「あーうー、これ、どうしよう」
 皆が皆、自分を助けに行動しているなどとは露とも知らないセインは、一人途方に暮れていた。
 足の鎖が重い。
 ちゃりちゃりと、しばらくいじってみたものの、外れるわけもない。
 鎖の先には、太い柱。この柱に鎖を取り付ける金具があり、それを壊せれば、何とかなるかもしれない。ただ、壊したところで長い鎖は足についたままだ。
「邪魔だよねえ?」
 どうしても、夜まで待てない。
 あの兄妹が信用できない、とか、そういうわけではないのだけれど、カントと名乗ったあの男が、またいつこの部屋へ様子を見に来るかと思うと、それだけでうんざりだった。
 肺から大きく息を吐き出すと、セインはおもむろに両手を合わせ、手の平からセインロズドを抜き出す。
 ずぶずぶと、体液を滴らせて姿を現した細身の刀身を、ひと振りして己の血やら何やらを払う。
「んー、切れるかなあ?」
 傍から見たら、状況はかなり切実であるのに、セインの声音はどこまでも呑気だった。
 こきこきと、車椅子を移動して、鎖の繋がった柱の前に来ると、一閃。柱を切りつけた。

 セインが柱と格闘し始めたころ。キャルたちはパムルの案内に沿って、使用人部屋の並ぶ区画へと足を運んでいた。
 城内の奥まった位置にあるこの場所は、ちょっとしたホテルでも経営できそうだ。それくらい、沢山の扉が並んでいる。
 パムルがそのうちの一つをノックする。
 返事もせずに、そろりと扉が開かれ、中から少女が顔を出した。
「あ」
 そう言うと、少女はいそいそと扉を開け、全員を室内へと招いた。
「いかがされましたか?」
 全員が室内へ入ると、少女は廊下に誰もいないことを確認し、扉を閉めながらパムルへ顔を向けた。
 室内には、少女のほかに、青年も一人、寛いでいたらしい。椅子に座ったまま、驚いた表情で一同を見ていた。
 ベッドが二つ並び、クローゼットと小さな箪笥、机と椅子があるくらいの小さな部屋は、急に増えた人口密度でぎゅうぎゅうと狭くなった。キャルが遠慮なくベッドの上へ避難する。
「お父様から、ルキのための新しい家庭教師が連れて来られた事は聞いていますね?」
「はい。今夜、脱出させる予定ですが」
 奥の椅子に座っていた青年が、慌てて立ち上がる。
「その方は、眼鏡をかけた、足の悪い方ですか?」
 パムルが訊ねれば、ふたり同時にこくりと頷く。
「あの、その方が何か?」
「いつものように、パンナ様とカント様が寝静まった後に実行する予定ですけれど」
 三人のやりとりに、常習的にこんなやりとりがある事が知れる。
「本当に、苦労してんだなあ」
「こんなやり方で、いったいどれくらいの家庭教師がこの城に留まってんのか、是非知りたいね」
 タカが気の毒そうに呟き、ジャムリムが呆れたように呟く。
「そうだな。それで、捕まえて来た家庭教師がしょっちゅういなくなっていたら、さすがに警戒くらいはするんじゃねえかい?」
 珍しく、おとなしく話のやり取りを聞いていたギャンガルドが、にやりと笑った。
「そうね。それくらいは予想できるわ。だからこその手引きなんじゃないの?」
 キャルが、ベッドの上で腕を組みながらパムルを見やった。
「そのとおりです。最近は、家庭教師になる事を承諾するまで見張りを置いたり、部屋に閉じ込めたり…。行き過ぎた扱いをする事が多いようですわ」
「でも、だからこその僕たちなんです」
 パムルの言を、青年が引き継ぐ。
「失礼。僕はカールといいます。名目上はパンナ様付きの客室係となっておりますが、妹のラルと共に、クロム様に仕えさせていただいております」
 彼が言うには、彼ら兄妹は、パンナの客専用のルームメイクを担当しているらしく、すなわち家庭教師として連れて来られた人々の世話をしているという。
 しかし、それは表面上の事で、実際はクロムと連絡を取りあい、家庭教師を断った人物を、城外へ脱出させる手引きをしているのだという。
