パムルの隠れ家は、なるほど森の奥で、あまり手入れもされていないような場所にぽつんとあった。 城は木々に隠れて見えず、辿り着くまでの道も、ほぼ無い。 それでも鬱蒼とした草の中にあるわけではなく、女性が行き来するにはさほど問題はないようだった。 「へえ」 呟いたのはギャンガルドで、着くなりぐるぐると家の周りを点検し始める。 「珍しいの?」 「まあな。海の上にばっかりいるからな。船の点検同様、隠れ家にするってんなら点検しちまわねえと気がすまねぇ。それに、小さいなんて言いつつ、たいした造りだぜ。この家」 確かに小さな家ではあったが、しっかりと二階建てでテラスまであり、細部の作りも凝っていた。 「あれ?どっかで見たような?」 セインが首をかしげていると、先に中へ案内されていた女性陣から歓声が上がった。 「可愛いじゃないか」 「こんな家に住みたいわ!」 それで、セインも思い出す。 「あ。ホテルに似ているのか」 木組みのタイル、華美ではなく上品にしつらえられた手すりや柱。 「なるほどね」 この街を訪れた際、宿泊先にと求めた、パムルの経営するホテルに雰囲気が似ているのだ。もちろん、この家はあのホテルとは違い、古い館を改築したものではなく、新しく建てたものではあったけれど。 パムルの好みなのだろう。華美な城の中とは大違いで、彼女の内面を思わせる。 案内された小さな馬小屋にクレイを繋ぎ、家の中に入れば、アンティークのように丸みを帯びた調度品が、控え目に並んでいた。 「中の物はご自由にお使い下さい」 「良いの?」 「はい。お夕食は皆さま済まされてはいると思いますが、足りなければキッチンの横が食糧庫になっていますので。食器も、片付けて下さればご自由に」 ホテルの支配人であるパムルらしい心遣いだった。 「ほんと、領主の娘なんかにしとくの、勿体無いわ」 キャルがしみじみと呟いた。 「それは、褒めていただいているのでしょうか?」 「だって、貴族の娘らしくないもの。すっごく好感が持てるわ!」 「そ、それは、その、ありがとうございます?」 キャルの大絶賛に、疑問符の付いた礼を述べる。 「あはは。それじゃ誤解を招いちまうよキャルちゃん。貴族の娘ってのは、豪華なドレス着て、スプーンより重いものなんか持った事なくて、着飾るだけ着飾って、社交辞令が得意なだけで、何にも出来ないもんだ。世間ずれもしているしね。それに引き換え、あんたはホテルの経営もしているし、この街を何とかしようとしている。立派なもんだよ」 「あ、ありがとうございます」 ジャムリムが褒めた途端に、パムルがワッと泣きだした。 「え?ちょ、あたし気に触るような事言ったかい?」 慌てたジャムリムに、パムルが頭を振る。 「ち、違うんです。私、わたしっ、今まで誰かに褒められた事も、認めてもらった事もなくて!すみませっ…、う、嬉しくてっ」 「パムル…」 よしよし、と、ジャムリムもキャルも、彼女の頭や背中を撫でた。 さすがに小さなキャルにまで慰められて恥ずかしくなったのか、ぐすぐすと、鼻をぐずらせながら、パムルが顔を上げた。 「みっともないところ、お見せしました」 ハンカチで涙を抑えながら頭を下げる。 「みっともなくなんてないよ。あんたが褒められた事がないなんて、そっちの方が信じられないよ。もっと自信を持ちな!」 ジャムリムの笑顔につられて、パムルもはにかんで見せた。 「私、これから父の元へ行って、状況を説明して来ます。皆さんを、必ず脱出させてみせます」 泣き笑いの顔は歪んで、決して綺麗ではなかったけれど、とても魅力的だった。 「ありがとう。僕らも、色々考えてみるよ」 「はい。では、私はこれで。この場所が見つかる事はないと思いますけれど、皆さま、どうかお気をつけて」 ぺこりと頭を下げて、彼女は城へと戻って行った。 