「くそ!」
 目端に見える土砂崩れは、感覚的にスローモーションのようだ。
 しかし実際はとてつもなく早い。
 その時。
 くん、と、セインの身体が何かから抜けたような感じがした。
 一瞬軽くなったと思えば、あとは転がるように引っ張り出した。
 セインの足が完全に抜けた頃。目の前を大量の土砂が津波のように通り過ぎていった。
「た、助かった、のか?」
 土砂は川を堰き止める勢いだったが、完全に塞ぐまでにはいたらなかったらしい。水は形を変え、土砂を迂回して流れ出す。
「はは、君たちのおかげだよ。ありがとう」
 土にまみれてぼろぼろのまま、セインが全員に頭を下げた。
「こんな事になるなんて、本当に手間がかかるんだからあんたは!」
 ぼろぼろと、大粒の涙をこぼしながら、キャルがセインをぽかぽかと殴る。
「ごめん、ごめんよ。心配かけた」
「あんたなんか、引っこ抜くんじゃなかった!わあああん!」 
 そのまま大泣きし始めたキャルの頭を、引きずり出された体制のまま胸に引き寄せて、セインは何度も謝りながら、キャルの土だらけになったふわふわの髪を撫でる。
「あーあ。こんなスリル、経験するものじゃないわねえ」
 ぺたりと、ジャムリムが座り込むのを皮切りに、ギャンガルドもタカも、一斉に笑い出した。
「な、なんだか、ホッとしたら、笑うしかねえっていうか」
 タカが、目に涙を浮かべて笑う。
「あー。疲れたぜ」
 ギャンガルドが地面に座ったまま、空を仰いで汗を拭う。
「体は大丈夫なのか?」
 聞かれて、セインは力なく自分の足を見た。
「あぁ?」
 ギャンガルドは、立ち上がるとセインの傍でしゃがみ込む。
 まだぐずるキャルの頭を抱え込んだままのセインの足を掴めば、セインが顔を顰めた。
「・・・痛むのか?」
「骨は無事みたいだけどね」
 その言葉に、キャルが顔を上げてセインを見上げた。
「ごめんね?」
 また謝るセインに、キャルは何も言わずにしがみ付く。
「ちょいと、見るぞ?」
 ギャンガルドがセインのズボンの裾をめくりあげれば、それだけで痛むのか、体を強張らせる。
「あー。こりゃ・・・」
 土砂の圧迫で足が内出血を引き起こし、紫色に腫れ上がっていた。
「両足共か」
「・・・みたい。まさかこんなになっているとは思わなかったけど」
 壊死の一歩手前だったのはよしとするべきか。
 せっかく腹の傷が癒えたばかりだというのに、なんというか。
「お前さん、運が良いのか悪いのか。わからんなあ」
「しみじみ言わないでくれる?」
 これでは立つ事もままならないだろう。
「あらあ?」
 ジャムリムが、素っ頓狂な声を上げた。
「なんです?」
 タカが訊ねれば、土砂の川岸の隅を指差す。
「あれ」
 見れば、よろよろと人の形をした土の塊が立ち上がっていた。
「何だありゃ」
 見ていると、うーん、とうめいて、そのまま川へ落ちた。
 水に流されるのをそのままに観察していれば、流れに洗われて、本来の姿が徐々に見えてくる。
「あれはー」
 セインがぽつりと呟いた。
 土砂が崩れるまで、セインが担いでいた男だった。
「仲間がいても爆破するんだから、たいしたもんだ」
 タカが呆れたように呟いた。
 しかし、誰も彼を川から引き上げようとはしない。
「彼こそ運がいいんじゃないかな。僕なんか埋まった挙句にこれなのに。放っといてもこれだけ運がいいなら生き延びるよ」
 セインの言葉に、皆が頷いた。
「そういや、剣はどうした?」
 流れ下る男を眺めていたギャンガルドが、ふと思い出したらしい。
「あぁ。そこらに転がってなければ、多分この中だね」
 転がっている確立は低そうだ。なにせ、土砂に飲み込まれるまでセインが手に握っていたのだから。
「キャルを突き飛ばしたときに、流れていった彼と一緒に手放しちゃったからなあ。出てこれるかな?」
 暢気なセインの呟きに、ギャンガルドは額を手で覆った。
「おいおい、勘弁してくれよ。これを掘り返すなんざ、俺はもうごめんだぜ」
 その言葉に、セインはきょとんと返す。
「へ?ああ。そうか。知らないんだっけ」
「あ?」
 何を知らないというのか。とにかくどうしたものか口を開いたギャンガルドだったが。
「彼女は?」
 きょろきょろと見回すセインが探しているのは、ジャムリムらしい。
 彼女は男が流れていった方角を眺めていた。
「見てないなら大丈夫かな」
 なにが、と言おうとして、ギャンガルドは口を開きかける。
「おいで」
 セインが片手を高く掲げて呟いた事で、開いた口は別の言葉を発した。
「なんだ。その、愛玩動物を呼ぶような呼び方は」
「忘れてるでしょ。僕はセインロズドで、セインロズドは僕なんだよ」
 と、いうことは何だ。自分を呼んで「おいで」なのか?
