「何かあったんスか?」 「ありそうだから、様子見て来いってんだよ」 「素直にそう言えば良いのに」 ぼやけば睨まれた。 「うへえ。俺らにはそういう顔できんのに、どうしてお嬢たち相手だと全部台無しになっちまうんですかねぇ?」 「そりゃあ、惚れた弱みってヤツじゃねえか?」 にやりと物騒な事を言われ、タカは何ともいえない複雑な心境になる。 からかわれているのだと分かってはいるものの、あながち本気とも受け取れる。どちらに惚れているのかなんて聞きたくもないし、どっちに惚れていたって面倒くさい事この上も無い。 お嬢相手なら性格も好ましいし、何より実力者としてツボだ。 旦那相手なら、あの剣技と度量。男が男に惚れるってヤツだろう。まあ、それ以上に「伝説」級の存在だ。 そして何より、タカ自身が、二人に惚れ込んでいるからどうしようもない。 「茹蛸になってるぜ?」 実に楽しそうなギャンガルド相手に、タカは盛大に溜息をつく。 「ま、キャプテンがほだされてちょっかいかけたくなったところで、俺たちは面白いだけだし、二人には悪いけど諦めて貰うっきゃねえかなぁ」 自分も当事者のようでいて、所詮は他人事なのだった。 実際、クイーン・フウェイルの乗組員一同、キャルとセインの二人を気に入っているのだから、自分たちのキャプテンがこの二人にちょっかいをかけるのならそれは歓迎すべき事だ。 肝心の、標的にされてしまった二人には、とてつもなく要らない迷惑なのだけれども。 分かっていても、それはあえて、分からないフリをしようと心に決め込むタカだった。 翌朝は盛大な大声によって、宿屋に宿泊していた全員が一斉に目を覚ました。 「何よ、朝っぱらから騒々しいわね」 つんざく様な悲鳴が聞こえたのは窓の外。 起きてみれば、部屋の出入り口に、壊れた戸板の代わりに大きな布が留められて、目隠しにされている。 昨夜、タカが付けてくれたものだ。 窓をとりあえず開けてみようと、キャルはベッドから足を下ろした。 昨日のお茶を飲んだ跡は、綺麗に片付けられている。 暗い室内は雨戸を開ければいくらか明るくはなるものの、朝靄のかかる景色は、さほど太陽光を取り入れてはくれそうにない。そもそも、まだまだそんな時間でもない。 下を除き見れば。 「あぁ、そういえば」 窓の下に、ぶら下がっている男が一人。 「逃げられなかったのかしら」 外から聞こえた悲鳴は、この男を発見した通行人から発せられたものであるらしかった。腰でも抜かしたのか、石畳の地べたに尻餅をついて、指をさしている。 宿屋の窓も、ちらほら開いて、きょろきょろとあたりを見回す人々がいたが、原因が分かればどうという事はないので、キャルは外への興味を失って、ガラスの窓を閉め、室内へと視線を戻した。 そのままベッドを横切って、扉代わりの布をめくり、廊下を覗いてみれば、向かいの部屋の中身が丸見えだった。 そういえば、昨晩ナイフで扉を切り裂かれて、大きな隙間が開いていたのだった。 宿泊客は既に姿が見えなくなっている。大方、逃げ出したと見るのが普通だろう。 それが証拠に、荷物を抱えて廊下をうろうろする宿泊客がちらほら見られた。 昨夜に引き続き、今朝の悲鳴と来れば、逃げ出したくなるのも仕方がない。 それでも宿屋の主人らしき人物が、全く現れない。 従業員もしかり。 それならそれで、今のうちにトンずらして、宿泊料金を踏み倒してしまうのも、別に罪な事ではない様な気もしてくる。 「セインに言ったら怒りそうね」 ぱさりと、めくっていた扉代わりの布から手を離し、ゆっくりとベッドへ戻った。 もう一度寝直してしまおう。なにせ寝るのが遅かった。 キャルは大きく欠伸をすると、ごそごそとベッドの中へと潜り込む。 「セイン?」 念のため、隣のベッドで丸くなっているはずの相方に、声を掛けてみる。 返事は無かったけれど、規則正しい寝息が聞こえてきて、キャルはホッと息をついた。 