まさか海賊たちだって、自分たちの船のある港に逃げ込むとは思わないだろう。それに、港町というものは大概入り組んでいる。うまくすれば、どこかで彼らを撒いてしまえるかもしれない。
「港に着いたらどうするの?」
「小さな漁船でもボートでも、とにかく何でもいいわ!借りるなり乗せてもらうなり、ついでだから闇夜に紛れてエルグランド島へ向かうわ!」
「わかった!」
 二人は走った。
 とにかく走った。
 時にはくねくねと曲がる路地を行き、右に曲がり、左に曲がる。
 気が付けば、海賊たちの怒号も罵声も、聞こえなくなっていた。
「ま、撒いたかな?」
「さあね。分からないわ。でもとにかく、何とか港には着けたみたいね」
 ぜいぜいと、息を整えながら、二人は港にある倉庫街の一角で、身を潜めて、港の様子を窺った。
 ざっと見ただけではすべてを把握しきれないが、昼間に来たときの記憶と照らし合わせれば、だいたいどこに何があるのかは心得ていた。
 彼らから見て右の沖合に、巨大な帆船が、黒い水面に、更に黒い影を落としている。
「あれが海賊船よね。よかった。島とは反対のほうだわ」
「エルグランド島って、あっちの?」
 海賊船とは対極に、左側に月の光を浴びて、ほの青く、海に浮かぶ小さな丘のような島が見えた。
「好都合だわ。こちらから回って、小さなボートか何か、探しましょ」
 そう言って、キャルが倉庫の壁に挟まれた細い路地へ向かった時だった。
「きゃあああああ!」
「キ、キャル!」
 ばさばさと、大きな網の中に捕まって、キャルが空中に吊り上げられたのだ。
「何よこれ魚臭い生臭い!」
「・・・キャル?」
 そんな状況でも手足をバタバタさせて、まったく危機感のない様子に、セインは眼鏡をずり落とした。
「臭くってすまねえなあ、お嬢ちゃん。何せ俺らが漁をするときに使う網なもんで」
 倉庫の屋根から、男が顔を出した。
「あ、あんた昼間の!」
 見覚えのある顔に、キャルは目を吊り上げた。
 間違いなく、セインに絡んでいた髭面の男だった。
「お嬢ちゃんくらい頭が回るガキなら、仲間を振り切るくらい、わけがないだろうと思ってね」
 男の眼に、昼間は見ることが出来なかった危険な光が宿る。
「おっと、動くなよ?お嬢ちゃんが心配なら船まで来るこったな。俺たちの目的はあんただ。眼鏡の兄ちゃん」
 手を合わせようとしたセインに、男はそう告げると、怒鳴り続けるキャルを引き上げて軽々と担ぎ、さっさと屋根の向こうに消えてしまった。
「くそっ」
 セインは踵を返し、キャルが落としたカバンを拾い上げると、海賊船へ向けて走り出した。

「・・・ちょっと。女の子にこの扱いは何よ?」
 担がれっぱなしであちこちが痛いのに、やっと降ろされたと思ったら、それでも網にかけられっぱなしで、キャルは先程から機嫌が悪い。
 ぐるりと目線をめぐらせれば、窓からはすぐに海が見える。板張りの室内には、ごろごろと雑多なものが置かれていた。
 何の部屋かといえば、余ったからいらないものを置いている部屋、という表現が一番合いそうだ。
「迂闊だわ。私としたことが、あんなヘボいオヤジに連れ去られるなんて」
 おまけに残してきたセインはいろいろな意味で軟弱で、正直心配だ。
「アレで何百年も生きているっていうんだから、きっと生きすぎてボケちゃったのよ」
 ぼそりと、セインに八つ当たりしてみる。

 初めて彼に出会ったとき、何の変哲もない古びた剣が、ボロボロのまま岩に突き刺さっているのを、かわいそうだと思った。
 岩の周りはきらびやかな聖堂の壁で囲われて、聖堂の周りには、かの剣を引き抜かんと、頭の悪そうな力自慢ばかりが集まって。
 剣はボロボロのまま、静かに、ただそこにあった。
 一体どれ程の時を、この岩に刺さったまま、剣はここにあったのか。

 なぜ封印などされて。

 対の筈の鞘もなく、抜き身のまま。

 聖堂の外の力自慢どもは、こんなことを考える自分のことなど、きっと笑い飛ばすだけだろう。
 ただの少女趣味だと。
 子供の戯言と。
 そうして誰も、この剣自身のことなど、考えもしないのだ。

