「ボートに帰っても、屋根なんかないんだから、ちょっとの壁と屋根があるだけこのお堂のほうがマシだわ。ここで寝ましょ?」
 とはいうものの、とりあえず火は焚いておきたい。
「まあ、火事にはならないと思うけど」
 ロックバードも姿を見せなくなってはいるが、二人はそれでも、建物にすぐ駆け込める距離で薪を集めた。
「足りるかな?」
「大丈夫じゃない?これだけあれば」
 お堂の周辺だけでは木の枝は思ったより見つからず、茎の太いススキや萱なんかが混じってしまった。
「なんか心もとないなあ」
 火を入れてみれば当然、枝よりも早く燃え尽きてしまう。
「松明用に枝を一本残しておいて、もし足りなくなったら拾いに行けば?」
「・・・誰が?」
「セインが」
「・・・・・」
 さらりと酷いことを言うキャルに、セインはそっと眼鏡を押し上げて涙を拭いた。
「何よ、あたしは成長期なんだからね?!何百年も前に成長が止まってうすらぼーっとなったセインより睡眠とらなきゃいけないんだからね!」
「こんな時だけ成長期を主張されても」
 ぶつくさと言いながら、それでもセインはキャルのために寝床を用意する。
 とはいっても、彼女のカバンに入る程度の膝掛けしか今はなく、セインは自分の上着を、枯れ草を敷いた床の上に広げてやる。
 それをベッドにして、さらにカバンを枕代わりにキャルが寝息をたて始めると、大きな手の平を、膝掛けの中に体を押し込めて眠る彼女の体に、そっと置いてやった。小さな体は、セインの手の平でも十分にお腹を隠してしまえる。
 これで少しは、セインの体温で温まってくれるだろう。
「おっと、いけない、いけない」
 火が小さくなり始め、セインは薪と萱を炎にくべると、キャルの提案どおりに、取っておいた松明代わりの枝を手にとって、新しい薪を探しに行こうと腰を上げた。
 ぐらりと、くすんだ白壁に、自分の影が移りこむ。
 二つの焔に照らされて、巨大に蠢く己の姿に、苦笑が零れる。
 化け物と呼ばれ、自ら数多の命をその手にかけ、全身を血で濡らし。
 そうして結局、何が守れたのか。
 守れたものなど、あったのだろうか。

 化け物。

 大賢者などと。
 化け物のほうが自分にはふさわしい。
 今となっては遥か昔のこととはいえ、罪は消えることはない。
 この蠢く影そのものが、己の本当の姿なのかもしれないと、セインは自嘲した。
「ウ・・・ン・・・。セインのばあか」
 もそもそと、固い床で寝苦しいのか、キャルが寝返りを打った。
「キャル?」
 金の睫毛は伏せられたまま。
 あどけない少女は、また心地よい寝息をたて始める。
 賞金稼ぎのこの子供は、いつからこんな生活をしていたのか。

