「ルキ!ルキはどこです?」 背後にそびえる城の方角から、甲高い女の声が響いた。 聞き覚えのあるこの声は、たしか、閉じ込められていた部屋で、最初に聞いたあの声だ。 そっと、セインは振り向いた。 丸々と太った女が、スカートの裾を掴みあげ、こちらへ向かって走って来るのが見えた。 それは、やはりあの不遜な女だった。 「冗談じゃない!」 ここであの女に捕まって、また訳のわからない要求をされるのは真っ平だ。 セインは車椅子の車輪を掴む腕に力を込めた。先ほどよりは、腕に力が入る。 無理やり飲まされたあの薬のようなものは、確かに眩暈と喉の痛みを和らげてくれているようだ。 車輪は徐々に勢いを増して回転する。 「お待ちくださいませ」 「うわ!」 背後から車椅子を抑え込まれ、急停止させられて、身体が車椅子から転げ落ちそうになった。 「危ないですよ」 無表情のままセインの身体を支えて、車椅子からの落下を防いだのは、先ほど投げ飛ばしたあの青年だ。 車椅子は、その青年と、前掛けの少女の二人掛かりで抑えられていた。 「危ないのはどっちだ」 全員の意識が、多分この城の主であろう彼女に集中している隙に、出来るだけ遠くに逃げたかったのだが、慣れない車椅子ではそうもいかないらしい。 舌打ちしたい気分で、セインは背もたれに凭れかかった。 「何をしているの!剣術の稽古はどうしたのです?!」 怒鳴り声にもう一度振り向けば、怒鳴られたというのに、ルキがあの女に手を振っている。 丸々とした彼女が、遠くから眼を剥いて走って来る姿は、なかなかに迫力があったが、あのボールのような体形は、転がった方が早いかもしれない。 「お袋!どうしたの?」 「どうしたの、じゃありませんよ、ルキや。お前に剣術の教師を見つけたのです。良く先生の言う事を聞くのですよ」 そんな親子の会話を背後に聞きながら、セインは呆れながら頬杖をつく。 いったい、いつ自分はこの馬鹿息子に剣術を教えるなどと承知しただろうか。ちなみに、彼女がこの城の主で間違いないなら、この地域一帯を統べる領主、だということになる。 「やれやれ」 思わず深い溜め息が出た。 これでは、ここの領民たちの気苦労は絶えない事だろう。 「これ。そこのお前。こちらにお出でなさい」 「・・・・・・」 どこまでも不遜な態度に、セインは無言で応える。もちろん、振り向きもしない。 「呼んでいるのが聞こえないのかえ?足だけでなく、耳も不自由なら、家庭教師は務まらないではないか」 「・・・・・・」 無視を続けていると、少女がセインの袖を軽くだが、引っ張った。 「な、何?」 思わず声を出す。 「何じゃ?妾に向かって何だとは」 「失礼ながら、パンナ様に言った言葉ではございません。この者は、私に言ったのでございます」 不機嫌さを隠そうともしないパンナと呼ばれた、おそらく領主に、少女が深々と礼を取る。 「妾の呼び掛けには答えず、使用人には応えると言うのかえ?」 パンナの言葉に、セインは思わず振り向き、ぼそりと呟いた。 「あのさ。僕、あんたが誰なのかも知らないし、あんたの息子の家庭教師になる事も承知した覚えはないんだよね」 すると、パンナは心底驚いたようで、使用人の二人を怒鳴った。 「なんと!まだ説明もしていなかったのかえ?!」 人を拉致して閉じ込め、歩けないのを承知で鎖で拘束しておいて、説明をする、しないの問題でもないと思うのだが、彼女はそうは思っていないらしい。 「こういう事は、気付いた者がすれば良い事ではないか!まさか誰も気付いていなかったのかえ?」 「えー・・・」 セインは今すぐ、この場所から逃げ出したくなった。 先ほどからの、この、世間ずれした、というのか、可笑しげな発想は訳が分からない。天然であるのは間違いがなさそうだが、理解し難いし、したくもない。 「どうでもいいんだけどさあ、お袋」 そこへ、どこまでもマイペースな声が響く。 「もうすぐ六時だぜ?お袋の大好きな家族団らんの時間なんだけど、いいの?」 「・・・は?」 何だ、その、家族団らんの時間とは。 さらに訳が分からなくなっていると、リーン、ゴーンと、大きな鐘の音が響く。見れば、この城の正面に大きな時計塔が誂えられていて、仕掛け時計が巨大な花を開かせ、中から人形たちが行進を始め出していた。 その中の一体が、中央の鐘を鳴らしている。 パンナと使用人二人は慌て出した。 「パンナ様。只今五時でございます。我等はお暇させていただいてもよろしいでしょうか?」 「うむ。