 かわいそう

 そう思って、何も考えずにただ伸ばした自分の指先が触れた瞬間。

 気の遠くなるような時間、そこにただ、あっただけの剣が。

 今打ち出されたばかりのような、眩い刀身となって。

 キャルの手に握られていた。

「それがあんな大ボケだったなんて」
「誰だい?その大ボケってのは」
 ぬうっと、部屋に入ってきたのは、自分を連れ去ったあの男とは別の男だった。
「ノックもしないの?しつけがなっていないわね」
 キャルは男のつま先から頭のてっぺんまでを、じとりと観察した。
 他の海賊たちが腰に挿している短剣と違い、装飾が少々過剰な長剣を下げている。
 彫が深くて男らしく精悍で、日と潮に焼かれた肌は浅黒く、健康的で若々しくさえある。
 どこかの誰かさんとは、ずいぶんな違いだ。
「小さいとはいえ、レディに失礼だったかな?」
「だったら、この状態をなんとかしてもらえない?」
「これは、申し訳ない」
 明らかに、今までのムサイ海賊たちとは違う男の様子に、賢い彼女の頭は、大体の見当が付いた。
「貴方が船長?」
 網を外す手際の良い男の手先を見ながら、キャルは考え込んだ。
 どこかで見たことがあるような。
「!よく分かったな。俺がこの船の持ち主だ」
 心なしか、男の顔は嬉しそうだ。
「貴方、私の連れが目的だそうだけど」
「ああ。お嬢さんを使っておびき寄せてみようかと思ってね」
 まるで漁でもしているような言い草に、キャルはムッとする。
「無駄よ。私なんかエサにしたって。こう見えて、会ってまだたったの三ヶ月よ?肉親ならともかく、赤の他人だもの」
 虚勢を張ってみる。
 だが、それはあっさりとかわされてしまった。
「三ヶ月も一緒に赤の他人と旅を?そのほうがよっぽどだと思うがね」
 最後に彼女の髪にからまっていた網をほどいて、男はにやりと笑った。
「あんたの連れ。聖剣だろ。大賢者・セインロズド?」
 キャルは驚いて、大きな眼を更に見開いた。
「ビンゴだ」
 その様子に、男はくつくつと笑った。
「何でそう思うの?」
 今までセインに剣を出させても、あんな取り出し方をするものだから、手品師くらいには思われても、彼が聖剣であると気が付いた者などいなかった。
 大賢者・セインロズドが引き抜かれた噂は耳にすれど、彼の正体を見破られたことなどなかったのだ。
「こんな、私みたいな子供が、聖剣を引き抜けるとでも?」
「聖なる剣なんだろ?だったら、大人だけが引き抜けるとは限らない」
 キャルは血の気が引いていくのを感じた。
 セインがあの聖剣だと知れてしまったら、大変なことになる。
 彼が封印されていた聖堂の周りに集まっていた、頭の悪そうな大人たち。
 私利私欲に目がくらんだ権力者や、力を欲する馬鹿者どもが、よってたかって彼を我が物にしようとするだろう。
 そうなったらセインはどうなる?
 自分は?
 キャルはゾッとした。
「あいつが聖剣?変な特技はあるけど、れっきとした人にしか、私には見えないわ。それとも剣が人に化けるとでも?」
「大賢者・セインロズド。どれ程の業物であろうが、単なる剣に賢者の称号が何故与えられたのか。それを考えたら、剣の正体が人間だって不思議じゃねえ。案外、頭の切れる凄い剣の使い手に、そんな二つ名がついただけなのかもしれないしな」
 おどけてそんなことを言って見せ、次の瞬間にはにやりと笑う。
「それでも・・・世の中結構摩訶不思議なモンなんだぜ?」
 今まで見てきた大人たちとは違う。
 キャルの本能が警戒信号を発していた。
 だが、男はお構い無しに、キャルの頭をわしわしと撫でる。
「海賊なんてものやってるからな。いろんなモンを見てきたのさ。おかげで御伽噺までガラにもなく信じてしまえる」
「・・・じゃあ、エルグランド島は?何か見た?」
 キャルは身を乗り出させた。この男は色々な意味で警戒の必要がありそうだが、御伽噺まで信じられるというのなら、何か手掛かりに繋がる情報を持っているかもしれない。
「何だ?あの島に用なのか?」
 キャルの勢いに、男は気圧される。
「そうよ!伝説が残るあの島で、何か見た?!」
「残念だな。俺もここにはあんまり来ないんでな」
「そう・・・」
 がっくりと、キャルは肩を落とした。
「何だ、傷つくな」
 顔を覗きこまれたが、キャルはフイと、そっぽを向いて見せた。
「別にいいわよ、貴方が傷ついたって私には関係がないもの」
「そりゃあ、まあそうだ」
 男は冷たいキャルのその反応に、肩を小さくしてみせた。
「・・・あの島、何かあるのか?」
「さあ?楽園に続く道だか扉だかがあるっていう伝説があるだけよ」
「その割にはご熱心だな?」
「だから何?私が何にご執心だろうと、あんたに関係の無いことだわ」
 男との会話に、キャルは段々腹が立ってきた。
 先程から床の上に座りっぱなしで足が冷たくなってきているのも原因かもしれない。
 相手も床に座りっぱなしとはいえ、最初からニヤニヤと、どこか嬉しそうなところがシャクに触る。
 今の状況を、楽しんでいるのだ。この男は。
「キャプテン!例のヤツが来ましたぜ!」
 またもやノックもなしに、今度は頭の禿げた、初めて見る顔がドアから出てきた。
「レディの前だ。ノックくらいしろ」
「あ、はい!すいやせん!」
 禿げた男はドアを開けたまま、再び甲板の方へ出て行った。
「さあ、ナイトのお出ましだ」
 そう言って立ち上がると、いよいよ楽しそうに、男は部屋から出て行ってしまった。
 残されたキャルは、男の最後の台詞に、先ほどまでの不機嫌も忘れて、笑い出しそうだった。
「ナイトって、セインのことよね?ナイト?あいつがナイト?似合わなすぎ!」
 そんな風に自分が笑われているとは露知らず、セインは海賊船の甲板上で、複数の男たちと対峙していた。



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