「どういう事?」 彼らの事情が少しわかって来たとはいえ、あの無理に薬を飲ませた行動と言い、逃げ道を塞いだ事と言い、とても彼らがセインを自由の身にしてくれるとは思えない。 今だって、この部屋へ連れ戻して、鎖で拘束なんぞしてくれている。 今度は、セインが不機嫌に眉間に皺を作った。 「先ほど、私たち兄妹がクロム様の密偵だという事は申し上げましたね?」 「それは聞いたけど。クロムって、パンナの旦那だよね?」 「クロム様は、何度かパンナ様と話し合いの場を設けました。しかし、パンナ様はあのような方ですので、下手をするとご自分の全てを否定されたと言って癇癪を起してしまわれるので、どうしようもないのです。そこで、娘のパムル様と協力し合い、奥様の眼の届かぬよう、密かに活動しているのです」 「それは・・・何というか・・・」 娘がいるのも初耳だったが、それ以上に、夫と娘が秘密裏に行動しなければならないというのも、どういう家族なのかと驚く。 家族に固執しているわりに、彼女は自ら自分の家族を崩壊させている。 「仰りたい事は、なんとなくですが分かります。私たち領民は当事者ですから」 小さく笑うカールとラルに、セインは手にしていたサンドイッチを皿に戻した。 これでは、この街はいつか、この城の家族のように崩壊するのではないだろうか。 「クロム様とパムル様は、貴方のように無理やり連れて来られた方を、ご本人の意に反し留め置く事を良しとはしておりません。私たちは、そういった方々が城に連れ込まれた場合、パンナ様に悟られぬように逃がす手助けをするために、密偵をしているのです。ただ、こちら側の提示する労働条件を気に入って頂けるのなら、城の中にお住まいをご用意いたします」 そう言って、二人が提示した条件は、かなり良いものだった。 「・・・ただの家庭教師一人に、これは破格な待遇だね?」 住居、食事が付いて、剣術の稽古の時間以外は自由。一日の大半が空き時間なのに対し、月の給料は役人の三倍はあるのではないだろうか。 「そのかわり、城の外には出られませんけれどね」 「ま、そうだろうけど」 もちろん、城の外への出入りが自由だろうが、セインは断るつもりだし、そもそもこの条件でだって、残る人間は少ないだろう。 誰だって、自由を拘束されたくはない。 「僕は早々にみんなの元へ帰りたいんだ。君たちがそれを手伝ってくれるなら、そりゃ嬉しいけれど」 ちらりと兄妹を見上げれば、二人ともにっこりとほほ笑んだ。 「今日の夜。パンナ様が寝静まった頃に、お迎えに参ります」 「それまで、不自由かと思いますが、どうか我慢してください」 初対面での無表情とは打って変わった二人の態度に、セインはじっと兄妹の顔を見つめた。 「だったら、足の鎖くらい、解いてくれても良いんじゃないの?」 そう言えば、ラルが表情を曇らせた。 「申し訳ございません。それは出来かねます」 「何故?」 どうせ今夜助けてくれるなら、足の鎖は無意味ではないか。 明日にでも行われるであろう、次の剣術の稽古の時間に、鎖も解かれるだろうから、その際に逃げ出そうと目論んでいた。それが、夜に逃げ出す手伝いまでしてくれるという。 思わぬ手駒に、願ったりかなったりだが、それまでこの状態のままなのは、やはり腹が立つ。 それに、拘束さえ解いてくれれば、セインは誰の手も借りずに、いつでも逃げるつもりでいた。 ゴーン、ゴーン、と、また鐘の音が鳴り響く。どうやら六時になったようだ。 「そろそろ、来る時間です。私どもは、これにて失礼させていただきます」 鐘が鳴り終わると、ぺこりと、ラルが頭を下げ、カールが出口の扉をそっと開ける。 兄妹の動きが慌ただしくなった。 件の条例で指定された六時になったのだから、戻らなければならないのはなんとなく分かるのだが、そろそろ来る時間、と言われても、何が来るのか。 セインは慌てて二人を引きとめた。 「ちょっと、話はまだ」 言い終わらないうちに、カールがそそくさと頭を下げ、ラルの腕を引っ張る。 「すみません、また後ほどお伺いしますので」 扉の奥に消えたカールに引っ張られながら、ラルが顔だけ出して早口で告げる。 「あ、お食事はそのまま置いておいていただいて宜しいですので。