第四章

 毎度の事ながら、迫力の微笑返しだ。
「はい、お待ちどうさま!」
 そこへ、ちょうどジャムリムがタカを連れて戻って来た。
「…?どうかしたの?凄い汗だけど」
「いや、何でもねぇ。部屋が熱くてよ」
 そう言う口元は、何だか引きつっている。
「そう?ちょっと肌寒いくらいかと思って、コーヒーあったかいの淹れて来たんだけど」
 苦しそうなギャンガルドの言い訳に、キャルはくすくすと笑っている。
 笑うキャルと、ソファからカウンターへ移動しているセインを見て、なんとなくだが状況を把握したタカが、眉尻を下げて複雑な表情をした。
「まぁ、良いじゃねえか。腹減った!飯めし!」
 先程齧ったパンに、ジャムリムが用意してくれた生ハムやらスクランブルエッグやらを乗せ、最後にトマトを乗せて、ギャンガルドが再び勢い良くかじりつく。
 それを嬉しそうに眺めながら、ジャムリムが全員にコーヒーを配った。
「今度はどれくらいこの村にいられるんだい?」
「んー?今足止め食らってるからなぁ。駅馬車って、使えるのか?」
 質問を質問で返すギャンガルドに、嫌な顔もせずに、黒髪の美女は、細くて華奢な指を、綺麗な唇に当てて考える。
「駅馬車はここにもあるけど、昨日の嵐が酷かったから、出せるかどうかは微妙だね。もう少ししたら、駅馬車の組合連中から聞き出せると思うけど」
「駅馬車があるのね?!」
 玉子とコンソメのスープを飲んでいたキャルが、嬉しそうに顔を上げた。
「ふふ。ここは田舎だけど、流石に駅馬車くらいは通っているさ」
 キャルの様子に、目を細めながらジャムリムが微笑む。
「ほえ」
 間の抜けたキャルの声に、セインは目を丸くした。
「どうしたの?キャル、顔が赤いよ?」
「ううう、う、うるさいわね!」
 慌てるキャルに、セインが首をかしげ、ジャムリムがキャルの顔を覗き込む。
「あたしの顔に、何か付いてでもいたかい?」
「ち、違うの!そうじゃなくて、その、綺麗、に、わ、笑うなあって、思って…」
 顔を覗き込まれて、更に顔を赤くするキャルだったが、弁解する言葉はどんどん尻すぼみになって、最後はもごもごと聞き取れなくなってしまった。
「だから言ったろう?好い女だってさ」
 ふふん、と、鼻を鳴らして、キャルの鼻先を指先で弾こうとしたギャンガルドの手を、セインがペチリと叩き落した。
 キャルはキャルで、悔しそうにギャンガルドの顔を睨みつける。
 色々と、ギャンガルドの目が確かな事は、認めたくないけれども認めざるを得ず。
「嫌だねぇ!照れるじゃないか」
 当のジャムリムは、キャルと同様に顔を赤くして、嬉しそうにギャンガルドの頭をぺしぺしと叩いている。
「あー。腹もいっぱい胸もいっぱいっすね」
 なんだか上手く状況を一言でまとめたタカが、コーヒーの最後の一口を、ゆっくりと飲み込んだ。
「この頃この町、物騒なんじゃないんですかい?姐さんの事だから心配いらねえと思うんですが、何だか良くない噂話を聞きますぜ?」
「おや、そうかい?」
 自分のキャプテンには任せておけないと思ったのだろう。タカがサラダをパリパリと食べながら話題を変えた。
「そうだね。物騒といえばそうかもね」
「何か、良くない事でもあるの?」
 キャルがパンを齧りつつ、話の先を促す。
 自分もパンを齧りながら、ギャンガルドの真向かいに座ったジャムリムは、手の平を頬に当てて、少し考える。
「最近、物取りが増えていてね。主に旅人目当てだから、町の人間そのものには被害は無いのだけれど、この町の評判が悪くなるだろう?只でさえひなびた田舎町だっていうのに、立ち寄ってくれる人がいなくなっちまうんじゃないかって、皆で心配しているんだよ」
