第五章

「こ、こち、らの、部屋へ」
 ピーターに案内されて、屋敷の奥へと進んでみれば、小さな部屋に通された。
 ピーターが扉を開け、中に入るように促す。
「うわあ、これまた何て言うか」
 玄関のそばの、中央階段の左側にある、少々大きめの部屋。そこは応接室であるようだったが、豪奢なゴブラン織りの椅子もソファも、猫足のテーブルにチェストも、全て少女趣味にピンク色で統一されていた。
 屋敷の玄関よりも、自分がこの雰囲気に合わない、というよりも似合わなさ過ぎる気がして、何でもないのに怖気づく。
「あんたがこのお屋敷にそぐわないのは分かりきってることじゃない」
 背中をキャルに押されて、よろよろと室内に踏み入った。
 毛足の長い絨毯はふかふかで、踏んでしまうのがもったいないように思われた。おまけに、柄が繊細な蝶の飛び交うゴシックなもので、自分のごつい足と見比べてしまう。
「セインは図体がでっかいんだから、扉の前で立ち止まらないでよ」
「い、いやあ。なんだか気がひけちゃって」
「とにかく早く入って、扉を閉めちゃって」
 そうだ。この屋敷の中には、ゼルダも、機械仕掛けのメイドたちもいるのだ。
「ごめん」
 キャルを中に入れると、セインはあわてて扉を閉めて、ピーターがいるソファにキャルを促し、自分も席に着いた。
 部屋の中には暖炉が焚かれ、室内はほどよく暖かかった。
 二人が座ったことを確認すると、この部屋で待っていてください、そう言い残して、ピーターは部屋を出て行ってしまった。
 少々遅い帰りに、キャルが機嫌を損ね始めた頃、扉がノックされた。
「お、おれ、です。入っても、い、良いで、すか?」
 セインが、すぐに扉を開けてやると、そんなことをされた事がなかったのだろう、驚いて硬直してしまった。
 その手には、薬箱が抱えられている。
「あはは。驚いた?」
「と、扉、を、開け、るのは、使、用人、の、しご、と、です」
「うん。でも、多分大変かなって思って」
 ひょい、と、ピーターの持って来た薬箱を、セインが取り上げた。
「これ、ありがとう」
 にっこりと微笑むセインに、ピーターがポカンと口を開けて、また固まってしまった。
「ピーター?」
 キャルが彼の目の前で手を大きく振ってやると、我に返って、小さくてつぶらな目をしばたたかせた。
「どうかしたの?」
「い、いえ。その」
 心なしか顔が赤いのは気のせいか?
「・・・セインって、やっぱり女顔なのかしら?」
「キャキャキャ、キャロットさん?」
 そういえば、ついこの前も、まぬけな海賊に女性と間違えられてトラブルの元になったような。
「まあ、どうでも良いわ」
「どうでも良いんですか」
「だって、あたしに実害はないもの」
 きっぱり言い切るキャルに、いつものことだが、セインは悲しくなった。
「これでも僕、長い人生送ってるけど、女性に間違えられるなんて、なかったよ?」
「まあ、時代が変わったからじゃない?」
 全てそれで説明がつくわけでもなければ理由にもなっていないのだが、キャルはそこでその話を打ち切ってしまった。
 長い長い、桁外れな人生の中で、ここまで猛烈に、今、すぐに、鏡が見たいと思ったことはないセインだった。
「いいから、手当てしましょ」
 ぶつぶつとモンクを並び立てていても仕方がなく、腕を引っぱられるままにソファに再び座りなおして、キャルに傷の手当てを任せる。
「キ、キャロット、様、お、おれ、が、やりま、す」
 こういう事も使用人の仕事とばかり、ピーターが慌てふためくので、キャルは彼を睨みつけると、無言で椅子に座らせた。
 壁際に置かれた小さな猫足の椅子が、ピーターの専用であるらしく、彼はその椅子を大人しく二人の向かい側のソファの端に持って来て、そこに腰掛けたのだった。
「なんでソファに座らないの?」
 キャルが聞けば、ピーターは首をかしげて、不思議そうな顔をした。
「し、使用、人、で、すか、ら」
「ふうん」
 納得したのかしないのか、キャルはそう言って、そのままじいっと、ピーターから目を逸らさない。
「あ、あの?」
「んー?何から聞いたらいいのかなーって思って考えてるだけだから、気にしないで?」
 にっこりと微笑んだが、ピーターは戸惑っているようだ。
