ともかくこれで、ギャンガルドへの貸しが一つ出来たと思えば、どうでもいいことだ。

 返してもらうつもりもないが、あの男の事である。いくらでも貸しは作っておいて損は無い。

「あ奴らに会いに行くつもりなら、今日は城に泊まるがいい」

 にこにこと、ガンダルフが胡散臭い笑顔をまき散らすので、キャルはじっと半眼で国王を睨んだ。

「何かあるでしょ?」
「ふむ?まあ、迷惑をかけたからな。侘びと思えば良い」
「侘び、ねえ?」

 にこにこと笑顔を崩さないガンダルフを、キャルもセインもジッと睨むが、この国王がそれくらいでびくともするわけはなく。

「僕に用事があるなら、あとで要件を聞くよ。それで良いだろう?」

 セインが頭を掻きながら提案すると、ガンダルフは満足そうに頷いた。

「そうしてもらえると、助かるね」
「…わかった」

 ガンダルフとセインだけで話をまとめると、キャルが眉を吊り上げた。

「ちょっと!勝手に決めないでよ。わたしはこんなとこに長居するつもりはないのだけど?!」

 すると、セインはくるりとキャルに向き直る。

「ねえキャル。お詫びに城へ泊れっていうんだから、ご馳走いっぱい食べられるよ?」
「ご、ご馳走?」

 ぴくりとキャルの鼻が動いた。

 セインは大きく頷く。

「この際だからさ、食べたい物の何でも頼みなよ。それに、お礼っていうのだから、新しい洋服も新調してもらえばいいじゃない?」
「新しいお洋服…」

 キャルはぶつぶつと何か独り言をつぶやくと、ぽんと手を叩いた。

「分かった。泊まるわ!」

 彼女の眼はきらきらと輝いていた。

「でも条件があるわ」

 最高の笑顔で、びしりと指を一本突き立てる。

「ご馳走と新しいお洋服はもちろんだけど、クレイの鞍と、あと、旅支度がしたいわね。保存食とお薬をいくらかと、通行証!」 

 ハンターパスは一般的な通行証の役目も担うので、キャルには通行証などというモノは必要が無い。しかしここで国王に頼むという事は、一般的なモノにはないそれなりの特権付きの通行証を寄こせという事か。

「ふむ。それはあれか。フリーパスの通行証という事かな?」
「それは素敵ね。そうしてくれるならありがたいけど、セインの通行証が欲しいのよね」

 一般の通行証は、関所や国境を超える際に必要となる、出身地や身分などを保証したもので、遠方への移動の許可が下りている事を指し示す、旅行にはかかせないものだ。

 しかし、セインは元々が戸籍などというものを持たないため、通行証の発行は難しい。

 そこで、ついでだから国王の権限で作ってしまえ、ということだ。

 ついでに、交通費も無料になる特別な通行証であれば、それはそれで、持っていて悪いという事は無い。

「今までこの国の中しか旅行できなかったけれど、通行証が貰えたら行動範囲を広げられるもの」

 それは、彼らの探し物を見つけるためには、必要不可欠な事である。

 キャルだけなら、だいたいの身分証明証の代わりにもなるハンターパスを持っていれば、適当に国境越えは出来るが、セインはそういうわけにもいかない。

「そんなものなくったって、必要な時だけセインロズドになればいいと思うんだけど?」

 のほん、とセインが言えば、キャルに手の甲を抓られた。

「抜き身の剣を持って歩けっていうの?」
「痛い痛い痛いごめんなさい!」

 さらに力を込められて、悲鳴をあげそうになったが、それは手を取り返すことで持ちこたえる。

 抓られて真っ赤になった甲を、セインはふうふうと息を吹きかけて冷やしにかかったが、かけた息が既にしみる。

「うう。内出血してそう」

 涙目で呟けば、二の腕も抓まれた。

 今度は悲鳴が上がった。

「仲が良いのは良い事だが、あまり虐めるのは虐待とい言うんだぞ?」
「あら。違うわ。これは躾よ」

 不憫に思ったらしいガンダルフに、キャルはにっこりと、『児童虐待で捕まった母親が良く言うセリフ』を口にした。


「僕、もう躾られるような年齢じゃないんだから、止めて欲しいんですけどね…」

 八百年を超える齢を重ねた聖剣が、泣きながらそんな事をぽつりと言った。

「ふむ。通行証か。分かった。すぐに用意させよう。あとは、」
「わたしとセインの新しい服と、お薬と保存食!」
「それも、今日中に町の服屋と雑貨屋を呼んでやろう。好きにするが良い」
「やった!」

