ギャンガルドとキャルの攻防に、口出ししないで一点を見つめているかと思いきや。 隣にいるキャルに聞こえるか聞こえないかの小さな声だったとはいえ、なんてことをこの場で呟くのか。 「あ、あんたね、もうちょっと時と場合を考えられないの?!」 「だからこうして小声で話してるんじゃないか!」 なにやら急に後ろを向いて、壁に向かってごそごそしだした二人だ。 「んだよ?なんかあったのか?」 「「ちょっと黙ってなさい」」 二人同時に一喝されて、少々黙ってみることにする。 「キャプテン、ほんとに子供みてえっすよ」 「んー、でもなあ。ブラッディローズと大賢者、同時に振り向かれて黙れと言われたら、黙るしかないだろう」 「そりゃそうっすけどね」 あくまでのほほんとしている自分の船長に、ラゾワは首をすくめる。 「で!ギャンガルド!」 「んあ!?」 急に名前を呼ばれて驚く。 「僕らをこの部屋に連れて来たって、どういうことなのかさっさと教えてくれないかな?!」 胸倉を掴まれんばかりの迫力に気圧されて、数歩後退した。 「ああ、それならもう気付いてんだろ?壁だよ」 「やっぱり!」 青銅の皿の上のシーツは、蝙蝠を追い払ったときほどの勢いはないものの、セインの持つランタンと飛石とで、ちろちろと壁の文字を浮き上がらせていた。 この部屋の壁にも、例に漏れず壁画が描かれている。 あの闘技場の通路と違って、居住区らしい場所に入ってから、通路の壁に壁画が描かれていたのだが、この部屋のものはなんとなく雰囲気が違う。 絵は変わらず、この国の人々の日常を描いていたが、文字がまるで殴り書きでもされたかのような書き方だった。 「俺もさあ、不思議には思ったんだ。他の部屋は押しても引いても開かないってえのに、この部屋だけ、誘い込むように扉が開きっぱなしだったんだからな」 ではこれは、この部屋の住人が最後に書き残した文字だとでも言うのだろうか。 「古代文字だろ?それ。俺は読めねえんだ。大賢者を連れてきたほうが早いかと思ってな」 その割にはずいぶん勿体つけたものだ。 痛む肩に負担がかからないように壁にもたれ、セインは殴り書きの文字にランタンをかざす。 文字は壁画の上にまで書かれており、やはり住人が書き残したものであるらしい。 「・・・・・」 がっくりと、セインがうなだれた。 「な、何よどうしたの?また違ったの?」 「んー、ほら、ここの国、攻め滅ぼされたって言っただろ?それが、滅ぼされる前にシェルターを作ったんだよ、避難用にね。それがこの地下だったみたいだね」 「そ、そんなことが書かれてるわけ?」 「いや、内容的にはこう」 『このシェルターに辿り着いたなら、再び逃げよ。ここは知られた。約束の地で会おう』 「なにそれ?」 「だから、暫くは隠れて暮らしていられたんだろうさ。暇つぶしに闘技場を見物しに行くくらいはね。でも限界がある。植物は日の当たるところでなければ育たないし、家畜の世話だって大変だったろうさ。おそらくそれらは地上でひっそり行っていたんじゃないかな。それが、敵国に見つかってしまって、ここまで攻めてこられた」 それで、書き置きをして逃げたのだ。 「でも約束の地って?」 「落ち合う場所を決めていたんじゃないかな。国が滅んでも、民族は生き残るわけだから」 セインはこの、「約束の地」という部分だけを読み、探し物が見つかったかと思ってしまったのだ。 「へえ?やっぱこんな古代文字でも読めるんだ」 いつの間にか、真後ろにギャンガルドが立っていた。 「古代文字っつっても、いろんな文体があるんだな。こんな殴り書きの、ミミズがのたくったようなのでも、あんたにゃ読めるんだな?」 妙に感心するギャンガルドに、セインは変に危機を感じた。 「・・・君、やっぱりうさん臭いよ?」 セインが肩を押さえたまま見上げた。 「うん?そうか?そりゃ、俺がうさん臭いことを考えてるからじゃねえか?」 セインが手を合わせようと肩から手を離したときだった。 その手をギャンガルドにがっしりと掴まれて、剣を出すのを阻まれる。 そのまま器用にくるくると細い鎖で両手を縛られ、瞬く間に担がれてしまった。 「ちょ、何!?」 「へへ、頂いてくぜ。なんならお嬢ちゃんもついて来いや」 あっさりと、長身のセインを軽々と肩に乗せて走り去るギャンガルドに、キャルもラゾワもあっけにとられて一瞬の間、身動きが取れなかった。 「セ、セイン!?」 慌ててキャルは銃を構える。 ドドン! 「はっはっは!当たらねえよ!」 ムカつく声が聞こえたが、実際ランタンも持たずに逃げ去るギャンガルドは、暗闇にまぎれてしまってよく見えない。 「ちょっと!ラゾワ!これってどういうことよ!」 隣で突っ立っていたラゾワの服の裾を引っぱって、無理やり屈ませた。 「お、俺だってわかんねえよ!ってえか、俺置いてけぼり?!」 手下まで置いていって、逃げてしまうなど、なんたることか。 キャルは頭に血がどんどん昇っていった。 てっぺんから湯気が出そうだ。 「追うわよ!これ持って!」 ぽい、と自分のカバンをラゾワに放り投げ、飛石を呼び寄せて、物凄い勢いでギャンガルドの後を追いかけた。 「あんたよくあんなのの手下やってられるわね!」 「面目ねえ」 眉を吊り上げて走るキャルは鬼気迫って怖いものがあった。 それに比べてラゾワは、もう情けないやら、何やらで、泣きそうだった。 