第二章

「キャル、キャル」
 呼ばれて目を開けると、遠くにあのでかい鳥が見える。
「セイン?」
「驚かせてごめん。大丈夫?」
 横からの衝撃はセインが自分を抱えながら飛び込んだためのものであることに気付き、キャルはほっとした。
「ここは?」
 白い、朽ちかけの壁と柱。
 丸いドームのような天井。
 何かの建物に飛び込んだのは分かったが、外ではまだあの鳥が、しつこく飛び回っていた。
「ここには近づけないみたいだね」
「そうなの?」
「うん。あわてて飛び込んだけど、この中に入ってから、降りて来ないもの」
 そう言われてみれば、上空を旋回してはいるものの、それだけで、先ほどまでの急降下もなく、しばらくすると諦めたのか遠くへ飛んでいってしまった。
 ほっとしてから、カバンから引っ張り出して地図を広げてみるが、朽ちた建物は用を成さなくなって長いのか、紙面にその姿は見当たらなかった。
「ずいぶん古い建物だものね」
「何に使われていたのかくらい、分からないかしら」
 きょろきょろと見回してみる。
 自分のちょうど真後ろ、建物の中心に、小さな柱が立っていた。
 柱の上には、ちょこん、と丸い石が鎮座している。
「と、届かない」
「取りたいの?」
「触りたいの」
 背伸びをするキャルの両脇に手を入れて、セインが彼女を持ち上げてやる。
「セインって、こういう時便利よね。ムカつくけど」
「なんでそこでムカつくかなあ」
「背の高い人間に知る権利はないわ」
 キャルはそっと、石を触ってみる。
「何の石かしら?」
「見たことがないね」
 青く輝くそれは、水晶でもなく、サファイヤでもなく。
 とりあえず、何の石なのか分からないのでセインに体を降ろしてもらう。
「ここにこうしてあるんだから、多分この位置から動かしちゃ駄目よね」
「多分ね」
 しばらく石と睨めっこしていたが、目の前にあろうが頭の上にあろうが、分からないものは分からなかった。
「仕方ないわ。ほかに何かないか探しましょう」
 キャルは考えるのをやめて、また建物の中をきょろきょろと観察する。
 お世辞にも大きいとはいえないこの建物に、あのロック鳥が近づけないというのなら、必ず何かがあるはずだ。
「あ」
 セインが声を上げた。
「どうしてあたしじゃなくて、セインが見つけるのかしらね」
 ぼそりとつぶやいてみたが、仕方がないのでセインの側へ行ってみる。
 崩れた壁の中に、正三角形のプレートが埋まっていて、セインがそれを掘り出した所だった。
「読める?」
「何とか。古代文字だね。ええと・・・」
 こびり付いた埃や壁の屑なんかを丁寧に払いながら、セインが文字を指でなぞってゆく。
「えっと・・・聖なる道しるべを示すものなり。聖者、この地に降り立つを望む、尊き光が・・・ええと?」
「それ以外は?」
「分からないな。崩れちゃってる」
「それにしても尊き光って何よ。わけが分からないわ」
 両手を腰に当て、ふん、とキャルが鼻で息を吐き出した。
「でも聖なる道を示すってあるよ?」
「その聖なる道ってどこへ続く道なのよ」
「僕に聞かれても」
 ボカ
「・・・痛い」
 殴られて落としそうになったプレートを、セインはなんとか持ち直して頭をさする。
 キャルの側ではなるべくしゃがんだりしないようにしよう、そう思いながら、もう一度、何か読めないかと、プレートの汚れを拭いてみる。
 ぐううう
 キャルがお腹を押さえた。
「セイン、お腹すいた」
 まだプレートを眺めているセインに、キャルはタカの包んでくれた弁当を要求した。
「ああ、もうお昼だもんね。走り回って疲れたしね」
 セインはキャルのカバンの中から包んでもらった弁当を取り出すと、腰に下げてあった水筒を取り出した。
 余ったスープを、タカが気を利かせて持たせてくれたものだった。
 早速弁当を広げると、冷めているというのに、ぷん、と良い香りが鼻をくすぐった。
「やっぱりおいしそう!」
 中身を覗いて、キャルは喜んだ。
 揚げた肉をタレに漬け込んだものを、野菜と一緒に挟んだサンドイッチに、ロールキャベツ、焼き海老にピリッとしたソースを絡めたものや、魚の肉をぶつ切りにしてカブに詰めてふかしたものなど、豊富な内容に、見ているだけでよだれが出そうだった。
「忙しいのに良くこんなに作ってくれたなあ」
 そのどれもが、朝食の皿にはなかったもので、二人のためだけに作ってくれたものだと容易に知ることが出来た。
 二人はタカを褒め称えて、感謝しながら弁当を食べた。
 どの料理もおいしくて、全部食べてしまうのが惜しいくらいだった。
「さて、どうしよう?」
 お腹が膨れたところで、セインはキャルにプレートを差し出した。
「さっきのプレートじゃない。何かあった?」
「うん、このプレート、対になってる部分があるらしいんだ。それを探してみようかと思って」
 一見、端々が風化して削られているために、三角形に割れて崩れているように見えるが、実際は欠けてもいないようだ。なのに、文章が途中で途切れている。
 ならそれは。
「もう一枚あるってこと?・・・そうね。外へ出たところでまたあの馬鹿鳥に襲われでもしたらたまらないから、移動は日が暮れてからにしたいし」
 キャルは考え込んだ。
 慣れない土地だ。
 島とはいえ、本当なら明るいうちに移動するなら移動してしまいたい。だが、あの鳥が邪魔をするから、どちらにしろ移動は薄暗くなってからになる。
「でもこの小さな建物には、あの青い丸い石と、このプレートしかないし。・・・わかったわ。手がかりがありそうなら、それを探してみるしかないわね」
 そう決めると、キャルはもう一度、プレートがあった場所を、丹念に調べ始める。
 セインも、他に何かないかと、柱や壁を調べ始めた。
 数時間が経過して、二人とも程よく衣服が真っ白になった頃。
「ああ、もうだめ」
 キャルが根を上げると、セインも続いて床に座り込んだ。
「見つからないね」
「・・・建物の外壁にあるのかしら」
「探したよ。けど外はきれいさっぱり壁だったよ」
「よくあの鳥が来なかったわね」
「だって建物から離れなかったし」
「あ、そう」
 内にも外にも、プレートは一枚しか見つからず、出てくるのは何がしかの絵と壁の屑だけだった。
「数枚の絵から察するに。ここは祭壇だったようだね」
「でも、肝心の何を奉っていたかが分からないわ」
 見つかった、多分壁画であったのだろう数枚の絵は、この建物と思われる白い祭壇に、人々が供物をささげている絵であったり、何かの儀式か、仮面を付けて踊っている絵だったりで、肝心の神様の絵がなかった。
「つっかれたー」
 小さな空間とはいえ、壁やら天井やら、くまなくチェックするとなると、かなりの労力が必要だった。気がつけば太陽はもう島の山の中に姿を隠そうとしていた。
「あーあ。とりあえずボートまで戻る?」
「待って、くたびれちゃって。ちょっとだけ休みましょ」
 日が傾けば、暗くなるのも早い。
 それは知っているが、怪鳥のこともある。もう少し休んでもいいように思えた。

