「とにかく、急ごう」
 バタバタと、不慣れな町中を、煙の上がっている方角を頼りに駆けてゆく。
 途中、やはり先程の爆発音に驚いたのか、人々が窓や玄関から顔を出して、不安げな表情を覗かせていた。
「待て!そこの三人!」
 背後から声を掛けられて振り向けば、馬に跨った、口ひげを生やした男が、こちらに銃口を向けている。
 男の胸には菩提樹の葉を象ったバッチが光っていた。菩提樹は正義を現し、そのバッチを付けているということは、すなわち。
「保安官?」
 保安官が、何故自分たちを引き止めるのか。
 蹄を鳴らして、ひげの保安官は三人の前に馬ごと立ち塞がった。
「保安官が、僕らに何の用です?」
 セインがイライラと保安官を睨みつける。
「すまんが、今朝方、宿屋の主人が簀巻きにされて、自分の宿の窓から吊るされているのが発見されてね。吊るしていた部屋に宿泊していた客を探しているのだが・・・」
 簀巻きにしたのは確かにギャンガルドだが、ギャンガルドが簀巻きにしたのは宿屋の主人ではなく、変なナイフを使う刺客だ。それでも、状況が状況だけに、確かに疑われても仕方が無いのかもしれない。
 が、しかし。
「そんな事より、あの爆発は一体なんです?僕らの連れがいるかもしれないんです!そんな事に首を突っ込んでいるくらいなら、爆発現場を調査するのが先でしょう!」
 怒鳴りつけるセインに気後れをしたのか、銃口を向けたまま、保安官は小さく唸った。
「現場には、もう一人保安官が向かっている!旅行者の君たちが心配する事ではない!」
 威圧感を強めて怒鳴り返す保安官に、今度はキャルが食って掛かる。
「連れがいるかもしれないって言ってるのよ!そこどきなさい!急いでいるのが分からないの?」
 相手が小さな子供と侮ってか、保安官はひげの端を上げて鼻で笑った。
「何と生意気な!子供のしつけはきちんとしたらどうだね?」
 お返しにとばかり、キャルも鼻で笑ってやる。
「あら?お子様で悪かったわね。これでもハンターパスを持ってるの。通さないというのなら、腕ずくで通してもらうわ」
 ひょい、と、セインへ手の平を向ければ、セインが鞄の中からハンターパスを取り出して、その手の平の上にぽす、と乗せる。
「ふん、その歳でハンターパスだと?何を馬鹿な…?」
 保安官の語尾が小さくなってゆく。
 うりゃ、とばかりにキャルが見せ付けるそれを覗き込み、保安官の額から汗が吹き出た。
 第一級ヘッドハンター。キャロット・ガルム。
 その名前は、こんな小さな町にも知れ渡っていたらしい。
「ご?」
「ごって、何よ」
 息が出来ずに詰まったひげ親父の喉から搾り出されたのは「ご」の一文字。
「ゴールデン・ブラッディ・ローズ、だろ?言っとくが、本人だぜ」
 タカが、ニヤリと保安官の言いたかった名前を告げれば、ますます汗が流れて、顔色も青ざめていく。
「お嬢、保安官にも怖がられてんのか?」
「向こうが勝手に怖がってるだけでしょ」
 何せ相手は百戦錬磨のヘッドハンターで、狙った獲物は逃さない。それがどんなに凶悪な賞金首でも、だ。
 銃の腕は一級の上に超が付くらしい。
 こんな町でのほほんと暮らしてきた保安官になど、太刀打ちできるはずも無い。
「そ、そんな、馬鹿な。こんな、ちまっこい子供だなんて!」
 まだ信じられないようで、一人で一生懸命否定している。
「言っとくけど、残念ながら絶世の美女でもなんでもないの。ま。将来そうなる予定だけど」
 きっぱりと言い切る少女に、タカもセインも、自分で言っちゃあ駄目だよと、一言添えたいところだったが、口にしたら彼女の敵意がこちらに向くので、あえて口を塞ぐ。
「邪魔なのよ。いい加減、道を開けてくれないかしら」
 それでも動こうとしない保安官に、キャルは自分の銃に手を掛ける。
「嘘だって思うなら、役所に問い合わせなさいよ。あんたの足りない頭でぐるぐる考えるよりずっと早く、正確な答えが出るわ」
 パスをセインに投げ渡し、キャルはいつでも銃を撃てるように、スカートの下で安全装置を外す。
「くそ!」
 何を思ったのか、保安官が、タカに向けて馬首をめぐらせた。
「うわ!」
 馬に跳ね飛ばされるのを覚悟したタカが、思い切り目を瞑って頭を両手で抱え、地面に伏せるのと同時に、セインもキャルも行動していた。
「ばっかじゃないの?!」
 ドン!