「海賊どもが起こしに来るまで寝ていたって、別に罰は当たらないわよね」 外の嵐は止んでいたし、廊下はまだ騒がしいけれど、セインを休ませておきたかった。 昨日の夜は色々面倒くさかった。 まあ、結局就寝前のお茶会は出来たし、そのお茶会の後片付けはタカがやってくれたし、ついでに扉が壊れて廊下から丸見えになってしまったこの部屋に、キャルがセインロズドで切り裂いたケットを上手くピンで繋いで一枚布に直し、扉の代わりに出入り口に付けてくれたのもタカだ。 その間、セインがどうしていたかといえば、ダウンしていた。 傷が痛むのに遠慮が無い海賊王にイライラし、投げ飛ばす事二回。その前に襲ってきた不届き者との格闘が祟って、流石に傷口が開いた。 タカが洗い物に厨房へ降りている間に手当てをして包帯を巻きなおし、後はベッドへ放り込んでおいた。セインも抵抗はせず、疲れもあったのだろう。すぐに眠ってくれた。 本当なら、セインロズドに姿を変えさせてから眠らせたかったのが、そんな余裕も無く、一度眠ってしまったものを、また起こすのもしのびなく。 それでも、顔色は昨日に比べ、だいぶ良くなったように思える。あとは、この村から駅馬車が出てくれれば言う事はない。駅馬車が無ければ、荷馬車に便乗させてもらうのでも良い。 それも、次の町までの道筋が、昨夜の嵐で分断されていなければの話なのだが。 「ちゃんと夜が明けたら、何を食べようかしら」 キャルはそんな事を思いつつ、うとうとと目を瞑った。 「お嬢!!!」 「ぎゃあ!!」 目を瞑ったところで、大声で呼ばれて思わず飛び起きた。 「早く宿を出るぞ!!」 「な、何よ?」 タカが、ドタドタと部屋の中に許可も無く入って来る。 「ちょっと、一体どうしたって言うの?」 「説明は後々!とにかくズラかるぜ」 どこか嬉しそうな、機嫌の良いギャンガルドが、意気揚々と壊れた扉をくぐって入って来るのを見れば、何事か面倒な事が再び起こったことは分かる。しかし別段、銃声がしたとか、剣戟が聞こえたとか、朝の悲鳴以外で怒号が聞こえたとか、そんな事も無く、この海賊たちが一体何を慌てているのかがさっぱり分からない。 タカは自分たちの麻袋の荷物のほかに、キャルの鞄をとっとと引っ掴む。ギャンガルドはギャンガルドで、まだ眠っているセインを右肩に担ぎ、寝巻きのままのキャルに靴を履かせてその手を掴んだかと思えば、ひょいと左脇に抱えてさっさと廊下に出、階段を下り、誰もいないフロントを通り過ぎて宿賃も払わずに外へ出てしまった。 抵抗してみるものの、この男の無駄に筋肉質の太い腕はびくともしない。 流石にセインが気になったが、体制が体制で、首を捻ったところで、彼の足が見えるくらいだった。 「あのね」 脇に抱えられたまま、早朝の村の小道を進んでゆく。 いいかげん朝も明けかけ、靄も消えてなくなり、キャルが最初に起きた時よりも、太陽は輝きはじめている。 「ちょっと」 それなのに、何が悲しくて、大男に小脇に抱えられ、寝巻きのままブラブラと運ばれて行かなければならないのか。 「こらあ!」 鼻歌を機嫌良く歌いながら、先程から無視をし続けてくれるギャンガルドの腹を、思い切り殴った。 「ぐふうっ」 「ぐふじゃないわよ!いいかげん下ろしなさい!さもなきゃ理由を述べなさい!」 抱えられていようが、いるまいが、キャルはキャルだった。 「お嬢ちゃん、いきなり腹はねえだろ、腹は」 両手が塞がっているので、痛む腹をさする事も出来ないギャンガルドは、口角を引きつらせて痛みに耐える。 「まあ、もうちっと先に行ってからな」 痛みが治まると、ギャンガルドは先程より更にスピードを上げて、どんどん道を進んでゆく。 「ちょ、ちょっと!私まだ寝巻きなのよ!」 じたばたともがいてみても、流石は海賊王。びくともしない。 「お嬢、あんまり騒ぐと目立つぜ?」 