そこは、荷馬車の停車場だった。その手前に、まるで置き忘れたように放置されていたという。
「これは」
「決まりね」
 表情をゆがめるホテルのボーイと、その一点を見つめるキャルの表情は対照的だ。
「まったく、どこの誰だ?面倒臭いことしやがって」
 顎をさすりながら、ギャンガルドだけが言葉とは裏腹に、楽しそうににやりと笑った。その眼光は既に鋭い。
「キャプテン、面白がっている場合じゃねえです」
 こっそりタカに耳打ちされたが、ギャンガルドは構わない。
「奇妙な条例の町で、訳ありのホテルに誘拐ときたら、当然楽しいだろうが」
「まあ、キャプテンの好きそうな事ばかりですけど」
「だろ?」
 タカは仕方がないとばかりに、自分の頭をポリポリと掻いた。
 荷馬車の停車場に放置されていたカート。
 確かに、ホテルの中を怪しまれずに人間ひとり運ぶのに、これほど適した物はないだろう。カートの中にセインを詰め込み、ここまで運んで馬車か何かで連れ去ったと推測される。
 しかし、一体何のために?
「理由はいろいろ考えられるが、まあ、賢者が賢者だとバレたって事はなさそうだし。俺たちは旅の途中の、要するに旅行者だ。そんなヤツを攫って、誰が得をする?」
「そうですよね。旦那、足が今動かせねえから不自由だし。余計に謎っすね」
 海賊二人が話し込んでいるのに気づいたキャルが、じっとギャンガルドを見つめる。
「なんだ?お嬢。俺様に見惚れてんのか?」
 言った途端に、足を踏みつけられて、ギャンガルドが飛び跳ねた。
 痛む足をさするギャンガルドを尻目に、キャルは考え込む。
「そうよね。事情を知らない連中から見たら、私たちは普通に旅行者だわ。でも、あの馬車で乗り合いになった乗客は、少なくともセインが剣の使い手だっていうことは知っているわね」
「それに、お前さんが銃の使い手で、二人ともに桁違いに腕前が良いってことも、俺たち二人が拳銃持った奴と素手で渡り合えるってことも知ってる」
 確認するように呟くキャルに、ギャンガルドが追い打ちをかける。
「俺たちが戦い慣れしているのは実戦を見せちまったから、そりゃもう、話のタネにはなるだろうな」
 にやりと、ギャンガルドが牙を剥くように笑った。
「もちろん、あの爺さんはそれを知っている」
 では。
「腕が立つ人間が欲しかった?」
「多分な」
 それで、剣の達人ではあるが、足が不自由で、人や馬の助けがないと満足に動けないセインを、比較的連れ出しやすいと狙ったのか。
 しかし、腕の立つ人間が何故必要なのか。
「それについては、わたくしからご説明致します」
 唐突に、少しトーンの低い女性の声が響いた。
「皆様方には、大変な失礼とご迷惑をおかけ致します。わたくしがこのホテルの支配人、パムル・ヴェータ・デュナスと申します。以後、お見知りおきを」
 丁寧に頭を下げ、こちらをまっすぐに見据える彼女は、美人、とまでは言い難いが、何か印象が強い。それは、平凡な彼女の顔立ちの中で、一際暗く光る瞳のせいだと気づくのに、さほど時間は必要なかった。
 身に着けたロングドレスも単調なもので、フリルもレースも無い地味なものだったが、逆に彼女に似合っている。
 しかし、そんな事などキャルにはどうでも良かった。
「説明してくれる、って言ったわね」
「はい」
 鋭いキャルの声音にも、パムルは顔色一つ変えずに頷いた。
「ここでは何ですので、よろしければ移動しましょう」
 キャルが彼女から視線をそらすのを合図に、パムルは立ちつくすボーイに指示を出し、セインが居たはずの、キャルの客室へと向かった。
「申し訳ございませんでした」
 目的の部屋の内部に全員が納まると、まずは深々と頭を下げられる。
「潔いのね」
 半ば呆れたようにキャルが唸った。
「当ホテルは、実を言いますとこのような事態が起こることを想定して、わたくしが運営しておりますので」
 下げた頭のまま、パムルが言う。
「は?そりゃどういう事だ?」
 ギャンガルドの眉がはねた。