係りの者が下げに参りますから」 「え?ちょ、待って!」 引きとめる間もなく、ぱたんと扉は閉まってしまった。 伸ばした腕が宙に浮いたまま、セインは口をぱくぱくと開閉させるしかなかった。 「な、何なんだよ!もう!」 憤慨して、ヤケ食いとばかりに、残りのサンドイッチを頬張る。 スープは、既にぬるくなっていたが、無理やり胃の中に流し込んだ。 結局、足の鎖はそのままだ。 ぶん、と、鎖に繋がれた足を振り上げた。じゃりじゃりと、耳障りな金属音が響いたが、気にしない事にする。 包帯でぐるぐる巻きにされた足は、意に反してゆっくりとしか持ち上がらなかった。それでも、昨日までは振り上げる事も出来なかったことを考えれば、傷はだいぶ良くなっているようで、まだまだ痛みはあるが、無理は出来そうだ。 「さて。逃がしてくれるとは言っていたけど、どこまで信用したものか」 一人になってみると、改めてこの部屋がずいぶんと上等なのに気付く。 「人を閉じ込めとくわりに、何だろうね」 多分、家庭教師を引き受ければ、この部屋がそのままあてがわれるのだろう。 壁に掛けられた絵画は良いとして、いくつかの蝋燭とランプで照らされた室内は、豪奢なものだった。いかにも城の一角にある客室、といった所か。 シャンデリアは光を弾いてきらきらしているし、絨毯は寝転がされていた時に既に気付いていたが、毛脚は長く、足音くらいは消してしまうだろう。天蓋の大きなベッドはふかふかで、鎖で繋がれた身としては、逆に気味が悪い。 ふう、と、溜め息をついてみる。 窓辺まで近寄り、見下ろせば、車椅子に座っている今なら、最初に見たときよりも外の様子が良く見て取れる。 夕暮れで日も落ちて、大分薄暗くなってはいたが、景色はまだ街の外まで見渡せる。 巨大な壁に囲まれた街の中に、明かりが灯ってゆく。人々の営みがそこに見えて、なんとなくだが安堵する。 反面、壁がそれらの家々を覆い尽くし、抱き潰しているようにも見える。 「見た目そのままの街、か」 領主の歪んだ愛情に囲われた街。 分厚く街を抱き込む壁は、パンナの腕そのもののように見える。 「キャル、無茶してなきゃいいけど」 本当なら、今頃はセインが紅茶を淹れて、キャルとたわいない会話を交わして、一日の疲れを癒している頃だ。 「怒ってるかな?・・・怒ってるよね」 彼女が買い物に出かけている間に拉致されて、こんな所に監禁状態でいるなんて、我ながら情けない。もう、とっくにセインがいなくなった事に気付いているだろう。 キャルが腕を振り上げて怒っている姿が目に浮かび、セインは泣きたくなった。 「絶対、殴られる」 八歳の少女の鉄拳は、どうしてそんなに痛いのか、一度聞いてみたいくらいに、かなり痛い。 思い出すだけで涙目になるセインだった。 「・・・それとも、いっそこのまま」 ふと、漏れ出た言葉に、思わず自分で口を塞ぐ。 このまま、キャルと分かれて、今度こそ、誰も知らないような場所でひっそりと自分を封印してしまった方が良いのではないだろうか。 そんな思いが過ぎる。 キャルに言ったら、それこそ烈火の如く怒るだろう。 「でも、僕はやっぱり、災いしか呼ばない存在だから」 今はまだ良い。 セインが、伝説の聖剣、大賢者セインロズドと分かっている人間は少ない。しかし、いずれ自分の正体が知れたらどうなるだろう。 今までは、セインの存在そのものが突拍子も無さ過ぎて、気付かれずに済んできたが、必ずしもバレないとは限らないのだ。 実際、あの海賊王にはあっさりと正体を見破られてしまっている。 ギャンガルドが大抵の人間よりも勘が鋭く、また、発想が柔軟だったためでもあるが、他にも彼のような人物がいないわけではないのだから。 五百年の間、聖剣と呼ばれながら自らを封印してきた賢者は、ゆっくりと車椅子の背に身体を沈め、疲れた視線を外へと向けた。 窓から見下ろす街は静かに黒ずんで、明かりがきらきらと瞬き、光の宝石箱のようだった。 ぼうっと、街の明かりを見つめていると、扉がノックされた。 部屋の壁に取り付けられた古い時計を見上げれば、まだ六時半。兄妹が迎えに来るだろう、「夜」とは言い難い時間だ。 そういえば、何かが「来る」と言っていた。 「誰?」 