「帰るわ」
 ジャムリムと、広場につながる大通りの洋品店でショッピングを楽しんでいたキャルが、急に顔を上げた。
「どうしたんだい?いきなり」
 驚いたジャムリムが、手にしたアクセサリーを棚に戻しながらキャルの顔を覗き込んだ。
「あれ」
 キャルが指をさした先は、店の外が見える大きな窓。その窓の向こうには、ギャンガルドがいた。
 ジャムリムが手を振ると、気が付いたギャンガルドも軽く左手を上げる。
「何?彼のこと、そんなに嫌いかい?」
 からかうように訊いてみれば、キャルの頬はぷくりと膨れる。
「別に、嫌いっていうわけじゃないわ。単に信用できないだけよ」
 それは本当なのだろう。キャルの性格からして、嫌いな人間と旅など出来っこない。
「それに、あの顔見ているだけで、何だか腹立たしくなってくるのよね。不思議だわ」
 そう言いながら、店に入ってくるギャンガルドを凝視して、視線から外そうとしない。
 そんなキャルの様子に、ジャムリムは思わずくすくすと笑いだす。
「警戒心丸出しだねえ」
「だって、警戒しているもの」
 そんな会話を聞いていたのか分からないが、一見爽やかな笑顔で、ギャンガルドはタカを連れて店の中に入って来た。
「ギャンガルドったら、キャルちゃんに何かしたのかい?」
 小さく笑いながら、ジャムリムはギャンガルドの額をぺしりと叩いた。
 その腕を掴んで、ギャンガルドは眉尻を下げる。
「なんで俺がお嬢に何かしなくちゃなんねえんだ」
 腕をつかんだ手を離して、両手を上げて降参のポーズをとった。そのギャンガルドを、下から見上げつつキャルが睨む。
「そのわざとらしい仕草と、胡散臭い笑顔が駄目なのよ」
「ずいぶんな言われようだなあ」
「そう?普通だわ」
 男前で、日に焼けて筋肉も逞しく、たいていの女性なら、ギャンガルドのフェロモン丸出しの笑顔で頬を染める。しかし、そのギャンガルドのフェロモンは、キャルに対しては全く効いたためしがない。
「ま、お嬢には大人の俺様の魅力が分からないのさ」
 ふう、と、これまたわざとらしく溜息をつけば、急に耳を引っ張られた。
「あたしに対して魅力的ならそれで良いだろう?」
 ジャムリムが、悪戯っぽく睨んでいる。
「もちろんさ」
 慌てて、白い歯を見せて微笑んでみたギャンガルドだったが。
「キャルちゃんが信用できないっていうの、なんだか分かる気がする」
 ジャムリムも微笑んで、引っ張っていた海賊王の耳を離した。
「おいおい。お前まで勘弁してくれよ」
「ふふ。良いんだよ。そういうとこがギャンガルドなんだから」
 言いながら、ジャムリムはギャンガルドの鼻の頭を指で弾く。
 弾かれた鼻をさすり、ギャンガルドは先ほどよりも、さらに眉尻を下げた。
「ジャムリムには参るよ」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
 そうして軽くキスを交わす。
「あーあ。やってらんねえや」
 そんな二人から視線をそらして、タカがポリポリと頭を掻いた。
 キャルはキャルで、腕を組んで仁王立ちでギャンガルドを睨んでいたのに、タカを相手に笑顔に戻る。
「タカはずっとギャンギャンと一緒だったの?」
「買い物もあったし、結構キャプテンって運が強いから、ジャムリムの姐さんとお嬢に、絶対町で会うだろうなあと思って」
 たしかに、この大きな町の、沢山並ぶ店の中で、二人を見つけ出したギャンガルドの勘は野生の獣並みかもしれない。
「運が良いとかいう問題じゃない気がするわ」
 ぼそりとキャルは呟いた。
「そういや、お嬢」
 ジャムリムの肩を引き寄せて、ギャンガルドがキャルへ振り返る。
「何よ?」
「この町が妙なの、お嬢なら気づいてんだろ?」
「ま、そういう所がギャンガルドよね」
 大きな町に着いたというのに、ギャンガルドが酒も飲まず、ギャンブルもせず、ジャムリムやキャルを探すためだけに街中をうろついていたとは思えない。