「ふうん。それで、あんたらは城主様に信頼されてんのかい?」
 頻繁に連れて来た人間がいなくなれば、真っ先に疑いがかかるのはこの二人のはずだ。
「今のところ、パンナ様には。でも、この城の執事であるカント様には、そろそろ胡散臭がられていますが、まだ決定的、というわけではなさそうです。証拠を残していませんので」
 それは、下手に動いたら尻尾を掴まれる、という事ではないのだろうか。
「用心に越したことはありません」
「それで、今回は早々に、連れて来られた本日中に計画を進行してしまおうと」
「ふむ」
 キャルが口元に手を当てて、考え込む。
「今まで逃がした家庭教師候補は何人?」
「そうですね、今回が成功したら、五人目です」
「…なるほど」
 他にも囚われの旅人がいるのなら、セインを助けるだけなのはもったいないので、腹いせに一緒に逃がしてしまおうかと思っていたが、必要ないらしい。
「でも、既に四人も逃がしているなら、いい加減疑われているのじゃないの?」
「それは…」
 パンナは何とか出来ても、その執事、とやらは誤魔化せないかもしれない。
「その、カントってな、どんな奴だ?」
 ギャンガルドの質問に、兄妹に代わってパムルが答える。
「昔から、我が家に仕えてくれている男で、良くやってくれています。でも、少し過激な男で。人攫いを始めたのは彼なんです」
「執事が人攫いを、ねえ」
「ええ。デュナス家のためなら何でもすると言って…。実行するのも、だいたい彼です。ですから、今回セインさんを連れ去ったのも、多分」
「お宅の執事が自ら?」
「はい」
 呆れかえる話に、一同から溜め息が出る。
「す、すみません」
「何度も言うけれど、貴女が謝る必要はないのよ」
 肩をすくめて小さくなるパムルに、キャルが視線を戻す。
「今夜、セインを外へ出してくれる予定だったところ、悪いのだけど、やっぱり今すぐ連れて帰るわ。案内してくれるわよね?」
 兄妹の話からして、そのカントという執事が、既に疑ってかかっている事は間違いがない。なら、カントがセインに対して何もしないでいるとは思えない。
「もちろんです」
 パムルの暗い瞳が、何か決意したように瞬いた。
「善は急げ、といいますし。カントの事です。既に気付いているとみて間違いなさそうですから、不意打ちを狙いましょう」
 実はパムル。根暗なようで、行動力は物凄くあるらしい。
「まあ、でなけりゃ、ホテル運営したり裏で色々やってるわけないもんな」
 しみじみと感心したギャンガルドだった。
 さっそく一同は狭い部屋の中、ラルの説明でパムルがセインの閉じ込められている部屋を確認し、カールの用意した鍵を預かって、カントの徘徊しそうな通路を割り出す。
「今の時間でしたら、多分見回りが終わるころです」
「分かりました。では、お前たちはここに居て。疑いがかけられているとしたら、わたくしと一緒に居るのは不味いですから」
 パムルの言葉に兄妹は頷くと、そっと部屋の扉を開け、廊下に誰もいないことを確認する。
「今です。お早く!」
 カールの誘導で、全員が廊下へ飛び出した。
「どうか、お気をつけて」
「私たちは何とかクロム様にこの事をお伝えします」
「よろしくね」
 カールとラルに見送られ、一同は廊下を駆け出した。
 誰もいない廊下は既に薄暗く、夜の帳が間近であることを示している。
 時々、設置されたランプに明かりを灯している使用人をやり過ごしながら、セインのいる部屋まで急ぐ。
 全員の足音が、妙に響く気がした。
「ここです」
 城の奥まった片隅で、パムルが足を止めた。
 重厚な革張りの扉はピタリと口を閉ざしている。
「えらく立派な扉だね」
 ジャムリムが見上げながら簡単の吐息をつく。
 扉の周りは白い彫刻で飾られ、モチーフの草花が美しく絡まりあっている。
「客室ですから」
 パムルがドアノブに手を掛けた。
 がちゃり、と音を響かせただけで、やはりノブは動こうとしない。
