室内に、乾いたノックの音が響く。

 許可を出せば、顔を出した使用人が、馬車の準備が整ったと知らせた。

「では、行きましょうか」

 ラオセナルの一言で、キャルもセインも、重い腰を持ち上げた。

 晩餐会は城内で行われるのだが、舞踏会は王家所有の宮殿で寡催される。

「全部城で済ませてしまえばいいのに」

「ふふ。一応、国を挙げての祝祭という事にしていますからな。それらしくあちらこちらでイベントを開催したいのでしょう」

 もともと納得はしているものの、それに参加しなければならないのが嫌で洩れたセインの呟きに、ラオセナルが笑った。

「分かってはいるのだけどね」

 ふう、と、小さく嘆息してしまうのは、もう仕方がないと目を瞑ってもらおうと思う。

「あら、あたしは楽しいわ。疲れるけど、キラキラしてきれいなものを沢山見られるんだもの」

 キャルはセインとは対照的に上機嫌だ。

「綺麗なドレスも着れるしねえ?」

 セインがキャルの頭を撫でる。

「これ、綺麗だけど苦しいのよね」

 撫でられたまま、キャルは自分のドレスの最終チェックをする。

 子供向けとはいえ、美しいウェストラインを演出するために、コルセットでぎゅうぎゅうに締め付けられている。これでは美味しいご馳走が出て来ても、ろくに食べられないのではないかと心配しつつも、用意してもらったドレスはやっぱりふわふわと綺麗で、それなりに気に入っていた。

 靴までドレスに合わせたボルドー色の、大きな花をあしらった可愛いデザインで、流石にヒールは高くは無いけれども、普段履いているものよりは、俄然お洒落だ。

 歩きながらくるくる回るので、セインやラオセナルなどは、キャルが転びやしないかと、少々ハラハラするものの、上機嫌でいる所を注意して、嬉しそうな笑顔を消してしまうのがもったいないような気がする。

 結局、二人とも小さなレディが転んでしまって、せっかくのドレスを汚してしまわないように、さりげなくフォローすることにした。

 用意された馬車は、連れて来られた時とは違い、華美な装飾はされていなかったので、大人二人は一様に胸をなでおろす。

 あの馬車は目立ち過ぎて、正直恥ずかしい。

 キャルだけが、シックな色合いの落ち着いたデザインに、それはそれで満足らしく喜んでいた。

「さて。鬼が出るか蛇が出るか」

「それはそれで、楽しみにしておきましょう」

 再び、馬車に揺られながら、セインは国王の言っていた、「会わせたい相手」というのが気になっていた。

 自分たちをお遊び半分とはいえ、ここまでギャンガルドを使ってまで連れ戻すほどの理由が、その人物にあるという事になる。

 以前、ギャンガルドと森の中で再会した時に、彼から聞いた言葉が気になる。

 そして、なぜこの時期に「聖剣復活祭」なのか。

 自分がキャルに起こされて、気の遠くなるような長い眠りから覚めて、まだ半年にも満たない。

 これだけの催し物を開催するにあたって、最低でも三カ月以上はかかるのだろうから、セインロズドの復活が発覚して、早急に祝祭を計画したと言えばそうなのかもしれない。

 しかし、本物であるセインはキャルと一緒に旅に出てしまっているうえに、セインが自らを封印していた岩は、目の前に座るラオセナル・オズワルドの屋敷の敷地内にあり、許可を得なければ見ることはできないという。

