第四章 「う・・・」 ぼんやりした意識のまま目を開けてみても暗闇で、果たして自分は本当に目を開けているのだろうかと、一瞬不安になる。 何度か瞬きを繰り返すうちに、暗さに目が慣れて、少しだが物が見えて来た。 眼鏡は掛けたままのようで、セインはほっと息をつく。 きょろきょろと辺りをうかがう。 結構な広さの部屋に、カーテンの閉められた大きな窓。壁は結構な代物で、さまざまな装飾が施されているうえに、ところどころに絵画が飾られている。 「こういうパターンは、だいたいお城の中の部屋だよね」 では、自分は街の中央の丘の上に建つ、あの城の中に連れて来られたのだろうかと、ぼんやりする頭で考える。 ふるり、と、頭を振って、思考をはっきりさせるつもりが、逆に眩暈を起こした。 「僕、どうしたんだっけ?」 発した声も、なんだかカラカラしていて、自分の声とは程遠いように聞こえた。 思ったより、ダメージは大きいらしい。 それでも、自分の状況を把握する努力は惜しまない。緊急事態であることは分かり切っていた。 ホテルに辿り着き、ギャンガルドの誘いを断って部屋の中へ入って、それから? 「ああ。そうか」 呟くだけでも喉がヒリヒリ痛むことにようやく気づく。 体の感覚が戻り始めたらしい。 部屋の中で、寛ぎながら足の怪我を治してしまおうとしていたときに、駅馬車で出会った男性が訪ねてきて、扉を開けた。途端に変な薬品を噴霧され、油断していて吸い込んでしまった。 しまったと思った時には、もう意識は遠のくしかなく、気がついたのは、今さっきだ。 もそりと、手を動かしてみれば後ろ手で拘束されている。足は、さすがに気を使ったのか縛りあげられてはいなかったが、片方の足首に何か違和感があり、動かしてみればチャリチャリと、金属の擦れる甲高い音がした。 どうも鎖でどこかに繋がれているのか、逃亡防止に、重石でも付けられているのか。 歩けないことくらい分かっているだろうに、趣味が悪い。 眩暈も、喉の痛みも、噴霧された薬品の後遺症だろう。何を使ったか知らないが、人を何だと思っているのか。 なんだか段々腹が立ってきたセインだった。 おまけに、すぐそこにベッドが見えるのに、自分が転がされているのは床の上である。絨毯が敷いてあるとはいえ、ひどい扱いだ。 声を出すと喉が痛むので、鈍くなった頭で考えるだけ考える。 セインロズドの形態になっていないのは良かったと思うべきだろう。 窓を見やれば、カーテンの隙間から光が差して見えた。近寄れば、外の様子を窺えるだろうか? 思い切って、這ってみる。 腕も足も使えない状態で前進するのは一苦労だったが、足の鎖は結構長いらしく、なんとか窓まで辿り着くことが出来た。 「へえ・・・」 カーテンの隙間から覗いた外は、日中の日が差して明るく、空も凪いでいる。遠くまで見渡せる街並みは、やはりここが、あの丘の上の城内であると教えてくれた。 「こういう仕打ちは、久しぶりすぎて困っちゃうね」 ずいぶん昔に捕虜になった事があったし、色々と変な誤解をされた揚句に独占欲から監禁されたこともある。 そんな己の過去を思い出させるこの状況に、セインは眉根を寄せた。 せめて、喉の痛みを何とかしたい。 再び、室内に視線を巡らせると、奥にある豪奢な扉が小さく開いた。 「あなたが僕をここに連れて来たの?」 なんとか窓に寄りかかり、するりと慣れた足取りで入室した女に声をかける。 なんというか、開けた扉の隙間の割に、まるまるとした体形の、小柄な女だ。 彼女は、セインが起きているとは思ってもいなかったのだろう。小さな目を精一杯見開いて、盛大に驚いている。 「信じられない!」 彼女の第一声がそれだった。 「まあまあ、暗い部屋だこと!」 小走りに駆け寄って、窓に寄りかかるセインなどお構いなしに、派手な音を発ててカーテンを開けた。 一気に室内は陽光に照らされて明るく輝きだす。 やはり、相当豪華な部屋である。 「さ!お前。仕事ですよ!」 お前、というのはセインのことらしい。彼女が、ぱんぱん!と、二度手を叩くと、車椅子を引いた、黒いワンピースに白い前掛けをした少女と、かっちりとしたカラーのシャツに黒のスラックスといった青年が部屋に入って来る。 彼らは、すすす、とセインの元に寄って来て、ささ、と彼を車椅子に乗せてしまった。 「お前は我が息子の家庭教師になったのですよ。しっかり剣術を仕込んでやって頂戴」 彼女はそのまま踵を返し、あっけに取られてポカンとしたままのセインなど目に見えていないようで、そのまま部屋を出て行ってしまった。 しばし、室内に沈黙が訪れる。 「・・・・・・・・あの」 とりあえず、すぐ横に立つ青年に声をかけてみる。 