 兄妹から預かった鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで静かに回す。かちん、と、小さな音がした。
「待って」
 小さいが、鋭い制止の声が上がる。キャルだった。
「お嬢?」
 どうした事かと、訊ねようとしたタカの口をギャンガルドが塞ぐ。
 視線で促された先を見れば、廊下の向こうの角に、揺らめく影が見えた。
 耳を澄ませば、微かに足音が聞こえる。
「早く中へ!」
 全員が隠れる場所はないと瞬時に判断し、パムルは全員を眼の前の扉の中へと押し込んだ。
 慎重に、素早く部屋へと潜り込み、細心の注意を払って扉を閉め、鍵を掛け直す。
 室内は真っ暗だ。
「ベッドの下へ!」
 真っ先に目に付いた大きな天蓋付きのベッドへ、全員を押し込んだ。
 カーテンの開けられた、大きな窓の外から、微かな明かりが室内を照らす他は、これといったものは見当たらない。
 ふと、違和感を感じたところで、扉のドアノブが、音を発てて回された。

 全員が息をひそめ、出来るだけ小さく身を縮ませる。
「おいたが過ぎますな」
 男の声が響いた。
 パムルの肩が、びくりと跳ねる。
 静かに、キャルがスカートの下に隠している銃に手を掛けた。
「このように明かりを消して、何の真似ですかな?」
 室内へ足を踏み入れた男の顔は逆光で良く見えなかったが、視線はこちらを向いていなかった。
 と、いうことは、この部屋に居る別の人物へ向けられた言葉だという事だ。
 自分たちが見つかったわけではないのだろうかと、警戒を解かずに息をひそめて様子を探る。
 何か、先ほどから違和感がある。
 男も、同じ違和感を覚えたのだろう。慌てて室内用のランプに、手にしていたランプの灯を移す。
 そこでようやく、この部屋に居るはずの人物の気配が、全く無いのだという事に気が付いた。
「しまった!」
 大声をあげて、男が窓へ走った。
「くそ!」
 外を見やってから何やら悪態をつくと、大急ぎで扉を開け放したまま走り去る。
 あっけにとられたのはキャルたちだ。
 ベッドの下の狭い空間で、お互いの顔を見やった。
「これは、何というか」
「ま、まず、こっから出ようぜ」
 ベッドの下から這い出し、改めて室内を見渡せば、なるほど、自分たち以外は誰もいないではないか。
「逃げた?」
「みたいだね」
「ですね」
 そうなると、全員でどっと肩の力が抜けた。
「だーから、言ったじゃねえか。あの賢者だぜ?」
 がしがしと頭を乱暴に掻きながら、ギャンガルドが片眉を上げる。
「何よ。だってセインよ?あの足よ?無理でしょ。色々と!」
 キャルが頬っぺたを膨らませた。
「さっきの男、あれだろ?執事って奴」
 タカが聞けば、パムルがこくりと頷いた。
「彼が我が家の執事、カントです」
「なんか見た事あると思ったら、馬車で一緒だった男じゃないか?」
 ギャンガルドが顎に手を当てながら呟く。
「あ!そうだわ!逆光で良く見えなかったけど」
 山賊に馬車が襲われた時、他の乗客を背にかばった男の顔を思い出す。
 初老の、中肉中背で、いかにもそこらに居そうではあるものの、着ている衣服は上物で、物腰も上品だった。
 貴族の執事なんぞしていると言われれば、なるほどと納得がいく。
「しかし、あんな風に正義感のある人間が、人攫いなんぞするもんなんだな」
 だからこそ、セインも油断したのだろう。
「とにかく、セインが逃げ出したって言うならまた色々計画が狂うわ。多分、あのホテルに向かっていると思うから、こっちが先にセインを見つけないと」
 キャルが部屋を出ようと、毛脚の長い絨毯を一歩踏み締めれば、パムルが首をかしげて窓際を指差した。
「あのう、あれは?」
 見れば、カーテンの脇の壁際に、陰に隠れて車椅子がひっくり返っていた。



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