仕方あるまい。家庭教師を元の部屋へ戻してから、早よう帰って親御さんを安心させてやるが良い」 「ありがとうございます」 「それでは、失礼いたします」 わたわたと、そんな会話を交わしたかと思えば、相変わらずセインの事情はどうでもよいらしく、さっさと車椅子をくるりと回転されて、元いた部屋へと連れられて行く。 「え?え?え?」 考える暇もない。どうなっているのかと問いただそうとすれば、車椅子を押す少女から、ひっそりと耳打ちされた。 「今はおとなしく従って下さい。パンナ様とルキ様のいない場所で、詳しく説明致します」 「え?」 結局、脱出するどころか何も出来ないまま、最初に目覚めた部屋へ連れ戻される。 ぱたんと扉が閉まり、足も鎖に繋がれた。 もちろん、抵抗しなかったわけではないが、青年だけならいざ知らず。女の子を投げ飛ばしたりするわけにもいかないので、結局、振り出しに戻ってしまった。 連れて来られた当時と違うのは、車椅子に乗っている事と、彼ら二人が、かいがいしく世話をしてくれる、というところだろうか。 あの、パンナという領主に、暇を告げていたのだから、セインを部屋へ閉じ込めたら、すぐにいなくなってしまうのかと思っていたが、彼らはセインの食事の準備までしてくれた。 「さて。まずは名前を聞こうかな。僕はセインというんだ。君らは?」 小さなテーブルの上に置かれたスープとサンドイッチを前にして、セインは二人を見上げた。 少女の方が、こくん、と小さく頷くと、青年を見上げ、青年も、彼女の瞳を見やってから、やはり頷いた。 口を開いたのは、青年だ。 「俺はカールと言います。こっちは、妹のラル」 「兄妹か」 「はい」 彼らはパンナの夫、クロムに拾われてこの城の下働きをしているのだという。 「この街は、パンナ様の理想の上に建っているのです」 「理想?」 その理想とは、彼女の父が、彼女の幼いころに他界した事が始まりなのだという。 「パンナ様は先々代の領主の子供、九人兄弟の末娘なのです。父君が早くに他界し、寂しい思いをした上に、姉君達は結婚し、兄君達は先代である母君から領地を分け与えられ、この城を次々に去りました。ただでさえ末っ子で甘やかされて育ったパンナ様には、耐えられない事だったのでしょう」 最後に残った自分がこの領地を任され、母親と二人で暮らすうちはまだ良かった。母親に甘えていられたからだ。しかし、結婚すると夫に依存するようになり、子供が出来ると、子供に執着するようになった。 「最終的には、家族というものに異常な愛情を示すようになり、自分と同じ末っ子のルキ様を、非常に甘やかすようになったのです」 そこまで一息に説明すると、カールは悲しそうに眼をふせた。 多感な時期に、仲の良かった兄弟達が家を出て行き、だだっ広い城内で母と二人きりで過ごすというのは、いかに使用人が大勢いても、寂しい事だったのかもしれない。 そこで、セインはあの、五時に鳴りだした時計塔の鐘を思い出した。 「待ってよ。あの鐘が五時に鳴るのって、どういうこと?六時に家族団らんの時間がどうのって、ルキって奴が言っていたと思ったけど」 あんなに大きな、街中に響き渡るような鐘の音が、五時になるまで一度も聞こえなかったという事は、自分が気を失っていた事もあるのかもしれないが、他の時間は鳴らさない、ということだ。では、何故五時に鐘を鳴らすのか。 今度は、カールに代わってラルが話し出す。 「あの鐘は、五時の終業時間を伝える知らせなのです」 「は?」 「・・・まだ、貴方はご存じないのですね。この街は、いかなる理由があろうとも、特殊な職業を除き、五時には仕事を終わらせます。飲食店然り、雑貨店然り」 それは、一番の稼ぎ時に店を閉めているのではないだろうか。 「それは、酒場も?」 「それだけではありません。役所も市場も病院も、ほとんどすべてです」 役所は、普通二四時間営業だ。いつ、ヘッドハンターがハントした賞金首を連れて来るかわからない。ここにはそんな賞金首やヘッドハンターは近寄らないのだろうか。 つい、キャルの仕事を中心に考えて、セインは首をひねった。 それに、病院だ。急患はどうするのだろう。 「理由は?」 「簡単です。六時に家族全員で食卓を囲まなければならないからです」 「・・・・・は?」 思わず、セインは眉間に皺を作った。 「この街は、朝六時と、夕方六時に家族全員そろって食事を摂らなければならないのです」 ラルは、噛み砕くようにゆっくりと繰り返した。 