ちらりとこちらを見下ろし、しかし直ぐに視線は元に戻してしまった。 それでも、次に彼はもそもそとスラックスのポケットに手を突っ込んで、小さなナイフを取り出すと、車椅子の上のセインの背中を押して上体を傾けさせ、手首を拘束していた縄を切ってくれる。 やっと自由になった手を目前に持ってくれば、やはり赤く痕になってしまっていた。動かしてみても異常はないので、骨も大丈夫だろう。 少々、血が滲んでしまっていたが、これである程度は身動きが出来る。 「ありがとう」 思わずお礼を口にしたが、ふい、と、そっぽを向かれてしまった。 あとは、足の鎖だけなのだが、見てみれば、自分の足から長く伸びた鎖の先端は、部屋の柱に取り付けられていた。 剣術を教えろ、などと言っているので、鉄球でも付けられているのかと思ったが、これでは部屋から出ることもかなわない。 しかし、今度は前掛け姿の少女が無言で屈み込み、セインを忌々しい鎖から解放してくれる。 「・・・ありがと?」 さすがに、疑問に思っていると、車椅子を押され、部屋から出てしまった。 「あのさ。どこに行くのかな?」 一言もしゃべらない使用人らしき二人は、黙々とセインを運ぶ。 仕方がないので大人しくしていると、また眩暈に襲われる。 気持ちの悪さに、目をつむり、車椅子の背に体を預けるように寄りかかった。それで眩暈が治まるわけではないが、世界がぐるぐる回っているより、瞼の裏側が回っている方が視覚的にも精神的にも優しいだろう。 それに、どんな体勢でも運ばれてしまうのだから、楽な姿勢で出来るだけ体力は温存しておきたい。 突然、ぴたりと車椅子が止まった。 うっすらと目を開けると、緑に囲まれた、小さな屋根のある建物の中だった。 風が心地よい。 どうやら、庭の中の東屋まで連れて来られたらしい。 しかし、眩暈も、喉の痛みも治まらない。段々と、頭痛もしてくるようで、手足の拘束がなくとも、身動きはできそうにない。 どう考えても、ホテルで嗅がされたあの薬の後遺症だ。 本当に、忌々しい。人を何だと思っているのか。 「薬の中和剤です」 声のする方を見やれば、青年が錠剤を差し出し、少女が水の入ったグラスを持っていた。 じっと、二人の手を見ていると、怪しまれていると思ったのだろう。青年が、もう一度声を発した。 「飲まないと、辛いですよ」 そうは言われても。 「信用出来ると思う?」 痛む喉を押さえて相手を見上げたら、彼はしばし考え事を始めたようで、セインを見下ろしながら口元に手を当てて動かなくなった。 どうしようかと、こちらも考えあぐねていると、急に青年は少女からグラスを受け取り、その中に錠剤を入れて、水の中に溶かし込んでしまった。 それを、少女の手に戻す。 何をしたいのかと見ていると、 「大人しくして下さい」 一言。 本当に一言だけ短く告げると同時に、セインは後頭部を押さえこまれ、鼻をつままれて上を向かされ。 「!?」 いきなり何をするのかと、抗議しようと開いた口の中に、先ほどの錠剤を溶かし込んだ水を流し込まれた。 「がっ?!カッ!がぼぼっ!!」 これは何の拷問だ! 訴えたくても、水は容赦なく喉の奥まで流れ込み、呼吸をしたくても鼻をつままれているため苦しくて、動かせる両手で青年の手を引き剥がそうとするが、二人を相手に力が出ない。 結局嚥下してしまった。 「かは!えふ!げほげほ!ごふっ」 ようやく空気を吸い込んだら、思い切りむせて結局、ひどく苦しい思いをする。 「申し訳ありません」 さらりと無表情で謝罪されても、セインの咳はなかなか止まらず、涙目で青年と少女を睨んだ。 「体調が悪いままでは、剣術の稽古は出来ないと思いまして」 「・・・・・・・」 なるほど、とは思うが、なら、無理に飲ませる前に口で伝えてほしいものだ。今みたいに。 しばらくゼイゼイと呼吸を整えざるを得ず、大きく胸が上下するのを、なんとか宥める。 なんとなく喉の奥が、まだヒューヒュー鳴っているのは、この際無視をすることにして、とっととこの城から逃げ出す決意を固めた。 頭の中は、すでにどうやって車椅子のまま脱走するかで一杯だ。 自分の今の状況を作り出した張本人は、多分あの部屋で見た、それなりに高給そうなドレスを着た小さな目の、あの丸々としたおばさんだろう。 どんな事情で自分なぞを攫い、剣術を息子に教えろなどと言うのか。物凄く偉そうにしていたが、いったい誰なのか。 色々気にはなっていたが、そんなことはもう、どうでもいい。 知ったことか。 なんなのだ。人の事情や都合を一切合切無視しまくったこれらの仕打ちは。 「剣術の稽古だって?