「おかしいわね」
「……おかしいっすね」
 ちらりと時計を見やれば、もう針は正午を示しそうなところまで来ている。
「お昼までには帰ってくると思ったのに」
「そうっすね。時間かかり過ぎっスね」
 ギャンガルドとジャムリムが出かけて既に三時間は経過している。
 セインはまだセインロズドの姿で寝かせたまま放置している。何せ帰ってくる気配が無い。
 二人はもう、三十分くらいはジャムリムの住居側の部屋のソファで、タカの淹れたコーヒーを飲んでいる。
 タカはミルクだけ、キャルはミルクとジャムを入れて、美味しくいただいている。
 が、あまりに二人が帰って来ないので、玄関から出て路地の向こうを覗いてみたり、窓から外を窺ってみたりと、先程からそわそわと忙しない。
 この家の主であるジャムリムは剛毅な女性であるのだが、彼女は意外に少女趣味であるらしく、裏側のセインを寝かせている店の装飾と違い、住居側の部屋は白い壁紙に綺麗な蔦の葉や花のトールペイントが施され、窓はカフェカーテンで飾られ、木綿のレースのフリルが縫い付けられたクッションと、手作りらしい小物でいっぱいだった。
「雑貨屋さんのようね」
「そうっすね」
 朝は薄暗く、色々忙しくて気が付かなかったが、日が昇って明るくなり、落ち着いて見てみれば、女性が好きそうな物で溢れていた。
「おれっち、なんか居辛いんすが」
「セインが起きてたって同じ事を言うわよ」
 男性にこの部屋はいたたまれないだろう。
 隣ではセインロズドのまま、セインが眠っている。
 起こすのはぎりぎりで良いだろうと、二人でこの部屋で大人しくしていたのだが。
「勝手に昼食作っちまっても良いですかねえ?」
「そうね。あ。十二時になったわ」
 ぽーんぽーん、と、壁掛けの振り子時計が正午を知らせる。
「オハヨウ」
 かちゃりと、裏側の扉が開き、セインが顔を出した。
「眼鏡忘れているわよ」
「うん。取って来る」
 まだ眠いのか、瞼を擦りながら戻って行く。髪の毛は寝癖がついていた。
「旦那って、寝惚けるんだ」
 不思議そうにタカが言うので、キャルは呆れてしまった。
「当たり前じゃない。いっつもボケボケしてるんだから、寝惚けるくらいするわよ」
「へ、へーえ」
 素直にタカは驚いている。
「ちゃっきりした旦那しか見た事ねえっスもん。へえー」
 そんなものかと、キャルは視線を窓へ向けた。
 ばしゃばしゃと水音が聞こえるのは、セインが顔を洗っているのだろう。
 次にセインが姿を見せた時には、ちゃんと寝巻きも着替えて眼鏡も掛け、髪も綺麗に整えられていた。
 いつものセインだ。
「もう大丈夫なの?」
 コーヒーに口をつけながら聞けば、にっこりと返される。
「ありがとう。おかげさまで、久々に体の調子が良いや」
「そ。じゃあ、怪我は?」
 傍に寄ったセインの上着を、キャルは容赦なくべろりとめくった。
「うわあ!」
 不意を付かれて慌てるセインを無視して、傷の痕の残る腹を見る。
 まだ、盛り上がって完全には治癒し切れていないようだ。
 キャルの眉間に、どんどん皺が寄る。
「傷」
「あ、あの?」
 セインは恐る恐る彼女の顔を覗き込む。
「なんっでまだ痕が残っているのよ」
「い、いやあ、何でって言っても…。もう、ほとんど突っ張るくらいで痛みもないし、動いてもまた傷が開くって事はないと思うし、その?」
 三時間程度ではこれくらいがせいぜいという事か。
 それでも常人であれば、傷を負った時にとっくに死んでいておかしくないのだから、仕方が無い。
「動くのに差し障りはないし、旅に出ても、もう問題ないくらいは回復したと思うんだけど」
「立ち回りくらい平気?」
「もちろん」
 頷くセインに、キャルはようやく彼の上着から手を離す。
 外気に晒された腹を、寒かったのか服の上から一生懸命なでてから、セインは服装を整えた。
「旦那、コーヒー飲みますか?」
