第五章 街中に、六時を示す鐘が鳴り響く。 城の一角。食堂の間で大きな鐘の音を聞きながら、キャルは頬杖をつき、目の前に並べられてゆく豪華な料理の数々を睨んでいる。 甘辛く煮詰められた豚肉、スライスされ、カリカリに揚げたニンニクがちりばめられたサラダ、野菜と鶏肉のゼリー固め、大きなエビのボイル、南瓜のスープ、等々。 大皿に乗せられたそれらの料理は、すべて大盛りだ。 正直、食べきれない。 海賊二人に女子供二人。 プラス、この城の家族四人。こちらは男女二人ずつ。 合計八名。 この八名でもって、やたら大きなテーブルに乗せられて行くこれらの料理を、食べ尽せと言うのなら、無理だと大声で怒鳴ってやりたい。 そんな事を思っている間にも、主食のパンが登場する。 バスケットに並べられた焼きたての香ばしい匂いに腹を鳴らしながら、パンだけで三種類も用意されている事に気付いてまたげんなりと肩を落とした。 「必要な量だけ出せば良いのに」 まあ、でも、これだけの量を毎日食べているのなら、この城の主であり、この地域一帯の領主でもある、一番上座に鎮座する女が、雪だるまのように太っている事には納得する。 「いらなければ、残して下さいね」 向かい側に座るパムルが、キャルの溜め息に気がついたようで、こっそりとそんな事を言う。 「でも」 もったいない。 そう思ってしまうのは庶民だからだろうか。 「分かりますが、食べすぎは体に毒ですよ?」 苦笑いするパムルに、キャルは首をすくめて見せた。 パムルも、並べられている食事の量が多い事は、充分に分かっているらしい。 「さあさ、食事が整いましたね。今日はずいぶんと久しぶりに、パムルがお友達を連れて来てくれたのだから、乾杯しますよ」 上座に座る、パムルの母、パンナが、酒の入った手元のグラスを高々と掲げた。 「乾杯!」 嬉しそうなパンナとは対照的に、バカでかい食卓に居並ぶ面々の表情は優れない。 パムルは無表情にパンをちぎり、キャルはムスッとしたままスープを飲む。タカは味を確かめながら吟味しているようだが、口には合わないらしい。ジャムリムはにこりともせずワインを口にし、ギャンガルドだけが遠慮なしにステーキをぱくついていた。 「ねえ、あんた美人だよね!俺さあ、あんたみたいのと付き合えたら死んでも良いなあ」 食事中にも関わらず、非常識な言動はルキだ。 当然、声をかけたジャムリムには無視されているのだが、そんなことは気にもしないらしい。一人で喋っている。 「ルキ。お行儀が悪いわ。お客様に失礼ですよ」 見かねたパムルが弟を睨んだ。 「パムル。何ですか?急に怒鳴ったりしてみっともない!」 すかさず、パンナが息子を注意した娘を叱る。 「どちらがみっともないんだか」 ぼそりと呟いたのはキャルだ。 「ねえ。いつもこうなの?」 パムルがルキを注意すれば、パンナが庇う。これでは、この弟が馬鹿になっても仕方がないと思う。 パムルは力なく笑った。 泣き笑いの彼女の表情から、日常の事なのだと分かって、キャルはふう、と、溜め息をつく。 ルキはパンナに叱られたパムルを、ニヤニヤして見ている。 その顔に、蹴りの一つも食らわせてやりたい。 「こんなのの家庭教師にしようって、それこそ馬鹿じゃないかしら」 早々に、セインを連れ出す決意を固めたキャルだった。 「さて、腹も膨れた事だ。行こうぜ」 ガタン、と、わざとらしく音を立てて席を立ったギャンガルドは、ナフキンで口元をぬぐい、にやりとキャルを見下ろした。 少々腹は立ったが、ギャンガルドの行動には賛成だったので、キャルも席を立つ。もちろん、タカもジャムリムも、食事をする手を止めて立ちあがった。 少しためらったようだが、最後にはパムルも立ち上がる。 「何ですか?!パムル。お前のお友達は食事の途中に席を立つのかえ?!」 驚いたように声を上げるパンナは無視だ。 「おい小僧」 ギャンガルドが手の中でフォークを弄びながら、視線は向けずに声音を低くした。 自分の事かと顔を上げたルキに向かって、ひょい、と手首を軽く動かせば、フォークがルキの頬をかすめて壁に突き立った。 「気安く人の女に声かけてんじゃねえよ。お育ちが知れるぜ?親の顔が見てみたいってね」 場の空気が固まったところで気にもせず、ギャンガルドは扉を開け、キャル達にウィンクして促すと、パムルを抜いた城の一家を残し、全員で部屋を後にした。 かつかつと、廊下に足音が響きわたる。 「なんなの!あれ!」 「さあねえ?」 「分かりやすいっちゅうか、仕方ないっちゅうか」 「貴女、よくあんなのに毎日付き合っていられるよ」 「す、すみません」 全員で、キャルを先頭に、長い廊下を歩いていた。 いつもなら、キャルの歩幅に合わせてゆっくり歩くのだが、今はそのキャルが早足なので、大人は普通に歩いても彼女を追い越す事はないようだ。 「そ、それでですね、お父様の手配した者と合流する予定なのですが」 パムルとともに城にやって来て早々、彼女の父と対面したのは良いが、夕食の時間が迫っているからと、先ほどの食堂の間に通されたのだ。 人の良さそうな領主の夫は、パムルと同じで疲れたような顔をしていた。彼もまた、苦心しているのだろう。歩きながら新しく連れて来られた剣術の家庭教師の救出についての計画を、簡単にだが、分かりやすく説明してくれた。 慣れているようなその言動が、少し可哀そうにも思えたが、まずはセインの無事に、ほっと胸をなでおろした一同だ。 「私の手配では、彼は今夜、監禁されている部屋から連れ出せる予定だよ。