「あ」
 何か思い出したのか、小さく呟いて、壁際の棚からメモとペンを引っ張り出し、テーブルの上でさらさらと、二人を目の前にして何かを書き始めた。
「こ、これ」
 差し出されたメモ帳に描かれたのは、緻密な似顔絵だ。
「君、絵も巧いんだね・・・」
 感心しながらセインが受け取り、似顔絵を覗き込んでぎょっとする。
「なに?どうしたの?」
 青ざめたまま、キャルに似顔絵を渡すと、それを見たキャルはキャルで、青筋を立てたまま固まった。
「あ、あの、お、おとと、い、町で、みかけ、て」
「一昨日?!」
「うわー、何やってんのかしらねー」
「人、違い、か、おも、た、んです、けど」
 そう。この賞金首が、奥まった陸の上にいること自体変な事だ。
 これが港町やら浜辺やらなら納得が行く。
 しかし、それでも町の保安所や役場、教会に行けば、そこに貼られた賞金首のポスターの中に、何とはなしに見る顔で。
 だから、見たことがある顔だと思いながら、ここにいるはずがないと思い込んでしまっていたらしい。
「お、二人、なら、会った、こと、あるって、言って、らした、から、もしか、した、ら、と」
 ただでさえ、この男前でニヒルで嫌味ったらしい色黒の賞金首が、陸に上がっているなんていう事柄がおかしすぎるので、みな気がつかないでいたかもしれないのだが、知り合いっぽい言い方をしていたキャルとセインなら、分かるかもしれないと思ったのだそうだ。
「間違いないわ。というより間違えようがないもの。変態親父よ」
「うん。彼だね」
「へ、変態?」
「君も気をつけたほうが良いよピーター!彼はね、僕のお尻を触ったりして喜ぶような変態なんだから!」
「へっ?」
「大変だったわねー、あの時は」
 二人でうんうん、と頷きあうので、ピーターは今までの、泣く子も黙るこの超有名な賞金首へのイメージを大いに崩され、少しがっかりした。
 ちょっとした憧れと羨望とを抱いていたのに。
 この、大いなる賞金首には。
「海賊王ギャンガルド。間違いないよ」
「そう、です、か」
 町で見かけたときには、海賊王がここにいるわけもないと思いながらも、もしかしたら本人かもしれないと、噂に聞いた、クイーン・フウェイル号で大海原を駆け巡り、数々の武勇を上げた海の英雄に思いを馳せたものだ。
 真剣な表情のキャルとセインとは対照に、ピーターはなんだか肩を落としてしまっているのだが、二人はそれどころではなくなってしまったらしい。
 バタバタと大きなカバンの中を開け、荷物を点検し、キャルにいたっては小銃を小脇に一丁、スカートの中に二丁も隠して装着している。セインは包帯を新しくして締めなおし、剣を握り締め、いつでも戦闘体勢に入れるように準備万端整えてしまった。
「ギャンガルドは一人でいた?」
 キャルに聞かれて、ピーターはまた、天井を睨んだ。
 町の雑貨屋に頼み忘れた紅茶の葉があって、それを調達に来ていたところ、小さな飲み屋にいたのを見かけたのだったが、ギャンガルドの他に、町の顔見知りと、自分と。
「たし、か、頭、の、禿げ、た人、が」
「・・・・いたのね」
 額を押さえて唸るキャロットの上から、セインが身を乗り出す。
「前歯が一本、欠けてなかった?」
 言われてみれば、欠けていたような。
 頷くピーターに、セインもキャルと同じく、額を押さえて唸った。
「タカを連れて来たのか」
「船のみんな、飢えてなきゃ良いけど」
 キャルのお気に入りの料理人で、クイーンフウェイル号の胃袋を一手に引き受けるタカを連れているとなれば、ギャンガルドの部下達は、今頃腹を空かせて泣いているかもしれない。
「どこへ行くとか何とか、言っていなかった?」
「さ、あ。お、おれ、離れてい、た、から」
「・・・逃げよう」
「そうね。それが良いわ」
「え?あ、あの?」
 賞金首から逃げるヘッドハンターなんて、聞いた事がない。
「いい?ピーター。あの変態にかかわっちゃ、絶対ダメよ。ろくなことがないんだから!」