どうしてこんな歩くこともできない僕がそんなことしなくちゃならないのさ!僕をあのホテルに戻してよ!」 落ち着いてきた呼吸の下、無駄と分かりつつ怒鳴った。 「それは出来かねます」 簡素な答えが頭の上から降ってくる。分かってはいても腹は立つものだ。 「もう我慢できない!帰らせてもらうよ!」 車椅子を走らせようと、車輪に手を掛けたが、青年が車椅子を押さえこんでしまってびくともしない。 「困ります」 「困っているのは僕だ!君らじゃない!」 背後で車椅子を抑え込む青年の首に手を伸ばす。 がっしりと彼の首の後ろを掴み、胸倉を掴んで勢いに任せて前方へ投げ飛ばした。 背の高いセインは、腕も長い。まさかこんな攻撃を食らうとは予想もしていなかっただろう。軽々と飛んで行った。 ばさん!と、乾いた音を発てて、植え込みの中に人型の窪みを作って沈んでしまったが、セインは驚いて大きく眼を見開いた少女を後目にさっさと車椅子を走らせた。 ぱっと見、庭は城の前面に配置されたものらしく、この広大な敷地を抜ければ、街への坂道に辿り着けそうだ。 セインは迷わず、城を背にして進む。 「お待ちください」 しかし、前方に飛び出した少女にぶつかって、急停止させられた。 「きゃあ!」 「わあ!」 幸い、転ぶことはなかったが、セインは彼女の小さな胸に顔を突っ込むことになった。 「わあああ!」 慌てて少女から身体を離す。 「うっ・・・」 胸は女性の急所でもある。少女は眉をしかめてしゃがみ込んでしまった。 「ご、ごめん!大丈夫?」 逃げるのも一瞬忘れて、少女の顔を覗き込む。小さく少女が頷いて、ほっと安堵する。 が。 そこで眼鏡がずれている事に気づき、掛け直すが、どうもフレームが曲がったようで、鼻の上でカクカクしてしまう。 「あああー!」 この街に眼鏡屋はあるだろうか。 もう、泣きそうだった。 ふ、と、奇妙な気配にセインは振り返る。 なんだか酔っぱらってでもいるのか、よたよたとした足取りでこちらへ向かってくる若い男がいた。 「へえ。あんたが新しい剣術の先生?」 男が近寄って来て声を発すると、ささ、と、しゃがみ込んでいた少女が立ちあがり、そそ、と頭を下げた。 それがまた気に入らなくて、セインはムッとした表情を隠そうともしない。 「誰?」 人を訪ねるなら、まずは自分から名乗るのが基本だという事も知らないのだろうか。 男はにやにやと笑いながら手を差し出した。 「俺?俺はルキ。ここの息子っていうのやってる」 言い方がいちいち癪に触る男だ。 着ている衣服は立派なものだが、それらをだらしなく着崩して、格好良いとでも思っているらしい。せっかくの良い仕立てがもったいない。おまけに、似合ってもいない。 「着崩し方も、ただ着崩せば良いってものじゃないと思うけど」 握手なぞする気も起きず、差し出された手には視線もくれない。 「はん!馬鹿が居たぜ。俺の好き勝手だろ」 会ってすぐさま馬鹿呼ばわりか。 なんというか、馬鹿と言う方が馬鹿、という使い古された言葉がピタリと当てはまる人間がこの世に存在するとは。ある意味奇跡だ。 差し出した手を握ってもらえないと理解したのか、ルキと名乗った男は両手をポケットに突っ込んだ。 「あっこに倒れてんの、あんたがやったの?」 親指で植え込みに出来た人型の窪みを差す。 一瞬出された手は、すぐにまたポケットに突っ込まれる。 いちいち出し入れして、面倒ではないのか。 「だったら?」 「別に?あいつ、結構強いのに、あんたなかなかやるなあって思っただけ」 喋っているだけでムカムカしてくる人間なぞ、久しぶりだとセインは眉間の皺を深めた。こうして対面して、同じ空気を吸っているのも気に入らない。出来れば視界にも入れたくない。 しかし、ルキはそれなりに力自慢であるらしい。肩の肉を盛り上がらせ、腕の筋肉を見せつける。 なるほど。それなりに上背もあるし、首周りは太く、体格もいい。何も知らない人間が見たら、セインより強そうに見えるだろう。 しかしそれは、見えるだけの話だ。 ああ。単なる筋肉馬鹿か。 そう判断する。 筋肉があるだけで強いか、といえば別にそうでもない。腕力も握力も、それは強いだろうが、武術となると、使いどころが違ってくる。 しかしそれを理解しない者は案外多い。力任せなだけで、それを相手に利用されたら自滅するだけなのだが、この男もそういう、脳みそも筋肉で出来ている類なのだろう。 自身の最大の武器を見せびらかして自慢するだけの、格闘技のかの字も、武術のぶの字も理解していない。 |
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