それぞれの部屋に着いてみれば、準備よろしく使用人が待機しており、かいがいしく世話をしてくれるので、慣れないキャルは広い室内であるのに、所狭しと逃げ回っていた。 「いいってば!一人で出来るから!」 湯浴みをさせてくれるのはありがたいが、体くらい自分で洗えるのに、髪を洗うのも体を拭くのも全部、使用人がやると言うのだ。 お風呂に入りたくないわけではない。そこはキャルだって女の子。身ぎれいにするのは大好きだ。 しかし、それとこれとは話が別で、人にお世話をされてお風呂に入るなど、それはとんでもなく恥ずかしい。 だって、まるで何も出来ない赤ん坊みたいではないか。 「いけません!大人しくなさって下さいまし、お嬢様!」 「お嬢様じゃないもの!王族でも貴族でもないから一般人だもん!」 「王様のお客様でいらっしゃる以上、お一人でご入浴するのはなりません!」 こんな調子で、部屋中をどたばた走り回っている。 様子を見に来たセインの背後に逃げ込んで、がっしりとしがみ付くものだから、見かねたセインが、どうやら本日のキャル付けの世話人に選ばれたらしい、少々ふくよかな女性に苦笑して見せた。 「すみません、僕ら、本当に貴族や王族の、そういう習慣には慣れていないのです。申し訳ありませんが、入浴だけは彼女の好きにさせてやって頂けませんか?これで時間が無くなっては、貴女もお仕事にならないと思いますし」 たしかに、逃げ回るキャルを追いかけて、彼女は既に汗だくだ。それに、彼女の仕事の時間が押し迫っているのも事実だった。 「・・・分かりましたわ。では、お洋服をご用意させていただくのは構いませんわね?」 どうしたって世話をしなければ、彼女の仕事にならないらしい。 しかし、そう言った彼女の頬が、心なしか赤いのは、キャルを追いかけて走りまわったからだけではなさそうだ。実際、渋々といった体で承諾はしてくれたものの、視線はちらちらとセインを追いかけている。 「ありがとうございます」 にこりと微笑んでやれば、ぼん、と音が出そうなくらいに顔を真っ赤にして、 「では、後ほど失礼いたします」 と言い置いて、パタパタと部屋を出ていった。 「ありがとセイン。やっとゆっくりできるわ」 「どういたしまして」 セインがくすくすと笑いながら、部屋を見渡すと、備え付けられた大きな衝立の裏にバスタブが運ばれて、お湯が準備されていた。 腕まくりをすると、慣れたように樽の中のお湯をバスタブに移し、湯の加減をみる。 「うん。ちょうど良いかな」 一人納得して頷くと、くるりとキャルに振り返った。 「キャル、こっちであったまって、体洗って。で、こっちのお湯で石鹸を落としてくれればいから。タオルはあるの?」 バスタブと、残り湯の入った大きな桶とを指して、入浴の仕方を説明する。 室内で入浴なぞ、普通経験しないものだが、湯船など個人の家に無かったころは、大衆浴場に行くか、こうして大きな桶やバスタブなどに湯を張って入浴したものだ。 その習慣が、まだ王侯貴族には残っているらしい。 「お風呂に入るのはいいけど、セインは何してるのよ?」 キャルが不思議そうにセインを睨む。 「僕もお風呂に入れって言われたから、実は逃げてきたの」 あはは、と笑った。 げし! 「痛った!」 足を踏まれて、セインが飛び上がる。 「あたし、不潔な男は嫌いよ!」 「ちょ、待ってよ。僕だって不潔なのはイヤだよ」 「じゃあ、何で逃げて来てんのよ!?」 「決まってるじゃないか、キャルが逃げ回っていたのと同じ理由だよ!」 「・・・あら」 なるほど、それは逃げる。 「ひどいよ!」 「わ、悪かったわね。でも、セインなら、さっきみたいにうまく口車に乗せて追い出せるのじゃないの?」 涙目で足を押さえて抗議するセインに、キャルは気まずくなりながら、入浴の準備を始める。 