「ギャンガルドが来ても、僕達のことはナイショにしておいてね?でも、その前に、屋敷に入れちゃダメだよ。お宝を盗まれちゃうからね」
「お、お宝、な、ら、ドールが、守って・・・」
「「とんでもない!!!」」
 二人揃って、ピーターに詰め寄った。
 オートマタドールなんて、それこそ、そこいらのお宝なんかよりも、ギャンガルドが飛び上がって喜びそうではないか。
「いい?絶対中に入れちゃダメだし、ドールたちも見せちゃダメ!」
「そうそう!彼の目的が何なのか分からないけれど、僕達がいなくなったら、この屋敷には君だけになっちゃうんだから、居留守でも使って、とにかく戸締りはちゃんとして!」
 まるで泥棒のような扱いだ。
 さらに海賊王のイメージが崩れて行く。
 この二人がそこまで言うのだから、ちょっと会ってみたい気もするが、とりあえずは身の安全だ。
 ピーターはこくこくと、何度も了承の意味を込めて、首を縦に振る。
「わ、わか、り、ました。おお、お、おれ、ぜ、絶対に、戸、を、開けま、せん!」
 ぐっと、力拳を作った。
「その意気よ!」
「じゃあ、僕らはこれでさようならするけれど、本当に気をつけてね?」
「は、はい!ゼ、ゼル、ダ、お嬢、様、は、おれ、が、守り、ます!」
 三人で、力強く頷きあった。
 ピーターは、玄関先までゼルダの人形を抱えたまま見送ってくれたが、二人はいくら早朝といえど、あの眩しい白い歯を煌かせて、健康ですと訴えているような日に焼けた肌の、何故か陸に上がった海賊王が、いつ現れるかとひやひやしっぱなしで、早く屋敷内に入れとジェスチャーしながら、屋敷を後にした。
「ねえ、キャル」
「何よ」
「僕達、お財布もピンチだって言ったのはまあ、ピーターに使った言い訳だけど、この際ギャンガルドを捕まえてみるのはどう?」
 ちょっと少なくなっていはいたが、キャルの貯金はまだ余裕がある。
 実は、この森に来る前に、雑魚を捕まえて役所に引き渡したばかりなのだ。ピーターには、彼を納得させるために、お財布がピンチ、とは言ったが、まだちょっとはイケる。
 しかし、ここであのギャンガルドをしょっ引けば、もう本当に当分の間、何もしないで旅が出来るだろう。
 幸いにも、連れはタカ一人だというし。
「・・・いい案だわ。でもね、セイン?」
「?」
「ギャンギャンの顔、もう一回見たい?」
「・・・・・・・・・・・遠慮します」
「そうよね。賞金首は次の町にでも行ってちょちょいとしょっ引けばいいんだから、危ない橋は渡らないに越したことはないわ」
 真剣に話し合う二人だった。

「ピーター、うまくやっていけるかしら」
 森の木々に隠れて屋敷が見えなくなった頃、振り返って、心配そうにキャルが呟く。
「大丈夫でしょう。多分、ゼルダはまた、彼と一緒に暮らしてくれるだろうし」
「だって、もう人形だわ」
 もう、可愛らしく笑ってくれることもない。あの花のような唇で、楽しそうにおしゃべりしてくれることも、綺麗な庭で走り回ることもない。
 彼女の歯車の心臓は、キャルの胸に下がって、キラキラと輝いている。
「忘れた?元から彼女は人形だったんだ。ピーターの思い入れが、彼女を作ったんだよ?」
 死んだ少女の面影を、オートマタドールに写して、オートマタドール以上のドールになった。
「亡くなった領主の娘ではなく、自分の娘として、あのオートマタドールのゼルダを受け入れたんだから、ドールだって、それに応えてくれるさ」
 それは、また、以前のように、人と変わらぬ仕草で、自分の意思で、あの人形が動くという事だろうか。
「僕らさ。ゼルダに違和感を感じてたと思うんだ」
 森の中の一本道を、鞄を引きずりながらてくてくと、二人並んで歩く。
 つい先ほどまで、あの屋敷で起こったことが嘘のように、森は静寂で、朝日が枝葉の間からこぼれる様は清々しい。
「ゼルダの気配を感じ取れなかったり、何か変な冷たさを感じたり」