「キャル、それじゃあ、ピーターが落ちつかないよ」
「セインは黙ってて」
 止めていた手をまた動かして、くるくると、器用にセインの腕に包帯を巻いてゆく。
「やっぱり、セインロズドになっちゃえば早いんだけど」
「さっきも言ったけど、セインがその姿になったら、誰がカバンとセインロズドの両方を一緒くたに運ぶのよ」
「分かってますよ。だから大人しくしてるでしょう?」
 なんだか、キャルの機嫌はどんどん悪くなる。
「・・・・・・何かした?僕」
 顔を覗き込むセインの腕の包帯を、わざとぎゅうううっときつく縛ってやれば、声にならない悲鳴をセインが上げた。
 すぐさま緩めて、今度はきちんと結んでやる。
「冗談よ。治療おわり」
 ぱたん、と、薬箱の蓋を閉じれば、セインが包帯の上から傷口をさすっていた。
 目には涙を浮かべて。
「ヤワだわね」
「うう、ひどいよう」
 キャルの不機嫌さは、どうやら自分の怪我にあるらしいので、セインは眉間をハの字にした。
「まだ、ゼルダに謝ってもらってない」
「キャル?」
「セイン傷つけて、化け物呼ばわりして、謝ってもらってない」
「や、でも、僕なら大丈夫だし?」
 そう言ってみれば、包帯の上から傷口を叩かれる。
「!!!!」
 再び、声にならない悲鳴を上げて、セインはついに、だーっと泣き出した。
「どうして僕に八つ当たりするの?」
「大丈夫なんかじゃないくせに、大丈夫そうなフリをするからよ」
「だからって・・・」
 優しいのか厳しいのか。
 照れ隠しの一旦なのだろうとは思うが、怪我人はもっと労わろう。
 そう思ってみても、相手がキャルなので、大人しく身を縮ませて、これ以上の被害が届かないように、長身をできるだけ小さくするのだった。
「あ、ご、ごめんね?」
 ぽかんと口を開けて、二人のやり取りを見ているピーターに気がついて、セインが彼に謝った。
「い、いえ」
 ふるふると首を振って応えてくれたが、驚かせてしまったようである。
「セインが謝ることないわ!売り飛ばされた上に、こんな怪我までしてるんだから」
 その怪我を叩いたのは誰ですか。
 喉まで出かかったが、ぐっと堪えた。
「すみ、ませ、ん」
 ぺこりと、頭を下げるピーターに、セインは笑って見せた。
「大丈夫。僕なら、これくらいの怪我は、なんとかなるから」
 聖剣の姿に戻れば、傷の治りは早くなる。
 聖剣とセインは一心同体で、セインが鞘であると同時に、剣はセインの受け皿になる。
 昔は持ち主が戦場で振るうときに、セインロズドの姿を取っていたが、今ではもっぱら、宿代を浮かせるために使っている。
 たまーに、怪我をしたりするときもあるが、平和なものである。
「お茶、淹れようか?」
 セインが、暖炉にかけられたポットに気がつく。
 お湯が沸きだして、水蒸気が注ぎ口から立ち昇っていた。
「俺が、用、意、します」
 暖炉の上に、交差して二本の剣が飾られており、その前にいくつかの写真立てと共に、お茶の缶が綺麗に並べられている。その中から、ピーターが適当なものを選び、細かい細工の綺麗な食器棚の中から、ティーセットを取り出して、手際よく紅茶を淹れてゆく。
 ほどなく、いい香りが室内を埋め尽くし、カップに紅い液体が注がれた。
「おいしい!」
「よ、よか、った、です」
 ピーターが、嬉しそうに目を細めた。
「さ、落ち着いたところで」
 水を指すような感じで、心持ち気はひけたが、聞いておかなければならないことが、沢山ありすぎた。
「どこから聞いたものか。僕も正直分からないのだけれど」
 まずは。
「あの、メイドたちのことだけれど」
 その一言で、ピーターから笑顔が消えた。
「彼女達は、人ではないようだったけれど?」
 セインの質問に、ピーターは頷いて返した。
「あ、あれ、らは、オート、マタドー、ル、です」
「オートマタドール?」
 キャルが首をかしげた。
「自動人形、もしくはからくり人形のことだよ」
「そうで、す。よ、良く、ご存知、で」
「昔にね」
 機械仕掛けの人形は、昔、戦場で使われた。
 痛みを感じず、ただ突き進む人形は、格好の道具だった。
 ただ、それらは脆くもあり、兵の水増しに使われる事が大多数であった。
