ガイドブックを片手に適当に街中を歩き回り、適当な安宿を見つけ、ようやく落ち着いたのは太陽が傾いて、窓の向こうからオレンジ色の光を投げつけるような時間だった。

「うー、疲れた」

 風呂にも入って一息ついたところで、ベッドの上にどっかりと手足を伸ばして寝転がり、キャルは宿屋の食堂でもらったクッキーを、ぽりぽりと行儀悪く食べる。

 あれだけ昼間に騒ぎがあったというのに、頭の中に浮かんでくるのは、ギラギラしい聖堂にぽつりとあった、あの古ぼけた鉄屑みたいな黒い聖剣のことばかりだ。

 別に抜きたいわけではない。

 世界を支配したいわけでもないし、大金持ちになるような権力も、人々に敬われるような智恵が欲しいわけでもなく。

 そもそも、力なんてものは、生きていくのに必要な分だけあればいい。

 なのに何故こんなにあの聖剣が気になって仕方がないのか、キャルにも分からなかった。

「あの、頭の悪そうな連中のせいよ」

 剣を引き抜こうと躍起になっていた、聖堂に並ぶ人々。

 色々な人物が集まっていたが、男女構わず剣に群がる様は、正直気味が悪かった。

 その誰も彼もが、あの剣を手にしたら、何がしかの英知や力を得られると、本気で思っているのだ。

「頭が悪いことこの上ないわ」

 自分はそんな大人になんかなりたくない、そう思う。

 趣味の悪い、やたらに煌びやかな聖堂に、古臭い剣が一本あるだけではないか。

 たとえあの剣が、持ち主に多大なる力を与えるのだとしても、あれでは使い方も何もあったものではない。

 見世物にされて、ただそこにあるだけの。

 キャルにはどうしても、あの剣が、聖剣と呼ばれるその名に相応しく、大事に扱われているようには思えなかった。

 世にその名を轟かせ、小さな子供からお年寄りまで、この国の人々が聖剣・大賢者セインロズドの名を知っているのではなかったか?かの剣の名に心ときめかせ、夢見た事なら、誰にでもあるはずだ。

「・・・・・ええい!気になる!」

 ベッドの上に勢い良く起き上がると、いそいそと身支度を始めた。

「こうなったら、もう一度見に行けば良いのよ。そうしたら、気もおさまるわよ、きっと!夜になったらあの行列だってなくなっているはず!」

 結論付けると、真夜中になるのを待って、宿を出た。




 なんだろう?

 何かが聞こえる。


 彼は意識を浮上させた。


 長いこと眠っていたはずなのに。

 眠っていなければいけないのに。


 ふと見下ろせば、小さな少女。

 金色のふわふわの髪が、夕日に映える綿雲のように綺麗だと思った。


「あんたって、本当に、かわいそうね」

 ぽつりと少女が呟いた。

 かわいそう?

 誰が?


「僕が?」




 案の定、キャルが聖堂に着いた頃には、行列はさすがになくなっていて、酔っ払いが何か叫びながらフラフラと道を歩いているだけだった。

 それでも足音を偲ばせて、そうっと聖堂に入った。

 門が閉ざされることもなく、開けっ放しなのには驚いたが。

「まあ、誰にも引き抜けないんじゃ、盗みようがないものね」

 良く見れば門も何も、扉さえなかった。

 少々呆れながら、聖剣の突き刺さるあの岩に歩み寄る。

 別に悪いことをしているわけでもないのに、ドキドキするのはなぜだろう?