「…物取り?」
「そう。宿屋に泊まって、朝起きたら荷物が無いとか、金目のものだけ綺麗に消えているとか」
「誰か襲われて怪我したとか、そういうのはないのか?」
 ギャンガルドが聞く。
「さぁ?それは聞いた事がないけれど」
 旅人を狙った物取りが、昨日の不届き者の正体だったのだろうか。それにしては、特殊なナイフを所持していたり、身のこなしがプロのそれであったりしていたように思う。
「なんにしたって、お前に害が無きゃ、それで良いんだけどよ」
「ふふ。そんなこと言ったって、何も出やしないよ」
 二人とも、周りの目も気にせずキスをする。
 軽いものであったけれど、キャルなどはまた顔を真っ赤にした。
「おチビさん可愛い!」
 赤くなったキャルのおでこに、からかうようにジャムリムがキスをしたので、キャルは余計に赤くなって、頭から湯気が出そうだった。
 なにせ彼女はキャルの頭を抱え込むように抱きしめており、豊かな二つの胸の谷間に、キャルは顔を埋もれさせていたので、柔らかかったり息苦しかったり気持ち良かったり恥ずかしかったりと、色々と忙しかった。
「もう、い、いいから!それより、その物取りって、いつくらいからなの?」
 一生懸命ジャムリムを押しのけながら、キャルは話題を戻す。
「そうだねぇ、前にギャンガルドが来てくれた時あたりより、ちょっと前くらいからかしら。ここんとこ二週間前後だと思うけれど」
 離れてしまったキャルの頭を残念そうに見つめながら、ジャムリムが答えた。
「ギャンギャンが来るよりちょっと前」
 それは、ギャンガルドが待ち伏せされていたという事にはならないだろうか。
「だったら、この町を出た俺たちの後を着けて来ないとおかしいだろう。またこの町を通るとは限らないし、そもそも前回はそんな噂、聞かなかったしな」
「そりゃ、被害の出始めで、この村も治安だけは良かったから、通りすがりの余所者が悪い事をしたんだろうっていうくらいにしか、思っていなかったからね」
 ギャンガルドの言葉尻を捕まえて、ジャムリムが付け足す。
 ふと、ジャムリムがギャンガルドの顔を覗き込んだ。
「何?何か盗られでもしたの?」
「いや?盗られたわけじゃないな」
「じゃあ、盗られそうになったんだ?」
「そうなのか?」
 押し問答で、最後はキャルに振られて、ムッとする。
「そうなのかも何も、相手の目的が分からなかったんだから答えようがないじゃない」
「ふうん?とりあえず、何かあったんだ」
 結局キャルが説明する事になり、その周りでタカが朝食の後片付けを始めだす。
「たまには自分で説明しなさいよ」
 キャルに呆れられたところで、ギャンガルドはどこ吹く風だ。
「昨夜、宿屋でナイフを持った男に寝込みを襲われたのよね」
「え!大丈夫なの?」
「大丈夫だから、今ここにこうしているのよ」
「ああ、そうね」
 ほっと胸を撫で下ろしたらしい彼女に、キャルは笑顔を向けた。
「皆でそいつを捕まえたんだけど、朝になったら逃げられちゃったのよね。それで、一時避難しようということで、ギャンガルドに連れられてここに来たのよ」
 本当ならギャンガルドの悪行も、とくとくと語りたかったが、話が長引く上に、小脇に抱えられてしまったのは自分の不覚でもあるので、キャルはだいぶ話を分かりやすく端折った。
「もともと、ここには顔を出すつもりだったし、面倒くさいから連れてきちまえと思ってな」
 さらりと笑うギャンガルドに、キャルは思い切りパンチを繰り出す。
 ガス!
 おしい。顎をかすった。
「痛い」
「初めて聞いたわ。その話」
「初めて喋ったからな」
 ゴス!
