「おかしいわ」
 今日もセインの姿を一度も見ていない。
 キャルはさすがに不安になった。
 おまけにこの屋敷はなんだか変だ。
 昨日は気づかなかったが、ゼルダ以外に、他に誰か人のいる気配がない。なのに、食事の時間になればテーブルにはご馳走が並び、ティータイムにはちゃんとお茶とお菓子が用意され、就寝時にはベッドメイクされている。
 ゼルダによれば、ピーターとかいう使用人が居るらしいのだが、ピーター一人でこれらの仕事をこなしてでもいるのだろうか。
 相変わらずふわふわの、絹のレースを使った、ピンクのドレスに身を包み、キャルはゼルダに見つからないように気を配りながら、屋敷の中をうろついていた。
 台所、リネン室、水汲み場。
 使用人のいそうな場所を覗いてみたが、誰も居ない。
 台所にいたっては、あれだけの料理が並んでおきながら、使われているような気配がない。
 野菜も肉も、調味料や小麦粉まで、いったいどこにしまってあるものやら、見当たらないのだ。
 食器だけは、綺麗に棚に並んでいたが、届かなくて手にとることが出来ないので、きちんと見ることは出来なかった。
 それでも、屋敷中が綺麗に掃除されている。
 人の気配がないのに、埃一つないのは不思議だった。
「ピーターっていう人は、よっぽど働き者なのかしらね」
 こんな広大な屋敷を、一人で管理するのは容易ではないはずだ。
 一階の長い廊下に、扉が並ぶ場所に出た。
 手前の部屋を開けてみれば、小ぢんまりとした部屋に簡素なベッドとクローゼット。多分使用人部屋だろう。
 それでもこれだけの数があれば、ちょっとした宿屋が出来そうだ。
 六つある扉を、順々に開けてみる。
 使われていないのなら、雨戸くらい閉めてありそうなものだったが、どの部屋も空気を入れ替えるためか、開放的な大窓は開け放たれ、風にカーテンが揺れている。
 ベッドメイクも掃除も、きちんとされていたが、やはり人がいない。
 次に、それなら、と、二階の客室へと移動する。
 一階の使用人部屋同様、四つある部屋は、使われてもいないのにきちんと整頓されて、すぐにでも使用可能な状態だった。
「どういうことかしら?」
 さすがにおかしい。
 使用人が一人しかいないのに、手際が良すぎる。三階建ての建物は、横に伸びて広く、廊下は各階とも一本しかないはずで、掃除の手順がやりやすいといえばそうなのだろうが、今は昼前だ。たった一人で午前中に、これだけの仕事がこなせるものなのだろうか。
 おまけに、どこをどう探しても、あの長身の眼鏡が見当たらない。
 ゼルダに見つからないように動いているので、大声で呼ぶわけにもいかないのだが、それにしたってセインがいるような気配もない。
 最後の、角にある客室の窓辺へ近づいて、キャルは庭を見下ろしてみた。
「中にいないなら、外かもね」
 しかし、庭は手入れされた植木や花が風に揺れるばかりで、やはり人の気配がなかった。
「ピーターって、庭師の仕事までこなすのね」
 顔も見た事がない屋敷のたった一人の使用人は、いったいどんな人物なのだろう。
 そもそも、ここにはゼルダ以外に人がいるのかどうか・・・?