「条例で決められているのです。もし、これを守らなければ、行政から指導が入り、罰則を科せられます」 それはまた、酷い話だ。 「急患はどうするの?病院や役所だって、色々忙しいだろうに」 「最低限の常駐は許可されています。けれど、他の町に比べて此処は機能していないと言っても過言ではないでしょうね」 「念のために聞くけど、誰が、何のためにそんな条例を作ったのかな?」 「パンナ様が、家族を持つ領民が家族を大事にすれば、領地は発展し、犯罪も減ると判断して制定しました」 「・・・・・・へえ」 答えは予想通りだったが、なんと馬鹿馬鹿しい。 家族を大事にすることは確かに大切だが、それと食事を家族一緒に六時に摂ることとは、大きくズレている気がする。 そもそも、余計なお世話である。 「言いたいことは分かるんだけど・・・」 そこで、セインはハッとして、目の前の二人を見上げた。 「あれ?じゃあ、君たち帰らなきゃ!」 家族そろって食事を摂らねば罰則を受けるというのなら、先ほどの庭でのやり取りを見れば、城に勤める使用人たちも例外ではないという事だ。 しかし、ラルは首を横に振った。 「私たち兄弟は、いいのです。親がいませんから」 「あ・・・。ごめん」 それでは、兄妹だけの、二人きりの家族なのか。 思わず口を衝いて出た謝罪の言葉に、ラルは首をかしげた。 「何故謝るのです?貴方の方が、私たちよりもひどい扱いを受けているとい言うのに」 「あぁ、いや、だって」 もごもごと口の中で、言葉をつぶしていると、無表情だった彼女は、ふわりと笑った。 「お優しいのですね」 年相応の、少女らしい笑みに、セインもなんだかほっとして、つられて笑った。 「そうかな?良く、ヘタレだって言われるけど」 そう言えば、兄妹でくすくすと笑う。 「やっぱり、お優しいんですよ」 カールにまで言われて、セインはへらりと笑った。 先ほどまでの無機質な表情は、兄妹がこの城になじんでいない証拠にも思えた。 「君たちが、二人きりの家族だって、パンナは知らないみたいだったけど」 「はい。私たちはこう見えて、クロム様の密偵なんですよ」 「へえ?そんな重大な事、僕なんかに喋っちゃって良いの?」 話を促し、スープに手をつけながら、セインは二人にも夕食を摂るように勧める。 自分だけ、彼らの目の前で食事を摂るのは気が引けた。幸い、サンドイッチは一人で食べきれないほど量がある。 しかし、二人は顔を見合わせて、話が終わってから食べると言う。 一応、セインはこんな扱いを受けてはいても、領主の息子の家庭教師。使用人より地位は上なので、使用人の自分たちは食卓を共には出来ないのだそうだ。 「その、家庭教師って、僕のほかにも居るのでしょ?」 あまり納得はできなかったが、彼らを困らせてしまうのも不本意なので、セインはおとなしく自分の腹を満たす事にした。 「今は、科学の教師と、語学の教師が居ますが・・・」 「パンナ様は、普段は良き領主様でいらっしゃるのですが、非常に思い込みの激しい方でいらっしゃいまして」 「僕みたいなのを、無理やり連れて来て、勝手に家庭教師にしてしまうと?」 「有り体に申し上げれば、その通りです」 セインの食事を世話しながら、兄妹は申し訳なさそうに眉をよせた。仕草が似ているのは、やはり兄妹だからだろうか。 「数学は、クロム様が直々に教えていらっしゃいます。少しでも、被害を減らすためと仰って」 ラルが眉間のしわを深めた。 「と、言う事は、領主の旦那様は、快くは思っていないんだね」 「それはそうです。こんな、人を攫って無理やりに言う事を利かせるなんて。恐ろしい事ですもの」 いかに自分の息子が大事で可愛いと言っても、やり過ぎだ。 幸いにも、パムルの夫は、きちんとそれを理解しているらしい。 「やめさせることは出来ないの?」 「それが出来れば、こんなに苦労はしません」 「それもそうか」 ふう、と、溜め息がセインの口からこぼれた。 明日また、きっとあのルキとやらに、剣術を教えろ、という話になるに違いない。もし、今日のように部屋から連れ出してもらえれば、逃げられる算段がつく。 そんな事を考えていたが、兄妹は先ほどの溜め息を違うように捉えていたらしい。 「大丈夫です。貴方は、私たちが責任を持って、城の外へお連れします」 「・・・へ?」 突拍子もない事を、カールが笑顔で口にした。 |
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