第七章

「おお〜い」
 一瞬足が止まりそうになったものの、気の抜けそうな両足を叱責して、二人ともスピードを上げた。
「なんなの?あの気の抜けた声は!」
「ギャンガルドらしいというかなんていうか」
 どうやって振り切ろうか頭をフル回転させる。
 走っているのに見つかるとは。相手の視力が良いのか、向こうがこちらより早く移動しているのか。
「おお〜い、ローズうう」
 ドゴン!
 間の抜けた声が、再び聞こえたところで、間髪置かずに背後へ一発。
「ぬおお!?」
 驚いた声が聞こえた。
「ち、外れたわ」
 ジャカジャカッ
 二丁の拳銃を、器用に手の上でくるりと回し、再びぶちかます。
 ガガン!
「お、お嬢、俺もいるから!」
 違う悲鳴が聞こえて、ついにキャルは足を止めて振り返った。
 ちょうど、森の出口だった。
「手下を使って気を引こうなんて、情けないとか思わないの?そこ!」
 びしい!と、銃で海賊王の、遠くにある黒い顔を指す。
 もちろん、その一歩前に出た隣で、セインは隙無くセインロズドを構えている。
「二人とも戦闘体勢バッチリじゃん」
「キャプテン、思いっきり嫌われてますね」
「・・・・・お前ね、そういう事をはっきり言わないでくれる?」
 海の男は声がでかい。
 結構離れているのに会話が聞こえてくる。
「鼻歌が聞こえるくらいだからねえ」
「何だってこんな時間のこんな所に海賊が現れるのよ」
 お互いぼそりと呟いてみるが、目の前に張本人がいるのは事実なので仕方がない。
「出来ればこのまま逃げてしまいたかったっていうのに」
 キャルは海賊達に会ったときに受けた仕打ちが思い出され、なんだかだんだん腹が立ってきた。
「魚の網は臭かったわ。なかなか匂いが取れなかったし」
 腹が立ってきたのはセインも一緒だったらしい。
「僕だって、夜に小船に乗って一人で船の外壁よじ登るのは本当に大変だったんだ」
 おまけに、女性にまで間違えられて、最初に絡まれた理由がそれがだなんて、正直有り得ない。
「なによ、ローズだなんて、嫌味?」
 海賊船クイーン・フウェイル号での二人の呼び名は、キャルがローズ、セインがグランだった。本人達が嫌がっているので、あまり使われることはないのだが。
 二人がこちらを警戒している事が分かっているので、嫌われ者の海賊王は腕組みをして困ったような顔でいる。
「フェイクだね」
「あれは確実に面白がってるわね」
 完全に見破られている。
「おーい、聞こえるかー?」
 早朝独特の冴え渡る空気の中、森が静かに目覚めていく、一日で一番厳かなこの時間に、よりにもよって海賊の間の抜けた声が木々の間に木霊する。
 こんな経験は、森の長い歴史の中でも初めてではなかろうか。
「叫ばなくっても聞こえてるわよ!」
 キャルの怒鳴り声が響いた。
 驚いた鳥達が、騒ぎ立てて何羽か飛び立った。
「ああ、ごめんなさい」
 誰に謝るでもなく謝って、セインは早くこの場から立ち去りたくて仕方がなかった。
 海賊王に、何の考えがあるのか知らないが、とにかく関わりあいたくない。
「そっちに行ってもいいかあ?」
「「良くない!!」」
 二人同時に叫んだ。
 タカが額を押さえるのが見えた。
「ダメって言われたぜ?」
「あたりまえっすよ!キャプテン嫌われてる自覚があるんすか?」
「ええ?俺が?誰に?」
「ああ〜、面白がってる!」
 遠くでタカが地団駄を踏んでいる。
「あの主従関係も相変わらずらしいわね」
 呆れるキャルに、セインは心の中でこっそりと。
「うちもね」
 などと思ってしまったが、口に出してしまうなことはしなかった。聞こえてしまったら、今海賊王に向けられている銃口が、確実にセインに向けられるのは明白だ。
「お嬢!申し訳ねえんだが、ここは一つ、俺に免じてキャプテンの話を聞いてもらえねえか?」
「何だって言うのよ!ギャンギャンに関わったって、どうせセインを貸せとかなんとか、その辺の話になるんでしょう?!」
「おお、分かってんじゃん」
 飄々としたギャンガルドの答えに。
 ぷち
 キャルの何かが切れた。
 ガガガガガン!