「あんなに、性能の良いオートマタドールは、見た事がない」
 腕も足も、首さえも切り離したところで、動くことをやめようとはしなかった。セインが見てきたどのドールよりも、良くできていた。
「卓越した技術がないと、あんなにしつこく稼動する人形は作れない」
 そして何より、あの外見だ。
「まるで、生きているようだった。腕や体を見なければ、オートマタドールだとは気がつかなかったよ」
 同じ顔の、同じ格好をしたメイドたちに疑問は抱いたが、一瞬人形だとは思いつかなかった。それほどリアルに良く出来ていた。
「あれを作ったのは誰?」
「それ、は・・・」
 下を向いてしまったピーターに、セインは懐から、あるものを取り出した。
「森の中の廃屋で、見つけたものなんだけど」
 テーブルの上に、ことりと置いた。
 綺麗な、長い指。整った筋が通った甲。
「これを作ったのは、きこりだね?」
 壊れかけた空き家で見つけた、手を模した細工物は、一つ一つの関節が、稼動できるように作られた、極めて緻密なものだった。
 森の中で、かつて生活していた住人達。
 彼らは、あらゆる物を、森からの恵みで作り出す。家や家具、装飾品から衣類まで。
 この緻密な細工物も、彼らなら、作ることができたはずだ。
「そう、です。きこりが、作った、の、です」
 きこりがオートマタドールを作るのなら、あの大量のメイド達を作ったのは、捨てられた森を離れずに残った、彼らの生き残り。
「・・・そのきこりは、君なんだね?」
 しばしの沈黙の後に、ピーターが、ゆっくりと頷いた。
「その、手、も、俺、作り、ました」
「じゃあ、あの家は、君の家だったのか」
 細かな作業道具。壁一面の彫刻刃。
 きちんと整頓されていた、朽ちかけた家の内部を思い出す。
 ピーターの家だったといわれれば、確かに彼らしい、朴訥で、それでも整然とした部屋だった。
「なぜ、メイドの人形を?」
「屋敷、は、広い、です。お嬢、様、の、お世話、ひ、一人、では、無理だった、から」
 はじめは、掃除の手伝いをしてくれる人形を。次に、料理をしてくれる人形を。
 一人でまかなえない部分を、まかなうために、人形達を増やしていった。
「でも、おかしいわ」
 キャルが、不機嫌に眉根を寄せる。
「私、このお屋敷で、あのメイドたちを見たのは、今日が初めてだった。それまで、この屋敷にメイドがいるなんて、気がつきもしなかったわ」
 誰もいない調理場と洗い場。使用人部屋さえ、もぬけの殻で、ピーターが一人で全てをこなしているのかと、感心したりもしたが、気味悪く思ったことも事実だ。
「それ、は」
 言いよどむピーターの代わりに、セインが言い切った。
「ゼルダ、だね?」
 びくり、と、ピーターの肩が震える。
「彼女に、オートマタドールを、見られたくなかったんだろう?」
 セインの言葉に、自分の膝の上に置かれたピーターの拳が、ぎゅうっと握りこまれる。
「大方、夕方から朝方にあれらを動かして、彼女には気づかれないようにしていたんじゃないのかい?」
 その問いに、ピーターは沈黙で返した。
「流行り病は大変だったらしいね?君は、大丈夫だった?」
 はっと、小さなピーターの目が、見開かれた。
「僕を、森のそばの村に売り飛ばしたのは失敗だったね。あの村で、僕はゼルダの葬儀に出席したという人に、会っているんだ」
 静かな瞳で、セインはピーターを見つめる。
「ゼルダの葬儀って、どういうこと?その村の人、おかしいんじゃないの?ゼルダは生きているわ。生きているのに、お葬式をしたっていうの?」
 キャルが怒鳴った。
「どういうことよ!セイン!」
「キャル」
 セインはずれた眼鏡も直さずに、寂しそうに笑った。
「もう、分かっているんでしょ?」
 その言葉に、全身から脱力して、キャルは椅子に、どっと寄りかかって座り込んだ。
「不幸なことに、過去、この辺りで流行り病があった。村人が何人もなくなった。領主であるゼルダの両親が手をつくしたけれど、その猛威は、彼らの娘にまで及だ」
 大人でさえ命を落とす。
 小さな子供には、ひとたまりもなかっただろう。



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