第三章

 一度深呼吸して、ギャンガルドがキャルの頭を撫でる。
「賢者がいないって、出かけているだけかもしれねえだろ?落ち着いて考えてみろ」
 言いながら、ギャンガルド自身も自分を落ち着かせようとしているようだった。キャルが根拠なく、物事を判断するような子供でないことを、承知しているからだ。
 しかし、いなくなったというのは、子供ならまだしも、あのセインである。
「滅多な事でもない限り、大丈夫なのが賢者だって、お前さんが一番よく知っているだろうが」
 言いながら足早に、先ほどキャルが飛び出した部屋へと急ぐ。
 ドアが開け放たれたままの部屋の中には、いつもの大きなキャルの鞄が、ベッドの横に無造作に置かれたままになっている。セインが使っていた松葉杖と、車椅子が残されて、なるほどセインの姿は影も形も無い。
 視線を移す。
 部屋にひとつしかない窓も、内側からカギがかけられており、カーテンが日の光を取り入れるために開かれている以外は、開けられた様子はなかった。
 ひやりとした汗が背中をつたうのを、ギャンガルドは無理に無視した。
「おいおい。杖も車椅子も無しに、両足が不自由な状態で出て行ったってのか?」
「どうやってよ?!セインがいくら器用だからって、そんなの不可能よ!」
 キャルが叫んだ。
「旦那の足、じっとしていれば治るって言ってましたぜ?それだったら、もしかしたらとっくに治って・・・るわけ、ないか」
 タカが、なんとか慰めようと口を開いたが、セインの包帯を替えていたのはタカ自身だ。いくらセインが常人よりも頑丈で、怪我の治りが早いといっても、たかが数時間の間に回復するような怪我なら、とっくの昔に治っている。セインの足がどういう状態なのか、一番よく知っているのはタカだろう。
 松葉杖も車椅子も無しに、人の手も借りずに移動する手段なんて、あとは這いずるしかないことくらい承知していた。
 それに、キャルの鞄が放置されているのが、一番違和感があった。この中には、キャルの身分証明証にもなるハンターパス以外にも、大事なものが沢山詰まっている。
 セインが放置するはずがないのだ。
「ほらほら。突っ立ってないで男ども!」
 べしべしと、ギャンガルドとタカの背中を叩いたのはジャムリムだ。
「セインさんが消えたって言うなら、誰かが連れて行ったとしか考えられないじゃないか。あの人は今、自分で立って歩けないんだから。松葉杖と車椅子がここにあるなら、他に移動できる手段は?クレイはいるのかい?」
「そうよ!クレイ!」
 言うなり、キャルは走った。
 ホテルに到着した際、セインがクレイの居場所を訊いていたのを思い出したのだ。
「あの!お客様!」
 物凄い形相のまま、物凄い速さで、フロントを横切る小さな少女とその一行に、ホテルボーイが何事かと声をかけた。
「ごめん今忙しいの!」
「すまねえな、後で話があるからよ」
「じゃ、またね」
 ボーイを見もせずに、一行はホテルの中庭へと飛び出した。
「クレイ!いる?!」
 大声に、賢い馬は嘶いて応えた。
 セインの愛馬は、しっかりとホテルの厩の中に居た。
「クレイもおいてけぼりを食ったのね」
 落ち着かない様子で、がつがつと蹄で地面を何度も蹴って、クレイはまた嘶いた。
「よしよし。大丈夫よ。ほんと、引っこ抜くんじゃなかったって、何度思わせるつもりかしらねあのメガネのっぽ」
 クレイの鼻面を撫でて、キャルはぼそりと呟いていた。
「心配でしょうけど、クレイはここにいて頂戴」
 キャルがなだめると、言葉が分かるかのように、クレイはぶるる、と顔を振った。
「大丈夫よ。あのバカを背負って走れるのはあんただけなんだから、いざとなったら手伝ってもらうから安心して」
 ひひひん!