 食べていくためにやっているだけよ

 そんなことを、彼女はいつだったか口にした。
「僕なんかより、君のほうが大変そうなのに」
 小さな身体で両手いっぱいセインを包み込んでくれるこの少女に、セインは敬意を込めて、額にキスを贈る。
 たった八歳で自立して、大人の賞金首を相手に大立ち回りを繰り広げる彼女の過去を、セインはまだ知らないでいる。
 彼女もセインの過去を、すべて知っているわけではない。
 それでも、セインは彼女から、たくさんの大切なものをもらった。
 眠っていた五百年。いや、封印する前の出来事全部ひっくるめても、彼女と出会った三ヶ月の間に、手に入れたものはとても大切で。
 セインは、キャルを起こさないように気をつけながら立ち上がった。
「あれ?」
 セインの手にした松明は、背の高い彼が立ち上がると、ちょうど中央の、あの丸い石を照らす形となった。
 セインは明かりがキャルの顔にかからないように自身の体で影をつくり、そうっと石に近づいてみる。
「?」
 どういった作りになっているのか。
 石の中には、昼間に見たものとは違うものが映し出されていた。
 丸い輪の中に、細かな文字が、まるで模様の様にびっしりと書き付けられている。
「これも、古代文字みたいだけど・・・」
 どこから読んだものか。セインは文字の羅列を指で追ってゆく。
 コー…ン
「・・・え?」
 ガゴン
 ゴンゴンゴン
 ゴゴン
 急に、足元から何か甲高い音がしたかと思えば、その音は徐々に重みを増して大きくなってゆく。
「んー?何?」
 目を擦りながら体を起こしたキャルに、セインはしまったというような顔をして、それからひどく情けない声を出した。
「キャル〜、ごめんね?僕またなんか余計なことをしたみたい」
「は?」
 寝ぼけ半分で、セインに近づきながら、キャルはぼんやりする頭を振って、状況を把握しようと室内を見回した。
 ガ ゴ…ンンンンン
「へ?」
 妙な音に嫌な予感を覚えてみれば。
「きゃああああああああ!」
 床がすっぽりと消えた。
「あああ、ごめんよキャルう」
「い、いいい、いいから何とかしなさいよ!」
 落下しながら出る涙は、やっぱり上へ飛んでいくんだなあと妙な感想を抱きつつ、セインは両手を合わせて剣を取り出すと、壁を蹴ってすぐ隣を落ちるキャルを捕まえ、そのまま向かい側の壁へ剣を突き刺す。
 ガリガリと壁をいくらか削り、二人の体はなんとか停止した。
 剣を出す際に手放した松明が、落ちて消えるのを眺めながら、ほっと胸を撫で下ろす。
「何やってるのよセイン!」
「ご、ごめん」
 手足をバタバタさせるキャルに、セインは彼女の腰を抱える腕に力を込めた。
「キャル?」
「なによ!」
「あんまり暴れると落っこちちゃいそうナンデスケド」
 キャルは体を強張らせて大人しくなる。
 セインの額に流れる汗は嘘ではないだろうから、暴れて手を離されたらたまらない。
「・・・?」
「どうしたの?」
「セインの顔が見えるわ」
「・・・えっと?」
 一瞬自分の顔を見るのが嫌なのかと思ってしまったが、よく考えれば松明を落としてしまって灯がないはずの今、そういえば自分もキャルの顔が見える。
「これのせいかな?」
 顔を上げてみれば、あの丸石が、ふわふわと漂いながら光を放っていた。
「・・・飛んでるわね」
「うん。・・・飛んでるね」
 本当に、一体どういう作りをしているのやら。
 キャルが手を伸ばすと、ふわりと自分から近づいてくる。
「あ、もしかして」
「へ?」
 ぽつりと言うと、セインが急にキャルの体から腕を離してしまった。
「ちょ!ちょっとセイン!」
 落ちる!
 そう思って思い切り叫んだ。
 が。
「大丈夫だよキャル」
 変わらない位置から間の抜けた声。
「・・・?」
 恐るおそる振り向けば、セインが剣にぶら下がったままニコニコしていた。
「落ちてない?」
「うん。これ、多分飛石じゃないかな」
 ごいん
 ぶら下がったまま考えるような素振りを見せるセインに、石と一緒に浮きながら、キャルは力一杯げんこつをくれてやった。
「相変わらずニブイ音だわね」
「痛いよキャル何するの!」
「うっさい!こっちは心臓が止まるかと思ったんだからね!」
 何の説明もなくいきなり手を離されてはたまったものではない。