「お、結構いいケツしてんじゃねえか」 「・・・男の尻触って楽しい?」 追ってくる二人とは逆に、なんとものんきな会話である。 「なんでこんなことしたのさ!」 担がれて両手を括られ、抵抗らしい抵抗といえば足をばたつかせるくらいだが、屈強の海男には全く効果が上がらず、揺れるせいで痛む肩をかばうことも出来ず、セインは声だけでも張り上げてみる。 「いやあ、実はお前さんに頼みたいことがあってな?」 「頼み事だったらこんなことをする必要がないだろう!?」 「だって追われてみたほうが楽しくないか?」 「・・・・・・・・・・・・・君って、君って奴は!!!!」 怒りのあまり、このまま剣に姿を変えてやろうかと思う。 そうしたら刃でさっくりといくこと間違いなしだ。切れ味には自信があるし。 「・・・今物騒なこと考えただろ?」 「・・・よく分かったね?」 振動でどんどんずれていく眼鏡を、何とか直して前を見る。 担がれているから、セインの前方は今走って来た方向になり、飛石の青い光でキャルが追ってきているのがわかった。 もうすぐ射程距離に入る。 さすがに大人一人担いでの逃走は、足が鈍るらしい。 「追いつかれるのは時間の問題じゃないのかな?」 ちょっと、カマをかけてみる。 「んー、いいんじゃねえか?」 「キャルにどんな目に合わされるか、僕知らないよ?」 「あー、ゴールデンブラッディローズだからなあ。・・・うーん」 急に悩みだしたギャンガルドに、セインは思わず溜め息が出た。 「・・・今更後悔しても遅いんだけど?」 一応、年がら年中海の上にいるこの男の耳にも、キャルの二つ名はよく入っているらしい。 狙った賞金首は逃がさない。 相手も自分も、たとえ血だらけになっても必ず仕留める金の髪の悪魔。 それで、いつの間にか付いた二つ名が、ゴールデンブラッディローズ。 「君はもう、今日の出来事だけで狙うに値するだろうから、標的にされるよきっと」 「妙なところで脅されても」 「あんまり知られてないことだけど、殺しはしないからその点は安心出来るよ?」 「妙なところで慰められても」 セインはきっと自分も殴られるだろうから、溜め息をつきつき、元凶のギャンガルドに出来るだけ精神的なお返しを試みる。 「お、見えてきた」 ギャンガルドの声に、無理やり後ろを見てみると。 進行方向に薄青い光が見えた。 「あれ、出口?」 「そ。俺が入って来たな」 光に向かって、ギャンガルドはどんどん突き進む。 ぱぱん! という音が、今度はキャルのほうから発せられ、音と共に光が跳ぶのが見えた。 チュイン! 近くの岩に、弾が掠った音が、耳元で弾けた。 キャルの威嚇射撃だ。 「キャル!」 呼びかけてみると、遠くから声が返ってくる。 「セイン!無事?」 「僕なら大丈夫だから!」 担がれながらで説得力に欠けるが、とりあえず無事を伝えたい。 「もう追いついて来たのか」 ギャンガルドが奥を振り返る。 「きゃぷてーん」 間抜けな声に、ギャンガルドは転びそうになった。 「ああ?!」 ラゾワが手を振っている。 「そういや君、ラゾワを置き去りにしたっけね」 「あー、ちょっとどうしようかと思ったんだけどなあ」 そもそも、ラゾワを探しにここへ来たのだろうに。ちょっとどうしようかと思った、とは何事か。 本人が聞いたら、さぞかし嘆くことだろう。 「ま、いいか」 「え?」 軽く、ウキウキと楽しそうにギャンガルドが呟いたかと思えば。 ふっと、振動がなくなって、変わりに下から圧迫感が迫る。 「ひえええ?」 実は担がれたまま落下していた。 一方、目の前に見えていた影が、不意に消えたことにキャルは焦りの声を上げていた。 「きゃあ!消えた!」 「どういうこった?」 急いで駆け寄ったが、足元が崩れる感触に反射的に後ろへ飛びのいた。 「な、何だ?」 キャルの後ろにいたラゾワに、どんとぶつかってしまったが、キャルはそれどころではない。 飛石に照らし出させると、足元に大きな穴が開いていた。 「反射神経いいな、嬢ちゃん」 中を覗くと、ギャンガルドが依然、セインを抱えたままこちらを見上げていた。 「返しなさいよ!セイン!」 「キャル!」 声をかけると一生懸命こちらを振り向こうとしているのが見えて、ほっと息をつく。 肩の傷は一度剣になったために、思ったほど酷くはないのだろうか、まだ大丈夫なようだ。 「今行くわ!」 高さはそれほどではない。飛石を使わなくても降りられそうだ。 「俺、どうしよう?」 前方の出口らしき光と、キャルの顔を交互に見て、ラゾワがうろたえる。 「あんたは好きにしなさいよ。でもカバンは返して!」 キャルから彼女のカバンをひったくるようにとられる。 「あ、嬢ちゃん!」 止める暇もなく、キャルの小さな体は穴の中に吸い込まれてしまう。 下を見れば、着地してすぐに立ち上がったキャルが、鉄砲玉みたいに走り出したところだった。 飛石の光もなくなって、ランタンがあるとはいえ、急に暗くなったように感じた。 「あー、とにかく、援護だ援護!」 ラゾワは出口に向かって走り出す。 「でも、どっちの援護だ?」 立場的に言えば明らかにギャンガルドの援護を呼ぶのが当たり前なのだが、ラゾワはどちらとも決められずに、とにかく船へ一旦戻ることだけを考えた。 |
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