「とにかく、今晩だけは来ないで欲しいね」
「そりゃそうだ」
 今晩どころか、盗人も刺客も、ずうっと来なくていい。そんな事を思っていたセインの鼻腔を、おいしそうな香りがくすぐった。
 キッチンでは、キャルの髪を結い終わったジャムリムが、夕飯の支度にとりかかっていた。その横で、キャルが大きなエプロンをつけて、彼女の手伝いをしている。
 なんとも微笑ましい光景に、眼を細めていると、太くて逞しい腕が視界をさえぎった。
「ほれ。飯が出来るまで摘んでいろ」
 ギャンガルドが、スライスしていたハムを皿に乗せて、セインの座るソファの前のテーブルに置く。
「珍しい。君が気を使うなんて」
 驚いて、眼鏡のズレを直しながらギャンガルドを見上げれば、海賊王はテーブルの向かい側に、どかりと腰を下ろし、ハムと一緒に持ってきた麦酒をぐいとあおった。
「ただの怪我人なら放っておくが、足は致命的だ。歩けんのか?」
「…」
 セインが黙り込んで、眼鏡の掛け具合を調節しながら、珍しいものでも見るように、まじまじとギャンガルドを見つめる。
 何か嫌味の一つでも飛んでくると思っていたギャンガルドは、気味が悪そうに少し身を引いた。
「あんだよ」
「初めて君に、人間扱いされた」
 その一言に、ギャンガルドは今口に含んだばかりの麦酒を噴き出しそうになって、慌てて飲み込んだ。
「げほげほげほっ!かはっ」
「キャプテン、大丈夫っスか?」
 咳き込むギャンガルドの背中を、慌てて回り込んだタカがさする。
「こ、こら、賢者、げほ」
「何?」
「お前俺を何だと思ってやがる」
 人を咳き込ませておいて、悪びれる事もなく、包帯だらけの足をさするセインを、ギャンガルドは睨みつける。
 普段であれば、誰もが縮みあがる海賊王のその眼光も、セインはさらりと受け流して、ギャンガルドの持ってきたハムの、一番薄いところを摘み上げた。
「その言葉、そっくり君に返してあげる」
 ぱくりとハムを口に放り投げて、もくもくと口を動かすセインに、ギャンガルドはぐうの音も出ない。
 以前、自分の船の上でも、似たようなやり取りがあったと思い出す。
 あの時から、この目の前の化け物じみた存在を、手に入れたいと思っているのだが。
「僕はこんなだからね。人間として見てくれなんて言わないよ。だいたい、僕の正体を知って、人として扱ってくれる方が珍しいんだ」
「そりゃ、そうだろうよ」
 生身の体から剣を取り出すその異常さに加え、自身そのものが剣にもなれる。そしてその細腕から、しなやかに繰り出される神業としか言いようの無い剣技。
 今でこそ、人の姿をして怪我なぞしているが、その怪我も、常人の何倍も治りが早い上、剣の姿をとれば、あっさりと完治する事ができるという。
 おまけに、今では旅行先でのトラブル解決にしか発揮されないこの存在の叡智は計り知れず。手に入れれば世界を手に入れられるというのも、あながち大袈裟な事ではない。