 人が誘拐されることを前提としてホテルを作ったとでも言うのか。
「正確に言えば、優れた人物の誘拐事件が起こりうる状況が、この街の中では日常化している、という事です」
 顔をあげたパムルの顔色は、先ほどと打って変わって青白い。
「誘拐される理由は?」
 ジャムリムが先を促す。
「わたくしの弟の、家庭教師を務めさせるため」
 全員が、一瞬聞き間違いかと思った。
「・・・は?」
「ですから、弟に優秀な家庭教師を付けて、教育をさせるために、旅行者の中から目的に合った人物を選び出し、誘拐するのです」
 突拍子もない話だ。
 全員が全員、もう一度、パムルの言葉を、頭の中で整理する。
「待って。優秀な人物を攫って特定の人物の教育をしているっていうことよね?」
 聞いた方が早いと判断したのか、キャルが口を開いた。
「はい」
 パムルは、素直に応える。
「その特定の人物が、あなたの弟?」
「はい」
「あなたの弟にそこまでする理由は?」
「・・・・・弟は、少し精神的な成長が遅く、知能の遅れを心配され、また、それを不憫に思ったのでしょう。わたくしたちの母が、弟に少しでも良い教育を、と」
「あなたのお母さんって、もしかして・・・?」
 パムルはこくりと、小さく頷いた。
「この壁の街の領主。パンナです」
 ギャンガルドは眉間にしわを寄せ、タカは頭を抱え、ジャムリムは大きく息を吐き出し、キャルは怒りで顔が真っ赤になった。
「馬鹿な領主を持つと、その下で暮らす街の人たちは大変ね。それで?うちのセインが、あなたの母親に誘拐されたっていう確実な根拠はあるの?」
 肩を震わせながら、キャルがパムルを睨む。
「ホテルの従業員から聞き出した、あなた方を訪ねて来たという男は、母付きの執事で間違いありません。それから、新しい剣術の教師が見つかったのに、足が不自由らしいと城の使用人がこぼしておりましたので、間違いないかと思われます」
 パムルの声音は、少し震えているようだった。
 従業員に、人数分の紅茶を用意させて、彼女は大きく息を吸い込んだ。
「まずは、失礼でなければ、お茶をどうぞ。一息ついてからお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
 どちらかといえば、落ち着きたいのは彼女の方であったらしいが、フレーバーを仕込んでいたのだろう、紅茶に混じるバラのふくよかな香りは、ありがたいことに全員の気持ちを落ち着かせた。
「申し訳ございませんが、この街の異常さには、皆様最早気がついておいでのことと理解しても?」
 運ばれたカップをそれぞれ手にし、壁に寄りかかるなり、ベッドに座るなりで、全員で、部屋の中央に立つパムルを取り囲む。狭い部屋の中、意図したことではなかったが、彼女には充分圧迫感があるだろう。
 幾分、彼女の暗い瞳が揺れている。
 しかし、それもキャルには関係のない事だ。
「朝と夕の六時に、家族そろって食事を摂れ。あのバカげた条例のことよね」
 きっぱりと、刺でも生えているのではなかろうかと思わせる声音で言い放つ。
 パムルはそっとキャルの顔を見返し、小さく頷いた。
「そうです。その条例でもお分かりいただけるように、母は家族という集団にこだわり続けています」
「家族にこだわって、変な決まり事で人様を締め付ける理由が分からねえな」
 睫毛をふせ、パムルは両手で持つカップの中の紅い液体を見つめた。
「本当に、申し訳ありません」
「さっきからそればっかりだけど」
 キャルが睨む。
「母は、家族という集団を、異常に愛しているのです。それは、母が幼いころに、父親を亡くしていることに由来しますが・・・。その執着が、弟に向けられているのです」
 つまりは、精神的に幼い息子へ、家族というものの象徴を見出している、ということらしい。
「ですので、弟が成長することは、領主の家族である自分の一家がまとまる事であり、引いては領地全体が成長する事に繋がるのだと本気で思い込んでいるのです」