「あ。笑った」
 クレイはぱちぱちと瞬いて見せた。承知した、ということらしい。
「ありがと」
 馬の鼻面に、ちゅ、とキスをすると、キャルは勢いよく振り向いた。
「どうすんだ?お嬢」
「決まっているわ。探す!」
「・・・まあ、それしかないわなあ」
 来た道を、ずんずんと、来た時と同じ速度で突き進む少女の後ろに、やはり同じように大人三人が続いて、ホテルの中へと戻った。
 戻るなり、きょろきょろとキャルが周りを見渡す。
 あわててフロントボーイが飛び出した。先ほど、声をかけてきたのと同一人物だった。
「お客様、何かご用ですか?」
 普通に接客用の微笑を張り付けたボーイは、フロントのカウンター越しに少女を覗き込んだまま、顔を掴まれた。
「あ、あの?」
 小さな両手で両頬を挟まれたまま、身動きが取れない。
「ご用も何も、用が大有りだわ」
「は、はあ」
「あなた、うちのメガネのっぽ、見なかったかしら?」
 鼻先まで顔を引き寄せられて、ボーイの腹はカウンターの上に乗っかった。足が浮きそうで、つま先立ちをしたら攣りそうになった。
「め、メガネのっぽ?」
「両足が不自由な背の高い男なんだけど」
 そこで、彼はようやく、本日一人だけ車椅子の使用を許可した客がいたことを思い出した。
「ああ!車椅子の方ですね?今日はお出かけになられていないと思いましたが」
 自分の言葉を聞くなり、少女が表情を変えたのを見ると、ボーイは眉をしかめた。
「何かあったのですね?」
 こくりと、言葉もなく頷くキャルに、ボーイも何かを悟ったのか、こくりと頷き返した。
「いなくなったの。探してもらえるかしら」
 その言葉に顔色を変え、お待ちください、言うと、ようやく小さな手が自分の顔を解放してくれた。しかし、それに安堵する間もなく、ボーイはフロントの奥の、従業員室を覗き込む。
「誰か、メガネをお掛けになった背の高いお客様をお見かけしていないか?」
「えー?見てないですねえ」
「見てません」
「さー?」
 そんな声が聞こえてくる。
「あれ?俺がご案内した車椅子の方ですか?」
「ああ、お前がご案内したんだっけ」
 会話を交わしながら、フロントボーイが、見たことのあるドアボーイを連れて戻ってきた。
「そのお客様なら、お部屋へご案内した後はお見かけしておりませんが、お会いしたいと訪ねて来られた方がいらっしゃいましたよ」
 ドアボーイが言うなり、キャルもタカも、ボーイに飛びついた。
「あ、あのっ?くるしっ!」
 詰襟の襟元をぎゅうぎゅうに掴まれて、息が詰まったらしい。
「お客様!落ち着いてお客様!」
 飛びついた二人に、フロントボーイが飛びついた。
「冷静に!どうか冷静にお願いいたします!」
「どこのどいつ!そいつはどこのどいつなの!」
「おら!隠しだてするとタダじゃって痛て!」
 ぼかぼかと、タカとキャルの頭の上に大きな拳が落ちた。
 次に、べりべり、と音がしそうな勢いで、ドアボーイが二人から引きはがされた。
「頭冷やせ。お前ら」
 ギャンガルドだった。
「悪いね。いなくなっちまったのが、俺たちの大事な連れでね。足が不自由な分、心配なんだよ。分かるだろ?」
 にかりと笑った。見えた白い歯が光ったような気がした。
 ボーイ二人は、男が発する妙な圧迫感に気押されながら、お互いの手を取り合ってこくこくと頷いた。
「あの、お客様たちがお出かけになられてから、そんなにお時間は経っていなかったと思います。初老の男性がお見えになられまして、失礼、禿げ頭の男性と、私が言ったんじゃありませんよ。金髪の少女と、メガネの、背の高い男性と、黒髪の美女と、日に焼けたハンサムの御一行をお探しだとかで」
「初老?」
「え、ええ。助けてもらったお礼をしたいからと。ちょうど、お客様たちの特徴と一致しましたので、お部屋番号をお教えしましたが」
