ゆっくりと、ゼルダが後退する。
 黒い大きな瞳を見開き、ふるふると首を振って、今にも泣き出しそうだ。
 裏庭でキャルを襲い、先ほどまでセインの腕をナイフで突き刺していたとは思えない、出会った頃の、愛らしい少女そのものだった。
「わ、私・・・!」
 混乱しているのか、両手で自分の顔を覆って、ゼルダはその場にぺたりと座り込む。
「赤い、ち。血?ち?血って、何?わたし、ちが、ない?ピーター?ピーターにも、赤い、血が?」
 彼女の混乱に共鳴しているのか、機械仕掛けのメイドたちまでが、カタカタと震え始める。
「キャル、今のうちに!」
 くい、と、セインがキャルの腕を引っぱった。
 しかし。
「だめ」
 キャルは、ゼルダを見つめたまま、動こうとしない。
「でも、今なら逃げられるよ?」
 セインが、キャルの顔を覗き込む。
「ゼルダと、お風呂に入ったわ」
 唐突な言葉に、セインは首を傾げた。
「あの子、綺麗な体で、体のどこにも継ぎ目なんかなかった」
「キャル・・・」
 泣きそうになりながら、キャルはなおも言い募る。
「同じベッドで一緒に寝たの」
「・・・うん」
「あったかくて、いいにおいがしたのよ」
「・・・・」
「ゼルダは、人ではないの?」
 こちらを見もせず、カバンを開け、銃のマガジンを交換する。
 そんな風に冷静な作業をしながら、キャルの表情は無表情だった。
「・・・まったく」
 ふう、と、セインは溜め息をつく。
「な、なによ!」
「何でもないですよー」
 振り向いて食ってかかって来たキャルの瞳は大きく揺らいでいて、大粒の涙が今にもこぼれそうだ。
 泣きたきゃ、泣いてしまえば良いのに。
 そうは思っても、キャルが必死で堪えた涙だ。その努力は無駄にしたくない。
「正確に言えば、今の彼女は生きていない、ということだね」
「どういうこと?」
 人か人でないか、その質問に、セインは少々ずれた返答をした。
「この近くに村があってね。そこで、この森に住んでいた領主の娘は、三年前に流行り病で亡くなったのに、最近になって、元の姿のまま生き返ったらしい、なんていう、馬鹿げた話を聞いたんだ」
 セインは、自分が売られた骨董屋のある村で聞いた話を語った。
「それって・・・」
 驚いたキャルに、セインはこくりと頷いてみせる。
「領主の娘の名はゼルダ。当時七歳だったそうだよ」
「じゃあ、あのゼルダはいったい誰?なんなの?!」
 セインにすがりつくキャルの疑問に答えたのは、セインではなく、別の方向からの怒鳴り声だった。
「違う!!!」
 振り向けば、屋敷の玄関先に、駱駝のようなコブのある、背中の曲がった一人の男が立っていた。
「お、お嬢様、は、死んじゃいねえ!」
「ピ・・・」
 男の名を呼ぼうとしたキャルの脇を、小さな影が横切った。
「ピーター!」
 ゼルダが、両手を広げてピーターにすがりつく。
「お嬢、さま。恐、い、思い、しなすった、だか?申し訳、ねえ、です」
 えんえんと泣きじゃくるゼルダの頭を、ごつごつした手の平で、優しく撫でる。
「君が、ピーター?」
 セインの問いかけに、ピーターがセインを見上げた。
「お、おれ、ピーター、です」
 意外にも、彼は怒るでもなく、静かに頷いた。
「君と、少し、話をしたいんだ。いいかな?」
 それにも、ゆっくりと頷くと、ピーターは泣きじゃくるゼルダに合わせてしゃがみ、少女の腕を取る。
「ああ、やっぱり、傷だ、らけ、で、ねえですか」
「ご、ごめ、なさい」
「あやまる、こと、ない、です。後で、おれが、なお、して、差し上げ、ます、から、お屋、敷、入ってて、くだ、さい」
 彼のゼルダを見つめる瞳は、本当に優しく、純粋で、どれだけゼルダを大事にしているのか、推し量るまでもなかった。
「ピーター、あなた、バケモノじゃないわよね?私と、おんなじなんでしょう?」
「お、おれ、の、どこが、バケモ、ノ、ですか?お、お、お嬢、様、が、いち、番分かって、る、でしょう?」
 微笑むピーターに、ゼルダは拗ねたように、ぷっくりと頬を膨らませた。
「だって・・・」
「ほら、お嬢さ、ま。夜は、冷え、ます。お屋敷、に、お入り、くださ、い」
「分かったわ。ピーターがバケモノなわけないわ。キャルが間違っているのよ。安心したら、お腹が空いちゃった!」
 ぱっとピーターから離れると、屋敷の中へパタパタと走って行ってしまった。
 嬉しそうに笑うゼルダは、出会ったときの彼女そのものに見えた。
 ぽかんと、様子を見ていたキャルとセインに、ピーターはゆっくりと頭を下げると、屋敷の中を指し示す。
「も、森、の、夜は冷え、ます。ど、ぞ、中、へ」
 かさかさと背後から音がして振り向けば、半壊したメイド人形達が、一斉に後退してゆく。
「あいつ、らに、手、出し、させね、え、で、す、から。安心、してく、ださい」
 キャルとセインは顔を見合わせた。
「大丈夫かしら」
「多分ね」
 セインが、へらり、と笑う。
 がいん!