外は真っ暗で、それでもランタンも持たずに、月明かりだけでしっかりと歩いて行く彼女の足取りに、本当にこの家で生活しているのだろう事が窺えて、見送りに出たセインは、しみじみと溜め息を零した。 「あの子があんなにしっかりしているようで、どこかビクビクしているのって、自分に自信がないからだったんだね」 「良い娘だよなあ。切ねえなあ」 「どこかに良い嫁入り先は無いのかね?」 「うちの船員の誰かとかどうっすか?」 「駄目よ。嫁は港に置き去りでしょうが」 それぞれがそれぞれに、思いっきり溜め息を吐き出して、小さくなって行くパムルの背中を見送ったのだった。 「僕も結構苦労性だと思っていたけれど、上には上がいるもんだねぇ」 「アレは、苦労性ってレベルじゃないでしょ」 パムルの為にも、この街の現状を何とかしてやりたいところだが、あの領主とその息子の顔を思い浮かべれば、二度と会いたくないのも実情で。 「王様に言って、何とかしてもらえないかしら」 「そうだね、考えておこうよ」 という結論に落ち着いた。 「今日は疲れたなあ」 ひとまず落ち着こうということで、セインがキッチンを拝借して、タカの手を借りながら紅茶を淹れる。 「攫われたりするからよ」 「キャルだって誘拐されたじゃない」 唇を尖らせるキャルに、セインはギャンガルドを指差した。 「いつの話だよ」 「この間でしょ。そんなに間は開いていないわよ」 「あー、あんときは楽しかったっすねえ」 「なに?あんた、キャルちゃんを誘拐したりしたのかい?!」 「そーなのよ!出会いそのものが最悪なのよ聞いて!」 全員が、ようやくいつもの調子を取り戻し、一人住まいらしい小さなリビングは、賑やかな声で一杯になった。 「あー、ところで、明日なんだけど」 「なによう、せっかくギャンギャンいじめが盛り上がって来たのに」 「えー、俺いじめられてんの?」 紅茶の香りも相まって、セインと合流できたことで、全員に安心感が生まれていた。キャルがいつになくギャンガルドに絡む。 「お嬢、あんまりうちの船長いじめないでやって下さいよ」 タカがセインの代わりにカップを配る。 「へえ、美味しいねえ」 ジャムリムが驚きながら紅茶を口に含んだ。 「まあ、夜も更けて来たし、多分今夜はあまり眠れないだろうから、とりあえず体力の温存はしといた方が良いと思うのだけどさ」 「そうだな。まあ、今日着いたばかりで色々と謎だから、偵察には行きてぇんだろ?」 ギャンガルドがキャルのつっつき攻撃をかわしつつ、セインに応えた。 「大体の街の造りは分かっているのだけど、人の動きまでは把握していないからね」 「つっても、いいのか?」 「何が?」 「明日、あの姉ちゃん来るんだろ?」 確かに、パムルがそんなことを口にしていた。 「うん。今まで何人か逃がしているらしいし、今回も同様に逃がしてくれるつもりなのだろうけれどね」 このまま、パムルとクロムに任せておいても構わないのかもしれないが、どうにも気になることがある。 「ちょっと、ね。あの執事、多分何か、他に裏がありそうな気がしてね」 カントといったか。あの男の、紳士然とした態度が、含んだ笑みが、どうしてもセインの頭から離れないでいる。 「もしかしたら…」 「ジャムリムの町の連中か?」 流石、勘が鋭いというか、鼻が利くというか。 セインは小さく笑って、頷いた。 「結局、あの時は連中の雇い主はどっかの馬鹿な貴族だろうってことでカタが付いたけど、家庭教師に剣術の使い手を探していたっていうあの執事の言い分と、重なると思ってね」 「出来れば連れて来い、ってか?」 「そ。言ってる事、一緒でしょ?」 「ふむ」 ジャムリムが住んでいた町で、一行は盗賊団と刺客に襲われている。 結局のところ、勝手に自滅してくれたのだが、間抜けなことに雇い主の信書を持っていた。