 言いたい事はあったが、掲げられたセインの手の中に、いつの間にやら聖剣が握られていた。
「どっから出した」
「どっからって、埋まっていたところから?」
 泣き止んでもセインから離れようとしないキャルを抱えたまま、セインは自分の剣を横に凪いだ。どうも土が付いていたらしい。剣先から土が飛んだ。
「あー。汚れちゃってる」
 セインロズドの細かい溝などに入り込んだ土に、情けない声を出せば、もそりとキャルが立ち上がって、セインに手を差し出した。
「洗ってくれるの?」
 真っ赤に泣きはらした顔で、こくりと頷いたキャルの手に、セインロズドを渡すと、それを抱えて、とてとてと、川岸へ歩いていく。
「キャルを泣かせちゃったな」
 立ち上がれないので、足を伸ばしたまま座り直す。
「さっきから、何?」
 先ほどから、ギャンガルドの視線がセインから外れない。流石に、助けてくれたとはいえ、すぐ傍でじっと見られればいい気はしない。
「別に」
「別に何も無いのに君は人の顔を見るの?」
 どうも何を考えているのか分からない。
「いやあ、セインロズドに姿を変えられるんだったら、その方が土砂から抜けやすかったんじゃねえかなあと思っただけだ」
 なんだかごまかしているような気がして、セインはギャンガルドを睨んでみたが、にかりと笑われれば、溜息しか出てこない。
「わかってて言っているんでしょう。足がこんな風になるくらいだもの。僕の面積が小さくなれば、余計に土砂に埋もれただろうね」
 土砂の重みというのは物凄い。岩に守られていたからといっても、少しの均衡が崩れただけで更に状況は悪化していただろう。道具のほとんどないあの状況では、早々に掘り返すことも出来なかったのだから、一気に引き抜くしかなかったのである。
「さっき説明しなかったっけ?」
 土砂の中に埋もれている最中に、キャルに問われて説明した気がするのは気のせいではないはずだ。
「してた」
「君ね・・・」
 あっさりと認めるのはいっそ気持ちがいいと思ったら良いのか迷っていると、キャルが帰ってきた。
 無言でセインロズドを差し出す。
「あ。ありがとう」
 差し出されたセインロズドを、セインはいつものように手の平の中に収めた。
「で?どうするよ」
 今度は背中にキャルを貼り付けたセインを、ギャンガルドは見下ろした。
「本当だったらセインロズドになってタカかキャルに運んでもらうのだけど」
 そこでギャンガルドの名前が出ないのは、もう仕方がないのだろう。
「ジャムリムの事だったら、気にしなくていいんじゃないか?口は堅い女だぜ」
「そうだろうけど」
 なるべくなら、見せたくない。
 噂はどこから広まるかわからないというのもあるが、セインロズドの出し入れの仕方が、女性の心臓にはあまりよろしくない自覚はある。先ほどだって、ジャムリムの眼を気にしながら急いで仕舞い込んだくらいだ。
「なんにしたって、ここにずうっといるわけにはいかねえんだ。行くぜ」
「わあ!」
 言うなり、ギャンガルドはセインを背負った。
「ちょ、ギャンガルド!」
 抗議するセインだったが、抵抗するわけにも行かない。なにせセインの背中には。
「あら。亀の親子みたいで可愛いじゃない」
 ジャムリムがそう感想を漏らすのも仕方がない。ギャンガルドはキャルを背中に貼り付けたままのセインを背負っているのだ。
「キャル、落ちないでよ?」
 背中を気遣えば、キャルの手にぎゅっと力がこもった。
「キャプテン、それでこの斜面を登るんで?」
 タカが心配そうにおろおろしている。
「何。しがみ付いてりゃ落としゃしねえだろ」
 ギャンガルドの無責任な言葉に腹も立ったが、それしか方法がないのだから仕方がない。セインは諦めて、ギャンガルドの背中にしがみ付く事にした。
「何かあったら首でも絞めればいいしね」
 物騒な事を口にした。



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