「セイン!」
 キャルが切羽詰った悲鳴を上げた。
「そんなに、この眼鏡男が大事なの?」
 ゼルダが、にんまりと笑った。
 今までと違うそれに、キャルは背筋が凍りつくような感覚を覚える。
「大事とか何とか、そういうんじゃないわよ!うまく、言えないけど。とにかくダメなの!」
 キャルにとって、セインが大事かと言われれば、実際のところ、どうなのか分からない。しかし、とにかくセインが側にいないのはダメなのだ。
 不安で落ち着かない。
 普段から身に付けているものが無くなってしまったような、そんな感覚。
「大事でないのなら、私と一緒に、どうして暮らしてくれないの?」
 顔をキャルに向けながら、セインを押さえ込む力は一向に緩む気配がない。
「その笑い方、やめてくれる?」
 目を見開いたまま、口だけは弧を描く、異常で冷たい顔は、屋敷の裏庭で見たものとも、最初に見た愛らしいものとも違う。
「友達って、一緒に暮らさなきゃいけないものではないでしょう?」
「どうして?」
「どうしてって、普通はそうよ?お互いが友達だと思っていれば、それで友達だわ」
「そうかしら?」
 お互いが友達だと感じていて、お互いの気が合って、楽しくおしゃべりできる相手。
 友達とはそういう存在ではないのだろうか?
「お友達って、楽しくおしゃべりできる人のことでしょ?」
「?」
「気が合うなら尚更。楽しさを共有できるのが友達なら、一緒に住んで、一緒に暮らして。そうしたら、毎日楽しくできると思わない?」
 仲の良い人と暮らしている人も、確かにいるが、ゼルダの言っている意味とは、かなりかけ離れているように思える。
「違うわ。一緒にいるのが楽しいことは確かだけれど、それだけが友達だとは思わない」
「どうして?」
「だって、楽しいだけって、変だもの」
 同じ人と、長く付き合っていく上で、ずうっと楽しいなんて事が有り得るのだろうか。
「友達って、そうじゃないと思うわ。お互いの意見も言い合うし、そうしたら、必ず違う考え方が出てくるわ。全く思考が同じなんて人、いるわけがないもの」
 人というものは、十人居れば十通りの考え方があるものだ。考え方の違いは闘争を生み、時には衝突だってするだろう。
「それでも、お互いを認め合って、遠慮なく言い合えるのが、友達だと思う」
 楽しくいたいだけであれば、それは人を雇って話し相手をさせればいい。それなら、楽しくするだけ楽しくさせてくれるだろう。
 しかし、それでは友達とは言えない。
「キャルは、私が嫌い?」
「・・・・嫌いじゃないわ」
 唇を噛み締めて、キャルはゼルダを見つめた。
 どうしたらいい?
 どうしたらセインを助けられる?
 どうしたら、元のゼルダに戻ってくれるのだろうか。
 ちらりと、キャルはゼルダの体にできた無数の引っ掻き傷を見やった。
 薔薇の棘で作られたそれらは、やはり裂けているだけで、血のにじんだ跡さえない。
 彼女を元に戻す。
 それは、自分の思っているよりも、不可能に近いのかもしれない。
「ねえ、ゼルダ」
「なあに?」
「あなた、痛くはないの?」
「何のこと?」
 ことりと、ゼルダは首を傾げる。
「あなたのその傷よ」
 彼女に銃口を向けたまま、セインの腕を貫くナイフを握るゼルダの細く白い腕を、キャルは示す。
「その引っ掻き傷。薔薇の棘で作ったのでしょう?」
 そう言われて、初めて気がついたかのように、ゼルダは自分の腕を見た。
 引っ掻いたような綺麗な傷と、そのすぐ下には、セインの流す大量の血とが見える。
「なあに?」
 セインの顔を、ゼルダが見つめた。
「・・・・え?」
 初めて、キャルではなく、セインを見た彼女の顔は、驚いたような、怯えたような。
「この、赤いものは何?」
「・・・・あ、赤いものって・・・」
 ぐり、と、ゼルダの腕に、さらに力がこもった。
「ぐ、うっ・・・!」
「こんなもの、知らない!気持ち悪い!」
 セインは、既に力の入らなくなってしまった右腕を、左腕で支えて押し戻しながら、バタバタと溢れ落ちる己の血を、顔に浴びなければならなかった。
「バケモノ!」
「ひ、酷いなあ」
 笑ってみたいが、実際は口元が引きつっただけだった。
 ドン!