 一発で保安官の持つ手綱を焼き切った。
 セインはセインで、馬の轡を引っ張って、焼き切れた手綱ごと馬から外してしまった。
 そうなれば、裸馬に跨ったも同然になる。いくら鞍を着けているとはいっても、もう足でしかコントロールが効かない。
 しかも、馬はデリケートな生き物だ。セインがおまけとばかりに、馬の頬を思い切り抓ったものだから、パニックに陥った。
 保安官が普段乗っている馬だ。銃声くらいでは驚かないのかもしれないが、不足の事態というものには滅法弱い。
「うわわわわ!待て!止まれええええ!!!」
 叫ぶ警官が鬣にしがみ付くので、馬は余計に驚き、あらぬ方向へと走り出す。
「じゃあねぇ?」
 ひらひらと手を振って、一行はひげ保安官を見送った。
「さ、余計なことで時間を食った。早く行こう!」
 三人は再び走り出す。
 後ろで遠くから馬の嘶きが聞こえ、直後にばしゃん、という水溜りに落ちたような音と共に、ぎゃあ、という悲鳴も聞こえたが、気にしない。
「ざまみろ」
 タカの呟きがセインとキャルにも聞こえたが、同じ様に思ったので聞き流した。
「あ。どうせだったら、馬だけ貰っとく?」
「でも、向こうに行っちゃったし。戻ってくるかな」
 走りながら振り向けば。
「うわー、世の中本当にこういうことってあるんですかねえ」
 先程の馬が、どうした事かこちらへ向かって走って来る。
「でも、このままだとあの子に轢かれると思うんだけど」
 人と馬と、競争したところで人が勝てるわけも無いので、距離はどんどん縮まっている。
「まかせといて!」
 ついに間近に迫った馬の前に、セインが立った。
「真正面から行く奴がありますか!」
 キャルが怒鳴ったが、セインは馬が目前に迫るやいなや、体を反転させて馬の首に縋り付き、鬣を引っ張った。
 そのまま器用に地面を蹴って背中へ飛び移ると、馬の首に後ろからしがみ付いたまま、首を撫でてやり、ぽんぽんと優しく叩いてやる。すると、興奮から徐々に冷静さを取り戻して、馬のスピードが落ちた。最後に、手綱代わりに耳を引っ張れば、大人しくなる。
「すげえ、馬ってそうやって止めるんですかい」
 感心するタカに、セインは笑った。
「あんまり参考にしちゃだめだよ。正しい止め方ではないからね」
「それでも、暴走馬をあっさり止められるなんて、やっぱ旦那だぜ」
「ちょっとその褒め方、良くわからないよ?」
 何でもいいから、興奮を伝えたいらしいタカに、セインは力なく笑った。
「でも、三人もこの子に乗れるかしら?」
 男二人のやり取りを他所に、キャルが馬の鼻面を撫でる。
 乗れない事も無さそうだが、重そうだ。
「まあ、訓練を受けてはいるだろうし、大丈夫じゃないかな。爆発音がした現場までは、そんなに長い距離でも無さそうだし、キャルは軽いしね」
 キャルくらいの小さな子供は、あまり人数に入れずとも良いだろう。男性二人が乗るのと変わりないと考える。なら、元々乗馬用の馬なのだから、重くてへばる事もないと考える。
 ふと、煙の立ち上っていた方角を見れば、随分と煙が落ち着いて、かすかに見える程度になっていた。
「たいした事になっていなければ良いのだけれど。さあ、乗って」
 あまり考え込んでいる時間もなさそうだ。
 馬の背に跨ったままのセインの前にキャルがすっぽりと埋まり、セインの背後に、キャルの鞄を抱えてタカが乗る。