見かねたのだろう、タカがキャルを覗き込んでくる。 「もう、この状態だけで充分目立ってんのよ」 男二人が荷物を抱えて走っているだけなら、さほど不思議でもない。ただ、問題は、片方の大男が、人を二人抱えているという事実。 しかもギャンガルドの満面の笑みに加え、担がれている方は二人ともに寝巻きのまま。 人攫いにしか見えないではないか。 「よし、この辺で」 ようやく止まったギャンガルドが、キャルを地面に下ろした。 セインの事は担いだままだ。 見回せば、小さな裏道の、小さな戸口の前だった。 コツコツ ギャンガルドが、その戸口をノックする。 パタパタと、軽やかな足音が聞こえると、扉に付いている小窓がぱたりと開いて、人の目が見えた。 綺麗な琥珀色の瞳。まだ若い女性だ。 「誰?」 「俺」 琥珀色の瞳の持ち主に、ギャンガルドは短く応えた。 すると一気に扉が開いて、黒髪の豊かな美女が飛び出した。 「おかえり!」 「おう」 ギャンガルドはセインを抱えているのに、抱きつく女性を軽々と受け止めている。 なんとなく事態が飲み込めて、キャルは眉間に皺を寄せ。 こっそりと、ギャンガルドのシャツの裾を引っ張った。 「この女性があんたの愛人もしくは何人目かの奥さんだって事は分かったから、さっさと説明なり何なりしてくれないと、お父さんって呼ぶわよ」 美女には聞こえないように、小さな声で海賊王を脅す。 ぴくり、と、ギャンガルドの片眉が引きつった。 「流石だなあ」 一部始終を眺めていたタカは、しきりに感心して、ずれた荷物を抱え直す。 「まあ、ここじゃ何だ。中へ入れてくれよ」 「ああ、ごめんよ。何だ、お連れさんが増えているじゃないか」 黒髪を撫でながらギャンガルドが美女を宥めれば、感激の涙を指で拭って、彼女は一同を、自宅へと招き入れてくれた。 「あたしは、ジャムリムっていうんだ。ここはあたしの自宅兼お店。表側は小さいけどバーになっているんだ。狭いけど、今時間は営業もしていないし、こっちでくつろいでいておくれよ」 琥珀色の瞳の美女は、キャルへの自己紹介を済ませ、ギャンガルドに口付けを落とすと、嬉しそうに自宅のキッチンへと向かって行った。 店と自宅は扉一枚で繋がっている。先程招き入れられた小道側の入り口は、居住スペース側の玄関だったらしい。 現在キャルが座っているカウンターから、後ろにもう一つ入り口があるのは、店側の入り口らしく、先程通った玄関より、扉は赤く塗られて間口も広く、なんだか派手だった。 彼女が狭い、と言ったとおり、カウンター席には赤い椅子が五脚、他は入り口の脇に小さな二人掛けの、やはり赤いソファーが小ぢんまりと置かれているだけだ。 そのソファーに、ギャンガルドはセインを下ろす。 「…うっ」 担がれて運ばれて、セインも起きてはいたらしいが、うっすらと目を開けただけで、また閉じてしまった。 顔色が悪く見えるのは、店内が薄暗いからではあるまい。 せっかく、早朝には血色も戻っていたというのに。 「どうして今現在こんな事になっているのか、教えてちょうだい」 キャルは足のホルダーに納めていた拳銃を抜き取った。 担がれる直前まで、枕の下に隠してあったものだ。自分でも、あの状況でよく持って来れたと思う。 その拳銃を、別段ギャンガルドに向けるわけでもなく、手元でくるくると回し、回転式の銃創へ弾を込めたり出したりしている。 手持ち無沙汰なのか、これも脅しなのか。判断に迷うところだが、ギャンガルドはどちらでも構わないらしい。 「リボルバーよりオートマのほうが使いやすいんじゃねえの?」 ころころと、カウンターの上を転がった一発の銃弾を、摘んで持ち上げた。 「人それぞれよ。弾返して」 「ほれ」 素直に返すと、ついでとばかりに手の平の真ん中を、ぎゅうっと摘み上げられた。 「痛い。お嬢」 「痛いようにしてんのよ!」 どうも、銃をいじっているのは冷静さを保つためだったらしい。 