「ぬおおおお!?」
 隣にいるタカには一切安全な場所、確実にギャンガルドの足元に、連続で、有無を言わさず弾丸を打ち込んだ。
 足スレスレに弾が飛んでくれば、さすがに海の王と恐れられるこの男でも、あわてて飛び跳ねる。
 いや、スレスレというか、避けなければ確実に当たっていた感が無いでもない。
「何しやがる!」
「うっさいわねこの疫病神!!」
「あー、あんな事言われてらあ」
「お前はのん気なんだよ」
「だって、お嬢が狙ってんの、キャプテンだけだし。俺あ、お嬢に悪いこと何にもしてねえですもん」
「うっわ、おま、それで俺様の部下かよ!」
 自分の料理長に軽く見放されて、ギャンガルドは情けなさそうに眉尻を下げ、大仰に額を叩いて天を仰いだ。
 朝日がまぶしい。
 森の静寂などなんのその。
 不届きな人間共が綺麗な朝の光の中で、朝とも思えないような騒々しさを撒き散らす。
「ほんっとうにごめんなさい」
 先ほどから驚いて、どんどん逃げ出してゆく森の動物達に、セインはまたもや謝った。
「とりあえず、森から出ようよ?ピーターに気づかれたら困るし」
 まずは提案してみる。ここで騒いでいても進展はしないし、もしかしたらこの騒ぎがあの屋敷に届いて、優しい召使が様子を見に来てしまうかもしれない。
 ピーターの名を出されて、キャルは自分の胸に光る、赤い歯車を触った。
「分かったわ。でも、背中見せらんないから、後ろ歩きで行くわよ」
 じりじりと、徐々に後方へ退避を始めた。
「おい、あれ?なんか距離伸びてねえか?」
「気のせいよ」
 なんとなく気がついたらしいギャンガルドの一言に、スパッと言い切る。
「とりあえず、話だけでも聞いてくんねぇか?」
 つかつかと、ギャンガルドが前に出る。
「お断りします」
 これまたスパッと、セインが言い切る。
「なんでだよ」
 ギャンガルドが小走りになる。
「信用できないからに決まってんじゃない」
 容赦なくキャルが言い切った。
「・・・・・・なんだか近付けませんねえ」
 タカがギャンガルドの後ろにつきながら、不思議そうに呟く。
「だから、逃げるなって」
 ついに走り出したギャンガルドに、それ以上の速さでキャルもセインも後退する。
 後ろ向きで。
「反省って言葉を知らないおっさんに、付き合う謂れはないのよ」
 おまけで一発。
 ドン!
「のあ!!」
 足元に打ち込まれた弾丸に、一瞬飛び上がったギャンガルドの隙を突き、二人は一気に距離を開けた。
 後ろ向きで。
「器用だなあ」
「感心してないで、なんとか止めてくれよ」
「無理ですよ、俺っちに、キャプテンを手玉に取るようなあの二人を止められますかって」
 今度こそ、本気で海賊二人も走り出した。
「だいたい、僕らに何の用があるんだよ!?」
「ん〜、別に用って程の用じゃねんだがよ」
 走りながら喋るのは、結構体力を使う。そこはそれでも、さすが海賊といったところか。鍛えているだけあって、海の男二人は息切れ一つない。
「用って程の用でもない用のために、船残して陸に上がったんですか?クイーンも、そりゃ泣くねえ」
 タカがやれやれと頭を振った。
「いいじゃねえかよ。あの二人がいたら、色々と楽しいじゃねえか」
「お嬢も旦那も、迷惑がりますって」
「既に迷惑だわ!
 さっきよりずいぶんと小さくなったキャルの怒鳴り声が聞こえた。
「あ、聞いてたか」
「つか、早いなあ、後ろ向き」
「俺たちも後ろ向いて走ってみるか?」
「お嬢の弾が飛んでくるか、旦那の剣が飛んでくるか、どっちかでしょうな」
 そのとおりだ。
「のわあ!!」
 気がついたらセインが目の前にいた。
 ギラリと輝く聖剣の輝きに目を刺されながら、ギャンガルドが仰け反る。
 電光一閃。
 避けなければ、首が胴から離れていただろう。
「あ。森を抜けたのか」
 一度の剣戟で攻撃が止んだ事を確認して、くるりと周りを見渡せば、広い野原に出ていた。
「うん。だから、この状態でよければ話くらい聞いてあげるよ」
「プラス、タカのご飯付でね!」
 首筋に冷たい切っ先を向けられながら、要求はなんというのか。
「旦那、ここは穏便に」
 さすがと言おうか。
 普段はキャルに叱られっぱなしで、ぼんやりのほほんとした、ただの眼鏡の青年なのだが、こういう時は隠れた牙を垣間見せる。
 泣く子も黙る海賊王相手に一瞬で間合いを詰め、切っ先を向けるなど、タカの記憶を探っても、今までそんな人間はいなかった。
「そりゃあ、俺たちが何人束になってかかったって、あしらわれるはずだあなあ」
 彼らの船、クイーン・フウェイル号の甲板上で見せた鮮やかなセインの戦いぶりを思い出す。
「ぴゅうっ」
 それでも口笛を吹く余裕がある辺り、自分の船長も、並大抵の男ではないと思う。
 ちゃらけて見えるが、この男の恐ろしさは、間近で何度も見てきている。なにせ、気に入らない相手は容赦なく、船もろとも海に沈める男だ。
「俺から一本取るなんざ、やってくれるじゃねえか」
 少々、怒りの混じった声音だったが、性分なのか、表情は面白がっている。
「君を怒らせるつもりも、喜ばせるつもりもないんだけどね」
 にっこりと、セインが微笑む。
「へへ、相変わらずそら恐ろしいぜ」
 しばらく睨み合いが続いたが、ふいに、ギャンガルドが両手を上げた。
「降参。降参だよ」
「本当に?」
「疑り深いなあ。禿げるぜ?」
「余計なお世話なんだけど」
 そもそも、このギャンガルド。部下が港町で会ったというセインとキャルの話を聞いて、キャルを誘拐し、セインを手に入れようとしたことがあった。
 そのまま二人を気に入って、彼らの探し物の手伝いをしたが、結局最後はセインを攫って、どたばたしながら自分の目的を果たしてしまった。
 最初から相談すれば、キャルもセインも引き受けた話だったが、ただ単に面白そうだから、という理由で、キャルもセインもギャンガルドに振り回されたのだ。
 ギャンガルドの配下の海賊達と変な友情が芽生えたが、この張本人だけは別である。
 疑われて当然。



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