呆れ半分、感心半分の、ついでにちょっと安心して、肺からそっと息を吐き出す。
 ギャンガルドの今の目的は、自分たちではないらしい。
 相手が相手とはいえ、これで、少しは休める。そう思ってしまえば、急に眠気が襲ってくる。
「じゃあ、ご馳走様。キャル、僕は部屋に行くけど、君は?」
 勘の良い海賊達に気付かれない様に、さっさと椅子から立ち上がり、連れの少女をさり気なく促す。
「そうね。明日の朝にならないと、身動きが取れるのかどうかも分からないなら、今日はもうこれでお開きにしましょ?」
 そう言って、わざと欠伸までしてくれるのは過剰な演技だと思うのだが、彼女が滅多に見せないような年相応の稚拙さが窺えて、少々笑みがこぼれる。
「・・・・・・!」
 足に衝撃。
 笑ったのが気に入らなかったらしい。キャルの踵が、足の親指に思いっきりめり込んでいる。甲は甲で、しっかり踏みつけられていて。
 痛みと悲鳴をとっさに飲み込んだ自分は偉いと、セインはこっそり思った。
「じゃ、ギャンギャン。今夜はご馳走様」
「・・・・あんまり苛めるなよ」
 セインへ必殺の一撃を加えた事に気付いたらしいギャンガルドに、キャルはそれはもう、満面のイイ笑顔を向ける。
「何のこと?」
 その微笑を受け止めて、ギャンガルドは、そっとセインを除き見て、一言。
「がんばれよー」
「うるさいよっ!」
 せっかく堪えた悲鳴も痛みも、甲斐が無かったらしい。
「旦那、お大事に?」
「そこで疑問形なの?」
 なんとなく三人のやり取りに事態を察したタカに労われて、セインは居た堪れない。
「・・・・ギャンギャン、明日の朝食も君の奢りね」
「は?いや、何だそりゃ?」
「うん。気にしないで。八つ当たりだから」
 にっこりと、最上の笑みをくれてやれば、海賊王は押し黙ってカクカクと首を縦に振ってくれたので、セインはタカに手を振って、ようやっと、暴力的で我侭な主と共に部屋へ戻って行った。
 踏まれた足はとても痛くて、どうしても引き摺りがちになっていた。

「さて?」
 歯を磨き、寝巻きを着て、就寝準備完了。
 キャルは向かいのベッドに腰掛けて、うとうとし始めたセインを前に、腕を組む。
「セインが眠いなんて、珍しい事もあるのね」
「僕だって睡眠は取ります」
 それは知っている。人の形を取れば、セインは睡眠も取るし食事も摂る。
 彼だって一応人間の部類だとキャルは思っているが、眠たそうなセインは見た事がないような気がした。
「それも怪我の所為かしら?」
「多分。休息を身体が欲しているのだろうね」
 瞼がとろんとしている様は、非常に見ていて飽きない。
 なんて珍しい。
「あの」
「んー?」
「じっと見られているのも落ち着かないのだけど」
 へらりと笑ったセインの言葉に、無意識に自分が彼の顔を見つめていた事に気付いた。
「ああ。ぼうっとしていたわ」
「・・・・珍しいね」
 言った途端に、セインの上体が傾いだ。
「ちょ、セイン!」
 慌てて両腕を差し出すが、寸での所で、彼は自身を支えて持ち堪えた。
「ちょっと。思ったより傷が酷いなんて言わないでよ?!」
 セインの傷は塞がりかけているし、時折血が滲むとはいえ、そこまで状態が悪いとは判断していなかった。
 見誤ったか。
 キャル自身も大怪我を負った事くらいあるから、なんとなく怪我の治り具合の道程は分かる。しかし。
 自分は医者ではない。
 結局は素人判断なのだ。
「お医者、呼ぶわ」
 慌てて部屋を出て行こうとしたキャルの細腕を、セインが咄嗟に掴んで引き寄せる。その手が冷たい。
「セイン?」
 顔を覗き込めば、色を無くして、額に汗を滲ませている。
 辛そうなくせに、セインはゆっくりと首を振る。
「でもっ!」
 掴まれた腕を振り解こうとしたが、血の気を失った白い手は、それでもキャルを離そうとはしなかった。
「こんな時まで馬鹿力!」
 泣きそうになれば、汗の滲んだ蒼白な顔のまま、セインがキャルを見上げた。
 ベッドの端に蹲る様に腰掛けるセインから、自分の前に立つキャルの顔を見ようと思えば、どうしても見上げる形になる。
 いつもとは逆の位置で、視線が絡まった。
「だい、じょうぶ」
 喋るのも辛そうなのに、うっすらと口元は笑みを形作って。
「無理に笑ってんじゃないわよ!どこが大丈夫なのよ!」
「・・・・さとられ、る、から」
 ぴくりと、キャルが肩を震わせた。
 ギャンガルドに、この状態のセインを知られてはまずい。あの海賊は、ここぞとばかりに彼を攫うに違いない。
 本当なら、セインだけを連れ去ったところで、彼がキャル以外の人物の言う事を聴くはずがない事くらい、あの海賊王とて承知の上なのだろうけれど、何を考えているのか予想もつかないギャンガルドは、警戒するに越した事はなかったし、二人の中では、それ以前に要注意人物だ。
「ご、め、・・・しばら、く、ねむ、から・・・」
 だから、大丈夫。
 掠れて、最後まで言い切れなかった言葉に、キャルは自分が取り乱していた事に気付く。
 するりと、セインの手の平が、自分の腕から滑り落ちると同時に、彼の全身が発光を始め。
 光が治まったそこには、一振りの美しい剣があった。
「まったく、苦しいなら苦しい、痛いなら痛いって、ちゃんと言いなさいってのよ」
 細身の、ちょっと力を入れれば折れてしまいそうな。シンプルなデザインの柄にはアメジストが嵌め込まれて、良く見れば細工は上質で緻密。そのくせ刀身の輝きは、そこらの剣など玩具に等しく。
 これが、大賢者セインロズド。
 セインと呼ばれる青年の、もう一つの姿であり、武器。
 今ではキャルもこの剣を振るう事があるものの、セイン自身が剣に姿を変えて意識が無い状態で、手元にセインロズドがあるのは初めての事だ。
 セインは剣に姿を変えることで傷を癒す事ができる。
 それをすっかり失念していた。
 いや。失念させるほど、彼の状態が酷かった。
 ベッドの上に横たわる剣は、一見頼り無さそうな様まで、彼を写し取っているようで、キャルはなんだか腹が立った。
「回復したら、さっさと戻ってらっしゃい!明日の朝までそのままだったら、承知しないからっ」
 いつもなら、彼の淹れてくれたお茶を飲んで、ちょっとしたおしゃべりをして、それで、ちょっと小突いて。
 そうして眠りに付くのに。
「あたしって、駄目だなあ・・・」
 ぽつりと、呟いた。
 あんなセインを見て、簡単に取り乱してしまった。そんな自分を思い返せば、セインが傷の痛みを隠してしまった理由が容易に解る。
 本来なら、彼とてあんな姿を晒すつもりも無かっただろうけれど。
 それだけ、逼迫していたという事か。食堂で、海賊相手にグズグズしすぎた。
「明日の朝、戻ってなかったら、見てなさいよ」
 セインロズドに向かって呟きを落とせば、アメジストが少し煌いた気がした。




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