「うはあ!」
 セインが飛び上がった。
 足の脛を、キャルが思い切り蹴り飛ばしたからだ。
「それが怪我人にすることなの?」
 本気で泣きそうなセインだ。
「屋敷に入ったらどうなるのか分かんないのに、へらへらしてるからよ!」
 それだけの理由で脛を蹴られるのは納得がいかないが、そこをセインはぐっと堪えた。
「ピーターっていうんだっけ?彼」
「庭師もやってるらしいわよ」
「ゼルダもメイド人形も、彼の言う事ならよく聞くみたいだし、彼は彼で、とても誠実な人だと思うんだけど。違う?」
 確かに、ピーターは悪人には見えなかったし、どちらかといえば、純朴で、優しい心根の持ち主に思える。
 裏庭でも、なんだかんだで、逃げ道を教えてくれたし、うっかりなのかどうなのかは分からないが、セインを売ったことまで正直に教えてくれた。
「そうね。ピーターが側にいれば、なんとかなるかしらね。聞きたいこともあるし」
「ゼルダとも、仲直りしたいんでしょ?」
 にこにこと、嬉しそうなセインに、キャルは顔を真っ赤にした。
「図星?」
「ううう、うるさいわね!」
 ごいん
「うはあ!」
 先ほど蹴られた脛を、今度は殴られる。
「あんたも少しは学習能力ってモノを身に着けといたほうがいいわよ?」
 にーっこりと笑うキャルに、セインは痛みに口も利けず、うるうると大粒の涙をこぼした。
「とりあえず、その血だらけの腕だけでも、なんとかしなさいよ」
 いまだに流血の治まらない腕を、キャルがカバンから包帯を取り出し、上腕部を締め上げて止血する。
「逃げ出すにしたって、あんたの腕の治療しなきゃ、逃げ出すに逃げ出せないでしょ」
「いやあ、一回セインロズドになれば楽にはなるんだけど」
 そう言いながら、セインはそのセインロズドを、自分の左手に突き刺し、ずぶずぶと体内に納めてゆく。
 再び血液が滴り落ちるが、剣が全て見えなくなってしまえば、セインロズドを突き刺した傷跡はどこにも見られなくなってしまう。
「あんたがセインロズドだけになっちゃったら、誰があの剣を運ぶのよ」
「あはは。重いもんねー、僕」
「少しはダイエットしてよね」
「・・・それは無理だよ」
「分かってるけど言ってみただけよ・・・って、あれ?」
 セインは剣であり人である。
 その意味を如実に現した光景に、ピーターが身動きをとれずにいることに、ようやくキャルが気がついた。
「あー」
 ぽりぽりと、セインが頭をかいた。
「驚かせるつもりは無かったんだけど?」
「気にしなくていいわよピーター?セインの特技だから。アレ」
「特技って・・・」
 なんとなく眼鏡のズレを直すセインだったが、泣きそうだったのは気のせいではないだろう。
「あんた、そ、れ?」
 小さな目を見開いて、陸に上がった魚みたいに口をパクパクとさせながら、セインを指差す。
 そういった扱いには慣れているものの、うっかりしていたために、見せなくても良いモノを見せてしまって、どう言い訳したらよいのか。キャルはあわてて、セインの前に飛び出した。
「え、えっとね?言ったでしょ?セインは剣でもあるって。つまりはこういうことで、でもその、あの」
 一度は勢いで、特技だから気にするなとは言ったものの、普通、常人がそれで納得するはずも無い。
「僕の話もするし、ピーター、あなたの話も聞きたいから、中に入っても?」
 あわてるキャルの頭に、ぽんと手を置いて黙らせると、セインはピーターに結論を促した。
「キャ、ロット、様が言って、いた、のはこういう、こと、で、すか」
「へ?」
 いきなり名前を出されて、キャロットが頭の上に乗せられた手をどけようと躍起になりながら、変な声を出した。
「ほ、ほら、剣でも、人、でも、どっちでも、せ、セインは、セイン、だって」
 確かに、そんなことを言った気はする。
「キャル、それ、説明になってないよ」
「間違ってはいないわよ」
 確かに間違ってはいないが説明不足過ぎる。
「と、とに、かく、中、へ。話、は、それから、で」
 気がついたように、ピーターが二人を屋敷内へと誘った。
 キャルもセインも、ピーターの後について屋敷の玄関へ、再び足を踏み入れる。
 屋敷の中は、相も変わらず少女趣味で、フリルとレースに飾られ、シャンデリアの蝋燭や、ランプに照らされて、さらに雰囲気が醸し出されているものだから、セインはまたもや、いたたまれなくなってしまう。
 が。
 今度はピーターがいるからか、室内で浮いているのは自分だけじゃないと思えて、なんとなく安堵した。しかし。
「えーっと」
 ピーターだって男なのだし、きっとこの屋敷の内装には似合わないに違いないと思ったのだが。
 長年、彼はこの屋敷に暮らしているせいなのか、はたまた着ている服が、どこかしらゼルダに合わせてヒラヒラしているせいなのか。
「な、にか?」
 自分を見つめるセインに、ピーターは首をかしげた。
「い、いやあ、馴染んじゃってるなーって思っただけだから」
 お世辞にも美形とも言えず、骨格も背が曲がってこぶができ、歯も欠けているのか口の形も上下が合っていないピーターだが。なにより、彼は男で、とてもこのパステルカラーのぴらぴらのゴテゴテの、花園みたいな屋敷の内装に、似合わないはずなのだが。
 違和感がないのである。
「そ、りゃ、ここに、暮らして、二、十、年近、く、なりま、す、から、馴染み、ます」
 恐ろしきかな、時の流れというものは。
「僕だけ浮いてる?」
 結局、明るくて暖かい屋敷内に、落ち着いて入れたものの、自分だけがそぐわない事実に、早くも屋敷から出て行きたくなるセインだった。



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