「うぶっ」
 今度は不意打ちで、腹に見事ヒット。
「そもそも知り合いがいるならいるって、最初っから言いなさいよ!そうしたら駅馬車の事だの何だの、昨夜あんなに悩まなくってすんだのよ!」
「だから、ままま町のやや奴に聞けばばばって言ったじゃねええええかかか」
 胸座を鷲掴みにガクガクと揺さぶられて、ギャンガルドの科白がぶれる。
「もういい。ギャンギャンの事は今までどおり、今後だって一切本気で信用しないし、ちょっとは見直そうかと思ったけど、それも止めた」
 ぱっと、ギャンガルドのシャツから手を離し、キャルはぴょい、と椅子から飛び降りた。
「なんだその、今までどおり本気で信用しないって」
「言葉どおりよ。今までギャンギャンの言う事為すこと油断なんか出来なかったし。これからも警戒態勢万全で臨ませていただくわ」
「えぇー」
 不満なのか、わざとからかっているのか。ギャンガルドの抗議の声に、キャルはまた拳を作った。
「うふふ。信用なんかされるわけがないだろう?ギャンガルドったら」
 ギャンガルドの脇腹めがけて振り上げられたキャルの拳を止めたのは、意外な人物の、にこやかな発言だった。
「えーっと。ジャムリムさん?」
「何かしら?」
 にっこりと微笑むジャムリムに、男性一同、背筋が伸びる。
「何で僕まで」
「おれっちもっすよ」
「そりゃあ、お前らだって身に覚えがあるからだろう?」
 ギャンガルドの言葉に、他の二人はぶんぶんと首を振る。
「僕は理不尽な事が嫌いだからね。君と一緒にしないでよ」
「おれだって、マーゴット一筋っス!」
 一斉に否定された。
「あっははは。大丈夫さ。男ってな、女の一喝には弱いもんだからね。まぁ、ギャンガルドは別の意味で畏まったみたいだけど?」
 んん?と、ジャムリムが顔を覗き込めば、ギャンガルドは目をさ迷わせる。それをすかさず、ぺちりと叩いた。
「イテ!」
「男がこれっくらいで痛がってんじゃないよ。ギャンガルドの事だから、どうせあっちこっちに好いヒトがいるんだろう」
「分かってるじゃねえか」
「そんなことも気付かないで、あんたと付き合ってなんかいられるかい?」
「ごもっともで」
 何だか、彼女の前では、あの一癖も二癖もある海賊王が、そこらの普通のおっさんに見えるのは何故だろう。
 豪快なジャムリムに、キャルは尊敬の眼差しを向ける。
「スゴーい!」
「そうでもないさ。結局許しちまうんだから、惚れちまった弱みってヤツだよねぇ」
 ふん、と鼻息を鳴らし、腕組みをした。
「その科白、どっかでも聞いたばっかりなのに、言う人が違うだけで、こうも印象が違うのはどうしてだろう」
 気苦労の絶えないタカは、こっそり溜息をつく。
「じゃ、そろそろ朝市も始まるだろうし、買い物がてら駅馬車の事も聞いてきてあげるから、大人しくここで待っててくれるかい?」
「お?俺も着いていこうか」
 ギャンガルドが席を立つ。
「そうだね。荷物持ちになってくれるかい?」
「まかせとけ」
「じゃあ、おれは後片付けしとくんで」
「私、タカを手伝うわ」
「あ、じゃあ、僕は」
「「「あんたは寝てなさい」」」
「・・・・・・ハイ」
 全員の役割分担が決まっていく中、セインだけが一斉に大人しくしているように言いつけられる。
 言われた本人は、そんなに自分の体調は見ていて分かりやすいだろうかと、大人しく椅子の上で小さくなった。
 ギャンガルドにまで言われるのだから、昨日まで一生懸命隠していた意味がないではないか。
「何か、悔しいなあ」
「文句があるなら、お前さんにそれだけの傷を負わせた相手と、昨日の晩の間抜け野郎に言ってやるんだな」
「今度会う機会があったら、そうするよ」
 本当に仕返しをしそうな表情だった。
 なんのかんのと、仲良く買い物に出かけた海賊王とその愛人を見送って、残された三人は、それぞれ言ったとおりの仕事をこなした。
