「…。パムル。階段はどこ?」
 自分で話を振っておいて、セインは無視を決め込んだ。
「すぐそこです」
 彼女の指さす先に、小さいながら豪勢な階段が見えた。
「急ぎましょう!」
 駆け足になる彼女のあとに、全員が続く。
 セインの閉じ込められていた部屋から出て、廊下の突き当たりを曲がってすぐ。城の正面とは反対側に位置する場所に、細い階段があった。
 細いながらに、手摺には彫刻が施され、踊り場の端々には小さな天使や女神の像が微笑んでいる。
 なんとも贅沢な装飾なのだが、それらをじっくり見ている余裕はない。
「この階段を下りると、城の裏庭に出ます。裏庭といっても、ほぼ森ですが、そちらから街へ降りましょう」
 飛び込むようにパムルが階段を下りる。
「タカ、お願いしてもいいかな」
「へい。旦那、肩に掴まって」
 タカがセインの長身を支えて立たせると、セインの腕を肩にまわし、階段を下りるのを手伝う。そのすぐ横をキャルが陣取り、後ろにジャムリムが付く。
 最後に、なんとも微妙な表情で、車椅子を担いだギャンガルドが続いた。
「俺が運ぶっつってんのに」
「車椅子運んでるでしょ」
 セインよりも早くキャルが返す。
「いい加減に信用がないんだって事、自覚してほしいものだわ」
 振り向きもせずに、刺でも生えていそうな台詞をキャルがぶつけるのだが、ギャンガルドは意に介していないようだ。
「まあいいさ」
 何をふっ切ったか知らないが、上機嫌に鼻歌まで歌い出す。
「楽しそうだねえ?」
 くすくすと、笑いながらジャムリムがギャンガルドを見上げた。
「そりゃあ、な。海の上も楽しいが、こういうの、俺は好きだぜ?」
 白い歯を見せて不敵に笑う。
 元々、こういう性質なのだ。この男は。
 
 海賊王ギャンガルド。
 
 泣く子も黙るこの名を持つこの男は、心底現在の状況を楽しんでいる。
 二階の踊り場まで来ると、廊下の奥から話し声が聞こえた。
 慎重に、パムルが足を止め、全員に停止するよう手で合図すると、彼女だけ、そっと廊下に姿をさらした。
「何事です?」
「これはこれは、お嬢様。ご機嫌麗しゅう?」
 聞き覚えのある声は、あの執事、カントのものだ。
「執事の貴方が、城の使用人を引き連れて、物々しいですわね」
「お気になさらず。野良猫が城内に入りましてな。皆で捜索しているのですよ。引っかき傷など付けられては、堪りませんからな」
 鼻に付く物の良い方をする。本当に、あの馬車で知り合った紳士なのかと、キャルは眼を丸くした。ついで、怒りで身体がプルプルと震えだす。
「キャル?」
 小さな声で呼び、セインがキャルの頭を撫でる。
「分かってる」
 キャルも、小さく返事して、気持ちを落ち着かせようと深呼吸した。
 セインを攫い、痛む足に鎖をつけて閉じ込めた張本人が目の前にいる。しかし、だからといって自分が暴走しては、みんなの苦労が水の泡となってしまう。
「大丈夫だよ。キャル」
 そう言ったセインの笑顔に、ふっと肩の力が抜けて、キャルも笑みを返した。
「ところでお嬢様。お連れになったお友達の皆様は、どうされました?」
「皆でしたら、とっくに帰っていますわ。この家ですもの。分かるでしょう?それとも、わたくしのお友達が何か?」
 パムルがぎろりとカントを睨めば、カントはわざとらしく降参のポーズをとった。
「いえいえ、パンナ様のお話をお聞きしましたら、お嬢様のお友達が、私めの知っている方々に似ていらっしゃる風貌でございましたので、もしやと思ったのですよ。他意はありません」
 物腰はあくまでたおやかで、なるほど紳士的だ。
 だが。
 人を探るようなその目線は、嫌悪するに値する。
 パムルはそれを一瞥して、鼻で笑った。
「わたくしを疑う暇があるなら、逃げた家庭教師をさっさと探す事ですわね」
 射るような視線を受けて、カントは息を飲む。
「…ご存知でしたか」
「ご存じも何も。貴方がわたくしを疑っていることくらい、常日頃から知っています。それとも、そんな事にも気付かないほど、わたくしが愚鈍だとでも?」
 今度こそ、カントは顔色を失い、二歩、三歩と後ろへ下がると、深々と頭を下げて、その場をいそいそと去って行った。
 慌てるその背中が見えなくなる前に、パムルは階段の踊り場の陰へと戻る。
「さ、皆さま、行きましょう」
 再び先頭に立って、全員を誘導する。
「ふえー。パムルって、案外度胸あるのね」
 キャルが感嘆の声を上げると、恥ずかしそうにパムルが振り向く。
「常日頃のうっ憤を晴らそうと思って。いわゆるやつあたりです」
「でも、あれはよっぽど肝が据わっていないと出て来ないセリフだよ」
 カントの所業をすべて知っているのだと、暗に含ませたあの言葉は、これ以上の無礼は許さない、との警告も含まれていた。
 ジャムリムまでが興奮気味だ。
 しかし、表情に陰りを見せて、
「そうですね、まあ、日常茶飯事で、色々ありますから…」
 ちょっと視線が遠くなったパムルに、全員がなんだか納得して、それ以上は何も言えなくなった。
「どれだけ苦労してるんだろう。この子」
 セインは半ば感心しつつ、小さく呟いた。
 彼女の気苦労の多さは、この街を見れば良く分かる事だったので、度胸も苦労の賜物と思えば、一瞬頼もしく思えた彼女の背中も、哀愁漂って見えるのだった。
「ストレスで、いつか倒れるんじゃねえの?」
 タカまでが、本人に聞こえないように小声で呟く。
 なるべくなら、助けてもらったお礼に何かしてあげたいのだが、旅人の身ではそういうわけにもいかず。
 こんなに苦労しているのだから、彼女の前途は明るいものであってほしいと願わずにはいられない一同だった。
「さ、着きました」
 階段を降り切ると、少し開けたホールになっていた。
 そのホールの脇に、大きなガラス張りの扉があり、そこを開けると外へと出る事が出来た。
 まだまだ城の敷地内ではあるのだが、ひとまず城内から出られたというだけで、一同に安堵感が生まれる。
「街を出るまで、気は抜けないよ?」
 セインが釘を刺した。
「荷物も置きっぱなしだろうし、クレイの事も心配だし。一旦、あのホテルに戻らないといけないでしょ?」
 当然、待ち伏せされているだろう。
 しかし、そんなセインの心配を、キャルは鼻で笑う。
「ふふーん。こうなると思って、あたしの準備は万全よ!」
 言うなり、指笛を鳴らした。
「お嬢!見つかるって!」
 慌てたタカを無視して、指笛は響いた。
「大丈夫よ。ちょろっと短く吹いただけだもの」
 キャルは全く意に介さない。それもそのはず、しばらくもしないうちに、馬の蹄の音が聞こえ始める。
「クレイを出してきたの?!」
 驚くセインに、キャルは大きく胸を反らした。
「そうよ。だって、セインったら立って歩くのがやっとで、走れないじゃない。それに、クレイもあんたを恋しがっていたしね」
「うわー」
 まさかのまさかだった。
 キャルがにんまりと笑うのと、栗毛の馬が姿を現すのとは同時だった。
「クレイ!」
 真っ先にセインの傍へ走り寄り、ぐいぐいと鼻面を押しつける。
「あらクレイったら。あたしにお礼は?」
 キャルが拗ねたように腕を組み、頬を膨らませれば、慌てたように、クレイはキャルにも鼻面を押しつけた。
 そのクレイの背中に、見慣れた大きな物体が括りつけられているのに、セインはぽかんと口をあける。
「キャル」
「何?」
「君って、凄いなあ」
「当ったり前でしょ!」
 クレイの背中には、キャルの鞄とギャンガルド達の荷物が、縄で結ばれ、左右に乗せられていた。
「重かったんじゃないの?」
 気遣わしげに自分の長い顔を撫でるセインに、クレイは嬉しそうにすり寄った。
 クレイの背中にセインが跨り、車椅子を庭の生垣の中に隠すと、キャルは意気込んで歩き出す。
「これで、心おきなくこの街から出られるわ!」