「悪いけど、頑張ってくれるね?」
 セインは器用に鬣を掴み、足と鬣で馬を乗りこなす。
「すっげえ。何でこんな芸当が出来るんで?」
「そりゃ、裸馬くらいは乗りこなせないと、戦場では生き残れなかったからね」
 この国に戦があったのはもう随分昔の事ではあったが、それは内乱だったり他国との小競り合いだったりで、長くは続かなかった。
 セインが生きた時代はその戦よりも更に古い時代だ。
 まさに戦国の世。
 国同士が戦い滅び、吸収し、そして今のこの国がある。
 普段は忘れがちだが、セインはその戦乱の世において、奇跡と謳われた人物であり、手に入れれば国を手に入れると同じと言われた賢者なのだ。
「二人とも、しっかり掴まっているんだよ」
 言うなり、馬を走らせる。
 乗り慣れない二人は、けっこう激しく上下するのに驚いて、言われずともセインにしがみ付いた。
 流石に人間が走るよりも何倍も早い。
 こんな田舎町の、しかもあんな保安官が所有していたというのに、よく訓練されているらしい。舗装されている路上であっても起伏は有る。器用に凹みを避けて障害物を除け、安定した走りを見せた。
「これは、馬主はあの保安官ではなさそうだな」
 もしかして、あの保安官も昨夜のナイフ男と何か関係があるのかもしれない。
 出来れば捕まえて詳しく聞き出したいところだが、とにかく今はギャンガルドとジャムリムの無事を確認する事が先決だった。
 町を抜け、街道を進む。
「この辺りだったと思うのだけれど」
 先程まで立ち上っていた煙は既に無い。
 森の中に入れば山に挟まれ、広い街道とはいえ、片側は山肌が剥き出しになっており、反対側は転がり落ちそうな崖だった。
 下方では、川が流れている
 馬を歩かせて、きょろきょろと周りを窺いながら、注意深く進んでゆく。
「あれかな?」
「あれっぽいわね」
 目の前には崖崩れで土砂と岩と倒木で塞がれた道がある。要するに急な斜面が頭上高く伸びているのだが、抉り取ったように斜面が凹んでいる。
 どうも、嵐で地盤が緩んで、土砂が一気に滑り落ち、道を塞いだらしい。
 それにしても。
「誰もいませんね」
 タカが、セインの背後からひょいと顔を覗かせた。
「この道を復旧しないと、次の町には行けないんだろう?地図じゃ、他に道は無かったしな。駅馬車だって、ここを通るはず。なーんか妙だぜ?」
 小さな町だ。物資の運搬が出来ないとなれば死活問題になる。そうでなくとも、街道が塞がれれば、何か理由が無い限り、すぐに復旧作業に入っているはずだ。なのに、本来こういう事態には真っ先にいなければならない作業員も調査隊も、誰もいない。
 おまけに、爆破された跡もなければ炎の痕跡も無い。
 では、あの爆破音と煙は、一体どこから発生したものなのか。
「ふーん?なんか、ますますギャンガルドが関わっていそうな気がしてきたわ」
「おれもです」
「僕も」
 三人で確信したなら、もう間違いは無いだろう。
「ギャンガルド!いるんだろう?出てきてくれ!」
 セインが声を張り上げた。
 誰も出てこない。
「ちょっとギャンギャン!早く出てこないと置いていくわよ!」
「キャプテーン!お嬢の言う事だから、本気で置いて行かれますぜー?」
 キャルもタカも、声を張り上げてギャンガルドを呼ぶ。
 誰も出てこない再び。
 馬の背から降り、しばし。