「・・・なんだそりゃ」
 思わずタカが呟いた。
「おっと」
 あわてて口をふさいだが、パムルはそれを見て微笑んだ。
「いえ。わたくしも、そう思いますのでお気になさらずに」
 疲れきったような笑顔だった。
「つまり、領地を守り、弟が精神的にも、人間的にも成長するためには、優秀な家庭教師が必要だと思っているのです」
 それは納得できる。
 領主の息子というからには、将来はこのあたり一帯を治める領主になる存在なのかもしれない。そうでなくとも、この地を治める一端を担わせるつもりでいるのだろうから、その当人が子供じみた精神年齢では、領民はたまったものではないだろう。
 問題は。
「待て待て。優秀な家庭教師が必要だっつーのは分かった。分かったが、何故誘拐だ?」
「そうなのです。誘拐なぞ、恐ろしいことをせずとも訳を話し、正式に雇い入れれば何も問題はないのですが」
 タカの疑問に答えながら、パムルの眉間に皺が寄る。
「何分、母は思い込みが非常に激しいのです」
 彼女の、カップを持つ手に力が入った。ぴしり、とヒビが入ったような音がしたのは、この際気のせいだと思う事にする。
「この街へ来るまでにご覧になったでしょうから、分かるかと思いますが、我が領地はほぼ荒れ野。人が住んでいる地域はこの町を含めても、ほんの僅かです。必然的に、領内に優れた人材は少ない。ではどうするか。他の領地に頭を下げてでも家庭教師にふさわしい人物を招くか、或いは、旅人から探し出すか」
 この壁の街の領主は、後者を選んだ。
 幸い、この街は壁のおかげで難攻不落を謳われ、オアシスを元に生活も潤い、観光に訪れる旅人も多い。なら、わざわざ使者を出し、高価な手土産を持って他の領地に頭を下げに行かずとも、網を張っているだけで人々は往来する。
「でも、旅人というのは、普通目的があるから旅をしているものです」
 そこまで聞いて、キャルが盛大に唸った。
「あー!いい。いいわ。なんとなくわかった」
 大げさに頭を振り、頭痛がするとでも言いたげに、額を抑えた。
「あれか。優秀な人材を見つけたところで、家庭教師を断られたんだな」
 眉を吊り上げて頭を抱えるキャルの代わりに、ギャンガルドがパムルの言わんとしていたことを言い当てる。
「そうです。弟がひとり立ちするまでの間、という期間を設けたところで、いかに高待遇を提案しようと、城に留まってくれる人物は少なかったのです。中には、高給に喜んで残って下さるような学者もいましたが」
「だからって、単純に誘拐して無理に家庭教師をさせているっていうのかい?」
 ジャムリムも、呆れたように肩をすくめた。
「分かっています。誘拐なんてしたところで、そんな扱いをされた人々が、いったいどんな態度をとるか。その行為がいかに非常識な犯罪であるのか。しかし、母は理解しないのです」
「・・・悪いが、弟よりも、あんたのお袋さんを医者に見せた方が良いんじゃねぇのかい?」
 ふるふると、肩を震わせるパルムに、タカがそっと同情の視線を送る。
「父もわたくしも、それは考えましたが、母はあれでも領主です。医者が恐ろしがってしまって・・・。あとはもう、家族で出来るだけの事をしようと」
「それで、このホテルか」
 こくりと、彼女は小さく頷いた。
 内装が豪華で接客も一流。おまけに運営は領主の娘で信用があり、対して料金が安いとなれば、このホテルに宿泊する旅人は必然的に増える。そうなれば、自分の膝元で誘拐を防ぐ、もしくは発覚してもすぐに行動に移せると見込んでの運営らしい。
 客が誘拐される事を前提としたホテルなのだから、パムルが居ない間にこのホテルの切り盛りをしているらしい、あのカウンターボーイの言動は、これでしっくりする。
「他にも、いくつか宿泊施設を構えています。わたくしの経営でない施設には、協力してもらっています」
 そこで、パムルは一気に紅茶を飲み干すと、大きな溜め息をこぼした。