「口車って、事実を言っただけなのにひどいなあ。それに、相手が男だったんだよ。男が男に入浴を手伝ってもらうなんて!あり得ないし!力技で風呂桶に放り込もうとするんだもの。さすがに逃げるよ、僕だって」 キャルがぽかんと口を開けた。 「あんた、結構大変ね・・・」 哀れむような視線を向けられて、セインも必要以上にしょぼくれた。 「改めて言われると、うう。凹む」 がっくりと肩を落とした。 「とにかく、キャルはお風呂に入っちゃいなよ」 がさごそと、キャルの鞄を開けて、セインがキャルの着替えやらタオルやらを用意し出すと、キャルはキャルで、ぽいぽいと汚れた服を脱ぎ出す。 「じゃ!遠慮なく!」 セインが背中を向けているのを良いことに、とっとと服を脱ぎ散らかして、どぼんと湯船に浸かった。 「んーっ!生きかえるわ!!」 実に嬉しそうな声を上げる。 「いっそのこと、セインも入っちゃう?」 「えー?だって僕が入っちゃったら、たぶんキャルの分のお湯が無くなるよ?それに狭いし」 たしかに、今キャルが入っている湯船は、子供用のもので、長身のセインには小さすぎるだろう。 そんな会話をしていると、こんこん、とノックの音が響いた。 「失礼いたします。お着替えをお持ちしました」 先ほどの使用人とは違い、丁寧ながら迫力のある声だ。 「どうぞ」 キャルが促すと、声の主はあのふくよかな彼女ではなく、細身の年配の女性だった。 どうやら手ごわい相手と見込んだらしい。 最初の女性と交替したのだろう。柔らかい物腰とは裏腹に、もの言わせぬ迫力がある年配の新しい世話人は、手にボルドー色のドレスと、それから様々な小物を持ったほかの侍女三名を従えて、ぞろりと入室した。 「ご入浴はお済みですか?」 にっこりと微笑まれる。 「もう少し待っていただける?」 キャルもにっこりと微笑む。 「かしこまりました。では、お着替えの準備をさせていただきます」 少し、彼女の口元がひきつっていたのは、見間違いではなさそうだ。 侍女たちに指示を出しながら、彼女はくるりとセインを振り向いた。 「セイン様でよろしいですわね?」 「ええ。セインは僕です」 名を訪ねられ、頷くと、彼女も頷いた。 「あなた様の部屋付きの者が、探していますわ」 それは、部屋に戻れ、ということだ。 「・・・あー、分かりました」 「よろしくお願いします」 さらににっこりと微笑まれ、セインはキャルの鞄をさっと整理して、パタンと閉めると、重い腰を持ち上げた。 「じゃあ、キャル。僕部屋に戻るから」 衝立の向こうで、ばしゃばしゃと風呂を堪能しているキャルに呼びかけると、 「がんばってねー!」 気楽な声が返ってきた。 「・・・君もね?」 「まかしといて!」 何を任せればいいのかは、とりあえず聞かないでおくことにして、セインは侍女たちに小さく頭を下げてキャルの部屋を出ると、気のせいか、重たい足を引きずりながら、自分にあてがわれた部屋へと赴いた。 そこで、やはり待ちかまえていた侍従といろいろ格闘し、やっと一人で風呂に入る権利を得たのは、持ち込まれた湯がずいぶんと温くなってからのことだった。 しばらくして、二人ともガンダルフが用意した正装に身を包み、ぐったりとうなだれながらラオセナルの部屋で、テーブルの上に突っ伏していた。 「うう、なんなのこれ」 「疲れたー」 ぼやく二人の目の前に、ことりことりと、紅茶のカップが並べられる。 「ハーブティーを、侍女の方に淹れていただきました。スッキリすると思いますよ」 顔を上げると、ラオセナルの笑顔があった。 「うう、ラオー」 「おじいちゃーん」 二人にすり寄られて、ラオセナルが慌てて体勢を整える。 「危ないですよ?」 大きな大人と小さな子供の二人分の体重を支え、ラオセナルは椅子に座ったまま、飲みにくそうにティーカップを傾けた。 