合流するなら、そうだな。いっそ部屋まで迎えに行くかい?」 結構豪胆なクロムの発言に、キャルは喜んだが、食事に付き合っている時間があれば、今すぐにでも連れ出したいのが本音だった。 しかし、食事の時間の前にきちんと食卓に着席していなければ、パンナが癇癪を起すと聞いてしまえば、付き合わないわけにもいかず。 急な訪問者に彼女は良い顔はしなかったが、客が来た事そのものには、喜んでいるようだった。 もともと、人の世話をするのが趣味のようなところがあるらしい。 厄介な性格だ。 そうして結局、先ほどのやり取りと相成り、どんなに豪華な料理でも、共に食事をする相手によって、不味くなるのなら食べないほうがマシ、と判断した全員が食堂の間を後にした。 「飯ってえのは、作った方も、美味いように食ってほしいもんでさ。パムルの嬢さんには悪いが、おれなら、ここのコックは給料が良くたって御免だね」 いつになく、タカが怒っている。 食事というものは、その食べ方で人となりというものが見える。 食べ物を粗末にし、好き嫌いの激しい人は、人間関係もそんなものだ。加えて我が儘。 逆に、好き嫌いなく何でも食べ、たとえ嫌いな食べ物でも我慢して食べる人は、割合、人に好かれ、努力家である事が多い。 あの、ルキというこの城の跡継ぎは、食事の仕方どころか態度に至るまで、タカに言わせれば、自分の料理を食べてほしくない部類の人間だ、という事だった。 「それは言えるね。あたしなんか、一緒に食べてて、せっかくの豪華な食事が不味くなって仕方なかったよ」 ジャムリムも、それでほとんど手が進まなかったらしい。グラスにばかり手が伸びていた。 「何にしたって、飯は楽しく美味く食うもんだ。こりゃ、賢者も今頃一人でうんざりしてんじゃねえか?」 あの場に居なかったという事は、多分監禁されている部屋で、一人ないしは他の家庭教師候補と食事をしているとみて間違いはなさそうだが、なんとなく、そっちの方がうらやましく思えるのは何故だろう。 「本当に、すみません」 小さくなって全員の後ろに、遅れまいと一生懸命歩きながら、パムルが先ほどからしきりに謝っている。 不意に、キャルが足を止めたので、全員が足を止め、パムルはジャムリムの背中に顔をぶつけて止まった。 「きゃ?!」 急に止まった一同に、急停止できずに突っ込んだパムルは、今度はぶつかってしまったジャムリムに、申し訳ありません、と、何度も頭を下げながら鼻の頭をさすった。 「パムル、謝り過ぎ!」 「は?」 キャルがパムルを怒鳴った。 「え、えっと、すみませ」 「だから、謝り過ぎ!」 「えっ?えっ?」 おろおろするパムルに、キャルの指先がビシリと向けられる。 「アレの教育に関しては確かに家庭の問題かもしれないけれど、アレの言動にまで貴女が謝ることなんてない!」 「へ?」 唐突に指摘され、少々混乱してしまって、間の抜けた声が出た。 キャルの言うところのアレ、とは、パムルの弟のルキの事だろう。もう、名前も覚える気もないのか、既に名前さえ言いたくもないのか。 両方だろうか。 とにかく、キャルの言いたい事は、なんとなくだが理解はできるものの、自分の兄弟だ。アレでも。 アレがしてしまう行動に、自分は少なからずとも責任があると思っているパムルには、弟の後始末をしてきた経歴があり、謝ってしまうのは、もう癖みたいなものだった。 「で、でも、弟のしでかした事ですし」 「そこよ!貴女がいくら注意しようが、アレをまっとうに導こうが、親が邪魔しちゃ意味がないわ。アレがあんななのは、それに気づきもしないアレ自身そのものの責任よ!だいたい、もういい歳して、未だに親だのなんだのに甘えてんのが気に入らないし、甘えさせすぎよ!パムルも!尻拭いし過ぎ!自分の尻ぐらい、自分で拭わせなさい!」 若干八歳の少女に説教される内容ではなかったが、そこは百戦錬磨のヘッドハンターとして生きて来たキャルである。有無を言わせぬ迫力があったし、言っている事自体に異論は浮かばなかった。 そもそも、ルキはキャルの約三倍は生きているのだが、人生経験において、半端なく負けている。 「温室で育ち過ぎて視野が狭いのよ。だから馬鹿なんだわ。外に出しなさい!外に!」 「私も、そう言っているのですが」 一人では生活できないと、我が儘を言っているらしい。 「あの食事の仕方が眼に浮かぶさねえ」 そんな事を、タカが呟いた。 「今後、この領地は貴女が継ぐべきね」 「へえ?!」 また突拍子もない事を、肩を怒らせたままあっさりと言われ、パムルはまた変な声を出してしまった。 「はい!この話はこれでおしまい!実際、ここがどうなろうが、私には知ったこっちゃないのよ。セインよ、セイン!どこに居るの?」 ある意味、ひどい言いようだが、まったくもって正論でもあるので、大人たちは何も言わずにパムルの返事を待った。 「えっと、父の手配した兄妹が、この先の使用人部屋に居るはずですので、案内させましょう。皆さんは・・・」 上目で尋ねられ、もちろん、全員が頷いた。 「セインをこんな所に一時だって置いておけないわ」 「わかりました。では、こちらへ」 計画では、騒ぎにならないように深夜、パンナが寝静まった後にセインを連れ出す予定だったのだが、あの食堂の間でのやりとりに、全員がうんざりしていた。 こんな場所は、さっさと退場するに限るのだ。 |
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