 涙目のセインを置いて、交渉は成功したらしい。

「まあ、そういう事で、今夜はこちらにお世話になるよ。良いかい?」

 セインがラオセナルに訊ねれば、老紳士は頷いて、気遣うように微笑んでくれる。

「承知いたしました。それでは、私もここに泊まりましょう」
「え?ラオももいてくれるの?」

 思わぬ申し出は心強いが、彼には屋敷がある。

「ご心配はいりません。我が家には優秀な執事がおりますからな」

 言われてみればそうだった。

 城に泊まるつもりなぞ更々なかったセインとキャルは、オズワルドの家に泊まるつもりもなく、初めはホテルを取るつもりでいた。しかし、オズワルド家に到着した時点で、あの執事は彼らの宿泊準備を終えてしまっていた。

 掃除はもちろん、ベッドメイクから食事の準備まで手配されてしまえば、嫌とも言えず。

 主人であるラオセナルが、セインとキャルが王都へ戻って来る事を知り、楽しみにしていた事もあり、二人が到着する日を計算に入れ、しっかりと準備していたというのだから、オズワルド家執事アルフォードの敏腕っぷりは目を見張るものがある。

「あー、君の屋敷の使用人たちには、悪いことしちゃったな。せっかく準備を整えてくれていたのに」
「いいえ。セイン様は何も気になさらなくて良いのですよ。メイドの心のこもった掃除の行き届いた部屋が無駄になろうと、料理長が張り切って昨夜から作っている料理が無駄になろうと。悪いのはすべて国王陛下ですから」

 にっこりと、セインを気遣いながら、ガンダルフ王へと微笑んだラオセナルだったが、その声は刺を持ってしっかりと怒っていた。

「う。じゃ、じゃあ、明日!明日は僕ら、オズワルドにお世話になるよ!ねえ?キャル?」
「うんうん!そうね!楽しみだわ!」

 慌てて急遽予定を変更するセインとキャルだった。

「おや。だから、おふた方は気になさらなくても良いのですよ。この借りは国王陛下にきっちりと払って頂きますから」
「いやいや。それはそれでやってもらって構わないけど、僕らちゃんとアルにも挨拶出来なかったし、屋敷のみんなにはお世話になっているのに、このまま別れて旅に出るのはちょっとね」
「そうね。わたしも、メイド長のお話好きよ。また聞きたいわ」

 あくまで、責任はガンダルフに取らせるつもりらしい。

 普通なら、国王がこうして一貴族の使用人の苦労を台無しにしようが、咎められることなどあり得ないのだが、この三人にはそんな常識は通用しない。

 人類は、皆平等に怒られる時は怒られるべきなのだ。

「予はそんなに悪者か?」
「そういう問題じゃありません」

 きっぱりと、ラオセナルに突き放されたガンダルフは、気にしてはいない顔をして、肩を竦めてみせた。

「誰か在る!」

 そのまま側仕えの補佐官を呼びつけると、三人をそれぞれの部屋へ案内するように言いつける。

 それは客人として扱うと申し出たのはガンダルフなのだから良いのだが、軍人らしくかっちりとした物腰の補佐官に促され、キャルとラオセナルと共に執務室を退室しようとするセインに向け、口の端を吊り上げた。
 
 所謂、人の悪い笑み、というものだ。

「今夜は舞踏会がある。晩餐会には出ずとも、そちらには出てもらうぞ」

 それだけ言い置いて、今度はいつもの人懐こい笑みを見せる。

 セインは一瞬、眉を寄せて不機嫌を隠さなかったが、了承の視線だけを国王に向けて、そのまま部屋を出ていった。

 室内に独り残ったガンダルフ王は、実に楽しそうに、手元のカップに残された残りのコーヒーを飲み干す。

 冷めてはいたものの、仄かな甘みと苦みが絶妙で、独特の良い香りも相まって、王は満足げに頷いたのだった。




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