 しかし。
「いや、多分街からは出られないだろうね」
 セインが遠く、街を囲む壁を睨んだ。
「この街を取り囲む壁が厄介だ。きっと、今頃既に、出入り口は封鎖されていると思うよ」
「むう。じゃあ、どうしろって言うのよ!」
 ぷくりと頬を膨らませ、キャルが歩みを止めずにセインを見上げた。
 そのキャルを、器用にひょいと持ち上げて、自分の前に座らせながら、セインが思考を巡らせていると、道案内のために先頭を歩いていたパムルが振り返った。
「あの。もしよろしければなんですが」
 彼女特有の、どこかオドオドとした遠慮がちな声音に、大人全員が苦笑する。
「何だい?良いから、言ってみなよ」
 ジャムリムが先を促すと、パムルが森の一角を指差した。
「この森の奥に、私の自宅を兼ねた小さな家があります。そこにしばらく隠れていただこうと思っていたのですけれども」
 そう言えば、この領主の娘は、何度か家庭教師候補を逃がしているのだ。それなりの準備はしてあったのだろう。
「それは助かる!って、え?」
 パムルのありがたい申し出に、一瞬喜んだものの、何か引っかかって、セインは眉をひそめた。
 自宅を兼ねた家。それはまた、何というか。
「えーっとぉ?その、自宅?」
「あの、はい。その、私、あまり城で落ち着けないものですから、家族に内緒で、こっそり建ててもらったんです。息抜きの場所といいますか、もう自宅ですね」
 顔を真っ赤にして、また先頭を歩き出す彼女の、ほっそりとして小さな背中が、妙に哀れに見えた。
「家族の誰も知らないの?」
「はい。城の外のごく親しい友人にしか、場所を明かしていませんので、隠れ家には持って来いだと思います。というか、普段から私の隠れ家なのですけれど」
 と、いうことは、彼女は父親であるクロムにさえ、その場所を明かしてはいないのだ。
「…じゃあ、ちょっとお願いしようかな」
「分かりました。では、こちらです」
 にっこりと微笑むパムルとは対照に、全員の笑みが引きつっていた




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