「おまけに、もしかしてって何よもしかしてって!」
 確信もなく手を離したのかこの大ボケ。
 そう言われてセインは改めて気付き。
「ご、ごめんなさい」
 小さくなった。
 とにかく、小さなお堂であった割にはたいそうな仕掛けがてんこ盛りで、キャルはにやりと笑った。
「キャル?」
「ふふふふふ、いい度胸じゃない!このキャロット・ガルム様をこんな目に合わせて、何にも無いなんていったらこの島、ただじゃおかないわよ!」
「キャルが壊れた・・・」
 ごいん
「あたしは正常よ!」
「や、でも」
 殴られた頭をさすりながら、セインは島をただじゃおかないってどうするんだろうかと考えてみる。
「このままじゃどうしようもないから、とにかく下に降りてみましょ?」
 キャルは自分の手にした飛石を、セインにも差し出す。
 セインが石に触れると、彼の体もふわりと浮いた。
 剣を引き抜いてしまうと、石は勝手に下降を始め、ゆっくりと二人を導いた。
 足に地面が触れた感触に、セインは石から手を離す。
 続いて、キャルも地面へたどり着く。
 二人が手を離しても、石はそのまま煌々と辺りを照らし続けている。
「便利だなあ」
「そうね」
 光が届く範囲を見回してみれば、そこは四角にくり抜かれた人口の建造物である事が分かる。
 簡素な壁ではあるが、崩れたそこかしこに、着彩された壁画が残っている。
「上の壁と同じ感じだね」
 歩きながら、とりあえず観察してみる。壁のつくりや壁画の絵柄や色合いなどが、先ほどまでいた、白いお堂に酷似していた。
「やっぱり、神さまなんかを奉ったものではないって事?」
「うん。珍しいな、普通、こういった建造物には人々が奉った物が、何かしら描かれていたりするものなのだけど」
 動物や、それらを狩る人々。
 戦争でもあったのか、戦車に乗って槍を掲げる人。
 そうして人々の暮らしぶりや、はたまた草花まで。
 聖なる者、などという表現があったくらいだから、何がしかの信仰があっていいと思ったのだが、そんなものは一切なく、まして、古代にはありがちな、王、もしくはその眷属、なんて表現も一切無い。
「これは・・・。どんな文明なんだろう」
 神がいない。
 王がいない。
 それではどうやって国を統治していたのか。
 無宗教で、しかも人民だけで国を統治していたのだとしたら、それはとても発達した国家といえる。
 人というのは弱い生き物だ。
 何か縋るものや、責任を押し付けたりできるものがなければ、まとまるのは難しい。
 それは太古の昔より、神であったり国王であったりと、何がしか己らを支配してくれるものを、自然に生んできた。
 それが見当たらないということは、人々がよほど安定した暮らしをしていたということだ。
 そしてもうひとつ考えられることがある。
「貧富の差が無い、食べるにも困らない、そういう暮らしよね、これ」
「そう、だね。貧富の差が無い、ということは、人々が共同して暮らしていたということで、何でも分け隔てなく分かち合っていたんだろう。理想的といえば理想的だけど」
「戦が起きた」
 何がこの国に起きたのか。
 何でも分かち合って共同生活を送り、平和であったからこそ、何の邪魔もなく技術力が向上し、あんな複雑な構造をした灯台まで作り出すことが出来た国家。
「相手の国までは分からないね」
 壁画は途中で削り落ち、傍若無人な犯罪者を消し去ってしまっていた。
「セインでも、聞いたことがないの?」
「・・・僕だって世界のすべてを知っているわけではないからね。自分の国とそれに関わった国のことならいくらか分かるけれど」
 セインのいつもと違う口調に、キャルは彼の顔を見ようと顔を上げたが、キャルの場所からは、彼の長い髪が邪魔をして、その表情はまでは窺うことが出来なかった。
 それでもなんだか、セインが悲しんでいるように見えて。
「セイン?」
 不安になって、彼の名を呼んだ。
「・・・何?」
 振り向いてくれた彼の顔も口調も、既にいつものものと変わらないでいたが。
「・・・ただ、呼んだだけ」
「そう?」
 不思議そうな顔をしたまま、手を差し伸べてくる。
 その手を、キャルはぎゅうっと強く握った。



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