「あの子が人形だったから、てこと?」
「そうだろうね、きっと」
 人ではない、本来生命のない彼女に、存在としての微妙なズレを感じ取っていたのだろう。
 彼女にあっさり背後を取られたことも、セインが屋敷に来るなり感じた冷たさも、生命の温度を感じなかったからに他ならない。
「そうね。そう言われれば納得がいくけど」
「けど?」
「あの子はそれでも、生きていたって、思うわ」
 たとえ、あの木と皮で作られた、歯車だらけの身体でも。脈打つ心臓と、体中を流れる熱い血が一滴も無くても。
「うん。そうだね。僕みたいな存在がいるんだから」
 もし、ゼルダがまた、以前のように自分の意思で動けるようになったなら、ピーターは自分が動けなくなる前に、彼女を停止させられるだろうか。
 それが出来なければ、ゼルダは壊れるまで彷徨うことになってしまう。
「二人が、幸せになってくれるといいんだけどね」
 願わくば。
 終焉が訪れるその時まで、二人が幸せであれば良い。
「本物のゼルダのご両親には、あのドールは辛いものがあるかもしれないけど」
 それとも、喜ぶだろうか?
「・・・・・・・?な、何?」
 下から視線を感じて見てみれば。
 キャルが歩きながら器用に、自分の顔を覗きこんでいる。
 変なことを言ったかと、聞いてみる。
 すると、思い切り盛大に溜め息をつかれた。
「な、なに?僕何か言った?キャル?」
「別に?」
 そう言いながら、視線は外さない。
「別にって、そんな顔じゃないじゃないか」
 これでは気まずい上に歩きにくい。
「セインって、苦労症よね」
「へ?」
「ゼルダのこと、本物の人間のゼルダのこと、その子の親のこと、ピーターのこと」
 キャルが、指折り数える。
「だって、気にならない?」
「あたしは、あたしが会ったゼルダのことしか頭にないわ」
「そうかもしれないけれど」
 失った大切な人にそっくりな姿をしたドールがあったら、自分はどう思うだろうか。
 死んでしまった人は、二度と帰っては来ないのだと分かっている。それでも、もう一度、会えるものなら会いたいと思ってしまうのは、罪になるのだろうか。
 たとえどんなに似ていても、それは同じ人ではないのだと知っていても、求めてしまうのではないか。
 厳しいことを言いはしたけれど、ピーターの気持ちも分かるのだ。
 長い時を、沢山の人の死と共に生きてきたのだから、今更そんなことを考えるのはおかしいことなのだけれど。
「・・・・・」
 黙ってしまったセインに、キャルはまた、盛大に溜め息をついた。
「キャル?」
 声をかけた瞬間、鈍くて重い傷みが顎に直撃した。
「あぐうっ!!!!」
 あまりの痛さに、顎を押さえてうずくまる。
「ひ、ひろいお!」
 直訳。酷いよ!
「あんまり阿呆な顔しているからよ」
 言いながら、キャルはキャルで頭のてっぺんをさすっている。
 キャル渾身の頭突きが、セインの顎に見事にヒットしたのだった。
「大方、くらーいことでも考えていたんでしょうけど」
「暗いことって」
「違うの?」
「違わないです」
 ぷい、と、また前を向いて、キャルが大手を振って歩き出すので、セインは顎をさすりながらカバンを引きずり、後に続く。
「まったく」
「へ?」
 会話が止まると思い込んでいたので、キャルの大きな声に、気の抜けた返事を返してしまった。
 ぐし
「!!!!!!!」
 思い切り足を踏まれ、声にならない声を上げる。
 ぴょんぴょん飛び回るセインにはお構いなく、キャルはまた前を進んで行ってしまうので、セインはズレた眼鏡の下の涙を拭いながら、一生懸命追いかける。
「あんたがそんなだから、私だっておちおちしていられないじゃない」
 一体、キャルが何をそんなにぷんぷん怒っているのか、セインには分からない。



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