「面白いが、つまらん町だぜ」
 四人が居るこの店もそうであるのだが、どの店も、観光客に向けているのだろう。看板に、必ず一言添えてあるのだ。

『条例により、当店は夕方五時に閉店させていただきます』

 今まで様々な町や店を利用したが、こんな奇妙な条例は見たことも聞いたことも無い。
「商売って、仕事帰りの人たちが帰るくらいの時間が書き入れ時よね?」
「レストランでディナーも食えやしねえぜ」
 ギャンガルドが酒を飲もうと、ホテルの一階に降りた時、やっぱりそんな看板が掲示されていた。ホテルで夜に酒を出す店が無いというのは、まず滅多にお目にかかれない。
 というか、無い。
 一番儲けが入りやすい接客サービスだからだ。
 旅行客は酒を口にし、疲れを癒そうとする事が多いものだし、庶民の一番手軽な娯楽の一つでもある。
 それで、食事はどうなっているのかとホテルマンに訊ねれば、「ホテルのサービスは特別条例により許可を頂き、五時以降でもきちんと行っております。ただ、レストランは許可を頂いた件とは別になっておりまして、ディナーは各お部屋に配膳させて頂いておりますので、ご安心下さい」などと微笑まれて終わった。
「ホテルのラウンジの意味があるのかねえ?」
 首をかしげるジャムリムに、キャルも一緒になって首をかしげる。
「大通りのお店全部の看板だったり掲示板だったりに、そんな事が書かれているのよね。五時に閉店しなければならない理由って、なんなのかしら?」
 喫茶店、キャンディショップ、ブティック、レストランや、果ては道端の出店にまで掲示されていた。
「役場に行って聞くのも良いけど、面倒だわね」
 言うなり、キャルは奥でこちらの様子をうかがっている若い店員を呼びつけた。
「ねえ。今の会話聞いていたでしょ。私たち旅行者なのよ。教えてもらえないかしら?」
 にっこりと、お出かけ用のスマイルで話しかけているのに、セリフの端々になんだか圧力が見え隠れしているのは気のせいではないらしい。引きつった営業スマイルを返してしまう若い店員は、まだまだ修行が足りていない。
「町のすべての営業は、基本的に五時までなんですよう」
 いかにも服飾系のショップ店員です、という、雑誌から切り抜きでもしたかのようなスタイルの店員は、それでも商売のチャンスとばかりに答える。
「そんなことは分かっているのよ。私が聞きたいのは、なぜ五時に閉店してしまうのか、ってことよ」
 呆れたようなキャルの眼光に、店員は一歩引いた。
「条例でそう決まっているからですう」
 キャルが一歩前に出た。
「だから。看板に書いてあることは知っているのよ。どうしてそんな条例が制定されたのか聞いているの。私たちの会話聞いていたわよね?」
「うぅ、六時には、家族団らんを取らないといけないからですうううう」
 店員はすでに涙目である。
「何それ?」
 これ以上、この店員に話を聞いても、余計に面倒臭いと判断したのか、キャルは気に入って目をつけていた髪留めをその店員から購入して、店の外へ出ようと全員を促した。
 ジャムリムはいつの間にか、しっかりと洋服を何点かギャンガルドにおねだりしていたようだった。
「六時に家族団らんって、どういう事かしら」
 若い店員の事だ。彼女なりに簡単に分かりやすく、今どき風に脚色されているだろう。
「あれ?タカじゃねえか。皆で買い物かい?」
 ぞろぞろと、大通りを歩いていたものだから目立ちでもしたのだろう。小さい少女と美男美女のカップルと禿げ頭の男といった、世にも奇妙な集団に、気安く声をかけてきたのは、あの御者だった。
「おお!なんだ、こんなすぐに再会するなんざ、縁でもあるのかね」
 タカがうれしそうに返事を返す。
「家族にはもう会って来たのかい?」
「おお。今日は久々に一家団らんよ」
 そういえば、この御者は、この町の出身だった。