食器を下げに来た係りの者か、それとも。 セインが扉へ車椅子を向ける。 「お身体のお加減は如何でしょうか?」 扉の向こうから聞こえたのは、聞き覚えのある男の声だった。 「・・・人を勝手にこんな所へ連れてきて、加減もなにもあったものじゃないと思うけど?」 「その節は、大変申し訳ない事を致しました。扉を開けてもよろしいでしょうか?」 「・・・どうぞ」 促せば、そっと扉が開かれ、セインをこんな状況へ追いやった張本人が立っていた。 「何か用?」 深々と頭を下げる初老の紳士は、出会った時と変わらず、品の良い服装と仕草で、とてもセインを薬で気を失わせて拉致したとは思えない。 そんな彼に油断したのも確かだ。 「もう、体調は宜しいようですね」 「・・・」 薬の後遺症の事を言っているのだろう。セインが無言で答えたのに対し、男は勝手に肯定とみなしたらしく、しきりに頷いている。 「私はこの城でパンナ様の身の回りのお世話をさせていただいております、カントと申します。お名前をお聞きしても?」 「・・・」 セインはムッとして、窓の外へと視線を移す。 無礼な人間が、今更取り繕ったって遅い。正直に名乗ってやる義理はない。 「・・・仕方ないですな。では、当家の坊ちゃまにはお会いなされましたね?」 ちらりと、軽くカントと名乗った男を睨む。 自分でも、眉間に皺が刻まれているのが分かる。なんというか、この男の態度が腹立たしい。 大体、その坊ちゃん、というのは、あの庭で対峙したルキとかいう、頭の悪そうな、この城の跡継ぎの事だろう。あんなののために、自分はこんな窮屈で嫌な思いをさせられているのかと思うと、それだけで頭痛がする。 「貴方のような剣豪でしたら、きっとパンナ様も満足されるはず。坊ちゃんを、一から鍛え直して下さいませんか」 また、カントは深々と頭を下げた。 「嫌だね」 何だ、その、自分勝手な頼み事は。 「鍛えろだって?あの馬鹿を?御免被る!他を当たってくれないか。それで、僕をさっさと仲間の元へ帰してくれ」 セインは苛立ちを隠さずにカントに向かって言い放った。 声音は充分に抑えられていたが、静かに告げた言葉は、全てに刺を生やしているようだ。 「お願いでございます」 「僕を帰してくれ」 頭を下げたままのカントと、鎖に繋がれたままのセインの会話は平行線を辿る。 「僕以外にだって、剣術を教えられる人物はいるでしょう?僕みたいに攫ってきたり閉じ込めたりしないで、ちゃんと訳を話して家庭教師になってもらったら?僕はあんな我が儘勝手な人間に物を教えられるほど、出来ちゃいないんだ」 わざと、足の鎖を鳴らしてやった。 がちゃん、と、乾いた音が室内に響く。 カントは、その音に、ようやくセインが鎖に繋がれていると理解したように、眼を見開いてセインの足首に取り付けられた枷と鎖を見やった。 「おお、繋げられておりましたか。なら、逃げ出す事は叶いませんな。おわかりでしょう?」 「何が?」 もしかして、この男。セインがもし、鎖に繋がれていなかったら、あの兄妹の代わりに鎖を取り付けるつもりだったのか。言外にそれに気がついて、セインは眉間に深い皺を刻んだ。 本当に、この城の人間たちは、皆一様におかしい。 気味が悪い。 気持ち悪い。 何故自分たちの行動がおかしいと、少しも疑いもなくいられるのか。異常ではないか。 なんてところへ来てしまったんだろう。 別に取って食おう、というワケでもなさそうだし、危害を加えるつもりもないらしいが、精神的に持ちそうにない。 セインの背筋に、冷や汗がつたう。 「時間はたっぷりとございます。ゆるりと、お考え下さい」 それだけ言うと、カントはテーブルの上に放置されていた食器類を片付け、再び頭を深々と下げると、ぱたんと扉を閉めて出て行った。 がちゃり、と、しっかり鍵を掛けられたのは、音と気配で理解したが、早々に出て行ってくれて良かったと、セインは安堵のと息を漏らす。 「何なんだよ、本当に。早く帰りたい」 眼鏡を外して、セインは窓の外を見やった。 街の明かりは明るさを増し、空の色は濃い藍色に姿を変えていた。 |
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