 ゼルダの動きが止まる。
 キャルが、ゼルダの足元に一発打ち込んだのだ。
 もうそろそろ弾を込めたいところだが、銃弾の入ったカバンはセインの側だ。
「赤い血が、恐いの?」
 キャルの言葉に、ゼルダはセインから視線を外し、キャルへと戻した。
「血・・・?」
「そうよ。血よ」
 生きていれば、体中に流れていなければならない、命の根源。
「知らない」
「ゼルダ?」
「血なんて、知らないわ。それは何?」
「!」
 血を知らないなんて、有り得るのだろうか。キャルは、ごくりとつばを飲んだ。
「血は、血よ?生きていれば必ず体内に流れているものよ」
「どういう事?」
 ゼルダの瞳に、動揺が浮かぶ。
「セインの腕から流れているのは、血よ」
「見たことなんてないわ。こんなのが体から出てくるなんて、この人、バケモノなんでしょう?殺さなきゃ!」
「確かに、セインは薄らボケなわりに、バケモノなんて言われそうな特技があるけど、彼はバケモノじゃないわ」
「特技って。しかも薄らボケって・・・」
 痛みよりも、キャルの台詞に泣きそうなセインだ。
「あなた、怪我したこと、ないの?」
「怪我?」
「そうよ。たとえば、今のあなたの腕にある、その引っ掻き傷」
 ゼルダは、自分の腕を見る。
 白い肌に、彫刻刀で削ったような傷跡が、たくさんできている。
「これが、どうしたっていうの?」
「痛くないの?」
「痛い?」
「そうよ。ちりちりしたり、ずきずきしたり。嫌な感触はないの?」
「どうして?これくらいの裂け目なら、ピーターがすぐになおしてくれるわ」
 傷ではなく裂け目。痛みもなく、血の出ない体。
「そこの機械メイドと、同じって訳ね・・・」
 違うのは見た目。
 メイドたちは、服を剥いでしまえば、人形の体が現れる。比べて、ゼルダは全く普通の、生きている人間と変わりがない。
 それは、一緒に風呂に入ったときに見ている。
「ピーターに、聞いてみるのが早いかもね」
 ゼルダの下から、セインが乾いた笑いを漏らす。
 先程よりもゼルダのセインに対する集中力が欠けているのか、セインに幾分余裕が出てきた。
 それでも、彼女を突き放すほどまでには行かないが。
 切っ先は、まだ眼前にあるままで、跳ね除けようにもゼルダの力は相変わらずだ。
 セインロズドはまだ手元にある。
 しかし、それでゼルダを傷つけるわけにはいかない。
 目線だけ彷徨わせてみれば、自分の右側に、キャルのカバンを見つけた。
「何をもそもそしているの?」
「!」
 再び、ゼルダが力を込め始める。
「セインから離れて!」
 キャルが怒鳴った。
「どうして?この人、バケモノなんでしょう?バケモノなら、退治しなくちゃ!」
 ゼルダが笑いながら言うのと同時に、今まで動かなかったメイドたちが、一斉にセインめがけて押し寄せる。
 どうやら、彼女たちオートマタドールは、ゼルダの感情と連動しているらしい。
「セインは化け物じゃない!!!」
 キャルの悲鳴に、ゼルダとメイドたちの動きが止まる。
「セインが化け物なら、私だって化け物よ」
 キャルが、落ちていた小枝を拾い上げた。
「どうして?このバケモノは、私からキャルを奪おうとする悪い人だわ。腕から赤いものが溢れるなんて、きっとバケモノだからに違いないわ」
「セインは化け物じゃない。単なるトウヘンボクよ」
 そう言って、キャルは自分の腕に小枝をつきたてた。
「キャル!」
「何を?!」
 セインの悲鳴と、ゼルダの疑問の声とが重なった。
 キャルは、自分で自分の腕を突き刺した小枝を、ぽい、と捨てると、痛みに顔をしかめながら、傷口をぺろりと舐めた。
「痛たた。この代償、高くつくからね」
「あうー」
 ぎろりと睨まれて、セインはまた泣きそうになった。
 いろんな意味で。
「これが、血よ」
 赤くにじむ腕を、ゼルダに差し出す。
 じわりと、にじんだ血は広がって、やがて一本の筋になって、キャルの腕から滴り落ちた。
「生きているのなら、当たり前に、誰もが持っているものよ」
「どういう、こと?」
「血を持っている人間を、化け物呼ばわりするなら、ピーターも化け物ってことね」
「嘘!ピーターは、バケモノじゃないわ!」
 ゼルダが叫んだ拍子に、彼女の手がナイフから離れた。
 セインは体を回転させて彼女の下から転がり出ると、カバンをキャルの方へ蹴り飛ばし、自分はそのままセインロズドを杖代わりに立ち上がる。
「あなたの知らない血というモノを持っている私を、あなたはそれでも、友達と言ってくれるのかしら?」
 キャルが、ゼルダへ微笑んだ。



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