「今、現在、どうして私とセインは寝巻きのまま、見も知らぬ美人さんのお店でこんなことをしているのでしょうかしらね?!」 ジャキン! ついに安全装置を外された銃口を向けられる。 「お、お嬢、落ち着いて!キャプテンもいい加減にしないと、風穴開きますって!」 見かねたタカが、二人の間に割って入った。 「風穴が開いちまうのは勘弁だなあ」 「じゃあ、説明しなさいよ!」 キャルを押さえ込もうとするタカの腕の隙間から、足やら腕やらをじたばたと出して、結局のところ、銃口をギャンガルドに向けるのをやめないキャルに、ギャンガルドは降参のポーズをとった。 「さっきの女な。自己紹介したから分かってると思うけど。ジャムリム。好い女だろ?」 「聞きたいのはそんな事じゃないんだけどっ」 「前ここに来た時、知り合ったんだが、田舎に似あわねえくらい情熱的な女でな。いつでも寄ってくれって言ってくれたから来たんだが」 「だから、彼女とあんたの惚気話はどうでも良いのよ。問題は何故ここに来ているのかってことよ!」 一向に本題に入ろうとしないので、キャルはいよいよ撃鉄を上げ、トリガーに指をかけた。 「うん、待て。お嬢が本気なのは分かった」 「確かめなくたっていつだって私は本気よ!」 ふうふうと、キャルの鼻息が荒くなってきた。 「宿屋に吊るされてんのが、昨日の刺客じゃなくて、宿屋の主人に摩り替わっていたって言ったら、納得するかい?」 「…待って。朝、初めに起きた時に、一度様子を見たけれど、入れ替わっていたなんて気が付かなかったわ」 ようやく話す気になったらしいギャンガルドを睨み、自分を落ち着かせるために深呼吸をすると、すとん、と、椅子に座り直して、キャルは朝方窓を開けた時の事を思い出す。 「ああ、あの悲鳴の後だろ」 「そうよ。悲鳴上げた本人か分からないけれど、通行人らしいのが、尻餅ついて指さしていたわよ」 銃はいまだにキャルの手の中だ。 「で、俺たちがお嬢たちを起こしに行ったまでの時間はどのくらいあった?」 「さぁ?そんなに時間はかからなかったはずよ。五分あったかしら」 「ふん?」 キャルの答えに、ギャンガルドは顎を摘んだ。 「俺はあの悲鳴が聞こえる前に起きてたんだ。宿屋の外に出て、昨日吊るした男の様子を確認できるくらいにはな」 「……どういう事よ?」 相変わらずもったいぶって話をするのは、この男の悪い習慣だと思う。 「あの悲鳴が聞こえる前に、刺客と宿屋の主人とが入れ替わっていたって事さ」 「じゃあ、私が見たのは宿屋の主人だったって事?」 「そうなるな」 「一体、何のためによ?」 「そりゃあ、俺たちを騙すためじゃねえか?」 わざわざ身代わりを立てて油断させ、隙あれば再び襲おうとしていたといった所か。 吊るされていた男が履いていたパンツは、昨夜の暴漢と同じ柄だった気がする。 そうなると、男が履いていたパンツに履き替えさせられたのだろうか。宿屋の主人も気の毒な。 「宿屋は災難だったわね」 「ま、結局つるんだ相手が悪かったってところだろ」 「何でつるんでいたって分かるのよ」 セインもその可能性を疑っていたが、確証があったわけでもない。 「そりゃあ、お前さんたちが引き上げた後に、宿屋の亭主を縛り上げたからじゃねえか?」 「は?」 いつの間にそんな事をしていたのか。 と、いうより。秘密をバラした事によって、宿屋の亭主は刺客の変わりに吊るされたのではなかろうか。 哀れな。 では、またあのナイフ男が襲ってくる可能性があるということか。 寝ている間に襲われなかったのは、流石の刺客も、ギャンガルドが確認を取る直前まで吊るされっぱなしだったということだろう。さぞかし屈辱的だったに違いないが、自業自得と言うものだろう。 |
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