「怖いの?」
「な!馬鹿言ってんじゃないわよ!あたしを誰だと思ってんの?!」
 腕を振り上げて怒るキャルに、セインはハイハイ、と言って、思い切り握った手を、優しく握り返してくれる。
「・・・馬鹿」
 小さくボソリとつぶやく。
 寂しいときは寂しいと、言ってほしいと思うのは、自分が子供だからだろうか。
 だって何を考えているのか分からない。
 彼の背負っているものが大きいものだということくらいしか、キャルには分からない。
 支えになりたいと思っても、自分はあんまり幼いから。
 せめて悲しみくらいは分かってあげたい。
「ねえ、キャル」
「何よ?」
 ポツリとセインが、零れるように呟いた。
「僕は聖なる剣だとか、大賢者だとか、どこをどう間違ってそんな大層な贈り名がついたのか知れないけれど、本当は、ただの大罪人でしかないんだ」
 そう言って、歩みを止めないセインに、キャルは何も言わずについていく。
「ごめんね?いきなり変な事言って」
「別に・・・。あたしだって、全部をセインに話したわけではないし」
 それで、彼の悲しみを分かろうなどと、ずうずうしいのだろうか。
「そうね、我儘すぎね、あたし」
「え?何?」
「ううん、なんでもない」
 暫く、二人は黙々と歩いた。
 飛石に照らし出された壁画はどれも、古びていながら美しく、飽きることはなかった。
「ねえ、セイン」
 突然、キャルの足が止まった。
「どうかした?」
「神さまがいなくて、王様がいなくて、みんなで共同して暮らしてて、貧富の差がなくて・・・・」
「?」
「それって、エルドラド?」
 真剣な眼差しで、壁画を睨みつけている。
「ああ、似てるよね。けど、違うみたいだよ?」
 キャルの様子に少し笑って、ひとつの絵を指す。
「何?それ」
「うん、二人の人がいて、その人たちをもう一人の、つまり第三者が秤で量っているでしょ?」
「うん」
 セインの示した壁画には、天秤を持つ仮面を被った人が描かれ、天秤の左右の皿の上に、それぞれ一人づつ人が乗っていた。手には盾と短剣を握っている。足元には農作物。
「この人たちは自分の土地を争っていたから裁判にかけられたみたいだね」
 背景に描かれたレリーフが、何を争っていたかを物語る。
 おそらく田畑といった土地を争っていたのだろう。
「仲良く暮らしているようで、争いごとはあったっていうこと?」
「そういうことだね。やっぱり、何事も、喧嘩しないで平和的に、っていうのは難しいようだね」
 ある程度具象化された壁画を睨みつけて、キャルは盛大に溜め息をついた。
「なーんだ」
 酷くがっかりした様子に、セインはまた笑った。
「でもキャル、この国がエルドラドだったとしたら、もう滅んでしまっていたことになるから、そんなにがっかりすることはないと思うよ?」
「それはそうだけど、ちょっとは近づけたのかなーって思ったのに」
 ぷっくりと頬を膨らませる。
「ま、なにか手がかりはあるかもね。この国の名前はそのままエルグランドというらしいから、エルドラドにあやかったものかもしれないし」
 国が滅んで、名前が唯一残された島に残った、ということだろうか。
「それにしても、いつになったら出口にたどり着くのかしら」
「あ、それ、今僕も思っていたとこ」
 壁画がいくら美しくて見飽きなくても、さすがに歩き尽くめは疲れる。
「空気の流れからいったら、こっちで合っていると思うんだけど」
 清々しい、とまではいかないが、こういった洞窟にはありがちな、淀んだ空気とは違って、いくらか呼吸がしやすい。
 それに、わずかだが頬に触れる風がある。
 セインはそれが吹いてくる方へ向かって歩いて来たのだが、先ほどから一向に出口が見える気配が無い。
「まさか閉じ込められたなんて事はないわよね?」
「・・・ははは」
 ここが地下である限り、出口が崩落している、なんてこともあり得るので、その可能性も無きにしもあらずなのだが、それを口にしたら間違いなくキャルに一発お見舞いされるので、セインは笑ってごまかした。
「ま、まあ大丈夫だよ、きっと」
「なんでそう言い切れるのよ」
「え!?だってこの遺跡、多分お墓とかとは違うだろうし、お宝なんかをしまっておいているっていう雰囲気でもないし、だったら侵入者を閉じ込める必要が無いわけでしょ?」
 何に使われていたのかまでは分からないが、多分共同の施設か何かだったのだろう。怒られないように慌てて説明する。
「で、でね?僕さっきからイヤ〜な予感がするんだけど・・・」
「何?」
「・・・この方角って、あの岬の方だよね?」
「・・・・」
 二人の足がぴたりと止まる。
「えっとー?」
 キャルが、カバンからがさがさと地図を引っ張り出す。
 いまだにランタンよろしく辺りを照らす飛石に、こいこい、と手招きして呼び寄せる。
「これ、便利よね」
「飛石はいろいろ反応するよ?まあ、ここまで精密で凝ったものは、ぼくも見たことが無いけどね」
 何故か呆れ顔のキャルに、気付いているのかいないのか。