 ジャムリムがセインに自分のベッドを使うように申し出てくれたが、流石に女性のベッドを使う気にはなれず、セインは丁重に断って、先程の赤いソファの上に横になっている。
「僕だけ何にもしていない気がする」
 ぽつりと呟けば、部屋の掃除をしていたキャルがぽつりと返す。
「してるじゃない」
「・・・・・・」
 思わず沈黙で返してしまったセインだ。
「僕寝ているだけなんだけど」
「そうね。早く傷を治すために言われたとおり大人しくしているわね」
「そりゃ、そうなんだけど」
 言われてみれば、確かに皆に言われたとおりにしているのだが、皆が動いているのに一人だけ寝ているというのは何だか落ち着かない。
「ああ、そうか。セインそんなに喋る元気があるなら、それも治療に回して頂戴」
 ぽん、と手を打ち、キャルがびしりと箒の柄でこちらを指す。
「え?」
「さっさとセインロズドになって、さっさと治しなさいって言ってるのよ」
 確かに、セインロズドの姿をとれば、ヒトの姿の時よりも、治りは早い。しかし、ここはジャムリムの家で、彼女はセインの事を何も知らないのだ。
「大丈夫かな?」
「大丈夫よ。帰ってくるまで時間がかかりそうだし、なによりギャンギャンがいない今がチャンスよ!」
 二人の会話に、洗い物を済ませて戻ってきたタカが、泣きそうになる。
「おれ達のキャプテンって、本当に信用されてないんだなあ」
「そりゃ、そうよ。タカだって全面的に信用してるって言える?」
「えーっと」
 自分に振られてしまえば、答えづらい質問で。
「色々、あんなですけど、いざって時は信用してますんで、その」
 信用できる時と出来ない時の落差が激しいのだ。
「海の上だったらそりゃあ、もう、あんなにカッコ良くって信用できるようなキャプテンなんざ他にいませんよ!それだけは保障します!」
 拳を作って力説するタカに、キャルが珍しく冷ややかな視線を送る。
「陸の上では?」
「うぇ、えっと、そのうぅ」
 急にしどろもどろと、口の動きが鈍くなるのは仕方の無いことで、要するに自分の利害(面白いかそうでないか、もしくは海賊のお仕事)がからまない限り、いい加減な男なのである。
 それでも、部下からの信頼は厚いというのは、やはり不思議な男だ。
「ま、まぁ、旦那が剣の形になるってんなら、確かに今のうちになっておいたほうが良いとは思いますぜ?二人っきりになってきっと今頃いちゃついてるはずなんで、昼まで戻らんでしょう。帰ってきたら、即出発って事もあるだろうし、それまでには少しでも治しとかないと、道中きついんじゃないですかい?」
 タカの言う事も最もだった。
 それに、心なしか。
「タカ、怒ってる?」
「いいえぇ?旦那が傷の痛むのを我慢していたなんて、おれっち全然気が付きませんでしたし?隠されてるなんてそんな水臭い事されてるなんて?気付きもしませんでしたから?」
 言いながら、段々頭が赤くなっていっているのは気のせいではないらしい。
「怒っているじゃないか」
「重傷人相手に怒れませんよ」
「あの、タカ?黙っててごめんなさい。でも」
 慌てて謝るキャルの頭を、タカは優しく撫でる。
「分かってますよ。キャプテンに知られたくなかったんでしょう?」
 小さく、キャルは頷く。
「正確には、気付かれているのはわかっていたんだけど、正直に言ってしまって、あのギャンガルドがどういう行動をとるかは分からなかったんだ。だから、君にも言い出せなくて。ごめん」
 セインも、素直に頭を下げた。
「止めてくださいよ。二人に頭下げられちゃ、おれがどうして良いか分からなくなっちまう!」
 両手をぶんぶん振って、タカは先程よりも頭を赤くした。
「まあ、うちのキャプテンですからねえ。下手すりゃ、剣のまんま寝ている旦那担いで逃亡とか、普通にしそうですもんね…」
 そうして追っかけてくるキャルを、楽しそうにおちょくるのである。
 始末に終えない。




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