 三人で何か反応が無いか耳をそばだててみる。
「…ぁっ…」
 何か聞こえた。
「ゃん、だめだってば」
 女性の声のようだ。
「だーいじょうぶだって、あの様子じゃ、こっちの声は聞こえちゃいねぇよ」
 聞いた事の有るような男の声。
「…ぁん、イケナイんだからぁ」
 微かに聞こえるこれらの声は、どうも土砂崩れの向こう側から聞こえてくるらしい。
 しかし。
 これは。
 キャルのこめかみの血管はどんどん浮き上がり、タカの頭の血の気はどんどん下がってゆく。
 セインは、ふう、と、溜息を零した。
「…ふうーん。そう。そっちがその気なら、こっちにも考えがあるし?」
 キャルの眼光が鋭く光った。
「クイーン・フウェイルの皆には!ギャンギャンが好い人とねんごろになって戻って来ないから、私がキャプテンになってあげるって言っとくわ!安心していちゃついていなさいよ!」
「え?!キャル、それはどうなの?!もしかして本気?それよりねんごろなんてどこでそんな言葉覚えたの!?」
 ついに銃を引き抜いたキャルに、セインは慌てて引き止めにかかる。
「本気も本気!大丈夫!海賊が何ぼのモンよ!海の賞金首の雁首そろえてあたしが海賊王の座を乗っ取ってあげるわ!」
「わー。お嬢なら朝飯前っすよねー」
「暢気に構えてないで!タカも止めてよ!」
 パンパン!
 キャルが土砂の山に向かって発砲すれば、スレスレを掠めて弾丸は石ころや砂を弾いた。
 わあわあと、一気に騒がしくなる。
「いい加減に出てこないと、さすがにマズいっすよキャプテン!」
 セインだけでは抑えきれないと、タカもキャルを止めにかかった。
 ところが、怒り心頭な少女の力は常識を超え、大人二人を相手に暴れまくり、セインに至っては、顎を殴られ肘鉄をくらい足を踏みつけられ。
 ぷつ。
 何かが切れた。
「え?あれ?」
 タカが戸惑いの声を上げたが、お構いなしにセインがキャルから手を離し、ゆらりと崩れた土砂の向こうを見つめた。
 無表情で崩れた土砂を見つめるセインに、タカの口元は、自然に引きつる。
 背後にどんよりと渦を巻いている黒い何かが見えるのは、気のせいであって欲しい。
「確か、雪崩と一緒で、土砂崩れも二次災害は大きな音による振動が原因の場合があったよねえ?」
 やんわりと、セインの口元が弧を描く。
 正直に。
 怖い。
 しかも先程から散々叫んでもいるし、ちょっと前にはキャルが銃声を響かせたばかりだ。これでもう一度、轟音でも響かせようものなら、既に崩れた斜面が、更に雪崩落ちる危険は高いのではないか。只でさえ、足元は長引いた雨の影響で、いまだぬかるんでいる。
「ねえ、キャル。音の一番大きな銃ってどれ?」
 キャルの鞄を開けて、がさごそと探し始める。
「えーっとねえ?ライフルでそういうのあったはずだわ」
 キャルまで鞄の脇に座り込んで、ばらばらにしてあったらしい部品を取り出して、ちゃかちゃかと組み立てていく。
「ま、待ってくれよ!」
 二人とも本気だ。
 緩んだ地盤に大音を轟かせれば、振動で斜面が崩れ落ちる。
「向こうにはジャムリムの姐さんもいるんですぜ!?」
 ジャムリムの名前に、二人の行動が、ぴたりと止まる。
「・・・・・・」
 薄ら寒い沈黙が流れた。



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