 セインは普通に説明するのだが、こんな石がゴロゴロしていたらしい大昔とは一体なんなのか。
 とりあえずは、それをさらりと無視して、方位磁石で位置確認をしてみる。
「白いお堂があったのってこの辺よね」
 島の中央部分を示す。
「そう。マル付けておいたし」
「で、今の位置は、多分だけど大体ここ」
 地下に潜っているので、地軸に狂いが無ければの話なのだが、小さな指が指し示したのは、島の中心から沖合いへ向けて南東方面。
「・・・・・・・・確実に近づいてるね」
 その先には、例の魂の岬。
「カルド岬のまん前に出るのだけはごめんこうむりたいわね」
 二人とも顔を見合わせて頷き合う。
「でも、空気の流れからいったら、出口はこの先なんだよ」
「別のルートも、引き返す道しかなさそうだし」
 そうなると、また延々歩いて、しかも落ちてきたあの縦穴を登るしかない。
「・・・さっきいろいろ反応するって言ってたけど、この石でもう一度浮かべないの?」
「あー、浮力はあるけど、重力に逆らって人を上昇させるのは無理だろうなあ」
「なんだ。役に立たないじゃない」
「や、すみませんです・・・」
 キロリと睨まれて頭を下げるセインだが、キャルが引き返す気が無いのも分かっていた。
 その気があるのなら、飛石の事が分かった時点で、最初からそのまま竪穴を昇ると言い張っていたはずだ。
「そうね。なら決心も付くってモノよ。ただの凝った灯台ではなかったってことは、やっぱり何かあるんだわ」
 確実にその顔は嬉々としていて、青い空色の瞳は、まさに輝かんばかりだ。
「とにかくここを出ましょ。それからもう一度探索して、この壁画の意味を調べるのよ。なんなら港に戻って、ここの研究してる人がいないか探したっていいわ」
「そんな人はいないと思うよ?」
 意気込み始めたキャルに、釘を刺す。
「何でそんなことが分かるのよ?」
「だって床に積もった埃」
 セインに言われて下を向くと、砂埃で床一面真っ白だった。
 振り返ってみれば、自分達二人の足跡が二つ並んでいるだけで、何か落ちていたりするわけでも何もない。
「ね?研究したりしている人がいれば、足跡くらい残っているはずだよ?」
「じゃあ、私達で調べるしかないわ!」
「そうだねえ」
 やる気満々のキャルに対して、セインはだんだん元気がなくなっていく。
 ごいん
「あイタ!」
 左の脛を抱えて、セインが飛び上がった。
「キャル〜?」
「涙眼で抗議したって聞かないわ!なんだってそんなにあんたってばヤル気がないわけ?」
 うずくまるセインを、キャルは両腰に手を当てて見下す。
 結局両脛を蹴られ、セインは眼鏡をずらして涙をぬぐう。
 正直本気で痛い。
「うう、やる気がないんじゃなくて、カルド岬に行くのが嫌なだけだよ」
 奉られたばかりで新鮮な死体だったり、すでに白骨化してしまっていればまだいい。
 もし、白骨化しかけ、なんて状態だったりしたらそれはもう。
「あたしだって嫌だわよ・・・」
 キャルの目が泳ぐ。
「我慢するけど、でもやっぱり気が滅入っちゃうじゃないか」
 セインの目も泳ぐ。
「・・・・・」
「・・・・・」
「ま、まあ、近づいてきたら匂いで分かる・・・かな?」
「セイン、それって・・・」
「言わないでよ、僕だって嫌なんだから」
 二人とも、ちょっと胸の辺りを押さえる同じポーズでしゃがみこんだ。
「き、気持ち悪くなるからこの話題はとりあえずやめましょう」
「そだね・・・」
 お互いの顔に青筋が入っているように見えるのはきっと気のせいではないだろう。
「とにかく、さっさと抜け出すわよ!」
 気合を入れるように拳を握って立ち上がるキャルにつられて、セインも何とか立ち上がった。
 何となく先程より足取りが重い感があれど、壁画をチェックしながら進んでゆく。
「・・・何にもないっていうのも困ったものだね」
「・・・そうね」
 暫く歩いてみたが壁画があるだけでこれといって何もない。
 相変わらず何のために作られた建造物なのかは至って不明のまま。
「あれ?」
 いいかげん二人とも疲れ始めていたところだった。
 扉がぽつんと出現した。
 狭い通路の中に、木製の扉が浮かび出たのだ。
「壊れかけてるね」
 扉は傾いて、壁との間に隙間が出来ている。
「開けられる?」
 キャルが言うより早く、セインは扉の隙間に手をかけていた。
「せえの!」
 力いっぱい引っぱってみる。
 ばき!
「うわあ!」
 思っていたより朽ちていたのか、扉がすっぽり取れてしまった。
「あ、セイン壊した」
「だだだだだって!」
 握ったドアノブに張り付いた扉ごと、尻餅をついてしまった。
 ドアの残骸の木枠から向こうを覗いてみると、今までの延々続いていた通路とは打って変わって、広いホールのようになっていた。
 天井は半球状になっており、教会の聖堂を思わせる。
「ああー!」
「へ?」
 扉があった向こう側のその空間から、何だか聞き慣れた声がした。



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