「あ、ありがとう。じゃあ、起きぬけだし、ミルクを入れてもらえる?」
「へえ」
 セインが座り、タカが立ち上がる。
「あれ?ギャンガルドと彼女は?」
 きょろきょろと見回すセインに、キャルは両手で持ったままコーヒーカップを膝の上に置いて、盛大に溜息をついた。
「え?まだ帰ってきていないの?」
「そうよ。もうお昼なのに」
 そう言って、キャルはまた、コーヒーカップを持ち上げて口をつけた。
「はい、旦那」
「あ、ありがとう」
 暖かな湯気を立てるコーヒーを手渡され、セインは嬉しそうにタカに礼を言った。
 口に含めば、甘い。
「あれ?」
「旦那、怪我したの腹でしょ。甘いほうが胃に良いかと思いやして」
 気の利く料理長に、セインは微笑んだ。
「ありがとう、タカ」
「へへ、どういたしまして」
 照れくさそうに笑って、タカもソファに座る。
 三人揃って、コーヒーを口に運び、三人揃って肺から息を吐き出した。
「…遅いね」
「だから、そう言っているじゃない」
「見てきますかね?」
 時計の針はカチコチ音を立てて進んでゆくのに、朝出かけた二人が戻らない。
「いちゃついているのかしら」
 不機嫌に、キャルが眉間に皺を寄せた。今日は皺を寄せてばかりだ。このままでは、よわい八歳にして、小皺が出来てしまうではないか。
「いちゃついているだけなら、良いんだけれど」
 心配そうなセインを、キャルが睨んだ。
「あのギャンギャン相手に、何かしているとしても、何かあるなんて思えないのだけれど」
「それは、そうなんだけど」
 くうううぅ
 セインの腹が鳴った。
「お腹空いたの?」
「そ、そりゃ、怪我を治すのに体力は使うからねっ」
 自分の腹の虫に驚いて、顔を赤くするセインに、キャルがごそごそとスカートのポケットからハンカチに包んだナッツを取り出した。
「これ?」
「人の家の食材を勝手に使うわけにいかないでしょう」
 今飲んでいるコーヒーも、キャルの持ち物だ。ミルクは買ってきて、食器は使わせてもらっている。ジャムももちろん、キャルの持ち物だ。
 荷物にならないようにと、各種コンパクトサイズを持ち歩いているとはいえ、彼女の鞄は、大いに活用されている。
「タカも食べたら?」
「良いんすか?」
「お昼はギャンギャンに奢らせる」
 目が据わっている。正直、怖い。
「い、頂きまーす」
 男二人で、少女の差し出したナッツを恐々と摘む風景は、はたから見たら不思議だったかもしれない。
 ドドーオオオォォン
「「「ぶっ!」」」
 遠くで、爆発音が響いた。
 思わずコーヒーを吹き出しそうになった一同だったが、何とか堪え、惨事は免れる。
「ちょ、何?!今の音!」
「やっぱり、何かあったんじゃない?こんな町で爆発騒ぎなんておかしいでしょう?」
「あ、でも、道に塞がっていた岩をふっ飛ばしてるとか?」
「そんな火薬、炭鉱の町ならともかく、こんな所で用意していると思う?」
「そりゃ、そうっすね」
 口々に言い合いながら、一斉に外へ駆け出す。
 家々の屋根の向こうから、煙が上がっているのが見えた。
「鞄、取ってくる!」
 セインが鞄を抱え、タカが自分たちの荷物を背負って飛び出し、律儀にキャルが家の鍵を掛けて三人で煙の上がっている方向へ走り出した。
「まあ、これでキャプテンは見つけられそうっスね」
 タカが頭をつるりと撫でる。
「なんで?」
「だって、うちのキャプテンですぜ?」
「ああ、そうだね。爆発自体に関わっていそうだし、関わっていなくたって、面白そうなら絶対現場に来るよね」
 行動を把握されている海賊王だった。
 爆発は一行がくぐった町の入り口とは反対側からだった。町の作りはよく分からないが、煙が細く上がって消えずにいるのは、何か燃えているのかもしれない。



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