その内容が、王都で近衛兵の訓練をするために国王から召喚された剣術の使い手を、出来れば生かして連れて来い、それが出来なければ殺せ、というものだったのを、ギャンガルドは思い出す。 「確かに、一致するわね」 急に、二人の会話に、キャルが割って入った。 セインが城に呼ばれている事は、タカが御者に話をしている。それをあの執事が聞いていたなら余計に確証が持てる。 「そもそも、何であの男、あの馬車に乗っていたんだ?」 「どこから乗車したのか、誰か見てた?」 全員で首をかしげた。 「確か、あたしの街を出て、次の停留所から乗って来たように思ったけどねぇ?」 「馬車があの大雨のせいで迂回しまくったしな」 「執事って、仕えている屋敷を留守にしても良いものなの?」 「その辺はパムルに聞けば分かるんじゃないか?」 タカがキッチンにあったパスタを揚げ、砂糖をまぶして作った即席の菓子をテーブルに出し、セインが新しく淹れなおした紅茶のおかわりをしつつ、話は膨らんでいく。 「カントっつったか。あの執事」 「うん。そんな名前だったね」 カシリと、パスタの菓子をかじり、セインがタカの言葉にうなづく。 「僕らの名前はまだ把握していないようだったけれど。彼が駅馬車に乗車して来たタイミングや、駅馬車に乗っていたそもそもの理由も、雇った連中の後始末のためだとしたら、つじつまが合うけどね。とっても間抜けた強盗団の雇い主が、彼だっていうのが、なんだかピンと来ない。混じってた殺し屋っぽいのは、彼が雇ったのだとは思うけれど。もしかしたら、あの強盗団の連中は、殺し屋連中が即席で雇った可能性が高いかもね」 狡猾そうなカントの表情を思い出し、キャルが眉間に皺を寄せる。 「まあね。抜け目なさそうだし。でも、セインにまんまと逃げられているあたり、結構マヌケかもよ」 「ひどいなあ。心理を突いた僕の作戦が功を奏しただけだよ」 「何にしたって、俺たちを騙して、賢者を誰にも見られずに攫ったのはあの男だってことは間違いねぇんだ。それなりに頭は切れると思うぜ」 にやりと、嬉しそうにギャンガルドが顎の下を撫でながら、ちらりとセインを見た。 「足が不自由ってったって、あんたを攫うのは生半可な事じゃ出来ねえだろ」 「悪かったね。迂闊にも攫われて」 にっこりと、セインが微笑み返した。 「…その微笑み返しはやめてくれねえか」 「さあ?どうしようか」 じっとりと額に汗の浮かんだギャンガルドに対し、微笑むセインに軍配が上がるのはいつものことだ。 「さて」 ギャンガルドが耐えきれなくなって眼を反らしたのを機に、セインが一息つく。 「キャル、君はもう寝る時間だよ」 この発言に、当のキャルが怒った。 「何よ!カントの事もあるし、明日の脱走の事もあるのに、あたしだけ寝ろっていうの?!」 睨んだその眼の下には、うっすらとクマが出ていた。 「そんな事言っていないよ。僕も寝る」 「え?」 「だって、疲れちゃったしね」 そういえば、この中で一番疲れているのは、セインかもしれない。 「もう、くたくただよ。足も早く治したいのにさ。いろんな事ばかりあって、さっきから眠いんだ」 セインにしては珍しく、そんな事を言う。 「この家の客室はどうなってんだ?」 「へえ。さっき確かめましたがね、ツインルームが二つありやす。あとはあのパムルって人の寝室が一つ。五人はベッドで寝られやす」 ギャンガルドの疑問に、タカがテキパキと答える。 「パムルの寝室なんて、使ってもいいのかな?」 「大丈夫じゃないかねぇ?自由にしてくれって言っていたし、あの子の事だから、人数も把握してそう言っていたんだろうから」 「じゃあ、女性の部屋に男が入るのは不味いから、ジャムリムが使って。僕とキャル、ギャンガルドとタカでいいよね」 「えー!あたし、ジャムリムと寝たい!」 部屋の割り振りに、キャルが口をとがらせた。 