「セインさんって、歩けるのですか?」 「いや、あの状態じゃ、まだ歩くのは無理だぜ?」 セインの足を診ていたタカが、ごくりと唾を飲み込んだ。 彼の足は動かす事は出来ても、まだ立つのがやっとのはず。 ぐるぐるに巻かれた包帯の下の足は、確かに治りが早いとはいえ、最後に包帯を巻き直したときはまだ内出血は引けておらず、赤黒いままだった。 「車椅子も無しに、どこへ行ったって言うのよ?」 キャルの顔から血の気が失せ始めた時だった。 「あれ?」 大きなカーテンの揺れる、大きな窓の外から、金属がこすれるような耳障りな音が聞こえた。 「……っ」 微かに、聞き覚えのあり過ぎる声も聞こえる。 「まさか!」 いち早く気付いたキャルを先頭に、全員で窓際へ駆け寄った。 「あら?」 確かに、声は窓側から聞こえたはずなのに、誰もいない。そういえば、さっきのカントとかいう男も、窓の外を確かめていた。 「ちょっと!どこに居るのよバカセイン!」 キャルが怒鳴った。 「ひどいよ!」 すかさず、小さめながら声が返ってきた。 「ここだよ!もう、凄くしんどいんだけど」 声がしたのは窓の下。 よく見れば、大きな窓にはそれなりに、転落防止用の桟がしつらえてあり、その一番端に、何やら変なものが引っかかっている。 「何これ?」 しげしげと見やれば、何やら壁か柱の一部を無理に抉り出したような物体に、金属の金具が取り付けられており、その金具には、丈夫そうな鎖がこれまた取り付けられていた。 どうも、声はその先から聞こえるようだったので、キャルは背伸びをして覗き込んだ。 見えなかった。 「タカ。持ち上げてくれないかしら?」 身長が足りなかったらしい。 「こんなんで良いか?」 「ありがと」 ひょい、と抱えられたまま、ようやっと覗き込む。 「…分かっててやってるでしょ」 鎖に掴まって、半眼でこちらを見上げるセインが見えた。 「いいよ、もう。自分で上がるつもりだったし」 ぶつくさと口の中で何か不満げに呟きながら、セインが鎖をよじ登る。 足が使えないから、腕だけで登るのは苦労しそうだ。 「うわあ!」 急に引っ張られて、セインが悲鳴を上げつつ慌てて鎖にしがみついた。 「何やってんだ?んなとこで」 犯人はギャンガルドだ。 「あ、ありがとう。でも、もうちょっと穏便にひきあげてくれないか?」 「なんで?」 予告もなく勢い良く引き上げられて多少驚いたものの、引き上げてくれた事には変わりないので礼を言ったのに。 「うん、いいや。そのへん君だし」 ひとりで妙な納得をした。 「窓の下にぶら下がってるなんて、何やってるのよ」 キャルが、セインの前に仁王立ちになった。 「あー、ごめん?」 「ごめんじゃ済まないのよこのバカセイン!やっぱりあんたなんか引っこ抜くんじゃなかったわ!あたしを心配させるなんて良い度胸じゃないの!帰ったら紅茶!とびっきりの美味しいの淹れさせるから覚悟なさいよ!」 キャルの怒号が飛んだ。 「うん。わかった。ごめんね?」 ごいん へらりと笑ったセインの頭に、ゲンコツが落ちた。 「痛いよ!」 「痛いようにしてんのよ!」 いつもは届かないセインの頭頂部も、足のせいで床に座り込んでいる今なら手が届く。 早く足を治してしまおうと、セインは心ひそかに決意した。 「だいたい、何で窓にぶら下がっていたのよ?」 もっともなことを、キャルが聞く。 セインはちょっと天井を見上げて、ずれた眼鏡を直そうとして失敗しつつ、指を一本立てた。 「例えば」 「?」 「捕らえた相手が、放り込んだはずの部屋から消えていたら、どうする?」 唐突な質問に、応えたのはギャンガルドだった。 「ま、普通、逃げたと思うだろうな」 面白そうに笑うギャンガルドにタカが相槌を打つ。 「逃げたと思ったら、追いかけるわなあ」 「ってことは、この部屋にいちいち鍵を掛ける必要もないわけで…?」 今度はセインが満足そうに続けた。 「このとおり、部屋の扉は開けっぱなし。僕は誰にも見られずに脱走出来るでしょ?」 えへへ、と笑う。 「まあ、君らが来てくれるなんて思いもしなかったから、助かったよ。とにかく、この部屋に長居は無用。早く出よう。僕、こんな所はもうこりごりだよ」 言いながら、ジャリジャリと鎖を引き寄せた。 「ちょっと待って」 鎖をまとめるセインの手を、キャルが止めた。 「何これ?」 「へ?」 小さな指が示したのはセインの足首。 そこには枷が取り付けられていて、鎖は枷から延びている。 「何って、なんか気が付いたらあの柱に鎖で繋げられちゃっていたから」 ぶらりと、ちょうど手繰り寄せたらしい鎖の端を掲げて見せた。 セインの手からぶら下がる鎖には、先ほど窓の桟につっかえさせていた壁の残骸らしきものが、鎖の金具ごと揺れている。 セインが示した柱をみやれば、床に近い部分に、削られて抉りとられたような痕跡。 