「どうして身分が高い人たちっていうのは、自分でやればできる事も、自分でやらないのかしら」 「ふむ。それは、やってしまうと使用人の仕事が無くなってしまうからでしょうなあ」 ちょっと考えてから、ラオセナルがキャルの疑問に答えを出すと、セインが疲れた顔を張り付けたまま、頭を斜めにして呟いた。 「あー、それはなんとなく分かる気がする…」 「駄目よセイン、そこで折れちゃ!」 「ええー、だって…」 かつてはセインも貴族のうちの一人だった。 思いっきり落ちぶれてはいたけれど、一応、使用人も屋敷にいたので、彼らの仕事はそれなりに理解している。 「まあ、あの当時はここまで何でもかんでもやってもらうって事は無かったような気がするけどねえ」 風呂上りに体を拭くのも、着替えでボタンを掛けるのも、ズボンを穿くのも、靴を履くのまで、何から何まで彼らは世話をしようとする。そのたびに、セインもキャルも逃げ回ったのだった。 「下着はなんとか自分で着れたけどお…」 セインはラオセナルの背中に突っ伏した。 「あとは捕まっちゃって…」 それ以上は言葉にならなかったらしい。 ラオセナルにしがみついたまま、ぷるぷると震えている。 「セインの髪、今までになく艶々だもんね」 「…君もね。キャル。物凄いおめかししちゃったね。綺麗だよ」 「セインもね。凄く王族とか貴族っぽいわよ。どこの王子様ですかって感じだわ」 お互いに、気力も抑揚もなく褒めちぎるのだが、果たしてそれが本当に褒めているのかどうかは謎だ。 セインは色素の薄い髪の色に合うようにと、男性用の白い髪飾りを着けられ、何やら複雑に編み込まれてしまっている。これは流石に侍女の一人がやってくれたらしいが、着ている白い正装は、侍従に三人がかりで捕まった挙句、無理やり着せられた。 キャルは、先ほど用意されていたボルドー色のふんわりとしたドレスだが、ウェストをぎゅうぎゅうに絞られていて、なかなかに苦しそうだ。髪は、金髪をアップにして花と羽で作った髪飾りで飾られ、良く似合っている。 「お二人とも、良くお似合いですよ」 そう言って、にこりと微笑むラオセナルはと言えば、黒に近い濃紺色の正装を身にまとい、白い手袋 を嵌め、キャル曰く。 それはそれは、 「格好良い」 のである。 「キャルー、ラオばっか褒めてないで、僕はどうなのさ?」 「何よ。さっき言ったとおりよ」 「あれって、褒めてないよね?」 「あら、わかっちゃった?」 「ひーどーいー」 涙目のセインだった。 「もう、さ。僕ら出席なんかしなくても良いんじゃない?」 「そういうわけにもいきません。お分かりでしょうに」 「うう。やだなあ」 分かっていながら、あんな目にあった後は、気の合う三人でゆっくりとこうしていたい。 一つ大きな溜息を吐くと、セインは椅子に座りなおして、ラオセナルが用意させたお茶を口にした。 晩餐会に出ない代わりに、舞踏会には出席しろというのは、国王ガンダルフU世直々のお達しである。 あまり、そういう身分だなんだのと気にしない一同ではあったが、一国の王が出席しろというからには、それなりの理由がある。理由があるなら、それをまず述べよ、と言いたいところだが、ここで本当に欠席でもして、王の面目をつぶすわけにはいかないだろう。 話によれば、各国からの使者も集まっているのだという。 それだけ、セインロズドという名の聖剣は、影響力が大きいのだ。 復活したという話を、信じようが信じまいが、実在したのかどうかも分からずとも。こうしてこの国が、王自ら復活祭を執り行い、多数の国々の使者が、噂話の審議を確かめに、あるいは別の目的を達成しようと暗躍するために、こぞって押し寄せて来るくらいには。 |
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