 そんな考えが、ふと頭に浮かんで、キャルはぞっとした。
「そ、そしたら、このお屋敷、魔法でも掛かっているってことになるわね」
 そう言って、無理に笑ってみた。
 実際、そう考えた方が、この屋敷の状況は自然だった。ありえない話だが。
 ふと、視界の隅で、庭の薔薇園の辺りに、人影が動いたような気がした。
「?」
 窓から顔を出して、赤い薔薇の咲き乱れる庭を見れば、やはり人がいた。
「ねえ!あなたがピーター?」
 キャルは身を乗り出させて、薔薇の手入れをしている人影に話しかける。
 相手はかなりぎょっとしたらしい。ビクリと肩を震わせて、恐る恐る、といった風に、ゆっくりと振り向いた。
 それは少々滑稽な風景だった。
 美しく咲く薔薇に囲まれた男の顔は、醜くゆがみ、背は曲って駱駝のコブのようである。
「えーっと」
 キャルは言葉に詰まった。
「えっと、貴方が、ピーター?」
 そう訊ねれば、ぺこりと頭を下げる。肯定の意味だろうか。
 別に見た目がおかしいからといって偏見を持つキャルではないが、赤い薔薇は、彼には、あからさまに似合わなかった。
「どちらかと言ったら、薔薇よりはタンポポとかカタバミとか、そっち系?」
 そんなことを考えて、それも微妙であるので、ちょっと考え込んだ。
 しかし、興味はすぐに、彼の周りの赤い薔薇の隣に咲く、淡い色彩の薔薇に移動した。
「ねえ、そのピンク色の薔薇」
 キャルの聞きたい事が分かったのだろう、ピーターはペコリと頭を一度下げる。
「こ、これは、昨日、の、夜、お嬢、さま、に、差し上げ、た、薔薇、です」
「お風呂に浮かんでいた花びらね?」
 そう言えば、こっくりと頷いた。
「待って、今そっちへ行くわ」
 キャルは返事も待たずに、ぱっと窓から身を翻して、一階へと続く階段を目指した。
「うわあ。こうしてみると、また壮観」
 薔薇に埋め尽くされた庭は、行ってみれば良い香りにも埋め尽くされて、遠目から見るよりも迫力があった。
「ピーター?」
 行儀悪く、薔薇園が見える一階の窓から外へと出てきたので、散策できるように敷かれた庭の道からは、少々外れているところに出てしまった。
「あれ?」
 ピーターの姿が見えない。
 変な場所に出てしまったために、彼の姿が見えないのかと思ったが、呼んでも返事がないところを見れば、もしかしたら、正式な一階の出口まで、キャルを迎えに行ってしまったのかもしれなかった。
「庭への出入り口なんて、知らないもの」
 困ったとばかりに首を傾げていれば、すぐ側でがさりと音がした。
「セイン?!」
「あ、お、おれです」
 まさかと思って振り向けば、そこにいたのはピーターだった。
「あ。ごめんなさい」
 隠れていたセインかと思ったのだが、よく考えればそんなはずも無い。
「そうよね。薔薇にセインなんて、ピーターよりも似合わないし」
 キャルは決め付けた。
「あ、あの、これ」
 ピーターが、そうっと差し出したのは、一本の、あのピンクの薔薇だった。
 きちんと棘が取られている。
「まさか、採ってくれたの?」
 こっくりと、頷いた。
 キャルのために切りとって、棘まで丁寧に外してくれたらしい。
「ありがとう」
 そう言えば、ピーターは嬉しそうに笑った。
「そうだ!」
「?」
 思いついたように急に大声を上げたので、驚いたらしいピーターは、一歩下がった。
「驚かせてごめんなさい、それもこれもみんなあの馬鹿賢者のせいよ」
 何気に全部セインへ責任転嫁。
「ピーターなら、セインの居所が分かる?」
 広いこの屋敷を一人切り盛りしているのなら、屋敷のことは隅々まで知っているはず。
「せ、せいん?」
「そう、セイン!背が高くて眼鏡かけてて、なんていうの?ウドの大木みたいなヒョロッとした薄ら馬鹿なんだけど」
「は、はあ?」
 その説明では良くわからなさそうだったが、首を傾げた後に、ピーターはこっくりと頷いた。
「そ、その、も、しか、して」
「知っているの?」
 聞き返せば、困ったような顔をされる。
「ひと?剣?どちらで、すか?」
「・・・は?」
 それはどういうことか。
 人前で剣になってしまったのか。有り得る話だが、普段から気をつけていたはずなのに。なにせ、セインのことだ。うっかりやってしまったのかもしれない。
「まあ、見られたってんなら仕方ないんだけども」
 セインの正体は、伝説の聖剣、大賢者セインロズドである。なので、普段は人の姿をしているが、剣の姿にもなれる。
 人の姿をしているときには、彼は聖剣の鞘の役目を担うので、体内に聖剣を仕舞っている形になる。剣の姿のときは、鞘となる体がないので、抜き身のままという状態だ。
 今では本人でさえ、人と剣、どちらが本当の姿なのかが分からなくなってしまっているらしい。
 とりあえず、今までの経験上、海賊約一名を覗いて、セインの正体がバレたことは無い。
 その海賊には、散々な目に合わされているので、できればお会いしたくない。彼の手下達なら、いくらでも大歓迎なのだが。
「お嬢、さまに、人、倒れてる、呼ば、れて、玄関、行きまし、た。そした、ら、剣、転がって、ました」
「あ、そうなの?」
 どうやら見られずにはすんだらしいが、それは充分に怪しかろう。
「その、倒れた、ひと、の、持ち物だったのか、も、しれませ、んが、お嬢様、に、言いつけ、られ、て」
「言いつけられて?」
 ちょっと嫌な予感がした。
「売りました」
「へ!?」
 キャルは変な声を出した後、一瞬絶句した。嫌な予感というものは、どうしてこう、大概当たってしまうものなのか。
「う、売ったああああ??!!!!」
 そりゃ、姿が見えないはずである。
 薔薇園に、キャルの絶叫が響き渡った。



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