの労いに、御者があわてて首を横に振る。

 恐縮しきりの御者が馬車を移動させるのを見送って、案内に寄こされた年配の女中頭の挨拶を聞き、そのまま広間に連れて来られた。

 目の前のテーブルには山もりのお菓子。

 座るように促され、大人しく席に付くと、目の前にカップが並べられ、コーヒーが注がれた。キャルのカップの中身だけはホットミルクだ。

 する事も無いので、食事の前とはいえ並べられた焼き菓子に手を伸ばしていると、軽いノック音が広間に僅かに響いた。

 扉の横に控えていた衛兵が何かを応え、恭しく開かれた扉の先には、この国の最高権力者であるガンダルフ三世国王と、その後ろに控えるように、だが独特の雰囲気を持って、隣国の王子ドラテとその赤髪の従者が立っていた。




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