「我が家の騒動に、お客さま方の大切なお連れ様を巻き込んだ事は、なんとお詫びしてよいものか」
 暗い瞳が、さらに暗くなったようだった。
 しかし、キャルは俯いてしまったパムルに、小さな胸を反らせて、ずいと詰め寄った。
「お詫びなんていらないわ。貴女、それでどうするつもりなの」
 怒った口調に、そっと顔を上げる領主の質素な娘は、それでも暗い瞳に、なにか決意の色を浮かばせた。
「わたくしの家族の責任です。わたくしが、なんとか母を説得して、連れ去られた方をお連れしてまいりますので、皆様はここでお待ちなっていてくださいませ。もちろん、費用は当方で負担させていただきます」
 拳を震わせながら力んで言いきった彼女の額を、小さな指が素早く襲った。
「あいた!」
 不意打ちでデコピンされて、パムルは額を抑えてのけ反った。
 キャルが、ふん、と、鼻息も荒く彼女を睨んでいた。
「悪いけど、待っているのは性に合わないの。それに、貴女のお母さんには一言言ってやらないと気が済まないのよね」
 小さな少女に手痛い攻撃を食らったのだと理解するのに、多少時間を要したらしいパムルは、キャルの視線をまともにうけて、目をぱちぱちと瞬かせた。
 仕草も、やたら低姿勢なところも、姿恰好も、まるで大きな街を抱える領主の娘とは思えない彼女は、ひとえに苦労を背負いこんでいるのだろう。
 実際、背負いこみまくっているようだが。
 そういえば、親切な御者も、領主の娘が大変な思いをしているようなことを言っていた。
「貴女、やつれて不健康に見えるから、頼りにならなさそうなのよね」
 正直な感想を、ストレートに口にするキャルに、ギャンガルドもタカもジャムリムも、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「す、すみません。最近は胃腸が痛んで、食欲も湧かないものですから・・・」
 結構な重症らしかった。
「いいわ。貴女には案内してもらうから」
 言うなり、キャルはパムルの腕を掴んで、ぐいぐいと引っ張りながら部屋の扉を開け放った。
 なかば引き摺られながら、パムルは足をもつれさせつつ着いて行く。
「え、あの、今からですか?」
「当たり前じゃない。善は急げ!って言うでしょ?」
 小さな体に引っ張られてよろめくパムルを、脇から支えてギャンガルドがウィンクした。
「ま、攫われた奴が一筋縄じゃ行かねえだろうから、心配はいらねえよ。ただ、思い立ったら即行動ってのがお嬢の良いところだ」
 その隣で、ジャムリムが笑う。
「キャルちゃんとセインさん、ワンセットじゃないと、こっちも落ち着かないし」
 二人の後ろで、タカが頭の後ろで手を組みつつ、溜め息を零した。
「旦那、心細い思いしてなきゃ良いんですけどねえ」
 その一言に、パムル以外の全員がそっとタカを見やったが、本人は気付いていない。
「みんな言いたいことがあるなら、直接本人に言ってやるといいわ!攫われるなんて大間抜け、見つけたらタダじゃおかないんだから!」
 振り返りもせず怒鳴るキャルに、パムルはさらに申し訳なさそうに、小さく俯いて、ぽつりと呟いた。
「大事な方なんですね」
「当たり前だわ」
 やっぱり振り向きもしないキャルに、パムルが後ろを振り返ると、大人三人は、なんだか楽しそうだ。

 仲間が一人、居なくなったというのに。この人たちのあべこべな反応は何だろう。
 不思議に思う彼女だったが、目の前で真剣に、一人で他の人数分まで怒っているような少女に視線を移すと、なんとなく、納得してしまった。
 まだ会った事もない、その足の不自由なセインという青年は、いったいどんな人物なのか。
 少し、不謹慎だと思いつつ、こっそりとその青年に出会うのを楽しみに、相変わらず低い位置から腕を掴まれて引っ張られつつ、バランスのとりにくい状態のままホテルを後にした。



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