 それのどこが、人間だというのか。

「聖剣なんて、どうして言われ始めたのか僕には分からないし、実際、自分は化け物だっていう自覚はあるよ」
「へえ?」
「でも、旦那だって、痛いものは痛いし、旨い食い物は旨いんでしょう?」
 今までギャンガルドの背中をさすっていたタカが、きょとんと話の間に割って入る。
「痛覚も味覚もあるからね」
 たしかに、現在怪我した足は痛いし、タカの料理はとても美味しいと思う。
「だったら、立派に人間でしょ」
 にかりと笑うタカを、今度はギャンガルドとセインが凝視する。
「あれ?おれ、なんか変な事言いました?」
 ぽりぽりと頭を掻くタカに、セインはくすくすと笑い、ギャンガルドは盛大に溜息を吐き出した。
「へえへえ。俺がおかしいんですよ」
 拗ねた様に呟くギャンガルドに、セインは笑いかける。
「そんなこと無いよ。さっきも言ったけど、僕を人として扱ってくれる方が珍しいんだから。ただ、君がなかなか僕への警戒心を取らなかったからね」
「はあ?」
 思わず聞き返す。警戒心剥き出しだったのは、むしろセインとキャルではなかったか?
「君が警戒しているから、僕らも警戒していたんだ。・・・・・・ああ、そうか。やっとわかった」
 ギャンガルドがいるのに、キャルも自分も、のんびり出来た理由。
「君が、警戒心を解いたからかな」
「んだ?そりゃ」
「そのままさ」
 訳がわからないといったギャンガルドの様子に、セインはまたくすくす笑い、タカは首を傾げる。
「はいはい!ご飯ができたわ!」
 小さな体には大きすぎるトレーに、大皿や小皿なんかを乗せて、キャルがキッチンから出て来る。
「どうかしたの?」
 楽しそうなセインと、気まずそうなギャンガルドを見比べて、キャルがテーブルにトレーを置いた。
「なんでもないよ」
「あら。それにしては随分楽しそうだわ」
 まだ笑っているセインに、キャルが片眉を上げてみせる。
「ギャンギャンが面白くてね」
 セインがそう言えば、キャルはぱっとギャンガルドを視線に捉えて、さも当たり前のように言い切った。
「何を今更。ギャンギャンが面白いのは、いつもの事よ」
 それがまたおかしくて、セインが肩を震わせて大笑いしだす。ギャンガルドは一瞬呆けた後、盛大に自分の顔を、大きな手で覆って諦めたように天井を見上げた。
「あ。おれ、手伝いますよ」
 居た堪れなくなって気を利かせたタカが、話題を変えようと、皿をトレーからテーブルに移した。
「ありがと。セインの足はもういいの?」
 タカの思惑に気付いたのか、そうでないのかは分からないが、キャルの興味はなんとか移ってくれたらしい。
 目線は既にセインの包帯を巻かれた両足に移動している。
「うん。タカが手当てしてくれたから、だいぶ痛みも引いたしね」
 ジャムリムの手により、今はツーテールになったキャルに笑い返して、テーブルの上のハムやらをどけ、食卓の配置準備をしようと手を伸ばすセインの頭を、キャルはぺん、と叩く。
 普段なら届かないが、椅子に座っている今なら手が届く。
「痛い。何するの?」
「怪我人は大人しくしていなさい」
 そう言って、なんだかぶつぶつと不機嫌に何かを口の中で呟くギャンガルドの隣へ移動すると、キャルはセインを叩いたよりも思い切りよく、今度はギャンガルドの後頭部を、べん!と叩いた。
「いで!何だよ!」
 すっかり油断していたギャンガルドは、思い切りキャルの平手打ちを食らって、前のめりにテーブルへ額をぶつけそうになった。
「何だじゃないわ。あんたは五体満足なんだから、さっさと手伝って頂戴」
 きろりと睨まれて、ギャンガルドはキャルをじっと見る。
「な、何よ」
「いやあ、ちっちぇえ母ちゃんみてえだなあと思ってよ」
「なっ!」
 口をぱくぱくさせるキャルは、どんどん顔が赤くなっていく。
「ぶ!わはははは!」
 その様子にギャンガルドが笑い出し、セインはびっくりして目を丸め、タカはキッチンの入り口で、キャルの目に入らないようにこっそり腹を抱えている。
 どうやらギャンガルドなりの仕返しらしい。
「あんたねえ!!」
 キャルが噴火して、まだ座ったままのギャンガルドの足を、思い切り踏みつけた。
「ぎゃあ!」
 仕返しをして、更に仕返しを返された海賊王だった。
 そんな事をしているうちに、本日のメインディッシュを両手に、ジャムリムがキッチンから顔を出した。
「何だか楽しそうだねえ」
 テーブルの中央に、鍋をどんと据えると、先にキャルが持って来ていたスープ皿に中身を取り分けて配り始める。
「ああ、誰か。キッチンにまだ鶏肉があるんだ。取ってきてくれないかい」
「へい、おれ行きます」
 タカがキッチンから鶏の丸焼きを持って戻ってくるころには、ギャンガルドもジャムリムを手伝って食器を並べ、食卓はすっかり良い匂いに包まれて、みんなの腹が、一斉に空腹を訴え始めた。
「さあ、飯だよ!いただきます!」
 全員が席に着くと、ジャムリムの声掛けで夕食が始まった。
「ああ、これ、もうちょっと辛くても良かったかねえ」
「ハーブは何使ってるんで?」
「ほら、キャル。こぼしているよ」
「美味しい!」
「・・・・・」
 ジャムリムの家の食卓は、いまだ踏まれた足を労わる約一名を除き、一気に賑やかになった。



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