 おまけに、肝心の聖剣はセインそのものなので、今現在、岩に刺さっているのはレプリカである。

 まさかそれを来賓の皆さまに見てもらうというわけでもないだろう。

 これは、何かを国王が目論んでいると考えたほうが良さそうだ。

「いや、国王が、というより、何か目論んでいる連中を、国王がどうにかしたいのかもしれないな」

 道中、セインを攫おうとした連中が居た事を、国王は知っており、その連中が何かをしようとしていた事も、承知であるらしかった。

「ほんと、曲者だよなあ」

「あれでも、私の生徒の中では一番の成績でしたからな」

 セインの呟きに、国王ガンダルフ二世の家庭教師でもあったラオセナルが苦笑した。

「まあ、僕はこれが終わったら、またキャルと旅に出られれば文句は無いよ」

 セインが首をすくめれば、ラオセナルが眉尻を下げる。

「微力ながら、尽力させていただきます」

「ふふ。まずは君の家にお泊まりさせていただかないとね」

「はい。是非。お待ちしておりますよ」

 セインもラオセナルも、外の景色に夢中でいるキャルの背中を見ながら、小さく微笑んだ。

 ほどなくして馬車が停車し、かっちりと正装した御者が、馬車の扉を開いた。

「オズワルド様ご一行!ご到着ー!」

 出迎えの声が響く。

「気をつけて?」

「分かってる!」

 先に降りたセインに、ひょいと抱えあげられて地面に下ろされ、気を付けるも何もないような気がするが、キャルはそのまま宮殿の階段を駆け上がった。

「キャル!転ぶよ!」

「大丈夫よ!二人とも早くいらっしゃい!」

 宮殿の入り口は、大きな階段を上がってその先だ。

 白亜の巨大な建物は、城とはまた違った美しさを醸し出し、宵闇の中に浮かび上がる。

 その姿は幻想的だ。

 この宮殿は三百年ほど前に、公爵家の一つである当時のウィリム公が、奥方の為に建て、最近になって王家所有になったものだ。

 その女性的な美しさは国内外でも有名で、観光の目玉にもなっている。

「もう、キャルったら。はしゃぎ過ぎだよ」

「ほっほ。女性はこういう華やかな物が大好きですからな」

「僕はあんまり好きじゃないのだけどなあ」

「そこは、男の見せどころでしょうな。我慢、我慢」

 一見青年に見える中身年寄りと、中身も見た目も実年齢に沿った老紳士とが、小さな少女の後に着いて階段を上る。

 ちらほらと、警備に当たる近衛隊の制服が目端に映るのを確認して、セインはやれやれと首をすくめた。

 国王は、もう既にこの場所にいるらしい。

 キャルの手招きに従って、中に入れば楽隊の鳴らす音楽にのって、既にダンスは始まっていたらし
い。

 階段を上りきればすぐにダンスホールと化した広間になっており、壁際には立食用のテーブルが置かれ、所狭しとご馳走が並べられている。

 シャンパンやワイン、カクテルなどの飲み物を盆にのせた給仕が、器用に人々の間を縫って歩く。

 踊る人々と、会話を楽しむ人々と、花が咲いたようなそれらは、キャルの興奮を一気に高めるには充分過ぎるほどで。

「きゃあ!絵本の中のお伽の国みたい!」

「いやいや、貴族はこれが普通だし」

 小さくセインが突っ込んでみたが、幸いにもキャルの耳には入らなかったらしい。

 しかし、キャルのそのはしゃぎっぷりも、目の前に現れた人物によって一気にクールダウンした。

「よ!」

 にかっと、白い歯を見せた色黒の男は、普段雑多に下ろしただけの髪を両側に撫でつけ、黒い衣装に身を包み、普段とは違った雰囲気を醸し出してはいるものの、やっぱり口を開けばいつもの彼だ。

「ギャンガルド!」

 驚くセインに、さらに白い歯をむき出して笑いかけるのは、事の発端である海賊王、ギャンガルドその人だった。

「驚いたか?」

「そりゃあ、こんなとこで、君に会うなんて思わないもの」

 やれやれと、頭を抱えたセインと、一気に機嫌を悪くしたキャルが、頬を膨らませる。

「あらあ、やっぱり来たのかい?」

 ギャンガルドに、するりと寄りかかったのは、黒髪の美女、ジャムリムだ。

「うっわ!ジャムリムってば綺麗!」

 ギャンガルドに合わせてか、グレーの身体のラインを強調したロングドレスは、太ももまでがタイトで、膝からは裾広がりに広がって、真ん中に入ったスリットから覗く白い足がなまめかしい。