「え」 「え、じゃないわよ。良いじゃない!男が三人もいるのよ。パムルの部屋にベッド一つ持ち込んで、女同士で寝たいわ!」 「あら。良い案だわね。でも、キャルちゃんなら一つのベッドで一緒に寝ても大丈夫じゃないかい?」 「良し!決まり!」 「えー…」 キャルの提案にジャムリムまでが賛成したとあっては、男どもの出る幕は無い。 「あー、じゃあ、俺は男同士で同じ部屋なんざ、もうごめんだから、一人で寝させてもらうぜ」 本心は、ジャムリムと同じ部屋で過ごしたかっただろうギャンガルドの声色は、なんだかしょんぼりしていた。 「じゃあ、僕とタカ?えっと、それでも良い?」 「おれっちはかまわねぇっすよ。むしろ、誰かいねえと、旦那が大変でしょ?」 「あははー。ごめんね。ありがとう」 そんなこんなで部屋割が決まると、夜のティータイムの後片付けをして、それぞれが部屋に入って就寝する事になった。 「じゃ、私らはこっちね。お休み!」 「お休み」 楽しそうに女性陣は一番小さな部屋へと入って行き、ギャンガルドはどこから持ち出したのか、ワインを片手に客室の一つに消える。 セインとタカも、残った部屋へと入った。 この部屋だけ、他の部屋と違い一階にあるので、階段を上らずに済んで、セインはホッとした。 「旦那、剣にはならないんですかい?」 とっとと寝てしまおうと、ベッドへ潜り込めば、タカが着替えながら聞いてくる。 「んー。その方が治りも早いから、そうしたいのは山々なんだけど…。良い?」 「何遠慮してるんスか。旦那が健康な方が旅は楽になるし、いざって時に備えた方が良いっすよ」 もっともであるので、本当ならもっと先に、セインロズドの姿になってしまいたかったのであるが、今まで落ち着ける場所がなかったうえに、姿を変えても良い場面が無かったので、重い足を引きずって、今まで来てしまったのである。 セインはセインロズドの姿になることで、大抵の怪我を素早く治してしまえる。普段でも、治癒力は異常に高いが、セインロズドになった時との差ははるかに大きい。 相変わらず、どういう仕組みなのかは、セイン本人にもわかってはいない。 多分、ヒトの姿でいるよりも、エネルギーを使わないからだろう、という、なんとも曖昧な持論しか持ち合わせてはいないのだが、この事柄に関しては、困ったことは無いのでセインもあまり考えないようにしている。 「まあ、タカが気にしないなら別に良いんだけど」 「何がっすか?」 普段と違い、なんだか遠慮がちなセインに、タカが首をかしげる。 「見た目が物凄くシュールなんだ」 「………」 思わず、ベッドの中できちんと枕をして横になっている抜き身の剣を想像した。 「…確かに、凄い光景かもしれねえ…」 しみじみと呟いた。 「それでも平気?」 言われてみれば、そんな状態の物体と、ベッドを並べて寝るのである。 「で、でも、お嬢は今まで付き合って来たんでしょ?」 「そりゃあ、まぁね?」 八歳の女の子が耐えられたのだから、自分だって気にさえしなければ大丈夫なはず。 「旦那、今までずっとそうやって治して来たんでしょ?」 「まあ、そうだね」 「だったら、大丈夫!気にしません!たぶん!」 勢いよく胸を叩いたタカだった。 それで、安心したのかホッと息を吐き出して、セインはギャンガルドに向けるのとは違う笑顔をタカに向けた。 「ありがとう。それじゃ、遠慮なく」 ランプでうっすらと照らされていた部屋が急にまばゆく光り、思わず目をつぶったタカが、そうっと瞼を押し上げた時にには、そこにセインの長身は無く、代わりに見事な刀身をきらめかせた剣が横たわっていた。 ベッドの中に。 「こりゃ、確かに…」 シュールだった。 |
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