「あのよ、この町の出身のお前さんに聞くのもなんだけどよ」
 タカがそう切り出せば、御者はもう分かったようで、ひとつ溜息をつくと、少し寂しそうに笑った。
「あー、変だろ?この町」
「いや、変っていうか。まあ、店がほとんど五時に閉店って、やっていけんのか?」
 率直な疑問だ。
「他の町じゃ、せめて七時だし、飲み屋は下手すりゃ朝までやってるもんだ。俺もそれが普通だし当たり前だと思ってるが、この町は違う」
 御者は言いながら、くい、と、通り沿いに設置してあるベンチを指で示した。座って話をしたいらしい。
 御者を真中に挟んでベンチに座ると、御者はきょろきょろとあたりを見回し、小さな声で説明を始めた。
「この町は家族っていう枠に囚われているのさ」
 そんな一言から始まった。
 この町の領主である城の主、パンナは夫と子供たちと共に暮らしているのだが、生い立ちが不幸だったからなのか、とにかく家族、という集団にこだわっているというのだ。
 つまり、家族は寝食を共にし、朝六時に家族全員が起床して六時半には朝食を取り、仕事のある者は仕事へ出かけ、家に残る者は家事をこなす。そして、必ず一家揃って午後六時には夕食を食べ、週に一度は家族会議なるものを開かねばならないのだという。
 これらの事柄が出来ていなければ、その一家は家族の歯車が狂っている、という理由で、町の行政から指導が入るらしい。
「六時に食事をしなければならないから、五時にはみんな店を閉めて家に帰るのさ。これが、この町の奇妙な営業時間の真相だよ」
 何とも言えない空気が、あたりに漂った。
「余計、訳が分からないわ」
 人の家庭にまで口出しする行政とはいかがなものだろう。しかも、めちゃくちゃな内容である。
「パンナ様は幼少のときにお父様、前代の領主様を亡くされていて、ご家族も多かったからそれなりに大事にされて育ったんだが、お寂しかったんだろうなあ」
「そういう問題かよ」
 タカが眉をしかめた。
「一番大変なのは、俺たち町の住人より、城のお嬢様だろうよ。パンナ様は末の弟君を可愛がって、お嬢様には厳しくされているらしいからな」
「なにそれ?自分の家族だって、その、歯車?噛み合っていないじゃない」
「そうなんだよなあ。それ自体に、パンナ様がお気づきになっていらっしゃらないから、こんななんだよ」
 御者は深く深く、息を吐きだした。
「俺がこの町を出たのも、この条例が嫌で嫌で。家族一緒に全部行動、全ての中心は家族。しかも押しつけられてだぜ。家族って、そういうもんじゃないだろ」
 
 家族。

 そんな集団とは縁遠いキャルだが、御者の言いたいことは何となくだが分かる気がする。
 たとえば、セインは、今やキャルの家族ともいえる気がするが、そんな風に押し付けられた存在ではないし、一緒に旅を続けているから、自然と食事は一緒にとってはいるけれど。
 そう。
 一緒にいるのが自然で、勝手にそうなっているのが、当たり前なのがセインとキャルの関係だ。
 家族とは言えないような気もするし、言えるような気もする。
「俺たちにも一緒に飯食う家族みたいな仲間はいるけどよ。こうでなきゃ駄目って決めつけはねえけどなあ」
 考え込むキャルの隣で、タカが唸った。
「ま、端的に説明すれば、基本的に小さい集団で、血縁関係にある場合が多いのが家族ってもんだ。ここの領主様が、何を思って家族団らんの時間を無理やり作らせてんのか知らねえが、やれ、って言われてやらされている方が、家族の歯車ってやつは壊れちまうんじゃねえの?」
 ギャンガルドが、つまらなそうに背伸びした。
「飯食う時間も決められて、良くわからん家族会議とやらも開催を決められて、大変だな」
「そうなんだよな。家族会議ったって、家族で何をそんなに話し合う必要があるのか分からねえ。誰かが病気したとか、そういう場合なら、話し合いも必要だろうけどよ。家族ってな、いちいちそんなことしなくたって、普通に会話してりゃいいんじゃねえのか」