あの凹みと、この残骸とを合わせたら、ぴったり合うのだろう。 「ふーん。足の悪いあんたを、わざわざ鎖で繋いだってのね?」 表情を変えずに、キャルはパムルを見上げた。 「そういう事しそうなのって?」 「え?はい、あ、あの、先ほどのうちの執事だと思います。こんな、足の悪い方を鎖で繋げるなんてひどい事…。申し訳ありません!」 セインの足の状態に呆然としていたパムルが、キャルの言葉に慌てて頭を下げた。 「君は、ここのお嬢さん?」 「はい。パムル・ヴェーダ・デュナスと申します」 パムルは屈みこむと、セインの足をそっと取り上げて、先ほどのこの部屋の鍵を取り出した。 「兄妹から預かった鍵に、小さな鍵が括りつけられていたのですけど、多分、この枷の鍵ですわ」 予想通り、枷に空いた穴と、小さな鍵は合致して、かちりと小さな音を発てて枷が外れた。 「助かったよ。何とも重くてね」 「礼なら、私ではなく、貴方のお世話をさせていただいた兄妹に。わたくしは貴方に謝らなければならない立場ですから」 自由になった足をさするセインの前に、タカが車椅子を立て直して引いた。 「さて。早くこの部屋出ようぜ、旦那」 床に座ったままだったセインだったが、ふらふらとよろけつつ、何とか立ち上がって、タカに手伝ってもらいながら車椅子に座る。 ようやく落ち着けると、肺から空気を吐き出して、セインはパムルを見上げた。 「自己紹介が遅れたね。僕はセインというんだ。よろしくね」 改められて名乗られ、パムルがあわててセインに頭を下げた。 「す、すみません。お察しの通り、わたくしは城主の娘です。この度は大変な失礼を」 深々と頭を下げる彼女に、セインは眉尻を下げて顔を上げるように促した。 「苦労しているみたいだね。君も、僕たちの脱走に協力してくれるの?」 パムルはハッとして、セインの眼を見つめた。 たった今会ったばかりで、名乗りはしたものの、お家の事情など説明もしていないのに、この男には既に見通されているようだ。 「何故、苦労しているなどと?」 「身内を悪く言うようで悪いけれど、君の母上に弟と、僕は会っているからね。あの二人に比べ、言動から君はずいぶんと常識があるように見える。それに、こうして皆に着いて来たってことは、キャル達に協力してくれたんでしょ?なら、君自身は家の事や領内の制度の事とか、いろいろと何とかしたいと考えている。そうでしょ?」 言いながら、セインは車椅子を動かし、廊下へと移動する。全員がそれに合わせて動き、ジャムリムが車椅子を押し始める。 「良く、お分かりで」 車椅子の横に並び、セインを見下ろせば、にこりと微笑まれた。 「伊達に、君より長くは生きていないからね」 パムルはきょとんとする。 セインは確かに自分よりは年上だろうけれど。そんなに歳も変わらないように見える。 それでふと、あと数年もしたら、自分もこんなに物事を見通せるようになるのかと考えて、とても無理だと溜め息をついた。 一見頼りなさそうに見える細身のこの青年を、彼の何倍もたくましく見えるギャンガルドが、何故一目置くのか、なんとなく分かったような気がした。 「さて、この城は丘の上に坂を利用して建てられているだけあって、ちょっとややこしい作りのようだけれど…。僕らはまず、どこへ行ったらいいのかな?」 セインに訊ねられ、パムルは全員が廊下へ出たことを確認すると、再びセインの閉じ込められていた客室の扉を閉めて鍵を掛けた。少しでも時間稼ぎにするためだ。 「ここは、造りとしては四階になります。セインさんを連れて逃げるとしたら、車椅子を持ち上げて階段を下りなければなりません。このまま廊下を進めば前庭に出られますが、目立つので諦めた方がよいと思います。中間地点にある、使用人用の階段なら荷物用のスロープ付きですので、車椅子での移動も可能ですし、そこからなら地上に出るには二階分で済みますけれど」 走り出しながらパムルが説明する。 この城は丘陵を利用して、正面から奥に行くにつれ、傾斜を利用して階数が増える仕組みになっている。正面から入ると一階だが、そのまま真っ直ぐ突き進むと、いつの間にか二階になっているのだ。 丘の斜面を平らにせず、てっぺんを正面玄関にして下り坂の上にそのまま城を建てたため、奥に行くにつれて下に階が増えるのだ。 「足の不自由な人間なら、スロープ付きの方が移動しやすいと気付かれていれば、そこで待ち構えられている可能性があるってことか」 ギャンガルドが不敵に笑う。 「ふん。なら、このフロアの階段を下りちまおう。城の中を進むのも面倒だしな」 「その意見は賛成だけれど…」 セインの眉間に皺が寄る。 「階段で、誰が僕と車椅子を運ぶのさ」 じろりと睨めば、 「俺様」 と、あっさりと予想どおりの答えが返って来た。 |
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