 昼間はあんなに派手だった聖堂も、今は月の優しく青白い光に照らされて、荘厳な雰囲気をかもし出している。

 月明かりを透かして、あのステンドグラスからは、淡い綺麗な色彩が床にこぼれ、壁に備えつけられた繊細な灯篭からは、ほのかに暖かな光が灯っていた。

 それらの浮世離れした光の中に、あの岩が、黒々と浮き上がる。

 聖剣は、かすかに光を反射して、弱々しく突き立っていた。

 その姿の、なんと寂しいことか。

 こんなにも細々と頼りない、錆び付いた鉄の棒に、日が昇れば人々は群がるのだ。

 キャルは聖剣と呼ばれるそれに、ゆっくりと近づいた。

「なんで、こんなところに突き立ってるのかとか」

 岩に足を掛ける。

「鞘も無くて、抜き身のままで」

 手を掛け、体を引き上げ、登る。

「何十年、何百年も、こんなところに」

 三度も同じ動作を繰り返せば、すぐに剣の元に辿り着けた。

「それでも、誰もあんたを気遣ってなんか、くれやしなかったのかしらね?」

 近くに来てみれば、その黒々とした刃の、欠けたところまでが良く分かってしまって、剣と呼んでいいのかどうかさえ怪しい様に、キャルは何となく溜め息を吐いた。

 伝説の聖剣とはいえ、誰も彼もが己の野望を叶える道具としか見ていない。一振りの、錆び付いて古惚けてしまった剣であるのにもかかわらず。

 この、聖剣と呼ばれるモノは、それを知っているのだろうか。

 このまま朽ちて、岩の一部に成り果てるのをただ待って、そこにあるだけの様に。

 気の遠くなるような、長すぎる時間をただひたすらに。

 ただ。

 そう。

 ただ、静かに佇んでいるのだ。

「あんたって、本当に、かわいそうね」

 ポツリと呟きが漏れ、無意識に、いつの間にか手を伸ばしていた。

 柄に指先がわずかに触れた瞬間。

 眩い輝きが、一瞬キャルを包んだ。

 とっさに庇った目を、恐るおそる開いてみる。

「・・・え?」

 伸ばした自分の手には、一本の剣が握られていた。

「えええ?」

 何がなんだか分からない。

「へええっ!?」

 足元には、あの錆びれた剣が刺さっていたはずの跡が、深々とした空洞をこちらに向けていた。

 と、いうことは。

「ちょ、ちょっと待って」

 キャルは、岩に穿たれた穴と、手にした剣とを、交互にせわしなく見比べた。

 剣のあった場所に、あるはずの剣がない。すなわち今手にしているこの剣が、すっぽ抜けた剣と考えるのが普通だ。

 しかし。

 キャルの手に握られた剣は、聖堂に掲げられた明かりを鋭利な刃線にきらめかせ、綺麗な刃身を惜しげもなく晒している。

 シンプルだが高度な彫刻が施された柄の先には、透度の高いアメジストが納まっていた。

 今しがた、生まれたばかりのような、冴えざえと、露をはらんだこの静かな美しさは、あの、岩に突き刺さっていた、黒く錆び付いて、刃先も欠け、鉄の棒と言ってもおかしくない、古びたボロボロの剣とは似ても似つかないのである。

「何が、どうなってるのよ・・・?」

 混乱するばかりだが、状況から見て、どう考えてもこの綺麗な剣が、この足元の穴に、今まで刺さっていた、あの剣だと考えるのが自然だ。

「さ、さすが聖剣だけあって、おかしなことも普通に起こるってわけ?」

 口元が引きつっているのが自分でも分かる。

「落ち着け、落ち着け、落ち着くのよキャロット・ガルム」

 冷や汗が頬を伝うのを無視して、何度か深呼吸をしてみれば、いくらか頭も平静に戻ってくる。

 つまりは。

 聖剣を、抜いてしまった。

 誰が?