 御者はまた、ひとり溜息をこぼす。
「俺は自分の両親や兄弟を大事にしたいって思うし、会えば嬉しいし、やっぱり家族だなって思うんだ。でも、押し付けられんのは嫌だ」
「そりゃ、そうだろうなあ」
「この条例が元で、実際崩壊した家族もあるが、パンナ様は泣きながらそれを責め立てて、結局町から追放しちまった。パンナ様のご家族も、何度も説得しているらしいんだが、理解して下さらないらしい。悪いお方じゃないんだが、どうも自分の思い通りにならないと駄目な方で」
 全員が押し黙った。
 何とも言えない空気が、再びあたりを満たす。
「わがままなだけなんじゃ・・・」
「あ。それ言ったらこの町は終わるから」
 全ては、領主のパンナの、思い込みによるお節介なのだという。
「まあ、労働時間が短くって助かる、なんていう奴もいるけどよ。パンナ様に心酔して賛同している奴らもいる。福祉はしっかりしているからな。けどよ、大概の連中は、チャンスさえありゃ、この町から出ていくのさ」
 この町に到着したときには、あんなに嬉しそうだった彼の顔は、暗く沈んでしまっている。
「ああ。それで、この町、なんだか元気がないのか」
 全ての店が夕方には閉店してしまい、六時には各々の家に帰らなければならないこの条例の下では、娯楽も、他人同士の憩いの場も、すべて規制されてしまう。
「友人と飲みにも行けねえのか」
「そういうことさ」
 行くとしたら、休日になる。しかし、休日が合うかと言えば、同僚でもない限り、合わないことの方が多いだろう。
「あー、・・・そりゃ、つまんねえなあ」
「だろ?」
 全員で一斉に頷いた。
「まあ、そういうこった。旅行客はこの条例には引っ掛からねえが、店は全部閉まっちまうからな。酒が飲みたいなら、こうして俺みたいに、今のうちから酒屋へ買い出しに行った方が良いぜ」
 がさりと、御者は持っていた紙袋を持ち上げた。中身は酒瓶らしい。
「酒屋はどこだい?」
「ああ、そこの通りの、あの緑の看板がそうさ。俺の名前を出せば、安くしてくれるぜ」
 気前よく、酒屋の場所を教えると、彼は四人の知る、馬車を駆っていた時の嬉しそうな笑顔に戻って去って行った。
 なんだかんだで、やはり家族に会うのは嬉しいのだろう。
「なんか、あんまり長居しちゃいけない気がするわ」
 御者を見送りながら、キャルが肩を落として呟いた。
「どっちにしたって、俺たちゃ長居出来ねえだろうが」
「まあね」
 いつもなら勢いよく食ってかかってくるはずのキャルの反応の鈍さに、ギャンガルドは思わずキャルの顔を覗き込んだ。
 なんだか、眉間にしわを寄せ、複雑な表情だ。
「何だ、お嬢。家族に憧れでもあったか?」
 げいん!
「ぐは!!」
 鼻にキャルの頭突きをくらって、ギャンガルドがよろめいた。
「帰るわ!セインが待ってる」
 くるりと踵を返し、傍の出店で揚げ菓子をいくつか買うと、キャルは先ほどとは打って変わって、鼻歌を歌いながらホテルへと歩き出した。
「ギャンガルド?」
「何だ?」
 名前を呼ばれて振り向いた途端に、ジャムリムに耳を引っ張られた。
「いてててててて!」
「デリカシーの無い男は嫌いだよ」
 ジャムリムは怒っていた。
「あーあ。見てらんねえや」
 タカはぽりぽりと頭を掻き、結局ワイワイと賑やかな三人に紛れてホテルへと向かうのだった。
 しかし。
 ホテルに辿り着いて、セインの待つ部屋へ入ったキャルが、青ざめた顔で飛び出した。
「どうした?お嬢」
 まだ部屋に入ろうとしている状態だったギャンガルドが、キャルの様子に驚いて振り向いた。
「いない・・・!」
「は?」
「セインがいないの!」
 一同から、一斉に血の気が失せた。




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