 おまけにデコルテも広く口が開いて、豊満な胸が今にも零れそうだ。

 そしてなにより、それらを着こなしてしまう彼女の度量とスタイルの良さには、賞賛の拍手を送ってもいいのではないだろうか。

 長い黒髪をアップにまとめ、羽飾りのついた髪飾りはキラキラと光を反射して、白い彼女の肌に良く映えた。

 キャルは色気には興味がないようで、素直に彼女の美しさに目を丸くしている。

「ふふ。ありがと」

 ちゅ、と、キャルの頬にキスをする。

「えへへ!」

 キャルも、お返しにとばかりに、ジャムリムの頬にキスを返した。

「微笑ましいなあ」

 などと言って、うんうんと頷くセインは、立派に年寄りじみていたが、それを見てくすくすと笑うラオセナルとの対比は、実年齢的には合っている。

「彼が、例の?」

 キャルお目当てのご馳走へと向かいながら、ギャンガルドの広い背中を指して問うラオセナルに、セインが苦笑する。

「そう。彼が海賊王ギャンガルド。世界最高額の賞金首が、こんな所に居て良いのかな?」

「正体がばれなければ、構わないのではありませんかね?」

「そりゃ、そうだけどね」

 そう言った意味では、自分も全く同じ立場であるのだが、多分、この場にいる誰も、あの美女を連れた色黒の大男が、かの泣く子も黙る海賊の中の海賊、海賊王ギャンガルドなどとは知りもしないだろうし、自分がかの聖剣の映し身であるなどとは、更に想像もしないだろう。

「そういえば、僕らのこの場の立場って、どうなっているの?」

 一応、貴族王族の集まりだ。社交界という者は身分にうるさい。仮の身分というモノくらいは用意しておかないと拙いだろう。
 
「王から聞いていないので?」

 はた、と、ラオセナルがセインを見上げた。

 どうも、とっくに設定は出来ていたらしい。

「そういう事、いう人だと思う?」

「それもそうですね」

 セインの応えに、ラオセナルは顎に手を当てた。

「セイン様は、私の甥で、キャルちゃんは、貴方の娘、という事になっているようですよ?」

「ええ?それ、キャルには言っちゃ駄目だよ?」

「ええ。承知してます」

 見た目的な設定で、そういう事になったらしいが、セインが父親役などと、キャルが聞いたら怒りだすに違いない。

 ちらりと、セインはキャルを見やった。

 幸いにも、キャルはジャムリムとテーブルの上に並べられた料理に夢中で、セイン達の会話には気付いていないようで、ホッと胸をなでおろす。

「なーに、こそこそ喋ってんだ?」

 ギャンガルドが、二人に鳥の唐揚げを乗せた皿を差し出した。

「ああ。ギャンガルド。無事で何よりだったよ」

 嫌みも含めての言葉であったのだが、海賊王は意に介さなかったらしい。楽しそうに笑うと、ニッと歯をむき出して笑う。

「おう!おかげさんでな。みんなピンシャンしてるぜ」

「それは良かった」

 シャンパンを持って来た給仕から、グラスを受け取りながら受けこたえる。

 正直、ギャンガルドよりも彼の船、クイーン・フウェイル号の乗組員の方が心配だったので、その報告に安心する。

 一度きりとはいえ、共に船旅をした仲だ。

 陽気な彼らの顔が曇るのは、セインにしても頂けなかった。

「もう、こういう事は金輪際無しにしてほしいね」

 すこし不機嫌に、わざとそういうと、海賊王はにやりと笑ってのたまった。

「楽しかっただろ?」

「…僕に切られたいの?」

 予想内の応えにぎろりと睨めば、肩をすくめられた。

 この男が、国王であるガンダルフと、自分の船とクルーを賭けて、セインとキャルを王都に連れ戻すなんて言う馬鹿な博打を打たなければ、今頃はまだ、キャルと二人で旅を続けていたはずだ。