 タカの特徴だけ『禿げ頭』だったのが何とも言いようがなかったらしいが、ペコペコと頭を下げているあたり、このホテル従業員は普段から就業態度は真面目なのかもしれない。
 キャルは口元に手を当てて、眉を吊り上げた。
「ありがとう。他に質問をいくつかいいかしら?」
 挑むような視線に、ドアボーイも居住まいを正す。
「ど、どうぞ」
「初老の男性というのは、中肉中背の、身なりは結構良さそうな感じの人よね?」
「え、ええ。やはりお知り合いで?」
「・・・知り合いっていう内に入るのかしら」
 視線を流すと、キャルは考え込むような表情のまま、質問を続けた。
「他に、ありきたりな質問だけれど、怪しい行動をしているような奴らは見なかったかしら?例えば、大きくて長い袋を担ぐかして、運ぶような行動」
「大きくて長い・・・」
 ドアボーイが考え込むと、フロントボーイがそっと手を挙げた。
「あの。もし、誘拐の可能性をお考えでしたら、もしかしたらなんですが」
 しどろもどろに説明するには、ホテルのリネンなど、クリーニングに出すときに使うカートがちょうどいいかもしれず、先ほどルーム係が一台足りないと報告に来たばかりだという。
「私もルーム係と一緒に探していたところだったのですが、もしかしたら」
「それだ!」
 言い終わらないうちにびしりと指を差された。
「そのカートはどこに集められるの?!」
「収集場所は一階の裏口近くの倉庫です。ご案内します」
 さっと、踵を返すフロントボーイを、ギャンガルドが片腕を挙げて制止させた。
「お前さん、さっきから要領が良いが、心当たりでもあるのかい?」
 海賊王の言葉に、キャルはハッとした。
 そういえば、テキパキとしすぎていると言っていいくらい、このボーイの行動は、こちらに都合がいい。
 ホテル側としては、宿泊客が行方不明になったなど、認めたくないはずだし、そもそも、連れが誘拐されたかもしれないなどと、本気で信じる方が一般的におかしい。こういう場合は、騒ぐ客を宥めて、念のために警官か役人を呼ぶのが普通ではないか。
「お疑いになられるのは当然のことでございます。当ホテルからの説明をご希望でしたら、後ほど支配人をお部屋へ向かわせますので、ご安心ください」
 フロントボーイは接客用の微笑みを顔に張り付かせたまま、丁寧に答えた。
「ふん。訳ありみてぇだな」
「申し訳ございません」
 ギャンガルドの言葉に、もう一度丁寧に頭を下げると、急ぎましょう、と言って、全員を裏口まで案内した。
 なるほど、クリーニングの業者に引き渡すためだろう、丈夫な帆布で作られた、車輪付きのカートが何台か並べられている。
 リネンや汚れものを一気に回収するため、長身のセインでも膝を曲げればすっぽり入ってしまうような大きさだ。
 それらを、ボーイはぶつぶつと呟きながら、もう一度数を確認し始める。
「おかしいな」
 眉をしかめるボーイに、キャルが怪訝な視線を向けた。
「どうしたの?」
「いえ、先ほどは確かに一台足りなかったのですが、今はちゃんと数が足りているのです」
 言うなり、裏口の外で作業していた小太りの女性に声をかけた。
「マーサ!カートの数が合っているようなのですが。心当たりは?」
 洗濯物を仕分けしていたルーム係らしい彼女は、ひょいと顔を上げて、人の良さそうな笑みで返した。
「ああ、さっき外に放置されていたのを見つけたんですよ。これが終わったら報告に行こうと思っていたんですが、丁度良かった」
「見つけた場所はどこですか?」
 ジャムリムが何でもないフリをして訊ねる。
 ホテルの従業員でもないジャムリムから質問されて、彼女は一瞬不思議そうな表情をしたが、一か所を指さした。
「あの場所です」
 全員の眼が、彼女の指の先を追う。

   


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