 自分が。

 手にした美しい剣は、紛れもなく聖剣・大賢者セインロズドなのだ。

 冷静になってみれば、その事実にごくりと唾を飲み込んだ。

「何やってるの?」

「ぎゃあ!!!」

 いきなり後ろからかけられた声に、自分でも聞いた事がない、ひどい悲鳴を上げてしまった。

 とにかく反動も手伝って、そのまま剣を、思わず元の場所に突き立てた。

 すると、先ほどまでの美しさが嘘のように消え去り、一瞬のうちに元の、汚らしい黒い姿に戻ってしまっていた。

 呆気に取られていたところで、もう一度、声をかけられた。

「ねえ?君、誰?」

 振り向けば、眼鏡を掛けた、細身で長身の、ひょろりとした男が立っていた。

「な、何?」

「いや?こんな遅くに、女の子が一人で危ないなあって思ったから」

 とぼけた愛嬌のある笑顔で言われれば、力が抜けそうになる。

 どうやら、聖剣をキャルが抜いてしまったことには気が付いていないらしい。

 すぐ後ろにいて見ていないというのもどうかと思ったが、とにかくキャルは安心して、溜め息をついた。

 しかし、動揺したとはいえ、こんな超の付きそうな素人に、背後を取られてしまったのは、自分でもちょっとショックだ。

 落ち着いて、爪先から頭の天辺まで男を観察してみれば、このとぼけた男は、どう見ても剣士、という出で立ちでも体格でもなく、剣といった物とは縁が遠いように見える。

 それでもまあ、目の前にあるのは聖剣というシロモノで。

 こいつも、権力やら何やらが欲しくて、こんなところにいるのかもしれない。

「人に名前を聞くときは、まず自分から名乗るものよ?」

 両手を腰に当て、はるか上方にある彼の顔を睨み付けた。

「あ。ごめんなさい」

 自分よりも、全くもって随分と年上だろうに、素直に頭を下げる様に、キャルは気が緩んでしまう。

「僕はセイン。よろしく」

「はいはい、よろしくね」

 差し出された手を握り返す。

「私はキャロットよ。キャロット・ガルム。キャルでいいわ」

 名乗れば相手があんまり嬉しそうに微笑むので、キャルもつられて笑う。

 セインと名乗った彼の、色素が薄く不思議な色合いの瞳が思ったよりも綺麗で、その眼が細められて笑みを形作る様は、見ていて気持ちがいい。

 瞳の色と同じく、不思議な雰囲気の人物だ。

「この気の抜けた顔がいけないんだわ」

「え?」

「いえ、こっちの話」

 わざと咳払いをして誤魔化す。

 握手した手を放すと、セインはキャルの顔を覗きこんだ。

「な、何よ?」

「最初の質問に答えてもらってないなーと思って」

 にっこりと、また微笑んだ。

 なんて危機感のない笑い方をするのかと、マジマジと見つめ返してしまう。

「キャル?」

「あ?ああ、何してるのかって?」

 不審そうに首を傾げられて、慌てて理由を考える。

「そうね。伝説の聖剣が見つかったって聞いたから、観光で来たのよ」

「こんな時間に?」

「だって、昼間はとても込み合っていたもの。夜ならゆっくりできるかと思って」

 そう言うキャルを、セインは顎に手を当てながら、考えるようにジッと見つめてくる。

 自分のような子供が、明け方近いこんな丑三つ時にうろついているのは、一般常識から考えてもおかしすぎる。しかし、他に言い訳が見つからない。

 実際、昼間よりは夜中の方がゆっくり出来ると思ったのは、本当なのだから、これでも嘘はついていないはずだ。

「ふうん?」

 セインはそう言ったきり、黙ってしまった。

「・・・あ、あなたはどうなのよ?」

 沈黙に耐え切れずに、キャルが切り出した。

「僕?」

「他に誰がいるのよ」

 自分を指差すセインに、キャルは半目で言い返す。

 セインは嬉しそうに、にこにこと笑う。

「僕はね、長いこと此処に居たんだけど、君みたいな子は初めてだなあと思って、様子を見に来たんだ」

「・・・要点がつかめないんだけど?」

 長いこと居た、ということは、管理人か何かだろうか。

「えーっと、どう説明したらいいかな・・・」

 少し考えた後、セインはぽん、と手を叩いた。

「そうだね、君と一緒かな?夜はうるさくないだろうから、ゆっくりできるし、現状を把握できるし・・・」

「現状って?」

「ああ、こいつの」

 ぽんぽん、と、セインは剣を軽く叩く。

 やっぱり管理人なのだろうか。

「・・・あなた、この剣のことに詳しいの?」

 管理人であれば、色々話が聞けるかもしれない。

「そうだね、大体のことは知っているよ」

「・・・学者さん?」

 大体を知っているというのなら、セインロズドの歴史を研究しているのかもしれない。

「・・・ちょっと違うかなあ?」

 首を傾げられてしまった。

「じゃあ、ここの管理でもしているの?」

「似たようなものかな?けど、正確にはここ、じゃなくて、こいつの、になるけど」

 そう言って、また剣を叩く。

 反動で折れやしないかと、キャルは気が気ではなかったが、剣は幸いピクリともせず、元の場所に突き立っていてくれた。まあ、昼間あれだけ引っぱられて何ともないのだから、見た目よりもはるかに丈夫なのだろう。

 とにかく、彼は“聖堂”ではなく、“聖剣”の管理人らしい。

 キャルは結論付ける。

 話し方といい、整っているくせに気が抜けてしまうような容姿の、この男。

「ねえ、じゃあ、この剣の話、聞かせてくれる?」

「そんなに興味があるの?」

 わくわくして尋ねれば、また不思議そうな表情で尋ね返された。

「結構、ある方かな?って言っても、興味を持ったのは、今日の昼間に、この鉄の棒を見てからだけど」

「へえ?この剣が持つっていう色々な力とかは興味ないの?」

 また、にっこりと微笑まれる。

「んー、あんまりないわね。だって、私まだ子供だし、大人になっても権力とかいらないって思うし。そうね、毎日きちんとご飯を食べられて、暖かい寝床で眠れて、ちょっとお洒落が出来れば、それでいいと思うもの」

「でも、それって結構大変なことだよ?」

 きょとん、と、しゃがんだままセインはキャルに問いかける。

 その仕草に、馬鹿にされたような気がして、キャルはふんぞり返ってみせた。

 まだ八歳とはいえども、これでも一人で世の中渡っているのだ。

「知ってるわ」

「それでも?」

「必要以上に何かを得ても、邪魔なだけよ」

「面白いね」

 セインと名乗った男は、今度はふわりと微笑んだ。






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