 王都からスタートした旅は、たった数カ月で逆戻りさせられてしまったのである。

 不機嫌にならないわけがなかった。

「ほんと、君の船なんか気にしなければ良かったよ」

 目を合わさずに呟く。

 かなり不機嫌であるのが伝わったのか、ギャンガルドは「面白そう」という文字でも張り付いていそうなうきうきとした表情だ。

 それをちらと横目にして、何を言ってもこの場所では騒ぎを起こせない以上、無駄だと悟り、セインは深々と肺の中の空気を口から絞り出した。

「お?」

「おじゃないよ。もう。今ここで僕をからかっても、なーんにも面白くないよ。君の相手をする余裕は正直今の僕にはないからね」

 ふい、と、視線を反らす。

「何だよ、タカの奴が居ないから拗ねてんのか?」

「タカや他のクルーをこんな所に連れて来た方が、僕は拗ねるよ」

 一見華やかでも、色々と取り決めのあるお固い社交場でもあるこんな所に、あの陽気な海賊たちを連れて来ても、彼らにはつまらないだろう。港町の祭りなんかで、大騒ぎ出来た方が彼らだって喜ぶ。

 ギャンガルドでさえ、一応貴族の肩書を名乗っているらしいのだから。

「まあ、そう言うなって。俺ら、今夜中には出港するから」

「は?」

 思わず眉間に皺を寄せて、ギャンガルドに視線を戻す。

「だから別れの挨拶ってヤツ?連中に会いたいなら、あとで港に来ればいいぜ」

「君がそんな事を言うなんて、どうかしたの?」

 ご丁寧にもわざわざ挨拶なんて、しそうにないこの男の行動に、セインがまた何かあるんじゃないかと、眉をひそめた。

「おいおい、んな顔すんなよ。あいつらがお嬢に会いたいってうるせえんだよ」

 なるほど。

 泣く子も黙る海賊王も、自分のクルーには弱いらしい。

「ああ。それなら分かった。あとで、キャルを連れていくよ」

「頼むぜ。賢者さんよ」

 初めてセインが笑顔を見せてやれば、ギャンガルドもそれで了解を得られて満足したのか、肩手を上
げてジャムリムの元へと去って行った。

「意外に、育ちが良いんだから」

 セインの呟きに、一歩下がって控えていたラオセナルが頷く。

「彼の物腰、それなりの出身なんでしょうな」

「この場で浮かないうえに、しっかりジャムリムをリードしてるしね。まあ、三つ子の魂百までというから。本人は気付いていないみたいだけど」

 それでも、ギャンガルドが話さない限り、彼の出自については聞くつもりもないセインは、それ以上の興味は失ったようだ。

 こちらに手を振るキャルに、手を振り返したりしている。

「踊らないのですか?」

 ラオセナルの質問には苦笑で応える。

「僕が?何百年踊っていないと思っているの」

「それもそうでしたな。しかし、キャルは踊りたがっているようですが?」

 ラオセナルの言う通り、食べたい物は一通り食べ終えたのか、それとも単にコルセットがきつくてはいらないのか。キャルの興味はダンスホールに注がれている。

 視線の先には、ひらひらとドレスの裾をひらめかせて踊るジャムリムとギャンガルドがいた。

「あー、ああいう事も出来ちゃうのかー」

 今は軽快な音楽が流れている。それに合わせて、彼らのステップもリズム良く、くるくると動く。

 キャルの隣に立てば、大きな目をキラッキラに輝かせていた。

「では、私はお先に」

 言うなり、ラオセナルは飲み干して空にしたグラスを給仕のトレイに反し、いつの間にか目を付けていたらしい、黄色いドレスの婦人を誘うと、颯爽とホールへと躍り出る。

 これまた見事だった。

 足の長いラオセナルのステップは年齢を感じさせないもので、実に軽やかな手さばきは、パートナーの女性をリードする。

「うわあ!おじいちゃんやるわね!」

 キャルは拍手喝采だ。

「…踊ってみる?」

「できるの?!」

 ダンスに誘えば、驚かれた事に少し傷つきつつ、

「五百年前のステップしか知らないけど、あんまり変わってなさそうだし」

 と言えば、キャルの背後に花が咲いた。




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