 キラ

「あ?」
 目端に、何か輝いたかと思った瞬間、まばゆい光に襲われて、二人とも目を庇った。
 そろりと目を開けると、夕日が山の頂上に、ちょうど触れたところだった。
「セイン!ちょっと!」
 キャルがあわててセインを手招く。
 何事かと思えば、あの青い石が、今は白く輝いて、その中に、なにか文字が金色に浮き出ていた。
「これ、プレートの続きだよ!」
「早く読んで!」
 急かされるままに、セインは読み上げた。
「続けて読むと、こうだ。聖なる道しるべを示すものなり。聖者、この地に降り立つを望む、尊き光が彼の者の頭上に触れるとき、そは姿を現し、大鳥をもってこの地の守護とせん。我らに光あれ」
 セインが読み上げると、ぽうっと石は光だし、一筋の光を引いた。
 その光はまっすぐに、陸のほうへと伸びている。
 しばらくすると、ふうっと消えてしまった。
「・・・えっと?」
「これ、単なる石じゃなくて仕掛けがあったんだね」
 複雑に鏡を組んで、山の頂上に太陽が触れるときに文字を浮き上がらせ、山の向こうにある程度太陽が隠れるまで、光を海に向かって放つように作られた、人工のものだったのだ。
「聖なる道しるべっていうのは海の道筋で、聖者っていうのは太陽で、彼の者ってのはあの山で?これを守るためにあの馬鹿鳥を飼ってたってこと?」
「まあ、ロックバードの寿命もあるから、あれは何代目かの鳥だろうけど。町の人たちはこの光とロック鳥のおかげでここを聖域にしてしまったんだろうね。聖域にいる聖なる鳥だから、いつの間にか鳥葬なんて風習が生まれたんだろうし、太古の人々はそんなつもりもなかったんだろうけど」
「そんなことはどうでもいいのよ!つまるところ、この島の伝説やら何やらって、単なるこの灯台の噂ってこと?」
「・・・そうだろうね」
「うっわ骨折り損のくたびれ儲けだわ!」
 キャルは今度こそ、どっかりと座り込んでしまった。
 気が抜けるとはこのことだ。
 太古の人々は、この島と陸とを結ぶ船の道しるべを必要とした。それで、この石とお堂を作って一定の時間、光で道しるべを浮き上がらせた。
多分、潮の流れが関係するのだろう。
 昔、ここの界隈は渦を巻くほど流れが速くて危険だったが、大きな地震がやはり昔あって、それから流れが穏やかになったと、町の年寄りの日向ぼっこに付き合ったときに聞いたのを、セインは思い出していた。
 だから、まあ、絵の中にあった、人々が供物を捧げているのはきっと太陽そのものにであって、神を奉るとか、そういったことではないのだ。
「でもキャル」
「何よ」
「単なる灯台って言うけど、さっきの光景はきれいだったじゃない?」
 夕暮れの光の中を、金色に輝く一筋の光が貫く様は、幻想的だった。
「まあね。あれを船上から見た人が、天に上る階段を見たとか言ったんでしょうね」
「うん。本当に天に続いてそうだったもんね」
「・・・まあね」
 それに、この丸い石の技術はすばらしいものがある。
 どうやったらこんなものができるのか。
「これ、高く売れるかしら」
 キャルが物騒なことを言い出した。
「・・・無駄だと思うよ?一見普通の石にしか見えないし、持って行ったところで、さっきみたいに光るには、角度とか色々計算されて作られているだろうから、この場所でないと無意味だろうし」
「・・・やっぱり?」
 キャルはがっくりと肩を落とした。
 最終的にはおいしいものも食べられて楽しかったとはいえ、誘拐されてみたりなんだりと、あれだけ苦労してここまで来たのに、見つけたものが単なる凝りに凝った灯台だったでは、先ほどの景色だけでは物足りないようだった。
「とにかく、一回ボートに帰ろうか?それともここで一晩泊まって行く?」
 気が付けば辺りはすっかり夕闇が押し迫ってきており、東の空には一番星が瞬いていた。



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